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Have a life outside of work.


by seagull_blade

English, English

English, English_a0012892_17121219.jpgブログは休業状態が続き、更新するのをやめてしまったと思われた方々も多いと思う。お詫びの言葉も無い。転職してからも時間がなかったとは言えないし、記事のネタが無いわけでもなかったのだが、ブログを更新するだけの精神的な余裕が無かったというのが本当のところである。ご容赦願いたい。今後も遅筆ながらも続けて行く予定なので、お付き合い願えればと思う次第。

前回の記事で、転職先は「外資系コンサルティング企業」と書いた。社名はここで書くことは出来ないが、ご存知の方はご存知の企業かと思う。アメリカ発のグローバル企業で典型的な外資系である。経験不足や能力不足もあって業務でも四苦八苦しているのだが、さらに苦労しているのが、ご想像の通り英語である。筆者の業務クラスでは日常業務で会話を使うことは殆ど無いので、会話が不得手でも問題ないのだが、社内で使用するドキュメント類はほぼ英語、メールも5割は英語で届くというような状態である。

英語が得意な方にとってはどうということもないが、筆者のように「学校英語はほどほどで実用英語は日常最低限が精一杯」という人間にとってはかなり苦痛である。そうは言っても読み書きができないと仕事にならない。仕事用のメモに使っている手帳は殆ど単語帳と化し、もっとも頻繁にアクセスするサイトは「スペースアルク」という有様である。とは言え、一ヶ月そういう状態で仕事をしているといい加減に慣れてくる。入社時に受けさせられたTOEICのスコアは600点に少し及ばなかったが、今なら過去最高点を取ることができる気がする。

筆者の会社は非英語圏の社員のために語学学校の費用サポート制度がある。使わない手はないと考えて、イーオンのとあるスクールに通っている。簡単な面接があり、それによってクラス分けがなされる。レベルは中の上というところか。面接で指摘されたことだが、筆者は「聞く力」や「流暢さ」、「表現力」という部分は優れていると判断された。逆に問題点は恥ずかしい話だが「文法」と「語彙」であるらしい。実際TOEICのスコアではリスニングセクションがリーディング・ライティングセクションを100点以上上回っている。

筆者の傾向を一般化しすぎとは思うが、同世代(20代~30代)にはこうした傾向が実は強いのではないだろうか。つまり、実は「文法ができない」ということである。大雑把な世代論であることを承知で書くのだが、我々の世代は「受験英語は役に立たない」「文法ばかりはつまらない」というようなことをずっと聞いて育った。かといって、中学や高校の授業に「英会話」があったわけではない。しかし校外にはいくらでも英会話スクールがあり、そこで会話を覚えようとした人も多いだろう。また、映画や音楽をはじめいくらでも英語を聞くチャンスが(本人が考えるよりも多く)あったと思われる。その結果、受験を経験しつつも意外と文法が弱いという特徴がうまれているのではないか。また受験英語もマークシート形式が増えたため、さほど厳密に文法を理解していなくてもかなりの点数が取れてしまうということもあるように思える。

よく言われることだが、母国語ではない言語を使いこなすためには文法が必要である。特に印欧語族と全く異なる母国語を持っている我々日本人は、文法の理解なしでは英語を使いこなすことは難しい。正直、仕事で必要となった現在の感想である。会話については実際の会話をスポーツの試合のように積み重ねて行けば、少しずつ慣れてくる。そのような場所がなくとも本当に必要となれば、NHKラジオ講座でもiPodに取込んで通勤通学中に聴くぐらいの知恵は出るものだ。だが、文法はそうは行かない。どちらかというと地味な筋トレのようなもので、その効果がわかりにくい上にさほど面白いものでもない。しかし語学における基礎体力である文法をしっかり身につけないと、会話も幼稚なものとなる。カタコトであるのと幼稚であることは全く異なる。

と、ここまで偉そうに書いたが、筆者自身も四苦八苦の状態が続いている。自分の選択した世界では必須の「仕事の道具(ビジネスツール)」である英語なのだが。いつか英語で「I hate English!」と叫んでみたいものである。

昨今、英語教育を小学校から教えるということになりつつある。筆者自身は賛成も反対もないが、恐らくそういう教育を受けるこれからの世代もきっと英語はうまく使いこなせないだろうと確信している。理由は日本で生活する限りにおいて、英語は殆ど必要ないからである。英語が必要なケースは、留学するとか、海外との取引の多い会社で直接担当する部署に配属されるか、外資系企業のように社内公用語が英語などの特殊なケースに限られる。そういうケースはこれからもレアであろう。そしてそういうケースでない限り外国語を覚えて使いこなすことは難しい。というよりもむしろそういうケースでも相応の努力が必要である。これらのことから小学校から教えたところで、多少リスニング力と発音が良い生徒が出来上がるだけだと思われる。

English Divide(Digital Divideからの造語。英語力の格差から生じる経済力の格差)を主張し、英語を日本の第二公用語にするという議論もあるが、筆者は懐疑的である。どうもこの種の議論には「自分が英語が話せないのは、頭の柔らかい子供時代から英語を勉強しなかったからだ。子供なら母国語を吸収するがごとく英語も吸収できるに違いない」という思い込みから出発しているような気がする。筆者の周囲には英語に堪能な人々が多いが、帰国子女を除いて、みな中学からの勉強である。多少苦労は多くとも、母国語も英語も中途半端に身につけるくらいならどちらか一方を徹底したほうがよいと、英語の資料を読み漁りつつ思うのである。
by seagull_blade | 2006-05-09 17:14 | bizarro life