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by seagull_blade

轟音。(富士総合火力演習見学記)

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8月26日に防衛庁主催の『陸上自衛隊富士総合火力演習』を見学してきた。(会社の先輩にチケットを頂いた)筆者は偶々休みだったが、平日のことでもあるし、だれも誘うことができずに、一人で富士畑岡の演習場へ早朝から向かう。軽ではないが小型車に乗っているので高速道路がやや辛い。どうにか御殿場ICまでたどり着いた。指定された矢鱈と広い駐車場に車を止め、自衛官の指示に従って、演習場までのシャトルバスへ乗り込む。夏休みと言うこともあり親子連れがとても多い。急な斜面を登り(富士山麓内だから当たり前だが)演習場へ。ひどい曇り空で、今にも雨が落ちてきそうだったが、直射日光のなか見学するよりはマシと諦める。

演習場はものすごい人出である。到着が遅れたため既に火砲の音が場外にも漏れ出している。数千人は座れそうな雛壇の客席の横を抜け、巨大な防水なシートで覆われた演習場前の地面に座った。この席も大量の観客(見学者?)が座っていた。スピーカーから、長距離火力、中距離火力、近距離火力など、兵器を丁寧に一つずつ説明する声が聞こえる。その兵器の用途、威力、使用方法が説明された後、発射指示の無線に切り替わり、場内に「目標を補足、ロックオン完了、安全装置解除」「撃て!」の声が響く。直後、轟音とともに榴弾砲や迫撃砲が発射される。すさまじい轟音である。また、静止目標とはいえ、命中精度には驚いた。特に、ミサイルの精度は十数キロ先の目標を正確に破壊するほどである。

自走砲や迫撃砲の轟音に慣れ始め、考え事を始めた筆者の目の前を2種類目の戦車が通り過ぎる。直前の74式戦車に対して、こちらは90式戦車というらしい。相当に大きい砲を積んでいる。ボンヤリして眺めていたが、「90式戦車の120ミリ滑腔砲は、大変大きな音がします。大変大きな音がします!ご注意ください。」という場内放送が流れた。大きな音と連呼するので、どれほどのものかと思っていると、例によって、「目標を補足、安全装置解除!」「撃て!」の声が。そして…。

90式戦車は筆者から大体30から50メーターの位置に静止している。かなり大きな車体だから、もしかするともっと離れているかもしれない。だが、一瞬目の前が閃光に包まれ、鼓膜が破れるかというほどの音とともに地面がゆれた。上述のように筆者は地面に直接座っているのである。「ズドン」などというかわいい音ではない「バン!」とも「ダン!」とも付かぬ猛烈な音だ。大地が揺れる音など初めて聞いた。そして目標の斜面に命中。ロケットなどと違って、弾丸など見えない。発射音とともに目標の斜面に着弾し、土煙が上がる。

会場は静まり返った。お喋りしているカップルも、大騒ぎしていた子供たちもその音に息を飲んでいる。先にデモを行った74式戦車の105ミリ砲など120ミリ滑腔砲に比べれば豆鉄砲のようだ。105ミリといえば、太平洋戦争で使われた高射砲よりも大口径である。それですら豆鉄砲に感じる。120ミリ砲の威力は凄まじいものだろう。

会場がざわつき始めた。子供の泣き声がそこかしこで聞こえる。無理もない。大人であり、男性である筆者とて恐怖を感じる音なのだ。当然、活動を紹介する演習なのだから、こちらに弾が飛んでくることは100%ない。にもかかわらず、その咆哮は大人ですら恐怖させる。30分の休憩が始まった。ここで帰る見学者もそこそこにいる。泣いている我が子をあやしながら帰る親子連れを見ながら考えた。

湾岸戦争、イラク戦争で使用されたアメリカ軍の主力戦車は、M1A1エイブラムズという。エイブラムズも同じ120ミリ滑腔砲を装備している。そしてイラク軍の主力戦車T72戦車は125ミリ滑腔砲を備えている。そうなのだ。あの戦争は先ほど見た90式戦車同士が戦ったような物なのである。(性能差については言及しない。戦車は砲塔の威力が全てではないし、結局アメリカの一方的勝利に終わったのだから。)湾岸戦争もイラク戦争もあの戦車を街中で運用し、砲火を交えたのだ。住民は堪ったものではない。砂漠での運用もされただろう。あれで撃ち合うのだ。兵士とて慣れるとは言え、絶対におかしくなってしまうだろう。戦車同士ならいざ知らず、軽装甲車など跡形も無く消し飛んでしまう。そして戦場で運用されるのは戦車だけではない。対戦車ヘリ、ミサイル、爆撃機による空爆、銃弾、ロケット、迫撃砲、対人榴弾、対人地雷、拳銃、小銃、機関銃…あらゆる兵器がお互いを狙い合う。

休憩が終わり、今度は戦術面からの紹介演習となった。ヘリコプターと連動した、「ヘリボン攻撃」や砲科と歩兵が連動した攻撃などの紹介があり、74式戦車と90式戦車がそれぞれ8両(違うかも知れない。記憶だけなので。)登場した。そして、移動しながらの一斉射撃。天地が引っ繰り返るという言葉が決して大げさではない轟音の連続である。大地は揺れつづけ、砲撃の度に戦車は閃光に包まれる。もはや筆者の鼓膜もだいぶおかしくなっており、何度も耳を塞ぎたい衝動に駆られる。だが、戦場は弾が飛んでくるのである。ここは演習場なのだ、こちらに飛んで来るはずは無いと言い聞かせ、懸命に耐える。もはや機関銃の音など物の数ではない。

「早く終わって~」隣に座った家族連れの女性が叫ぶ。ミリタリーマニアはともかく、これは多くの人がそう思っていただろう。そして、戦場では誰もがこことは比較にならない思いをこめ言うだろう。「早く終わってくれ」と。

この富士火力総合演習で使用された弾薬は十億単位の費用が掛かるそうだ。2日間、合計しても5時間程度の演習でこの価格である。戦争は恐るべき消耗である。命も金もなにもかもを猛烈な勢いで消耗する。近代戦とはそういうものだ。そして、戦争行為そのものは何も生み出しはしない。

あらゆる哲学・思想があるであろう。だが、一人の命よりも重い哲学・思想や宗教など、存在しないのだ。少なくとも筆者はそう思っている。「一人の命は地球より重い」とは思わないが、思想や宗教などにそんな重さがあるはずが無い。

自衛官の方々や、自衛隊の戦車がこれまで実戦投入されていなくて本当に良かったと思っている。陸上自衛隊富士総合火力演習はサマワの指導者が地域の長老(とそれに連なるテロリスト達)へ向けた「何故、日本を狙うのだ!日本の自衛隊が我々に一度でも銃を向けたことがあると言うのか!?」という言葉の意味をほんの少し教えてくれた気がした。そして、そんな場所へ、任務として議論も尽くさずに送り出した某政治家と、反対はしていたが任務として送られることに決まった自衛隊の装備を、拳銃一丁、機関銃は部隊に一丁などとほざいた、某政党がますます嫌いになった。(日本だろうと、イラクだろうとアメリカだろうと自衛官や兵士にとって戦場は殺されに行くところではあっても、殺しにいくところではあるまい)そして、帰りのバス待ち行列の横にいた「近頃の根性のない若い奴や罪を犯したような若い奴は全部自衛隊に入れればいい」と言っていた、酔っ払いオヤジには怒りすら湧かず、あきれて物も言えなかった。派遣された自衛官の無事を祈るばかりである。
by seagull_blade | 2004-09-10 20:14 | philosophism