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by seagull_blade

『花』『鳥』『風』『月』

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現在行われている居合は大きく、「制定居合」と「古流」と呼ばれるものに分けられる。「制定居合」、正式には「全日本剣道連盟居合」であり、昭和44年に制定され、現在では12本の形をもつ居合形であるようである。古流とは読んで字の如く、古くから伝わる居合術であり、所謂、「何々流」のように表される古武道、兵法の一部である。筆者が稽古させて頂いている水鴎流も勿論「古流」である。古流は歴史の長い分、技法も多岐に渡っており、はっきり言えば煩瑣となっているため、古流の良いところを取り入れて、制定されたのが「制定居合」である。大学の居合道部などで行われている居合は基本的に制定居合であり、合理的かつ基本的な動きを覚えられるようである。筆者も是非制定居合を稽古してみたいのだが、水鴎流という「古流」から入ってしまったので、なかなか機会を得ることが出来ない。古流も制定居合で確りと基本的な動きを覚えてからの方が、より上達が早いと言われている。

古流の武術技法には様々な名称がつけられている。無論、そうではない古流もあるが、水鴎流の名称も一見しただけではどんな技であるのか解らない名称が多い。この点、制定居合はやはり現代のものらしく、合理的な名称がつけられている。全日本剣道連盟によると

〔正座の部〕一本目:前 二本目:後 三本目:受流
〔居合膝の部〕四本目:柄当
〔立居合の部〕五本目:袈裟切 六本目:諸手突 七本目:三方切
八本目:顔面当 九本目:添手突 十本目:四方切
十一本目:総切 十二本目:抜打

となっており、どのような技であるかは朧気ながら想像できる。ところが、古流、例えば水鴎流の組居合の場合、

水勢 明月 乱雲 風勢 千鳥 山陰 大陰剣 大雄剣 大極剣

であり、一読したところで、どのような技法なのか全くわからない。これらの名称は「見立て」であることが多いように筆者には思える。また、今でこそ実用性の殆ど無い居合であるが、成立した時代は正に生死の問題であった筈で、一読してわかられては困ると言うこともあったであろう。とは言うものの、なかなかに風流な名称が多い。これ以外にも多くの技があるが、二三の例外を除いてこのような名称がつけられている。

水鴎流の場合、WEB上で公開されている137の技法の内、最も多く使われている文字は「月」と「風」の8、ついで水の6であった。「明月」「月影」「蓮月」「風勢」「浦風」etc…。「鳥」という文字も4つ、流石に武術であるから「花」は少ないがやはり一つあった。組み合わせれば「花鳥風月」。辞書を引けば「自然の美しいさま」とある。この辺りに、日本人はやはり自然の風物や季節の移ろいに規定されているのと同時に、武術のような野蛮なものにまで、このような文字を与えてしまうその感性が、日本人としてとても好もしい。

西洋剣術/武術は全く解らないが、技法に風流なものを見立てるという感性は恐らくないのではないか。(大いに偏見です。フェンシングなど稽古されている方がいらっしゃればご指摘ください。)西洋や中東アジア、インド、中国などの武器にはその形状が似ていることから、堰月刀(えんげっとう)やシャムシール(ライオンの尾)などの呼び名はあるが、「見立て」という発想は見られないように思う。

筆者が最も行い易い技法として、組居合の「明月」がある。この技は打太刀(うちたち:やられ役)が仕太刀(したち:仕留め役)の首に横一文字に抜き付ける。仕太刀は右足を一歩引くと同時に刃先を上に右側へ抜刀してこれを受け、受けられた打太刀が上段に振りかぶった左手に斬りつけるという動きをする。「明月」という名は仕太刀が相手の刀を受けた際の形を恐らく半月に準えているとの事である。身体を半身にし、緩やかな曲線を持つ刀を右側に受ける姿は、成る程、月に例えるのも解らないではない。こじつけの感もあるが、こうしたこじつけを含めた見立てが何となくしっくり来るのは、日本という風土の中で生まれ、日本語というウエットな言語を操るせいであろうか。

先ほど紹介した組居合の名称である、「水勢」「明月」「乱雲」「風勢」を英訳するとその辺り良く解るのではあるまいか。水勢ならば「the flow of water」、明月は「bright moon」、乱雲は「nimbus」(調べて初めて気が付いたが、ハリー・ポッターの箒はここからとっているようだ)、風勢は「gale」とでも訳せばよいだろうか。ただ「gale」では強風や疾風のことで、ニュアンスが異なってしまう。ただ、英訳されたこれらの言葉を並べてみても武術の技法だとは誰も思わないだろう。不思議なことに日本語でかかれていると、武術の技法といわれても、筆者には全く違和感がない。

日本の文化が極めて優れているとか、他の文化よりもレベルが高いとか、そういう言説には汲みしたくない。或いは、極めて劣るとか、野蛮だとか言う事も無い。文化は優劣で論じるものではないからである。しかし、こうしたことに気が付くと、なかなか日本の文化も悪くないし、素敵な感性をもつ文化だと筆者は思えるのである。
by seagull_blade | 2004-09-21 21:21 | swordplay