「ほっ」と。キャンペーン

Have a life outside of work.


by seagull_blade
昨年、i-Pod©を購入したのだが、20GBというディスク容量は大きすぎて、いつまでたってもディスクがスカスカである。20GBというと、一般的な圧縮形式データで、5000曲格納できる計算になる。最近、といっても数ヶ月経つが、発売されたi-Pod miniは容量が4GBとのこと。これでも1000曲格納できるので、この発売まで待てばよかったと少し後悔している。しかし、CDやカセットテープを持ち歩かずとも大量に格納できるという点、携帯ハードディスク型音楽プレイヤーはかなり便利なのでドライブ等には画期的であったりする。
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「本棚を人に見せるな」という言い方がある。本棚は確かに当人の「嗜好や思考や志向」がどうしても現れてしまう。筆者もやはり見せたいものではない。「i-Pod」も小さな液晶ディスプレイを見ることで、その人の音楽嗜好がはっきりわかってしまう。筆者の場合は本棚よりは見せてもよいものである気がするので、少し中身を紹介しようかと思う。

最近「スカスカのハードディスクを埋めるのに丁度よい音楽は」と考えると、割とサントラものを購入する傾向がある。TVドラマや映画音楽など、サントラは「良い所取り」であることが多いので、考えなしに聞くにはとてもよい。高校生の頃は好みのアーティストをとことん追求するタイプだったのだが、どんどん雑食の傾向を示してきている。というよりもむしろ、「好きなミュージシャンを探すのが面倒になってきた」だけなのかも知れないが…。

サントラのよいところは他にもあって、「既知の曲が多い」ということもその一つであろう。全く知らない曲を聴くのは新鮮な楽しみがあるが、馴染むのに時間がかかるし、聞いてみるまで好みの楽曲であるかどうかがわからない。その点サントラは多くの場合、映画やドラマを既に観た後だから、曲は意識的に覚えていなくとも、記憶のどこかにあることが多く、「あ、そうそう」的な感覚で聴くことが出来る。

筆者の場合、最近の映画やドラマのサントラを購入することもあるが、幼い頃に見ていたTVドラマのものや、古い映画のもの、或いはシリーズものの主題歌を集めたものを割と購入しがちである。最近では「007シリーズ」のテーマを集めたものを購入した。シリーズをすべて観ている訳ではないが、都心にも郊外にも合うのでドライブにはとてもよい。ただ、「シリーズのテーマソング」ものは知らない曲が混じっているので、新鮮さはあるものの、「あ、そうそう」的聴き方には今ひとつである。そこに来ると、幼少時に観ていたTVドラマは最適である。

拙文のタイトルでバレバレだが、最近好んで聴くのはご存知「必殺シリーズ」である。兄弟居らず、周囲が大人だった所為か、小学校へ上がる前から時代劇を祖父母や両親とよく観ていた。「大江戸捜査網」や「伝七捕物帖」、「暴れん坊将軍」などなど。しかしなんと言っても大好きだったのは、『必殺仕事人』である。池波正太郎の「仕掛人藤枝梅安」が原作(ほとんど原型をとどめていないが)で、1972年から91年まで「名を変え、手を変え、品を変え」続いた「必殺シリーズ」は読者諸兄姉もご存知の方が多いのではないだろうか。出演者の変遷も多い為、好きだった作品も多く別れることだと思うが、筆者にとって「必殺」と言ったら、藤田まこと扮する『中村主水』、山田五十鈴の『おりく』、中条きよしの『勇次』、三田村邦彦の『秀』、鮎川いずみの『加代』が登場する、「新 必殺仕事人」である。

今思えば、「どうして秀は、みな歩いて『仕事』に行くのに、一人だけ泳いだり、走ったりしているのか」「勇次の三味線の弦は錘もついていないのに真直ぐ飛ぶのか」などと突っ込み処満載なのだが、ドラマそのものは、完全懲悪とは言い切れず、また江戸町人生活が確りと描かれていて、後半はどんどんギャグと化していくにもかかわらずよいドラマだったように思う。

閑話休題。Amazonで「必殺シリーズ」のサントラを購入した。サントラは全集が発売されていたが、自分がよく観ていた頃の『新必殺仕事人 / 必殺仕事人 III』を購入。早速、聴いてみることに。

勿論、有名なトランペットのテーマは言うまでもないのだが、こうして聴いてみると「ウエスタン」と「演歌」と「フュージョン」が渾然一体となったなんとも言えない世界である。フュージョン調の音楽をバックに古今亭志ん朝のセリフが入るオープニングナレーション。懐かしさとおかしさで聴きながらニヤニヤしてしまう。楽曲のそれぞれが、「あ、中村主水が袖の下でも取りながら町をぶらぶらしているな」とか、「このあたりで雲行きが怪しくなるな」などと、場面場面をイメージできる。

例のトランペットが流れた後は「仕事」のシーンに使用されたBGMである。トランペットがメロディラインを奏で、ストリングスとベース・ドラムがバックを支える。夜勤の際など眠くなって来たら、ヘッドホンでこの曲を聴くと気合が入ったりする。仕事のBGMが終わると、急に演歌調というかメロドラマ風のストリングス『中村主水のテーマ』が流れる。これを聴きながら帰宅すると不思議な充実感が…。

読者諸兄姉にもこのように感情移入(むしろトリップかも)してしまう一枚はないだろうか。
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# by seagull_blade | 2004-11-28 14:20 | musique
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今から独立して商売、特に「仕入れて売る」という小売業を生業にしようと考えたとする。当然、資金集めや取引先の決定、会社登記をはじめとする様々な手続きをしなくてはならない。まずは、簡単でもよいから事業計画を作成しなくてはならない。事業計画書を銀行等の資金提供者に持っていったとする。様々な突っ込みが入るだろう。事業ビジョン。計画。そして、貸し手としては貸し倒れが最も恐いことなので、リスク管理も厳しく問われるだろう。小売において特徴的なリスクとはなんであろうか。

運転資金のリスク、事業計画そのもののリスクは勿論だが、小売業で最も恐いリスクの一つは「不良在庫」を抱え込むことである。仕入れたものの売ることが出来ず、倉庫に山積となった不良在庫。これは恐ろしい。INがあってOUTがない、StockはあってもそれがGainにならない。どこの小売業者もあらゆる方法を使ってこの状況を回避しようとしている。POSシステムを導入して、「売れ筋」「死に筋」を測定したり、徹底した在庫管理で、欠品⇒発注⇒検収⇒売場という流れを自動化するケースもある。これらは業務効率化など多くの意味があるものの、究極的には不良在庫を抱え込まないということを目的としている。

さて、不良在庫を抱え込むというリスクを一切負う必要が無い経営形態があると言ったら、信じられるだろうか。仕入れた以上、売れないというリスクは必ず発生する。そんなことはありえない。普通はこのように考えるのではないだろうか。筆者も流通系システム会社へ入社するまではその様に考えていた。だが、実際にそのようなビジネスモデルはあるのだ。やはり言わずと知れた「百貨店」である。

百貨店には「売り仕(うりじ)」という言葉がある。これは「売上げ仕入れ」の略語である。「消化仕入れ」とも言う。まさに読んで字の如しであって、これは「売上げた分のみ仕入れた事にする」という会計上のマジックである。つまり、商品を調達して売場に並べていても、売れるまでは卸側の在庫にしておき、売れた途端に大至急仕入れ計上を行い、同時に売上げを立てる。こうすることで、売れ残りの損失、価格下落による被害、品痛みなどのあらゆるリスクは、百貨店側にとっては消滅し、リスクフリーの経営が可能となるというものである。勿論このリスクはどこかが持たねばならない。当然この場合は御元やメーカが負うことになる。

「そごう」が破綻した際、新聞紙面にも「消化仕入れ」や「場所貸し」といった言葉が踊ったことを覚えていらっしゃる方もおられると思う。世論でも「消化仕入れけしからん」という風潮があった。確かに圧倒的に小売(百貨店)有利なこの仕入れ形態だが、それならば、なぜこのようなことが許されているのかを考察してみたい。

あらゆる物事にはプラスとマイナスの面がある。「売上げ仕入れ」の場合も考えてみよう。まず、百貨店にとってのプラスははっきりしている。不良在庫リスクを一切負わないということである。上述の通り、これには計り知れないメリットがある。売れ残り・流行遅れによる陳腐化・品痛みなどあらゆるリスクが解除される。いいこと尽くめのようだが、当然マイナスの要素もある。百貨店構造不況などと言われ、そごうを始め大手百貨店の苦境が話題となった時期があったが、このそもそもの原因は「ノーリスク」での仕入れをおこなったことである。「百貨店は場所貸しの不動産業だ」などと言われたそもそもの原因はここにある。

とはいえ「場所貸しの不動産業」という批判は単に「テナント」へ場所を貸与するというだけという意味であったが、これでは不動産業に対して失礼であり、浅薄な批判である。実際にはプロダクト・アウト(供給主導)の構造が崩れ、マーケット・インやカスタマー・インという構造に移行した80年代から流通業界は圧倒的小売主導になった。供給側(ベンダー)は本来、小売側が負うべきリスクを負ってでも店頭に品物を置いてもらうことに腐心し、その結果として、「売り仕」構造(元々あったが)が固定化されてしまった。

しかし、小売側の百貨店にも致命的な影響が出ている。全てのリスクをメーカで負うということは、百貨店側の企画・開発・販売の能力を相対的かつ総体的に落としてしまう結果となった。百貨店の構造不況のポイントはここにあると筆者は考えている。遅まきながら多くの百貨店ではこのことに気が付き、売り仕ではない「買取」の商品を増やし、自主企画商品や自社ブランドを創造し、リスクを取って能力を向上させるという方向に出ている。「三越グループ」の「脱百貨店」というスローガンもこのノーリスクでの商売が、構造的な低利益を生み出していることへの反省であろう。勿論、三越に限らず、自主MDをどこの百貨店でも進めている。

そごうの破綻は勿論、水島元会長による独裁的放漫経営も大きな原因だったであろう。しかし、リスク回避による仕入れ、ベンダーへの強度の依存という体質も、もう一つの致命的な原因であったと筆者は考える。

別段、この問題はそごうに限らない。どこの百貨店でも同様である。自社の企画力、マーチャンダイジング力を高め、月並みではあるが「他には無い」価値をつけていくこと。今のところ、それ以外に解決策は見出せないのでは無いだろうか。百貨店は「マーケット・インの構造」というベンダーにあらゆるリスクを負わせるほどの強力な立場を、別の方向に見出す必要を感じているであろう。その回答を見つけることも、価値の創造とともに最優先すべき経営課題である。
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# by seagull_blade | 2004-11-17 22:12 | career

真剣。(試斬体験記)

剣道や居合道という言葉は割と知られているが、「抜刀道」という言葉をご存知の方は少ないのではないだろうか。かく言う筆者もつい最近まで知らなかった。幕末以来、剣が実用性を失ってからも、古流の武術として、或いはスポーツとして剣術は発展してきた。しかし、学問においても顕著であるように、発展するということは細分化、専門化することと同義であるようで、剣術も細分化、専門化した。
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ご存知「剣道」は竹刀を持ち、防具を付け、打突(だとつ)し合うことでポイントを争うスポーツである。勿論、スポーツであるか武術であるか異論はあると思われるが、「殺し合い」の要素を排除して、誰でも参加しできる物であることを考えれば、スポーツとして定義されると思われる。またスポーツであるが故に、これほど普及したと考えられる。

では次に「居合道」だが、これは真剣もしくは居合刀(居合用の模造刀)を用いて、主に形を稽古するものである。古流と呼ばれる流派に例外はあるが、基本的には、敵がそこにいるものと仮定して空間を斬る「空間刀法」である。筆者が稽古している古流「水鴎流」は組居合や組太刀と呼ばれる、実際に相手を置いて稽古する形が多いが、それでも実際に敵を切断する訳ではない。(犯罪である)しかし、殺し合いの要素は多分に残っており、真剣や居合刀を使用することを考えると、居合道は武術とスポーツの間に位置するものであり、剣道よりは武術に近いものと考えられるのではないだろうか。

では、抜刀道はというと、これは「真剣」を用いて、実際に物体を斬る「真剣刀法」である。歴史的には一番新しく、戦前の帝国陸軍が軍刀の扱い方を召集されてきた兵士へ教えるために、古流剣術から考え出された7本の形の剣術である。陸軍戸山学校(現在の都営戸山住宅一帯)で、創出、教示されていた為に、「戸山流抜刀術」と呼ばれるものとなったとの事である。元々は単に「軍刀の操法」と呼ばれ、戸山流抜刀術を経て、「抜刀道」「居合抜刀道」「中村流」「戸山流」などに分かれ現在に至っている。

先日、機会を得て「戸山流」の試斬会に参加させていただいた。水鴎流でも本部道場などの比較的大きい道場などでは、真剣での試斬を行っていると聞いたが、戸山流の抜刀道では流派を超えて真剣での試斬を教えている。真剣も貸し出していただけるとの事で、筆者が稽古させて頂いている練習場のメンバー一同、喜んで参加することに。とは言うものの、お借りした刀を曲げたり、刃毀れさせてしまっては一大事、まずは、いつもの練習場で居合刀を使って新聞紙を斬る練習をした。

居合刀はダイキャストなどの硬質合金を刀身に使用しており、刃付けが出来ないものである。刀身以外は可能な限り真剣と同様のつくりをしており、大根程度なら簡単に切れる。練習生の方のうちのお一人に、新聞紙を広げ、上の二隅を固定するように、丁度、陸上競技の高跳びで使用するような掛け台を作成していただき、交代で広げた新聞紙を斬る練習を行った。

面白いことに、刃のついていない居合刀でも、刀身と刀身の振る道筋が一致し、真直ぐ新聞紙に入ると(これを「刃筋が通る」という)、スパッと真っ二つになる。しかし、少しでも手元が狂うと新聞紙はグチャっと皺が寄り、破けてしまう。また、普段空間刀法で練習している筆者は、目の前の新聞紙を斬るということだけで力んでしまい、何度か床まで斬りつけてしまった。「本番でやるなよ~。自分を斬っても、床だけは切るな~。曲げたら弁償だぞ…。」師事している先生からそんな突っ込みが入り、確り止めることを意識して試斬会に臨むことに。

試斬会は区立中学校の「格技室」を借り切って行った。世田谷区内にあるその中学校は武道系のスポーツが強く、設備も充実している。試し斬りの目標とする、濡らした古畳表を巻いたものや台座を持込み、まずは戸山流の先生にご挨拶申上げて、いつもどおりの基本練習を行う。戸山流の先生は83歳というご高齢だが、とても丁寧で高圧的なところが全く無く、角帯の結び方から袴の穿き方、脇差の差す位置、大刀の差す位置、下げ緒の始末の仕方など、一つ一つ教えて下さった後、まずはお手本を見せていただく事になった。

直径15cm程度の畳表を台座に垂直に、丁度「⊥」という形に立て、背広にサンダル履きという姿のまま、刀を抜いて、先生は目標の前に立った。「まずは斬り込む位置を決め、五回、静かに素振りしてください。左右とも五回ずつ。誤って自分の足を斬らないように、右から斬り下ろすときは、左足を引いてください。左からも同様にしてください。」そのように説明されながら五回ずつ左右に素振りを繰返し、いきなり、気合を入れることもなく、右・左と上から5回連続で斬り下した。目標はバラバラになって、先生の足元へ転がった。それまでは83歳といえば、83歳に見える好々爺然とした先生が、29歳の筆者よりも高速で刀を振るった。

「では、やってみてください。」そういわれ、まずは筆者の先生が行った。流石に斬り損じることなく、試斬を終えたが、先ほどのお手本と比べると、斬られた目標がその場に落ちるのではなく、部屋の端のほうまで飛び、さらに回数も左右二回ずつ、四回しか斬れていない。筆者の番が廻ってきた。お借りした真剣を持ち、目標の前に立った。言われたとおり、左右5回ずつ素振りを行い、重さと斬り込む位置を確かめてから、「エイッ!」と気合を入れつつ、右袈裟に斬り下ろした。丁度目標の一番上を斬り付けたようで、掠めただけである。「力を抜け」といわれ、今度は左袈裟に斬り下ろした。これは上手くいき目標が45度の角度で斬り口を見せている。続いて左右から2回斬り下ろし、合計やはり4回。
上手く斬れた場合、直径が10cm程度の水を吸い込んだ畳表は、殆ど手ごたえもなく両断されている。斬ったこちらは「エッ?」という感じだ。もう少し、想像するような手ごたえがあるのかと思っていたが、良く斬れる包丁で大根を切ったほどの手ごたえもない。

「日本刀は斬れる魔物だ」と中村流の始祖、中村泰三郎先生は書かれていたが、まさに魔物である。よほど扱いに慎重を期さないと敵を斬る前に自分を斬ってしまう。目標の畳表を他の手段で切ろうとすれば、ノコギリが必要であろう。しかし、日本刀を正しく扱えば、苦も無く切れてしまう。この魔物を取扱うには取扱う者にもある程度の心得と、ある種の精神力が必要だろうと感じた。少なくとも、きちっとした自己管理ができないものは、こんなものを所有してはいけない。筆者も真剣が欲しく、試斬会で益々欲しくなるかと思ったが、「自己管理もろくに出来ない未熟者」、当面必要ないと考え直した。

真剣を持ち、扱うにはそれにふさわしい人間性が要求されると思い知らされた、良い経験であった。同時に日本語の語彙にある「真剣に」という言葉がどういうものかも少し理解できた気がする。
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# by seagull_blade | 2004-11-07 14:32 | swordplay

The Indian Moon

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今夜は十六夜なのだろうか。結局十三夜のTB企画への参加が出来なかった。お月様には殆どお会いできない、記事は書けない、ヤケ酒のお相手も出来ないでVariousmoon様、本当に申し訳ありません。

気を取り直して…。十三夜、実は、一瞬だけお月様を見ることができた。(東京都新宿区)会社帰り、ようやく雨の上がった夜空を見上げると叢雲を通してお月様が透けて見えた。とは言うものの、とてもお月見というわけには行かなかったのだが。

お月見レポートという訳には行かないので、どういう残念レポートにしようか、ふらふらと残業を終えて帰りながら、考えていた。仕事モードからなかなか頭が切り替わらず、悩んでいる。苦し紛れに月の各国語を思い返してみることに。「英語:moon」「イタリア語:luna」「フランス語:Luna…ラテン語系は同じだな…」「アラビア語:al-qamaru…学生時代に苦労したな。大体アラビア語フォントなんて入ってないし…」「ドイツ語:mond…だったけ?第2外国語だったのだが…」「あ、『チャンドラ』って『月』という意味だったような…。何語だ?インドの言葉なのは間違いないのだけれど…、サンスクリット?ヒンディ?」ここまで考えて、丁度、家にたどり着いた。帰宅してから、調べるとチャンドラは『月』を意味しているようだが、結局サンスクリットなのかヒンディなのかがはっきりしない。

ところで、話は変わるのだが、米国のNASAが打ち上げた人工衛星には、我々が想像している以上に多くの種類があるらしい。大きく分けて、実用目的とするものと科学技術研究に使用されるものに大別できる。前者の代表格は気象衛星、通信衛星であり、後者は科学衛星に代表される。筆者は天文ファンでは無いが、時折、普段全く縁のない世界に触れてみたくなることがある。そういう時は大抵、講談社のブルーバックスの棚へ行って、目に触れたものを購入してみる。人工衛星についてもブルーバックスで少し興味を持ったので、天文に関するニュースを気にしてみたりもする。それらニュースの中でNASAの科学衛星に「チャンドラ」と名付けられたものがあることを知った。

数年前にスペースシャトルから切り離された記憶があったのだが、調べてみるとそのとおりで、「1999年7月23日午後8時48分STS-93コロンビア号から打ち上げられたX線望遠鏡」であるらしい。宇宙空間にはガンマ線を始め、我々にとって有害な放射線は飛び交っているという。それらを可視的に変換することによって、宇宙空間でのイベントが観測可能になるというものらしい。と偉そうに書いているが殆どわからない。理科系の素養は殆ど無い筆者なので、ブルーバックスも「へぇ」と思いながら字面を追うだけである。ガンマ線?エックス線?という状態である。

気になったのはその人工衛星の名称が『チャンドラ』であると言うことである。こうしたことのほうが気になる辺り、馬鹿げた分類だが「ああ、俺は文系だなあ」と思う瞬間なのだが、気になるものは仕方がない。先ほど書いたとおり『チャンドラ』は『月』を意味する。NASAに限らず、人工衛星・ロケットなどにはやはり神々の名前や目的に応じた名称が冠されている事が多い。Saturn(サターン:ロケット)やVoyager(ボイジャー:観測衛星)等々…。てっきり、「チャンドラ」もそのような方法で名付けられたものだと思い込んでいた。

ところが、この記事を書く為に少し考えてみると、いくら『月』という意味があるとはいえ、米国NASAの人工衛星であるにもかかわらず、「チャンドラ」だけが英語でないのだろうかという疑問が沸いてきた。米国人にもその様な異国趣味というか、東洋へのあこがれのようなものがあるのかと。インターネットで調べてみるとあっけなくわかってしまった。何の事は無い、人名であった。これは天文物理学者でノーベル受賞経験もある、インド系米国人スブラマニアン・チャンドラセカール博士に因んだ名称であった。何となく調べて損した気がした。しかし、人工衛星にはふさわしい名称ではある。もしかすると博士も自分の名前に『月』が入っていたからこそ、天文学に興味を持たれたのかもしれない。

『チャンドラ』が捉えた映像はこのページで見ることが出来る。
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今回はネタに無理がありました。やはり、門外漢には辛いところです。乞う、ご容赦。
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TB企画“十三夜の宴”開催します♪
10月26日のお月さまは、陰暦9月13日の『十三夜』にあたります。
この日の月を愛で、秋の収穫を感謝するのは日本独自の風習です。
別名は「後の月(のちのつき)」「栗名月」「豆名月」などなど、
満月ではなく少し欠けた月を対象としているところがポイントです。
十五夜のお月見とまた風情の違うお月見はいかがですか?

月の出、10月26日15:49、
月の入り、10月27日3:40
のお月さまを見上げて、みなさまのお月見記録を送って下さい。
(☆夜は冷え込むようになって参りました。
お月見の際にはくれぐれもお風邪を召されませんようご注意下さい!)

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# by seagull_blade | 2004-10-29 21:32 | bizarro life
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教職員や執筆者・編集者を愚弄するつもりは毛頭無いが、教科書、特に国語の教科書と言うものは、卒業するとそのまま忘れてしまうようなものではないだろうか。試しに小中学校の国語の教科書に取り上げられていた物語や文章を思い出していただきたい。殆ど覚えていらっしゃらないのではないだろうか。私もご多分に漏れず、さっぱり覚えていない。強いて覚えているといえば、「平家物語」や「奥の細道」の冒頭、杜甫や李白の絶句や律詩など、定期試験の為に暗記したものだけである。当時はどちらかといえば得意ではなかったのに、現代文よりは古文・漢文の方が覚えていると言うのもおかしいのだが。古文や漢文の方が、朗読の為に創られたものなので、リズムが良くて、覚えているのかもしれない。

とは言うものの、現代文で殆ど唯一覚えている、教科書に掲載されていた小説がある。タイトルに書いたとおり、中島敦の『山月記』である。年次は忘れてしまったが、高校生の現代文の教科書に掲載されていた。国語担当の教師が非常に朗読が上手な男性教師で、一寸古いが『若山源蔵氏』のようなバリトンで朗々と読み上げていた。
「隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところすこぶる厚く…」
よくあるパターンだが、授業はなかなか先に進まず、毎回イントロから朗読していたので、この冒頭だけはすっかり暗記してしまった。

先日、ふと立寄った本屋で「李陵・山月記」を新潮文庫で見つけて購入、久しぶりに再読してみた。国語教師の見事な朗読の所為も勿論あるが、高校生当時の私がどうしてこの小説に何某かの印象を受け、今まで覚えていたのだろうか。

中島敦は漢籍古典の翻案物を得意とした。西遊記の沙悟浄を主人公にした『悟浄出世』や、列子の寓話を下敷きにした『名人伝』などある。この『山月記』も李景の『人虎伝』のストーリーを使用した翻案ものとなっている。どちらの物語も、傲慢で才気走った「李徴(りちょう)」という役人が、職を辞した後、発狂して行方不明となる。かつての友人であり、同僚であった「袁傪(えんさん)」が、勅命で商於という場所を通りすぎる際に、虎に襲われかけたが、虎は直ぐに草むらに消え、人語を話す。「袁傪」はその声から虎がかつての友人「李徴」であることを知り、戸惑いながらも再会を喜び、虎に変身した事情を聞いて驚き、家族の後生を頼まれ、そして別れるというものである。

『山月記』は原作の『人虎伝』をほぼそっくりそのまま踏襲しているが、勿論、現代の小説家である中島敦は単純な物語にいくらかの手を加え、現代の読み手にも耐えうる深みを持った小説としている。原作では、李徴が虎に変身してしまった原因として、不義密通の天罰としているが、中島敦はこれを「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為」に求めている。狷介孤高な主人公李徴は若い頃、才能があるが故に尊大であり、多くの人には不愉快な人間だと思われていた。彼は「己は特別」だと思い込み、それ故に周囲を見下していた。その思い込みゆえに、「賎吏に甘んずるを潔しとしなかった」李徴は己の才能を偉大な詩人になることに向けた。

10代後半から20代前半あたりの学生時代に、「サラリーマン」という響きが、あまりにも「平凡」で先が見えているように思い込み、もっと特別で、華やかな職に就きたかったり、「普通でない」ものになりたくなる時期というものがあるのではないだろうか。李徴が偉大な詩人になりたがったように、ミュージシャンなりたかったり、或いはビル・ゲイツのようになりたかったりと。

だが、ここで多くの人は気が付く。己自身の才能がそれほどのものではないことを。そして、仮に才能があったとしても、大成功する為には運や度胸も大いに必要だと言うことも。そして、大部分の若者が「平凡」な何かへ成って行く。勿論、その平凡な何者かになることでさえ、それほど簡単ではないことも悟ってゆく。だが、李徴はプライドの高さ故、それさえもできない。彼は言う。「己の珠に非ざることを惧れるがゆえに、あえて刻苦して磨こうともせず、また、己の球なるべきを半ば信ずるがゆえに、碌々として瓦に伍することもできなかった。」と。その狂おしさが彼の姿を虎にしてしまう。

前にも記したが、私は割と勉強ができる方であった。スポーツも、さして運動神経が良い訳ではなかったが、中学時代は陸上部に所属して、校内で私より足の速い生徒は何人も居なかっただろう。喧嘩もまあ強いほうであったと思う。また、読書は子供の頃から好きだったので、同じ年頃の子供の間では、それなりに知識は多いほうであった。こうした子供が、増長慢にならない訳はない。こうした傲慢さは周囲には直ぐ伝わるから、周囲からは孤立していく。私の場合、喧嘩も出来たので、所謂「いじめ」には合わなかったが、やはり「浮いて」いた。周囲から距離を置かれれば、その分、周囲を見下すことでプライドを維持し、そうすれば更に傲慢になって孤立していく。だが、一方で、実は「俺がアホなだけなのではないのか。計測可能な才能では劣らないが、それ以外の部分でははなはだ劣るのではないのか。」という疑念もある。大学の前半まで、こんな調子であった。ここから脱することができたのは、当時の彼女や友人達のお陰である。

中島敦の『山月記』が私の記憶に唯一残る教科書の題材であるのは、「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」に悩む李徴へ私自身を重ね合わせていたかららしい。周囲のお陰でどうにかこうにか平凡さを得た私は「狂える虎」にならずに済んだ。友人達や付き合ってくれた女性が差し伸べてくれた「手」を死ぬまで私は感謝しつづけるつもりである。
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# by seagull_blade | 2004-10-23 16:51 | reading lamp

源流。

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武御雷大神(タケミカヅチノオオカミ)・経津主大神(フツヌシノオオカミ)。日本神話に出てくるこの二柱を聞いた事がおありだろうか。筆者は『武御雷』はどこかで聞いた事があるが、『経津主』は知らなかった。千葉県や茨城県在住の方ならご存知かも知れない。この二柱はあちこちで分詞されているが、それぞれ「鹿島神宮」「香取神宮」の主祭神で、日本神話では武神として崇敬されている。「鹿島神宮」のタケミカズチ(武御雷大神・武甕槌大神とも)は出雲の国譲りの際に、大国主命の息子の一人である事代主を退け、もう一人の息子、武御名方神と戦いこれを従えた武神と言われている。武御名方との戦いは力比べであったとされ、この戦いが相撲の源流という説もあるらしい。「香取神宮」のフツヌシはやはり出雲国譲りの際にタケミカヅチに同行し、大国主以下を平らげた武神である。古事記ではタケミカズチとフツヌシは同一の神であるとされており、何れにせよ、出雲を平らげ葦原の中つ国を平定した武神である。

この二柱は現在では春日大社へ勧請され、全国の分社で祭られているが、源流はやはり茨城の鹿島神宮と千葉の香取神宮だそうである。そして、この二柱から日本の武術は生まれたという伝説がある。鹿島にせよ、香取にせよ、本邦古武術のルーツであるらしい。実際はともかくとして、そのように信じられてきた。

古武術はこの二柱の神術から生まれ、日本武尊、時代は下って、源義家(八幡太郎)・為朝(鎮西八郎)・義経(九郎判官)を経て鹿島の神人(じにん:神社の下級職)へと伝えられたという。源義家は「鷲のすむ山には,なべての鳥はすむものか。同じき源氏と申せども,八幡太郎はおそろしや」といわれ、石清水八幡宮で元服、前九年の役・後三年の役の動乱で勇名を馳せた伝説的武人である。為朝はその義家の八男であり、保元の乱では崇徳上皇に従って戦った弓の名手。彼の弓は滝沢馬琴の「椿説弓張月」という伝奇物に、殆どミサイルのような描写をされるものである。弓を射れば、敵艦が真っ二つというのだから、山田風太郎も真っ青である。義経は勿論、本邦の代表的悲劇人であり、歴史的にも戦争には非常に強い武将である。能にも描写されているが、幼少時、牛若丸として鞍馬山の大天狗に武術を仕込まれたという。(ちなみに現在でも鞍馬流という剣術は残っている。警察逮捕術は鞍馬楊心流から生まれたものであるらしい)この鎌倉源氏たちから、鹿島の神人へ伝わり、シントウ系(神道・新刀・新当)の流派が生まれたと伝えられている。天真正伝香取神道流や鹿島神道流がそれであり、一刀流や筆者の習う水鴎流もこの系譜の中にある。

日本の古武術は、ごくごく大雑把に、かつ誤解を恐れずに言うと、「神道系」と「禅宗系」に分けられるという。ここまで記してきたのは勿論「神道系」の流れである。

上泉信綱(新陰流)を境に、本邦剣術の三源流と呼ばれる「新当流」「陰流」「念流」が生まれている。陰流は念流の流れを汲むらしい。この念流が禅宗系の祖と呼ばれるものである。流祖は念阿弥慈音(ねんあみじおん)という。新田義貞の臣、相馬四郎左衛門忠重が敵に謀殺された時、難を避けて藤沢の遊行上人に預けられて念阿弥(浄土系)として育った相馬四郎忠重の子が、長ずるに及んで鞍馬山などで兵法修業に励み、還俗して相馬四郎義元と名乗り父の仇を討った。のち再び仏門に入り(ただし今度は禅宗)、念大和尚と名乗った。この寺が、鎌倉寿福寺であり、中条流の祖、中条兵庫助に刀槍術を教えたとされている。寿福寺は臨済宗の寺であるので、禅宗系の剣術の祖と見られている。実際には殆ど伝説であるだろう。

なお、神道系の剣術がタケミカズチまで溯るに対して、この禅宗系の剣術は摩利支天に溯るらしい。摩利支天はインドの風または炎の女神で、マリシあるいはマリーシュと呼ばれる三面六臂の神である。念阿弥慈音はこの神に祈り修行することによって「念流」の開祖となったという。摩利支天は、日本に置いてはインド武術の祖と信じられていたようである。

これらは勿論、ある種の神話である。歴史的事実も勿論あるだろう。しかし、タケミカヅチや摩利支天、鹿島の神人達、鞍馬山の天狗や鬼一法眼等は、何がしかの事実はあるだろうが、それら事実を反映した伝説だろう。ただ筆者は居合や武術一つとっても、これほど豊潤な伝説や歴史があることを少しだけ紹介したかっただけである。自分が刀を振るう時、神々を思い、先人を思うことはそう悪くはあるまいと思う。

また、彼等に思いを馳せて旅をしたり、近所の神社仏閣を散歩する時にも、少し異なった思いで行くことができるかもしれない。筆者の場合、子供の頃から八幡宮が側に在った。引っ越した現在でもやはり別の八幡宮がある。八幡宮もまた、調べてみると応神天皇を祭神とする武神を祭る神社である。筆者の遊び場だった八幡宮は、土俵があり、奉納相撲が行われていた。幼い頃には何とも思わなかったが、この八幡宮も先ほどの八幡太郎義家が後三年の役の戦勝記念に立てたものだそうである。すると奉納相撲もタケミカヅチとタケミナカタの神事を彷彿とさせる。現在の住まいの側にある八幡宮は鎌倉初代征夷大将軍源頼朝が奥州征伐の戦勝を祈念して立てたものだそうである。

読者諸兄姉の近くにきっとある神社仏閣にも、この雑文に登場した神々や剣豪や偉人が居られるかも知れない。もしもご存知なければ、一寸だけ足を止めて由緒書を一読される事をお勧めしたい。筆者もつい最近、始めたことなので偉そうなことは言えないが、こうしたことはもっと、多くの人に楽しまれても良い事ではないだろうか。
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# by seagull_blade | 2004-10-11 17:13 | swordplay

赤身とダイエット。

エキサイト・ジャパン様で開催されていた「ブロガーコンテスト」にてiceday様の『近海マグロに焼きを入れる』がユーザーズチョイス賞に選ばれました。とにかくスゴイ文才で、会社で読んでいると思わず笑ってしまうので、仕事していない事がばれてしまいます。是非、ご存知ない方は読んでみてください。メモにも書きましたが、iceday様に敬意を表して『マグロ祭り(ja_guar様)』に参加です。
Seagull拝
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前回はスーツの雑文を衣更えと合わせて書かせていただいた。あの文章からだと、あたかも、衣更えの季節に合わせてスーツを作ったように読めてしまう。実際には、身体のサイズが変わりすぎて、去年の冬物が着られなくなってしまったのである。と言っても、入らなくなったわけではなくて、その逆である。前にMemo欄に書いたが、昨年から10KG程体重を落としてしまった結果、どのスーツも大きすぎて、子供が大人の服を着ているかのようになってしまった。

要するにダイエットしたのだが、格好良くなろう(少しは考えたが)とした訳ではなく、20代にして、毎年引っかかってしまう会社の健康診断に「これはまずいな」と考え、健康を取り戻そうとしただけである。実際、体調も悪く、毎日どこかだるい感じであった。とにかくダイエットとは本来体重や体型のコントロールである。要するに高カロリー食を取りつつ、仕事も座業である事を言い訳に運動不足であることが悪いのだから、やり方は明確である。カロリーを押さえて、運動すればよいのである。

言うは易く、行うは難し。それほど簡単にダイエットできるのなら苦労しない。そこで、まずは運動を始める事にした。社会人になって以来、何度かジムに通ったが、どうしても長続きしない。マシントレーニングもそれほど嫌いではないのだが、ダイエットという目標では今ひとつモチベーションが維持できない。それにスポーツジムに通う経費も馬鹿にならない。とりあえず、「怪我をしない」「一人で練習できる」「お金がさほどかからない」というポイントに絞って始めたのが居合であった。始めた当初はキツかったが、ある程度できるようになるとなかなか面白い。更に上達する為に雨天以外はほぼ毎日「素振り用木刀(2.0kg弱・5000円程度)を200回素振り」するというトレーニングをしている。プラスして覚えた「形」を一通り行う。ダイエットのためでなく、上達が目的と言うのが筆者にとってはモチベーションの維持に繋がっている。
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次に食生活の改善を行った。こちらのほうがよほど難しい。筆者は酒飲みなので、夜の食事を減らしたり、低カロリー化するのは殆ど無理である。酔ってまで、カロリー計算などしたく無い。(というよりできない)そこで、一日の総カロリーを減らす事にした。筆者の場合、昼食は殆ど社員食堂で食べている。いまどき社員食堂のある会社も珍しいが、社員食堂のメリットは定食形式だけでなく、単品で頼むことが出来るという点である。(勿論、値段も安いのだが)昼食の基本を「ライス(小)+味噌汁+小鉢のおかず+納豆若しくは豆腐」と決め、更に油ものを取らないことにした。外出して外食の場合はこのルールを適用しない。更に、夜食の制限はしない。これだと、それまで昼食でとっていたカロリーは1/3程度になるだろう。最初、一週間程度は辛いのだが、すぐに慣れてしまった。また、筆者は皮膚が弱いのか内臓が弱っているのか、ジンマシンがすぐに出てしまうのだが、社食の油ものを避けるだけで、これがだいぶ改善された。間食は同僚に進められたら断らないが自分から食べないということにしている。

そうこうしているうちに半年経ち、体重は12KG減った。男性の場合2-4KGぐらいは一日二日の運動で変動してしまうので、凡そ10KG程度減量したことになるだろうか。稽古も続けているので、ある程度は身体も締まって来た。そろそろ次のスポーツを始めてみたいと考えている。

ところで、こうした昼食を取るようになって、今更気が付いたのだが、低カロリーにしようとするとどんどん食事が和風になっていくことである。油ものを抑え、高蛋白にすると我々日本人は殆ど必然的に和食になってしまう。嘗てはこうした食事が当たり前だったはずなのだが、いつのまにか嗜好が大きく変わってしまった。

筆者の好きな寿司ネタはマグロの赤身とウニである。ウニはともかく、マグロの赤身は割と高蛋白/低カロリーであると聞く。美味しいマグロと言えば「トロ」であろうが、このトロは昭和30年代(1955~65)辺りから好まれ出したらしい。江戸時代以前ははっきり「まずい魚」であったらしく、「しびのうお」と言われ、身分の卑しい者だけが食べるものであったらしい。もっぱら造り魚としては「鯛」が珍重されていた。江戸時代中期から末期になって、ようやく寿司ネタとして定着し始めたらしいが、食べ方は「漬け」であって、醤油に漬けてから供するものであった。漬けで食べるなら、あっさりとした赤身の方が今でも美味しいと感じるだろう。トロなどは下の下であって捨てる部分であったようだ。

ダイエットを試みるなら、出来る範囲で「和食」を食べることを心がける。ただそれだけのことで、随分効果があるだろう。トロの扱いを見ればわかる通り、我々はどうやら、歴史的に高カロリーな食材をそれほど好まなかったようだ。恒常的に飢えている歴史の長い人類は「欠乏には強く、過剰に弱い」という特性があるらしい。現代の感覚からいくと一寸足りないなと感じるくらいが丁度良い。あるいは単に年を重ねた証拠かも知れないが。
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# by seagull_blade | 2004-10-10 12:07 | bizarro life
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神無月となり、暑い東京もさすがに秋の気候となってきた。相変わらず台風は発生しているようだが、それでも金木犀の香りが湿度の低い風に混じり明確に秋を感じる。10月初旬と言えば衣更えの季節。テレビやラジオの天気予報でもよく耳にする。衣更えは四季の明確な本邦では、必然的かつ合理的な習慣であるようで、平安期には唐・宋の制度を輸入して、官服を4月1日と10月1日に夏服と冬服に替える「衣更(こうい)」という制度として確立している。(また、天皇の被服担当の女官名にも「衣更」が採用された)

江戸時代までには武家にも制度が習慣として定着し、本邦の気候に合わせ4月1日を6月1日に改めた。一般的に広まったのは有力諸藩がそのまま幅を利かせた明治期の官庁で、武家の習慣をそのまま制服等にも取り入れたので、そこで勤務する平民階級にも広まったということらしい。衣更えの習慣そのものは『公家』⇒『武家』⇒『平民』と言う風に広がったわけではなく、実際には、社会の大多数を占める被支配階級にも同じ習慣はあり、呼び名の広がりということでしかないと思う。

現代の我々が衣更えという習慣をインプリンティングされるのは、主として学校生活ではないだろうか。自宅近くに女子高が、会社近くには共学の高校があり、学生と毎朝すれ違うのだが、彼・彼女等の制服姿を見て「ああ、衣更えの季節だな」と毎年気が付く。筆者は中学生までしか学生服に縁がなかったが、それでも6月と10月になると服を入替始めるのは、家庭での教育と学校生活での教育の所為であろう。家庭での教育では、実際の気候に合わせる事が多いが、学校での衣更えの強制では、少々、暑くとも寒くともこの日から冬服、夏服とメリハリをつける。子供の頃は理不尽さを感じたが、今は「生活のけじめ」をつけるという点で、衣更えは悪くないと思っている。

9月末にスーツを新調した。今回のスーツはブルーブラックの生地を使った、ダブルブレストである。新調と言っても、所謂イージーオーダーという方式で、生地を選び、簡単にサイズを計ってもらい、スーツのスタイルを選択するというものである。現在、百貨店系のSEをしている為、こういうときに社員割引を使えるのは嬉しい。このイージーオーダーは意外と安価である。「つり下げ」の既製品の価格に1割から2割増しで店頭でも購入できるし、仕上がりまでの時間さえ気にしなければ(通常2週間程度)、いくらイージーといってもその人に合わせて裁断され縫い上げられるので、着心地はとてもよい。9月末日の仕上がりだったので、仕立ては冬物にしてもらった。具体的には背中の裏地を抜いていないだけである。因みに、筆者の購入したスーツを店頭価格でオーダーすると50,000円位。これなら下手な既製服よりもずっと安価ではないだろうか。

子供の頃はサラリーマンになるとは思いもよらず、高校生くらいまでスーツを着るような人種にはなりたくないと考えていた。「二十歳超えたらただの人」ではないが、今はすっかりサラリーマンである。サラリーマンに限らず、ある程度の年齢の男性にとって、スーツはどうしても重要になる。特にサラリーマンは、ほぼ毎日スーツなので、重要というよりも普段着と化してしまう。こうしたサラリーマンにとって服装に多少の気を使うことは、ほとんどスーツと周辺のアクセサリに気を使うことと同義である。おかしなもので、自由にカジュアルを着回していた学生時代よりも、服装に強烈な制約のある社会人となってからの方が、ずっと服装に気を使うようになった。制約が多い方が、イマジネーションを広げるのだろうか。

今年(2004年)はアメリカ大統領選挙の年である。現職G・ブッシュ VS J・ケリー候補の戦いである。TVでも散々映像が放送されているが、彼等の服装に注目すると成る程と思わせるものがある。落合正勝氏の『男の装い(基本編)』で読んだのだが、スーツ文化を生み出した欧米世界では、スーツに自分の主張やメッセージを込めるそうである。確かに、本邦でも銀行員とアパレルメーカ社員のスーツは違うだろうが、弁護士と前者2つの区別はつかない。だが、海外の小説などを読むと「彼は見るからにニューヨークの弁護士であった」などと言う表現にぶつかることがある。これは取りも直さず、彼等の服装から出身地、職業などが読取れるということである。本邦でも和装であればこうした区別はついていたのであろう。友人同士であったという町火消新門辰五郎と幕臣勝海舟のそれぞれの服装は、当時の人が一目見れば、江戸の町火消し頭と貧乏旗本と解ったに違いない。だが、スーツは輸入文化なのでそうはいかない。

G・ブッシュ米大統領に限らず、アメリカの政治家が『強いアメリカ』を主張したいとき、彼等はブルーのジャケット(或いはスーツ)に白いワイシャツ、そして赤いネクタイをしている。これは星条旗の色使いである。最近ではイラク戦争の際にTVに写る大統領はいつもこの色合いであった。逆に、討論会などで知的に見せたい時は紺のネクタイにグレーのスーツなどの色合いを選んでいるようだ。紺は人を知的に見せる効果があるという。

輸入文化とはいえ、どうやら背広文化は国際会議などを見ていても、当分の間、揺るがないように思える。それならば、スーツの持つ伝統や背景を知っていても損はしないだろう。企業もカジュアルデーなどを導入して、『自由な服装で自由な発想』などと誰も信じないことを言わずに、きちっとしたスーツ選びやスーツの歴史を、カジュアルデー導入に伴う、社内規定改定などの予算を充てて社員教育をしたら良いのではないだろうか。たった一日でよいから、スタイリストを招いて基本的な事柄を解説してもらうのである。折角、100年かけて根付きつつある本邦の背広文化。そうすれば退屈なスーツ選びが楽しくなるだろうし、服装も一つの商売上の武器であることを自覚できるだろう。(筆者が知りたいだけかもしれないが・・・。)

衣更えの季節はそんなことを考えるに丁度良い気がする。
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# by seagull_blade | 2004-10-07 12:23 | bizarro life

謝罪と責任。

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昨日、(2004年10月3日)サッカーをTV観戦していた。勿論、19歳以下の選手によるアジア・ユース選手権準々決勝である。筆者はさほどサッカーファンでは無いのだが、(野球の方が詳しいし、サッカーやフットサルよりは草野球の機会が多い)2002年FIFAワールドカップ以降、関心を持って観るようになった。大リーグ史上シーズン最多安打を記録したイチロー一色の2日間だったので、サッカーが少し新鮮に感じ、結構しっかり観ていた。

サッカーの国際試合を観ているといつも思うのだが、日本選手に比べて海外の選手は演技やアピールがとても上手い。ファールを誘発する為に、大げさに転んだり痛がって見せたり、また、相手のプレーに怪しい点があれば、自分のことは棚に上げて審判にアピールする。昨日のカタールのユース代表も、一寸いやらしいくらいであった。それに比べるとA代表にせよ、ユースにせよ、日本代表はそういう点において淡白すぎる。相手のファールで転ばされても、痛みに顔をしかめながらすぐに立ち上がる。相手のファールのアピールにせよ、私のような素人がみてもはっきりと解るファール(ハンド等)しかアピールしない。

日本人である筆者から見ると、こうした日本代表の態度は立派であると思うし、観ていて気分が良いものである。だが、国際大会においては「自責」はするが「他者を責めない」態度で随分と損をしているのは間違いないと思える。フィオレンティーナの中田を始め、海外で活躍している選手が、日本に居るときよりも明確に成長していると思わせる部分が、上記のような「タフさ」或いは「厭らしさ」であるのではないだろうか。

南米や欧州のサッカーをTVで観ていると、タックルやマーク、ヘディングの競り合い等、相手との接触をともなうプレーの際、殆ど遠慮と言うものがないことに気が付く。また、ファールにしても、誘発や審判に対するアピールなど本当に遠慮がない。相手を弾き飛ばし、飛ばされたほうも大げさに痛がってみせ、審判に最大限にアピールする。勿論、やりすぎればシミュレーションというファールを採られてしまうが、それに臆している素振りは殆どない。(イエローカードが累積していれば別であるが…)

「フランス人(アメリカ人ということもある)は謝らない」という言葉を聞いたことはないだろうか。欧州人(とは限らないが)はなかなか自分の非を認めようとしない。それどころか、例え自らの非が明確になったとしても、あらゆる言葉で食い下がる。我々日本人から見ると「素直でない」とか「いやらしい」というように感じる態度を彼等が取るのは何故なのだろう。日本人の感覚では強情な態度では却って損をするように思える。「自らに非があるのなら、さっさと謝ってしまったほうがお互いよいではないか」と我々は考える。謝ってしまったほうが楽になるではないかと。

裏を返せば、日本人は「謝れば責任解除」という、よく考えると不思議な思考をしている。例えば、何か失敗をした場合、すぐに謝ってしまうと我々の世界では大抵片付いてしまう。程度問題だが、一度謝った人間を更に追求したり、責めたりすると「謝っているのだから勘弁してやれ」と周囲に言われてしまう。不謹慎な例を持ち出して恐縮だが、相当なレベルの刑事事件の裁判などでも「改悛の情」や「反省」などが判決の前文に必ずと言ってよいほど出てくることから考えても、「謝れば責任解除」という思考は我々の中に根強くあると思う。

ところが、欧州を始め、多くの国ではそのように考えない。殊、欧米においては「謝る=責任を認める」という構図になっており、下手に謝ろうものなら、犯した罪、ミスに見合うだけの刑罰が科せられてしまう。謝ったら負けなのだ。日本の法体系もそうであるが、近代法は筆者の知る限り古代ローマにおける「ローマ法」を元としている。そのローマ法を溯ると、これは筆者の想像になってしまうのだが、古代バビロニアの「ハムラビ法典」に行き着くように思える。ハムラビ法典は「眼には眼を、歯に歯を」を原則とした量刑を基本としており、犯した罪と同等と考えられる量刑を科せられる法体系である。

アメリカの「司法取引」という制度に我々は違和感を覚えるが、ハムラビ法典を念頭におくことで何となくではあるが、理解できる。「謝った=(罪を認めた)のだから、それに等しい量刑を受けることは吝かではない。だが、私にはあなた方にとって有益な情報があるのだから、その分を割り引いて欲しい」という考え方は、罪に対する罰を完全に「量」の問題として捉えることが出来るからこそ発生する考え方である。そして、「謝った=罪を認め」てからも、勝負は続く。「罪を犯してしまった」ことが明確な場合は、ここからが勝負と言っても良い。彼等の発想のどこを探しても「謝れば責任解除」という思考は無い。

ところが、我々はそうではない。いたずらをして怒られたら、基本的には謝れば済むのである。謝ったあとに怒られることはない。だが、彼等は非を認めたら怒られるのである。自らの非を非として認めることは美質であろう。だが、それを自明のこととして考えるのはどうやら日本人だけ(少なくとも少数派)であるようだ。そのことはもっと認識されてもよいであろう。サッカーの国際試合だけならともかく、我々は個人としても国家としても外国と関っていかなくてはならない。事の良し悪しではなく、常識が異なるのだと言うことを認めてから、同じ土俵に立たないと、徒に感情的になってしまって「あいつ等は汚い。」「話が通じない」というように、コミュニケーションが取れなくなってしまうように思えるのである。
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# by seagull_blade | 2004-10-04 14:22 | philosophism

月の夜の歌合せ

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<秋風にたなびく雲の絶間より もれ出る月の影のさやけさ>
左京大夫顕輔 …新古今和歌集
昨夜(2004年9月28日)、は「仲秋の名月」であった。東京都新宿区では台風の運んできた風と雲の切れ目から、名月はお顔を覗かせてくれた。楽しみの少ない仕事帰りの道、名月の光が漏れるタイミングを見計らって、夜空に顔を上げては「あ、見えた」「むむ、隠れてしまった」と思いながら歩くことは、なかなか楽しい経験である。帰宅してからも、外にでて、1時間くらい月を見上げていた。

冒頭の和歌は左京大夫顕輔(藤原顕輔)の一首で、小倉百人一首にも収録されているもので、筆者が覚えている数少ない百人一首の和歌の一つである。小学校高学年の頃、不純な理由で覚えようとしたのだが、アイウエオ順に覚えようとしたために「あ行」で始まるものばかり覚えている。むしろ、「あ行」しか覚えていない。<秋の田の かりほの庵の とまをあらみ わが衣手は露にぬれつつ> <浅茅生の 小野の篠原しのぶれど あまりてなどか 人の恋しき> <朝ぼらけ有明の月とみるまでに吉野の里にふれる白雪>etc…。やはり、不純な理由では続かないものである。とはいうものの仲秋の名月を見上げたら、冒頭の和歌を思い出し、平安貴族にでもなったつもりになりなかなかよい気分であった。

<秋風に…>の左京大夫顕輔は勅撰和歌集である「詞花和歌集(しかわかしゅう)」の選者である。勅撰和歌集であるからには天皇の命令(勅命)で編纂されたものであるのだが、調べてみると1144年、かの崇徳院が命じたものであるらしい。崇徳院といえば、結果として貴族支配の平安時代を終焉させるきっかけとなった、保元の乱を引き起こした上皇である。保元の乱に敗れ、讃岐へ流された崇徳院はそこで、鳥羽上皇の菩提を弔い、また、自らの赦免を賭け、大変な久力のあるとされていた、華厳経60巻,大集経50巻,大品般若経30巻,法華経10巻,大般若涅槃経40巻の計190巻からなる「大乗経」を5部(!)写経し、都へ奉納しようとした。だが、時の政権(後白河)がクーデターの偶像を許すはずも無く拒否されてしまう。崇徳院は怒りを爆発させ、「三悪道に抛籠、其力を以、日本国の大魔縁となり、皇を取って民となし、民を皇となさん。」と、舌を噛み切るとその滴る血で、大乗経全巻に天皇家に対する呪いの言葉を書き付け、本邦の大魔王となってしまった。

閑話休題。このブログを始めてから、度々コメントやトラックバックを頂く方には風流なブログを綴られている方も多く、最近では和歌などにも興味を持つようになってきた。まだまだ、詳しいというレベルではないが、ものの本などを読んでいるとなかなか面白い。平安時代などにはよく「歌合せ」というものが貴族の間で行われていた。歌合せはご存知の通り、お題を決めて歌を詠み合い、その優劣を決めると言うものである。筆者などは大喜利を連想してしまったが、この優劣が出世にまで響いたのだから往時は大変真剣な勝負であっただろう。この歌合せのお題は圧倒的に「恋」が多いように思う。季節と恋を合わせて「春恋」「夏恋」「秋恋」「冬恋」や「五月時鳥」などの自然の風物題を決めて、詠み合わせる。

わが心いかにかすべきさらぬだに秋の思ひはかなしき物を
権中納言(徳大寺公継)
今宵しも月やはあらぬ大かたの秋はならひを人ぞつれなき
定家朝臣(藤原定家)

秋の恋を題にしたこの歌合せは、名人藤原定家が勝ちを収めたようだが、やはり秋を歌えば付き物のように「月」が出てくる。この定家朝臣の和歌は、在原業平の<月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身ひとつはもとの身にして>という歌を本歌として、アレンジしたものと解説があった。所謂本歌取りの技法である。定家はその著作「毎月抄」でこのように書いている。
『花の歌をやがて花によみ、月の歌をやがて月にて読む事は、達者のわざなるべし。春の歌をば、秋、冬などに読みかへ、恋の歌をば雑や季 の歌などにて、しかもその歌をとれるよと、きこゆるようによみなすべきにて候。本歌の詞をおまりにおほくとる事はあるまじき事にて候』
「花の歌をそのまま花の歌として詠み、月の歌をそのまま月の歌として詠むのは、よほどの達人のやることでしょう。(だから凡人の我々がするのは無粋なことです)春の歌を秋・冬に詠み変え、恋の歌を雑歌や四季歌などにして、しかもその本歌が想像できるように詠むのがよろしいのです。」
要するに、独自のアレンジを加えながらも本ネタが明確になることが良いと書いているようである。

さて、こうしたブログを初めインターネット文化について、誰だか忘れてしまったが、評論家の一人が「編集文化である」と先日TVで評していた。なるほど、手書きするよりもたやすく、他者の文章を自分の物に出来るコンピュータを前提とするこうした文化を評してなかなか正鵠を得ている言葉であろう。トラックバックなどこの「編集文化」の精神から生まれた技術であると言えないことも無いように思う。リンク・コメント・トラックバックを頂いている方々のそれぞれに素敵な文章や画像をみるにつけ、本邦のそうした伝統が生きていて、何らかの作用をしていると思うのである。また、優劣こそつけないが、トラックバック企画も作品を持ち合わせるあたり、歌合せと思えなくもない。この文章はvariousmoon様の「つきのくさぐさ」TB企画“十五夜の宴”の参加のために書いたが、これもまた、仲秋の名月をめでながらの歌合せに準えることも出来るかもしれない。
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TB企画“十五夜の宴”開催します!!
陰暦8月15日の十五夜(中秋の名月)は、古来からお月見の対象とされてきました。
その伝統は中国から伝わり、歴史はなんと一千年以上!
現代にまでこのお月見の風習は親しまれています。
今年は、十五夜のお月さまが月齢上も満月となる少し珍しい年です。
(十五夜ではまだ満ち切っていないのがふつうです)
9月28日22:09(月齢13.945)と、満月の瞬間も
比較的見上げやすい時刻であります。
みなさまの思い思いの「お月見」を、是非トラックバックしてください。
月の出、9月28日17:32、月の入り9月29日4:49となります。

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# by seagull_blade | 2004-09-29 14:28 | bizarro life
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現在行われている居合は大きく、「制定居合」と「古流」と呼ばれるものに分けられる。「制定居合」、正式には「全日本剣道連盟居合」であり、昭和44年に制定され、現在では12本の形をもつ居合形であるようである。古流とは読んで字の如く、古くから伝わる居合術であり、所謂、「何々流」のように表される古武道、兵法の一部である。筆者が稽古させて頂いている水鴎流も勿論「古流」である。古流は歴史の長い分、技法も多岐に渡っており、はっきり言えば煩瑣となっているため、古流の良いところを取り入れて、制定されたのが「制定居合」である。大学の居合道部などで行われている居合は基本的に制定居合であり、合理的かつ基本的な動きを覚えられるようである。筆者も是非制定居合を稽古してみたいのだが、水鴎流という「古流」から入ってしまったので、なかなか機会を得ることが出来ない。古流も制定居合で確りと基本的な動きを覚えてからの方が、より上達が早いと言われている。

古流の武術技法には様々な名称がつけられている。無論、そうではない古流もあるが、水鴎流の名称も一見しただけではどんな技であるのか解らない名称が多い。この点、制定居合はやはり現代のものらしく、合理的な名称がつけられている。全日本剣道連盟によると

〔正座の部〕一本目:前 二本目:後 三本目:受流
〔居合膝の部〕四本目:柄当
〔立居合の部〕五本目:袈裟切 六本目:諸手突 七本目:三方切
八本目:顔面当 九本目:添手突 十本目:四方切
十一本目:総切 十二本目:抜打

となっており、どのような技であるかは朧気ながら想像できる。ところが、古流、例えば水鴎流の組居合の場合、

水勢 明月 乱雲 風勢 千鳥 山陰 大陰剣 大雄剣 大極剣

であり、一読したところで、どのような技法なのか全くわからない。これらの名称は「見立て」であることが多いように筆者には思える。また、今でこそ実用性の殆ど無い居合であるが、成立した時代は正に生死の問題であった筈で、一読してわかられては困ると言うこともあったであろう。とは言うものの、なかなかに風流な名称が多い。これ以外にも多くの技があるが、二三の例外を除いてこのような名称がつけられている。

水鴎流の場合、WEB上で公開されている137の技法の内、最も多く使われている文字は「月」と「風」の8、ついで水の6であった。「明月」「月影」「蓮月」「風勢」「浦風」etc…。「鳥」という文字も4つ、流石に武術であるから「花」は少ないがやはり一つあった。組み合わせれば「花鳥風月」。辞書を引けば「自然の美しいさま」とある。この辺りに、日本人はやはり自然の風物や季節の移ろいに規定されているのと同時に、武術のような野蛮なものにまで、このような文字を与えてしまうその感性が、日本人としてとても好もしい。

西洋剣術/武術は全く解らないが、技法に風流なものを見立てるという感性は恐らくないのではないか。(大いに偏見です。フェンシングなど稽古されている方がいらっしゃればご指摘ください。)西洋や中東アジア、インド、中国などの武器にはその形状が似ていることから、堰月刀(えんげっとう)やシャムシール(ライオンの尾)などの呼び名はあるが、「見立て」という発想は見られないように思う。

筆者が最も行い易い技法として、組居合の「明月」がある。この技は打太刀(うちたち:やられ役)が仕太刀(したち:仕留め役)の首に横一文字に抜き付ける。仕太刀は右足を一歩引くと同時に刃先を上に右側へ抜刀してこれを受け、受けられた打太刀が上段に振りかぶった左手に斬りつけるという動きをする。「明月」という名は仕太刀が相手の刀を受けた際の形を恐らく半月に準えているとの事である。身体を半身にし、緩やかな曲線を持つ刀を右側に受ける姿は、成る程、月に例えるのも解らないではない。こじつけの感もあるが、こうしたこじつけを含めた見立てが何となくしっくり来るのは、日本という風土の中で生まれ、日本語というウエットな言語を操るせいであろうか。

先ほど紹介した組居合の名称である、「水勢」「明月」「乱雲」「風勢」を英訳するとその辺り良く解るのではあるまいか。水勢ならば「the flow of water」、明月は「bright moon」、乱雲は「nimbus」(調べて初めて気が付いたが、ハリー・ポッターの箒はここからとっているようだ)、風勢は「gale」とでも訳せばよいだろうか。ただ「gale」では強風や疾風のことで、ニュアンスが異なってしまう。ただ、英訳されたこれらの言葉を並べてみても武術の技法だとは誰も思わないだろう。不思議なことに日本語でかかれていると、武術の技法といわれても、筆者には全く違和感がない。

日本の文化が極めて優れているとか、他の文化よりもレベルが高いとか、そういう言説には汲みしたくない。或いは、極めて劣るとか、野蛮だとか言う事も無い。文化は優劣で論じるものではないからである。しかし、こうしたことに気が付くと、なかなか日本の文化も悪くないし、素敵な感性をもつ文化だと筆者は思えるのである。
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# by seagull_blade | 2004-09-21 21:21 | swordplay

専守防衛。

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…敵の気を未然に察し、抜かずして敵を制するを言う。当流居合の窮極は、徒に剣を揮うにあらず。敵を剣鞘に斬るの神気を養ふにあり。…
「水鴎流居合剣法の本義-伝書の序-」より抜粋。

最悪の事態を想定することとは、最悪の事態が発生した場合にどのように振舞うのか事前に決めておき、シミュレーションしておくという事であるだろう。個人にとっての最悪の事態とは、色々あるだろうが、とりあえず「生命・生活の危機」とする。自分が病気や怪我で動けない、或いは様々な要因で死ぬということを想定する。すると、動けなくなろうが、死んでしまおうが、まず必要なのはある程度まとまった金ということになるだろう。生活費や医療費、家族がいる場合には家族の生活保障、葬式費用、墓の購入…etc。こういう事柄への対応策として保険事業というものは成立している。生命保険は今でこそ盛んにTV等で宣伝しているが、30年くらい前には「縁起でもない」と言って加入しない方も多かったという。

国にとって考えられる最悪の事態は、やはり色々考えられるが、まず戦争状態になることとする。国はそこに生活する人々の生活するフィールドであり、戦争状態は、そこで暮らす人々に連続して「生命・生活の危機」を与えてしまう、最も恐るべき脅威であろう。殊に第1次世界大戦以降の近代戦においては、「総力戦」と言われる、前線は勿論、銃後でさえ脅かされる物となってしまい、それまでの「どこかで行われている戦争」という感覚を大きく変えてしまった。そして余りにも恐ろしいものとなってしまった為に、そのことについて冷静に考えることが出来なくなってしまった。我々日本人は、歴史的に殲滅戦や長期間の戦争を知らない。これは大変に幸運なことだが、それ故に、太平洋戦争で破滅するまでの経験が、大きなトラウマになっているようである。

それはともかく、国家における政治家の最大の使命とは、そこで暮らす人々の「生命と生活」を守ることであるから、「可能な限り戦争状態を避ける」事となるだろう。国民へ最大の利益をもたらすことはこの場合、二義的なことである。戦争状態は最悪のマイナスをもたらす事だから、多少の利益の犠牲があったとしても、戦争するよりはマシだからである。イデオロギーとは無関係に、現代における戦争とはそういうものである。

しかし、戦争という外交手段は決して無くならない。残念ながら、人類が死滅するまで無くなりはしないだろう。結局、暴力という手段が、個人の間でも有効でありつづけるように、それが国家間であっても、民族間であっても同様である。今、振り下ろされる棍棒の前に金や言葉は無力である。誰もがその事を理解している故に暴力は有効でありつづける。

それならば、割に合わぬ戦争状態を忌避しつつ、最悪の事態を想定しておくと言うことが現実的な選択となるだろう。『抜かば切れ 抜かずば切るな此刀』これは居合術の心得であるが、奇妙なことに、現代の日本における防衛についても、筆者には当てはまるように思える。この句は「一度刀を抜いたなら必ず斬れ、しかし斬らないならば絶対に抜くな 」という考え方である。

居合術はある特殊な条件下でしか役に立たない。特殊な条件下とは「飛び道具が無く、一対一もしくは数人対一人の戦いで、かつ帯刀を許されている」という物である。本邦では江戸時代中期から幕末にかけてのみ本当に有効なものであったろう。居合は戦国時代に発祥しているが、本来、決闘もしくは仇討ちのために発明された物であって、戦場においては何の役にも立たない。かつての戦場での主力兵器は、鉄砲伝来以前は弓や槍、薙刀であり、以後は当然鉄砲である。更に太刀を使う場合でも、敵軍と対峙する前に抜刀し、戦闘に備える。『居合術』は先に抜かせてのカウンター攻撃を最も得意とする武術である。これでは飛び道具やポールウエポン(長柄武器)が飛び交う戦場では話にならない。あくまで、平和時の個人的な護身術である。(とはいえ本当に行えば過剰防衛だが)

近代戦は勿論飛び道具が殆どであるから、日本刀など何の役にも立たないが、筆者が当てはまると考えるのはそのことではない。現代では、一部の国家は知らないが、軍事的膨張主義は一応、否定されている。つまり、突然の侵略などについてはイデオロギーの如何に関らず、そう簡単にできないと言うことである。また、核兵器に代表される大量破壊兵器が発達した為に、それを双方撃ち合ってみるということも今のところ発生していない。繰返しになるが、近代戦は人命と経済力の恐るべき消耗であるから、その見地からも簡単に戦争をするわけには行かないし、してはならない。殊に、貿易や加工に依存した経済を持つ国が近代戦に突入するのは自殺行為とするしかない。すると本邦における防衛とは、殆ど自動的に『専守防衛』と言うことになる。ここに特殊な条件の相似を筆者は見る。

専守防衛とは恐らく、『抜かば切れ 抜かずば切るな此刀』の世界であって、刀を研ぐことは忘れなくとも、『抜かない(行使しない)』ということではないだろうか。居合においてまず大事なことは「腕はある」ことを前提に「徒に敵を作らない」、「敵の攻撃を誘うような隙をつくらない」と言うことである。筆者が思うにこの状態を実現することが、最も現実的なことなのではないだろうか。筆者は難しいことは知らないが、「敵の攻撃を誘うような隙をつくらない」という点は、相当に難しい。徒な協力や迎合もその内に入ってしまうからだ。だが、そのような防衛力(軍事のみならず経済、外交も含めた)が最もあるべき姿だと筆者には思われる。その為には手練手管もいるであろう。耐え難い屈辱にも耐えねばならないだろう。しかし、恐るべき状況を避ける為にはそれしかないように思われる。
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# by seagull_blade | 2004-09-16 20:48 | philosophism

装束。

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居合の話をよく書いているが、装束について書いていないことに気が付いた。日本の武術や華道を習うことの大きな魅力の一つに和装で行うことがあると思う。和服を一度も着た事が無いという方も、特に男性には多いだろう。筆者の周りには「七五三」以来着た事がないというタイプが多い。近年、浴衣ブームであり、ユニクロでも4000円程度で浴衣を売っていたので、浴衣ならという方は割といらっしゃるかもしれない。とは言え、そもそも何処へ和装で行くのか、その必要も機会も普通に生活していると殆ど無いから、和服を着ないという方が多いのではあるまいか。

柔道なら柔道着、空手なら空手着、剣道なら剣道着と防具をそれぞれ着る。では居合にも居合着という物があるのかということだが、これがちゃんとある。防具を付けずに行う居合は、薄手の剣道着のような上着と、長い柔道帯のような居合帯、頻繁に立ったり座ったりするために、通常よりも少し厚手の居合袴がそれぞれ用意されている。これらは一そろい大体20000円程度で武道具屋に置いてあるのだが、実はこれは練習着であって、勿論、普通の和服でも良いし、正式には紋付袴である。実際、古武道大会等などに出場され、演武を行う方の多くは紋付袴姿であることが多い。ただ、着物は高価であることが多いし、練習は割と汗をかいてしまうことを考えると、居合着を着る方が合理的であると思う。居合着は大抵、化繊なので洗濯機でざぶざぶ洗える。

女性もこの格好で行う。居合はやはり男装でなくては帯の位置、着物の形状などから抜刀することが出来ない。しかし、女性の男装袴姿というのもなかなか格好いい。居合着の色は黒・白・紺ぐらいしかないし、袴に至っては黒・紺だけだが、このシンプルさが着る者を「凛」と見せてくれる。

女性の着物で行う武術を探しているならば、薙刀(なぎなた)がある。薙刀は江戸時代、どう言う訳か武門の女性の武器とされてきた。女性の着物特有の振袖を利用した技や、大きくステップを踏めないことを逆用した技など、これも相当に高度な武術である。薙刀は長柄(1.5~2m程度)の先に刀をくくりつけた武器であり、武器として考えた場合、強力なものである。とくに切断の力は刀の比ではない。てこの原理が働いて、柄の先の刀身は刀よりも遥かに高速で振られる。女性の力であろうと、刃がぶれることなく真直ぐ入れば、腕ぐらい骨ごと切断してしまうだろう。勿論、薙刀は男性も行う。江戸時代以前には槍とは用途の違う長柄の武器として実戦に使用された。鎌倉、室町前期の鉄砲伝来以前には主力武器の一つであったようだ。筆者の習っている水鴎流にも薙刀はある。(筆者は握ったことも無いが)男性女性の区別はない。

閑話休題。居合の装束の話である。筆者の場合、男性用の肌襦袢の上に黒の居合着、一般的な角帯に黒袴である。足元は素足。冬場などは冷たいので足袋を履いた方が良いかも知れない。この辺りは古流であれば流派によると思われる。また、筆者は夏場、汗対策に手ぬぐいを頭に被っている。少し大ぶりの手ぬぐいを呉服屋で数枚購入して使いまわしである。最後に、真剣もしくは居合刀を差す。差す位置は左腰、角帯が三重に巻かれている所を外側2枚と内側1枚の間に刃を上にして差す。鎧を前提とした「太刀(たち)」は刃を下にするが、通常は刃を上に、栗形(くりがた)という下げ緒止めを常に左にする。まずはこれで準備完了。

和装の敬遠される点として、帯の巻き方があるかもしれない。男性の帯は女性のそれに比べれば遥かに簡単だが、慣れるまでは一寸面倒なのは確かである。結び方はそう多くは無い。筆者の場合は一番基本的な「貝ノ口」という結び方である。袴下であれば本来「一文字」なのだが、どうも上手くいかない(練習中)。また、浪人結び(片ばさみ)というものもあるが、これは着流し(袴なし)なら良いが、袴を穿くと背中の結び目が真平らになるので、しっくりしない。(このあたりは「男のきもの大全」がとても詳しい)筆者はスーツから居合着に着替えるのに5分程度。やってみれば難しいことは特にない感じである。

もう一つ面倒なのが、袴の始末である。要するにどうやって畳むのかだが、手順としては、まず、丁寧に広げ、襞を揃え、裏返し、中心線を揃えて三つ折にし、二組の紐をクロスさせて形を整えるのだが、この辺りとても面倒である。とは言うものの、紐はともかく襞は丁寧にそろえないと、どんどん崩れていってしまうので、これだけはやらなくてはならない。着流しは今でも割と見るのに、結婚式くらいしか袴姿をみないのはこの辺りに原因があるような気がしてならない。

さて、下着はどうすべきかという疑問もあるのだが、筆者の場合は洋装のままである。褌というのが本当なのだろうが、トイレも面倒なので袴の下は普通にスポーツ用のトランクスやブリーフである。よほど和装に慣れていない限り、越中褌(えっちゅうふん)ということはなかなか無いように思う。女性にも聞いてみたが、やはり下着は洋装のままであるようだ。居合着では前がはだけることもまず無いので、「さらし」を巻く必要もない。

居合着なり、和装をして刀を差すと、なかなか引き締まった気分になる。居合の練習そのものは動きやすい格好に帯さえあれば出来るのだが、やはり袴を穿くと、雰囲気からして違ってくる。居合という武術は最早実用の物ではない(当然)ので雰囲気というのも大事な魅力の要素であろう。こういうところで和装にだんだんと慣れ親しむのも筆者の楽しみの一つである。和装をしてみたい方、居合も含めて古武術などやられてみては、如何だろうか。
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# by seagull_blade | 2004-09-14 11:01 | swordplay
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ここ2年ほど、圧倒的に一人で酒場に出入りするようになった。いわゆる「酒場の油虫」という奴である。深刻な話でもなんでもないが、自宅よりも酒場のカウンターの方が落ち着く人になってしまった。誰かと飲むことは殆どない。飲みたくないわけではないが、いつも相手が見つかる訳ではないし、それならば一人の方が気楽というものである。ただ、みっともない話だが、最近は悪酔いするようになった。そろそろ、この生活もなんとかしたほうが良いかも知れない。悪酔いといっても気分が悪くなったり、頭痛がするのではなくて、何となくネガティブになるというだけなのだ。

そういう場合、どんどんネガティブになる思考と、それを冷ややかに嘲笑する、さほどネガティブでない思考が発生し、他人からみると、ちょっと不機嫌だが普段どおりという状態である。ネガティブな思考は筆者自身の「無能・無価値」を嘆くのだが、冷静な思考は前者の思考を「それほど無能であるわけはない。そうでなければ、査定もわりと良く、それなりに頼りにされる理由がない。」「無価値というのは孤独感の言い換えに過ぎない。別に天涯孤独なわけではない。その程度の辛さは誰でも抱え込んでいるものだ」というように分析する。一種の自問自答をしている訳で、それなりに疲れたりもする。アルコールを摂取してストレスを発散しているのに、その代償として自問自答で疲れてしまう。「この生活も何とかしたほうがいい」と考えるのはそういう理由である。逃避して気持ち良くなれないのなら、毎日いくらかの金を払って飲む理由もあるまい。

とは言え、結局、食事を自分への言い訳に飲みにいくのだろう。大した量を飲むわけではない(平均的にビールを2杯程度)。その後に、居合の一人稽古をするので、寝る前にはアルコールなど抜けてしまう。それでも、飲み屋から家までの間の自問自答が面倒なので、少し回数を減らしてみようと思う。なかなか出来ないのだが。軽度のアルコール依存症な気もしなくもない。(休日は大抵、アルコール抜きである。働きもしないのに酒を飲むのは何となく憚られる。)

その面倒な自問自答を打ち切りたい時に、無理やり頭の中で再生させる音楽がある。読者諸兄姉もそういう曲があるのではないだろうか。あるシチュエーションの時に決まって思い浮かべる音楽というものが。

音楽を聴く時や頭の中で再生する際、大体においてそのときの気分をトレースした曲を選ぶ。疲れて、ふさいでいるのに明るく前向きな曲を聴きたいことは少ない。また、ポジティブな気分にあまり後ろ向きの曲は聞きたくないものだと思う。インストゥルメンタルのクラッシックやJAZZもそういう傾向があるが、歌のある曲はその傾向がはっきりしている。筆者は高校生までに聴いていた音楽は、洋楽だろうと邦楽だろうと歌詞まで覚えてしまっていることが多い。そういう曲はかなり詳細な部分まで脳内で再生できる。その脳内ジュークボックスが、酔っ払いの自問自答の際に選択する曲は、クイーンとディヴィッド・ボウイーの合作、「UNDER PRESSURE」である。

ジョン・ディーコンの印象的でどこか滑稽なベースで始まるこの曲はクイーンのヴォーカル、フレディ・マーキュリーとディヴィッド・ボウイーのデュエット曲である。かなり有名な曲なので、ご存知の向きには蛇足だが、1982年、シングルカットされ大ヒットした曲で、クイーンのアルバム『Hot Space』に収録されている。また、クイーン/ボウイーどちらのベストアルバムにも大抵収録されている曲である。

嬉しくない自問自答のBGMとして、筆者の脳内ジュークボックスがこれを選ぶのは、フレディとボウイーの掛け合いが、きっと自問自答の状況をトレースするからだろう。興奮して嘆くフレディと冷静なボウイー。

フレディは嘆き、そして叫ぶ。
Can't we give ourselves one more chance?
Why can't we give love that one more chance?
Why can't we give love give love give love?
<どうして愛せなくなってしまったんだ。なぜ?なぜ?>

ボウイーが例の低い声で唄い出す。それに答えるように。
Cause love's such an old fashioned word
<愛なんて時代遅れな言葉だからさ>

これを聴いているうち(本当に聴くこともあるし、脳内で再生するだけのこともあるが)に、くだらない自問自答の時間は終わり、家にたどり着く。歌詞の意味がどうということではなく、歌詞の論理(おかしな言葉だ)が自問自答の形式をとっているので、自分の自問自答をかき消してしまう気がするのだ。そして、アルコールが抜け始め、いつもの自分に戻る。己のくだらなさは己に発していることに過ぎないと再認識して。

つまらない代償を払うのを止めて、今夜は一つ、酒を我慢しよう。楽しくない酒など意味がない。久しぶりに素面でこの曲を聴きたくなったような気がする。
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# by seagull_blade | 2004-09-13 15:32 | musique
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8月26日に防衛庁主催の『陸上自衛隊富士総合火力演習』を見学してきた。(会社の先輩にチケットを頂いた)筆者は偶々休みだったが、平日のことでもあるし、だれも誘うことができずに、一人で富士畑岡の演習場へ早朝から向かう。軽ではないが小型車に乗っているので高速道路がやや辛い。どうにか御殿場ICまでたどり着いた。指定された矢鱈と広い駐車場に車を止め、自衛官の指示に従って、演習場までのシャトルバスへ乗り込む。夏休みと言うこともあり親子連れがとても多い。急な斜面を登り(富士山麓内だから当たり前だが)演習場へ。ひどい曇り空で、今にも雨が落ちてきそうだったが、直射日光のなか見学するよりはマシと諦める。

演習場はものすごい人出である。到着が遅れたため既に火砲の音が場外にも漏れ出している。数千人は座れそうな雛壇の客席の横を抜け、巨大な防水なシートで覆われた演習場前の地面に座った。この席も大量の観客(見学者?)が座っていた。スピーカーから、長距離火力、中距離火力、近距離火力など、兵器を丁寧に一つずつ説明する声が聞こえる。その兵器の用途、威力、使用方法が説明された後、発射指示の無線に切り替わり、場内に「目標を補足、ロックオン完了、安全装置解除」「撃て!」の声が響く。直後、轟音とともに榴弾砲や迫撃砲が発射される。すさまじい轟音である。また、静止目標とはいえ、命中精度には驚いた。特に、ミサイルの精度は十数キロ先の目標を正確に破壊するほどである。

自走砲や迫撃砲の轟音に慣れ始め、考え事を始めた筆者の目の前を2種類目の戦車が通り過ぎる。直前の74式戦車に対して、こちらは90式戦車というらしい。相当に大きい砲を積んでいる。ボンヤリして眺めていたが、「90式戦車の120ミリ滑腔砲は、大変大きな音がします。大変大きな音がします!ご注意ください。」という場内放送が流れた。大きな音と連呼するので、どれほどのものかと思っていると、例によって、「目標を補足、安全装置解除!」「撃て!」の声が。そして…。

90式戦車は筆者から大体30から50メーターの位置に静止している。かなり大きな車体だから、もしかするともっと離れているかもしれない。だが、一瞬目の前が閃光に包まれ、鼓膜が破れるかというほどの音とともに地面がゆれた。上述のように筆者は地面に直接座っているのである。「ズドン」などというかわいい音ではない「バン!」とも「ダン!」とも付かぬ猛烈な音だ。大地が揺れる音など初めて聞いた。そして目標の斜面に命中。ロケットなどと違って、弾丸など見えない。発射音とともに目標の斜面に着弾し、土煙が上がる。

会場は静まり返った。お喋りしているカップルも、大騒ぎしていた子供たちもその音に息を飲んでいる。先にデモを行った74式戦車の105ミリ砲など120ミリ滑腔砲に比べれば豆鉄砲のようだ。105ミリといえば、太平洋戦争で使われた高射砲よりも大口径である。それですら豆鉄砲に感じる。120ミリ砲の威力は凄まじいものだろう。

会場がざわつき始めた。子供の泣き声がそこかしこで聞こえる。無理もない。大人であり、男性である筆者とて恐怖を感じる音なのだ。当然、活動を紹介する演習なのだから、こちらに弾が飛んでくることは100%ない。にもかかわらず、その咆哮は大人ですら恐怖させる。30分の休憩が始まった。ここで帰る見学者もそこそこにいる。泣いている我が子をあやしながら帰る親子連れを見ながら考えた。

湾岸戦争、イラク戦争で使用されたアメリカ軍の主力戦車は、M1A1エイブラムズという。エイブラムズも同じ120ミリ滑腔砲を装備している。そしてイラク軍の主力戦車T72戦車は125ミリ滑腔砲を備えている。そうなのだ。あの戦争は先ほど見た90式戦車同士が戦ったような物なのである。(性能差については言及しない。戦車は砲塔の威力が全てではないし、結局アメリカの一方的勝利に終わったのだから。)湾岸戦争もイラク戦争もあの戦車を街中で運用し、砲火を交えたのだ。住民は堪ったものではない。砂漠での運用もされただろう。あれで撃ち合うのだ。兵士とて慣れるとは言え、絶対におかしくなってしまうだろう。戦車同士ならいざ知らず、軽装甲車など跡形も無く消し飛んでしまう。そして戦場で運用されるのは戦車だけではない。対戦車ヘリ、ミサイル、爆撃機による空爆、銃弾、ロケット、迫撃砲、対人榴弾、対人地雷、拳銃、小銃、機関銃…あらゆる兵器がお互いを狙い合う。

休憩が終わり、今度は戦術面からの紹介演習となった。ヘリコプターと連動した、「ヘリボン攻撃」や砲科と歩兵が連動した攻撃などの紹介があり、74式戦車と90式戦車がそれぞれ8両(違うかも知れない。記憶だけなので。)登場した。そして、移動しながらの一斉射撃。天地が引っ繰り返るという言葉が決して大げさではない轟音の連続である。大地は揺れつづけ、砲撃の度に戦車は閃光に包まれる。もはや筆者の鼓膜もだいぶおかしくなっており、何度も耳を塞ぎたい衝動に駆られる。だが、戦場は弾が飛んでくるのである。ここは演習場なのだ、こちらに飛んで来るはずは無いと言い聞かせ、懸命に耐える。もはや機関銃の音など物の数ではない。

「早く終わって~」隣に座った家族連れの女性が叫ぶ。ミリタリーマニアはともかく、これは多くの人がそう思っていただろう。そして、戦場では誰もがこことは比較にならない思いをこめ言うだろう。「早く終わってくれ」と。

この富士火力総合演習で使用された弾薬は十億単位の費用が掛かるそうだ。2日間、合計しても5時間程度の演習でこの価格である。戦争は恐るべき消耗である。命も金もなにもかもを猛烈な勢いで消耗する。近代戦とはそういうものだ。そして、戦争行為そのものは何も生み出しはしない。

あらゆる哲学・思想があるであろう。だが、一人の命よりも重い哲学・思想や宗教など、存在しないのだ。少なくとも筆者はそう思っている。「一人の命は地球より重い」とは思わないが、思想や宗教などにそんな重さがあるはずが無い。

自衛官の方々や、自衛隊の戦車がこれまで実戦投入されていなくて本当に良かったと思っている。陸上自衛隊富士総合火力演習はサマワの指導者が地域の長老(とそれに連なるテロリスト達)へ向けた「何故、日本を狙うのだ!日本の自衛隊が我々に一度でも銃を向けたことがあると言うのか!?」という言葉の意味をほんの少し教えてくれた気がした。そして、そんな場所へ、任務として議論も尽くさずに送り出した某政治家と、反対はしていたが任務として送られることに決まった自衛隊の装備を、拳銃一丁、機関銃は部隊に一丁などとほざいた、某政党がますます嫌いになった。(日本だろうと、イラクだろうとアメリカだろうと自衛官や兵士にとって戦場は殺されに行くところではあっても、殺しにいくところではあるまい)そして、帰りのバス待ち行列の横にいた「近頃の根性のない若い奴や罪を犯したような若い奴は全部自衛隊に入れればいい」と言っていた、酔っ払いオヤジには怒りすら湧かず、あきれて物も言えなかった。派遣された自衛官の無事を祈るばかりである。
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# by seagull_blade | 2004-09-10 20:14 | philosophism