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Have a life outside of work.


by seagull_blade

『表裏』。

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仕事をするにしても、女性を誘うにしても、何か物事を進める場合、大抵、考えられる事態を想定して準備(心の準備を含めて)をしておくものである。女性の場合は想像するしかないが、男性が女性を誘う場合、殆ど妄想のレベルまで色々考えたりするものだ。こう誘ったらどうかな。最初は断られるだろうからそのときはこう言おう…。プレゼントはどうしたものか。最初のデートでプレゼントはちょっと引いてしまうかも。いやいや物事初めが肝心だし、第一印象は良くしたい。受け取ってくれなかったらどうしようか…。そんなことを考えた事が無い男性は、よほどモテる自信家か、逆に拗ねてしまっているかだろう。

武道にもそんな想定は多い。勿論、デートではなく戦いだから、それほど楽しいものではないが。武道や武術を嗜まれた方には釈迦に説法だが、武道の技には多くの「返し技」がある。先日、アテネ五輪の柔道で、男子準決勝だったと思うのだが「内股空かし(うちまたすかし)」で一本勝ちした選手がいた。この技は「内股」の返し技で相手の「内股」仕掛けを利用して、足をはずし、自分の技に利用するものである。著者が弱小柔道部に所属していた高校時代、「内股」が得意技の先輩に対して、いつも「内股空かし」で対応して勝ってしまい嫌われていた。著者は決して強かった訳ではない。(公式戦は十数戦で2勝しかできなかった)ただ、その先輩が「内股」に入るタイミングが良く判ったため、返すことができただけである。この「内股空かし」も相手が「内股」を仕掛けてきたらどうするかという想定の中で生まれた技である。

「後の先」という言葉をご存知だろうか。この言葉は割と武道に限らず、スポーツでは使われる言葉である。今ではCounter Attack と英訳したほうが解りやすいかもしれない。「カウンター攻撃」ならば、サッカーでもバスケットでも多用する言葉であるし、実際、有効な攻撃方法だろう。サッカーを例に取れば敵が味方のコートに殺到している状態からボールを奪い、ロングパスと速攻で相手が防御する前に攻撃することなどである。これを日本語では「後の先」と呼ぶ。居合術を含むスポーツではない古武術にはそのような想定がずっと露骨かつ精緻に残っている。前回の稽古で学んだ新しい技はそうした返し技の一つであった。そのような返し技を居合では「影の形」若しくは「裏の形」と呼ぶ。

それは「後の先」の「後の先」を想定した技で、帯刀していた時代もそうそう使われた剣技ではないだろう。まず、表の技は『石火(せっか)』と呼ばれる。この技がそもそも返し技である。まず、両者帯刀、相対した状態で、相手が抜き付け(抜刀してそのまま)に右足若しくは右胴を斬り付けてくる。『石火』を仕掛ける側はそれを抜刀して体の右側にて片手で受ける。このとき切っ先は下を向いている。斬り付けられた右足はその際に引くのだが、大きく引かず、足をそろえる程度にする。相手は抜き付けを止められたので次の技に移行しようとする。そこを、仕掛け側は切っ先を相手に向け、刀の峰に左手を添え、左足で一歩踏み込み、相手のみぞおちから下腹部を突く。引き抜いて、血振、納刀。ここまでが『石火』である。要するに相手が右側に斬り付けてきた場合に止めて、突きを返す技であり、「後の先/カウンター攻撃」となっている。

だが、この技を更に返す「影の形(裏技)」も考えられている。それは『如電(にょでん)』という技であり、これが「後の先」の「後の先」となっている。『如電』は『石火』の返し技であるため、動きは『石火』側が突いて来るまでは同じとなる。抜き付けで相手の右足または右胴に切りつける。相手はそれを抜刀して受けとめ、下段の突きを放ってくる。(石火)この突きを体を左側に捻ってかわし、低い姿勢となっている相手の首筋(頚動脈)にやはり左手を剣の峰に添えて上から圧し切る。これで『如電』の完成となる。その後、血振、納刀。カウンターのカウンターである。

考えてみると、この『如電』という技は相手が『石火』またはそれに近い攻撃を繰り出してきた場合にしか使えない応用範囲の狭い形である。居合は表裏の技がセットになっていることが多く、限定的な場合を想定した返し技が目立つ。実際にこの技で切り殺された相手は少ないだろうと想像される所以である。しかし、この臆病なまでの状況設定、「相手がこう来たらこう返す、更にこう来たら、こう返す」という想定があったからこそ居合という武術が現在まで生き残っているのではないだろうか。

サッカーで「ファンタジスタ(fantasista)」という言葉を良く聞く。辞書を引くと「独創性あふれるプレーをする名選手/想像力に富んだ名選手」という意味である。名選手であるからには技術的、身体的に優れているのは勿論だが、彼等の素晴らしさはその素晴らしい「独創性/想像力」にある。彼等は誰も思いつかないような可能性を一瞬の判断で「想像」し実現してしまう。まさか!という位置から攻撃、防御し、ゲームの流れを変えてしまうことも多い。だが、普通の選手はこうは行かない。事前にあらゆるシチュエーションを想定し、訓練し、反射的に動けるようにしておく。その訓練だけが「ファンタジスタ」と呼ばれる選手たちに対抗する唯一の手段であろう。

居合術の始祖達は所謂、人口に膾炙した剣豪は少ない。勿論、人並み以上に優れた剣士であったのだろうが、この臆病さ、この精緻さはむしろ、自らの想像力の限界を知る人にこそできるものではあるまいか。抜刀して立ち会ったら決して敵わぬ天才的な剣豪を相手に、如何にして生き残るか。それを懸命に考えたその努力の集大成がこの「居合術」となったのではないだろうか。この「後の先」の「後の先」の技を学びながら、先人たちを「偉大な凡人」として想像してみた。あたかもモテ無い男が、モテる男に及ばずながらも努力するように。
さて、筆者も努力してみよう。…と。
by seagull_blade | 2004-08-24 19:11 | swordplay