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by seagull_blade

精霊会

精霊会 -夏色月パラダイス-
variousmoon様のブログ「つきのくさぐさ」にて開催されているTB企画「夏色月パラダイス」に参加宣言をしたもののギリギリとなってしまった。なんとか間に合うと良いのだが。
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さて、夏の月という事で、なかなか相応しいポストが思い付かない。色々考えた挙げ句、会社でもそろそろ御盆休みが目立つようになって来た事から、御盆を俎上に乗せてみようかと考えた。こじつけめくが、御盆は本来、旧暦七月十五日であり、勿論陰暦は月を基準に作られており、十五日なら必ず満月である。当然のことなのだが、三日月は三日、十六夜は十六日。太陽暦で生活しているとなかなか意識できない。

こじつかないこじつけはこのくらいにして、お盆だが、辞書を引くと「盂蘭盆会(うらぼんえ)の略」とある。語源はサンスクリット語のウラバンナであるという。ウラバンナとは「逆さ吊り」という意味であるらしい。釈尊の弟子である目連が、その神通力で母親が餓鬼道で逆さ吊り苦しんでいる姿を見、釈尊に母を救う方法を訪ねた。釈尊曰く「七月十五日に供養会をせよ」とのことであったのでその通りにしたところ、その母は極楽へ往生したということから、七月十五日に先祖の霊を迎え、供養するということを盂蘭盆会と呼ぶようになったという。

餓鬼道で苦しむ者を救うという意味においては殆ど「施餓鬼会(せがきえ)」とかわらないが、この場合は母親すなわち、近親者というところにポイントがあるのではないだろうか?ここから先祖の霊を迎えるという日本的な信仰と結びついたのであろう。仏教についてそれ程知っているわけではないが、本来、六道を巡る魂魄は死霊になどなりようが無い。なぜなら、死を迎えた次の瞬間にはまた生まれ変わってしまうからである。恨みがあろうと、心残りがあろうと関係はない。現在でもなおインドを苦しめるヒンズー教におけるカーストを巡るという意味での輪廻はには祖霊信仰的要素は無い。

ではなぜ、陰暦七月十五日なのであろうか?

先程、日本的と書いたが、御盆もまた中国/朝鮮半島経由で伝わった物である。一月十五日の上元、七月十五日の中元、十月十五日の下元の三元という考え方が道教にあり、特に日本において中元という習慣と盂蘭盆会が習合して御盆というものになったのであろう。特に七月十五日は道教においては贖罪の日として薪を炊き、神に祈る。この習合した御盆、あるいは盂蘭盆会が本邦に入ると、祖先の霊を迎え、歓待し、送りだすという行事となる。

日本においては推古天皇の時代に盂蘭盆会が始まったという。推古帝の時代と言えば、聖徳太子が活躍した時代である。梅原猛氏によれば怨霊が跳梁し、政治的陰謀が渦巻く時代であったという。子孫が殺され、祖先が祟り、それを祀り、鎮め、御霊とした時代である。盂蘭盆会ももしかするとそうした怨念を残した祖霊達を鎮魂するという為に始めたのかもしれない。

そう言えばかぐや姫も月より参り、歓待され、月に帰って行く。祖先の霊ももしかすると月からやって来て、月に帰るのであろうか?それとも、祖霊が迷わぬように月明かりが最大となる日に祖霊を迎えるのであろうか?

今年ももうすぐ御盆である。もっとも東京うまれの著者にとっては一ヶ月前となってしまった。


最後まで非常に苦し紛れの文章となってしまいました。読者諸賢には申し訳ありませんでした。そしてありがとうございました。良い夏休みを・・・。

夏の夜は未だ宵ながら明けぬるを雲の何処に月やどるらむ
(清原深養父)
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TB企画“夏色月(なついろづき)パラダイス”へのTB募集中!!

秋のお月見はとても有名ですが、
暑い夏にも、お月さまはひっそりといらっしゃいます。
夕焼け空のお月さま、うんと早起きした日のお月さま、
寝苦しい夜のお月さま、夏の蒼空のお月さま・・・。
どんな表現形態、どんな創作でもOKです。
夏の風物と取り合わせた「夏らしいお月さま」をお届け下さい!
期間は、小暑から立秋の前日まで(7月7日から8月6日まで)

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# by seagull_blade | 2005-08-06 23:47 | philosophism
先日、ウォーターマンの万年筆を購入した。深いメタリックグリーンの手持ちの良いもので、インク充填方式はカートリッジとスポイト式のコンパチブルである。折角なのでインクを購入し、会社の机上に置いてみた。液晶ディスプレイの前にインク壷というのも、なかなか良い感じで、ちょっと気に入っている。
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18世紀半ばのイギリスで、金属ペンが発明されてから、凡そ百数十年後の1883年、アメリカの保険外交員ルイス・ウォータマンが初の実用万年筆を発明し、特許を取得、ウォーターマン社を設立した。その後、万年筆はモンブラン社やパーカー社などのメーカが公文書にも使えるペンとして隆盛の時を迎え、1958年にはセーラー万年筆がカートリッジ式の特許を取得している。50年代にはボールペンが実用化され、1970年代、公文書へのボールペンでの記入が各国で認められてから、万年筆は衰退し、今では一種の象徴的な意味を持つ、過去の実用品となっている。

作家海音寺潮五郎がその著作の中で「およそ武器というものは実用品でなくなってから神聖視(象徴化)される。弓が実用に耐えなくなってから、武士のことを弓取と呼んだり、刀が役に立たなくなってから武士の魂とよばれるようになった。鉄砲などは終始実用品であったから、ついぞ神聖視などされなかった」と記している。武器に限らず、およそ象徴化されたり、儀式化されたものは全て過去のものであり、前時代的であろう。万年筆も20世紀後半になって初めて象徴化してきた。価格的なこともあろうが、ありふれたボールペンやサインペンをプレゼントされるよりも、万年筆をプレゼントされた方が、ちょっと気が利いているように思うのは、きっと万年筆がもはや「過去の実用品」であるからなのではないか。道具は実用から離れて初めて、時代の香りや伝統を主張するものになる。

先日、筆者がよく立寄る飲み屋に、見かけない店員がいた。学生アルバイトにしては、少しとうが経っているので、何をしているのか聴いてみると「司法試験合格」を目指して勉強しているのだと言う。ご存知の通り司法試験は超難関のテストである。合格率は3%。他人の人生を直接左右する物事を扱うのだから当然と言えば当然難しいのだが、この数字は凄まじい。友人に慶応大学から司法試験に合格し、現在は弁護士の男がいる。彼は中学以来の友人で、昔からかなり成績が良かった。ルックスもなかなかで、かつ運動もそれなりに出来る。当然、女性にもモテる男だった。なので性格もこなれていて、あまり文句の付け様がない。だが、その彼にして、19歳から勉強を始め合格したのは20代半ばである。実際、遊ぶことは大好きな男が、殆ど外出せずにひたすら勉強して6・7年かかるようなものである。それでもかなり優秀なほうなのだが…。

その友人に付き合って、こちらはテスト勉強をしていたり、勉強にかこつけて酒を飲んだりしていたが、何度目かの不合格の後、彼はモンブランの万年筆を持ってきた。モテる友人のことだから、「プレゼントか?」と訊くと、「自分で買ってきた」という。万年筆の値段など知らなかったが、10万円だか20万円だかの代物である。学生が買うにはちょっと高すぎる。理由を訊ねてみるとこういうことだった。試験はボールペンや万年筆などの筆記具を使って行う。3%の合格率では、採点する側にはより読みやすいものを提示しなくてはそれも命取りになる。だから、より読みやすい文字を書く為に、来年の試験に向けて今からこの万年筆で書きつづけるのだと。

それにしたって、いくらなんでも高すぎると筆者は思ったが、これは彼なりの自分に対する決意表明だったのだなと今では思う。司法試験の勉強を始めてからアルバイトらしいアルバイトもしていなかった彼が、おそらく、なけなしの小遣いを全てはたいて購入したのだろう。グリップの太い漆黒の万年筆は、「合格するまでは、それ以外のことに心を砕かない」という意思であったのだ。そしてその万年筆を使い、数年後、晴れて合格した。合格した直後に一杯飲みに行った時、シャンパンを一瓶持っていったのを思い出す。結構、気障なところもある友人は喜んでくれた。

そんなことを思い出しながら、ジャケットの内ポケットにある自分の万年筆を取り出して、玩びつつ、その店員と話をしていた。この万年筆にまつわるエピソードを話してみようかとも思ったが、止めておいた。司法試験という狭き門は、そういう慰めや笑い話が通用する世界ではない。彼女(店員は女性だった)には彼女なりの決意があるだろう。それがどういう形で示されるのかはわからないが、自分だけの方法を大事にしたほうが良い。司法試験を目指すくらいだから相当に頭が良いに違いない店員だが、それでも「万年筆購入⇒合格」という馬鹿げた図式を思い描くに違いない。それが馬鹿げたものであることがわかっていても、藁にもすがりたい気持ちで勉強しているに違いない彼女には気に障る雑音でしかないだろう。

因みに筆者のウォーターマンは1万円程度で、別に何かの決意があって買ったわけでもない。ただ何となく万年筆が欲しいなと思っただけである。だが、もしかするとその友人に対して持っている憧憬のような嫉妬のようなものがあったのかも知れない。社会人となり忙しくてなかなか会うことも出来ないが、今度会ったらあの万年筆はどうなったのか訊いてみたい。今でも仕事机の上にあるのだろうか?それとも思い出とともに仕舞われたのだろうか?

当人へ
今でもあのモンブランは現役かい?
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# by seagull_blade | 2005-07-18 14:01 | bizarro life

Musical Baton

6月は更新が一切できないという状況で、楽しみにして頂いている読者の方々には本当に申し訳なく、心からお詫び申上げます。仕事&プライベートで猛烈に忙しく…という事も無かったのですが、東海・関西・東北地方への出張や、今後のキャリアを考えることなどで色々な意味で余裕が無かったというのが言い訳です。しかし、気力体力ともに問題なく元気です。ご心配をおかけして申し訳ございません。また少しづつ更新していきますので、今後ともよろしくお願い致します。
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「そらコウ@ん家」のsoracotyan様より受取っていた「ミュージカル・バトン」をまずは次の方に回すべく、復帰第一戦、書きたいと思います。質問項目が英語であることから察するに、世界中で廻っているのかなと。

■■Total volume of music files on my computer:(今コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量)
3.18GB/692Files
20GBのiPodを愛用している。だいぶ年季が入ってしまった。このiPodはApple社のWebサイトから購入したのだが、「好きな文字を裏面に彫刻する」というキャンペーン中だったので、StingのEnglish man in New Yorkの一節を入れてもらった。

A gentleman will walk but never run.


■■Song playing right now:(今聞いている曲)
高校時代は音楽に飢えたように聴いていたのだが、最近はそれほどでもなくなってしまった。10代の頃は、大手販売店の広告ではないが、「NO MUSIC, NO LIFE」と心から思っていた。とは言うものの音楽好きは今でも変わらない。この2ヶ月で会社の同僚とバンド活動を始めてみたり、一昨日は旅行用のアコースティックギターを購入したりと、音楽に触れている。いまよく聴いているのは、
Best Of Bowie(David Bowie):Changes, Let’s Dance etc…
Queen Dance Traxx(OMNIBUS):Kind Of Magic, Bicycle Race etc…
Wired(Jeff Beck):Red Boots, Goodbye Pork Pie Hat etc…
ピアノ協奏曲(Rakhmaninov):第2番ハ短調 etc…


■■The last CD I bought(最後に買ったCD)
タイガー&ドラゴン:クレイジーケンバンド
なぜだろう…。ラジオやテレビで聴いているうちに欲しくなってしまった。

■■Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me:(よく聞く、または特別な思い入れのある5曲)
ヴァイオリン協奏曲第一番:Paganini
クラッシック音楽を聴くようになったきっかけの曲がこのパガニーニ。色々な思い出がこびり付いているが、それでもこの曲はとても魅力的だと思う。クラッシックを聴いて「スリリング」という表現が最もしっくりくる稀有な曲であると筆者は考える。

Mama Kin:Guns’ N Roses(Aerosmith)
高校時代はバンドばかりしていたが、その際に最もセッションしていた曲がこの「Mama Kin」。筆者の高校時代は丁度メタルブームで、Guns’ N RosesやMetalica、Extremeなどが流行っていた。ご多分に漏れず、筆者も長髪にして頭を振りながらベースを弾いていた。この曲を聴くとスタジオでの練習やデモテープ作り、学園祭でのライブなどを思い出す。
元々、Aerosmithの曲だったが、Guns’ N Rosesがカバーしている。

Bed Of Roses:Bon Jovi
これも同じく高校時代にライブで演奏した曲。ありがちなバラードだが、なかなか豪華なアレンジでお気に入りだった。所謂青春の一曲というところである。

St. Teresa:Joan Osborne
前にも記事にしたが、Joan Osborne の歌声を初めて聞いた時に、「こういう世界もあるのか」と軽い衝撃を受けた。歌詞が抒情詩的な物語になっているのも、筆者の好みに合っている。同時期にデビューしたSheryl CrowやAlanis Morissette ほど知られていないが、もっと売れても良い歌手だと思う。

ヤサ男の夢:山崎まさよし
時折、くどい/ケレン味が多すぎると感じることもある山崎まさよしだが、この曲が収録されている『HOME』というアルバムは、よく聴いた。この曲も個人的な思い出がこびりついているが、音楽とはそういうものだろうと思う。

■■次の5名様
すっかりご無沙汰していたのに大変恐縮ですが…。
i-wacher様・gon.fly.high様・ssnostalgia様・variousmoon様・あと一人募集中
このWeb上のバトンを受け取っていただけないでしょうか?
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# by seagull_blade | 2005-07-14 16:31 | musique
甲冑を着込み、戦場を駆け抜けた女性は歴史上、それほど多く知られてはいない。直ぐに思いつくのは、泥沼化した百年戦争(1339-1453)を終結に導き、魔女として処刑されたジャンヌダルク(1412-1431)や「イタリアの女傑」ことカテリーナ・スフォルツァ(1463-1508)あたりだが、何れもヨーロッパ人である。歴史的、政治的或は所謂「男の領域」に優れた業績を残した女性という事ならば古今東西を問わず存在したし、男の領域なるものが必ずしも男性が有利という事ではないことを証明している。だが、実際の戦闘となると話は別であろう。生物学的に男性が女性より優れている点は「筋力(主に瞬発力)」だけという話があるが、戦闘は当に「筋力」が問われる場所である。女性の戦士が少ないことも当然である。
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先日、薪能を鑑賞する機会があった。東京近郊では、新宿御苑で行われる『森の薪能』がよく知られている。筆者が鑑賞したのは住まいの近所にある井草八幡宮で行われた『西荻薪能』である。この井草八幡宮は源頼朝が奥州藤原氏征討の後に建立したと伝えられる古社であり、23区内の八幡宮としては相当大きいものである。頼朝ゆかりの古社だからという事もないのだろうが、今年の演目は『巴』であった。能の鑑賞は初めてのことであったので、少し粗筋を下調べして見に行くことに。

さて、主人公の巴は巴御前の亡霊である。彼女は平家物語に登場する女性の戦士である。巴御前については鈴木輝一郎の小説『巴御前』や松本利昭の『巴御前』などを読んでいただくのが一番かと思うが、敢えて簡単に紹介すると、平安時代末期の武将にして木曽義仲(源義仲)の愛妾である。木曽義仲は義経よりも先に平家を京都から追い落とした武将であり、頼朝や義経の従兄弟にあたる。朝日将軍を自称し、戦闘には強いものの政治力に弱い部分があり、結果的に頼朝・義経に滅ぼされてしまう。巴はその義仲の二人の愛妾のうちの一人で(もう一人は山吹)平家物語には「中にも巴は色白く髪長く、容顔まことに優れたり。」とあり、美女であったとされている。また、「鬼にも神にもあはうどいふ一人当千の兵(つわ)もの也」であり、敵方の武将に「女と言うよりも鬼神である」と評され、一方ならぬ武者であったようだ。弓矢も太刀も優れていたが、やはり有名な得物としては「薙刀(なぎなた)」であろう。武者絵にも馬上にあって薙刀を振り回す姿が好んで描かれているようである。

実在が疑われたりもしているが、そのような野暮はここでは無しにして、『巴』の粗筋を簡単に紹介してみたい。

木曽義仲は1184年の1月に頼朝軍と宇治川で激突し、敗走。近江国(滋賀県)の粟津で取り囲まれ、戦死した。最期まで付き従った四騎の内に巴御前もいた。(つまりそこまで生き残ったということ)義仲が重傷を負って、もはや逃げ延びることは出来ないと悟ると、巴御前は自害を薦め、己も敵陣に討ち入って共に死のうとする。ところが義仲は巴御前が死ぬ事を許さない。巴御前「形見をもって木曽まで逃げ延びる」ことを厳命されてしまう。共に死にたいが主君の命とあっては仕方がない。彼女は逃げ延び、義仲は今井兼平等とそこで果てる。

舞台は木曽の山奥から都見物に来た僧侶が、粟津が原のとある神社で一息ついているところから始まる。僧侶がふと見ると美しい女性が社殿の前で祈り泣いていることに気が付く、女性は僧侶に「何かの縁だから」と祭神を読経で慰めて欲しいと頼んで消える。僧侶が里の人に聞くと、それは巴御前の亡霊に違いないという事であった。それならば、と僧侶が読経しながら神社で夜明かしをしていると、甲冑姿の女武者が現れ、義仲の最期を再現し、主君であり愛人の遺骸を(いくら命令とはいえ)捨て、逃げ延びたことを嘆き、後ろめたさが故に成仏出来ないことを訴える。「私の執心が晴れるように祈って欲しい」と僧侶に頼み、朝が来て巴の亡霊は消える。(もう少し丁寧に物語を読みたい向きには白洲正子著「能の物語」(講談社文芸文庫)がお勧めである。)

能を鑑賞したのは初めてで、愛好の方には大変失礼なのだが、もっと退屈なものかと考えていた。動きの少ないなかで、よく聞き取れない曲、セリフ、そういったものが延々続くというイメージであった。だが、実際にこの薪能に触れてみると(なんとも優等生的で気が引けるのだが)一種異様ともいえる雰囲気の中で、舞台は別世界が出現したように筆者の目を離さない。シテ(主役)の巴が戦いを再現してみせる舞では薙刀をかなり激しく振る。そうした動作も優雅というべきか、独特の緊張感にあふれている。古の人々はこういう雰囲気を「幽玄」と表現したのだろうか。

能の曲目(謡曲)の多くが亡霊を主役にしたものであると聞いた。我々は無念の内に死んだ人々の思いを「怨み」として恐れ、それが故に死者の鎮魂を「能」という形で結晶させた。これだけの文化を「とっつきにくい」とか「古臭い」という理由だけで、忘れられているのはとても勿体無い。

薪能の会場には500名近くの観客が老若男女問わずいた。少しづつ過去が見直され始めてきたのかもしれない。
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# by seagull_blade | 2005-05-20 14:18 | bizarro life
京橋まで出かけた折に、帰りの電車の中で読む本を探しに八重洲ブックセンターへ入ってみた。電車の中で読むのだからと文庫の棚の前で一寸ばかり物色していると、学生時代に読み始めたが途中で止めてしまった本を岩波文庫あたりに多く見かけた。今なら読める本もあるだろう。そう考えて『日本の弓術』を棚から抜き出して購入した。ワンコインなのも嬉しい。
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著者のオイゲン・ヘリゲル(1884-1955)は、東北帝国大学(現、東北大学)へ講師として招かれ、大正13年から昭和4年に掛けて日本に滞在していた。哲学者としての著者は、新カント派に属するのだろうか。ここで取り上げている「日本の弓術」でも神秘思想のかなりの理解と傾倒があるように私には思える。少し調べてみると、エミール・ラスクの弟子であり、バーデン学派に連なるようである。このあたりのドイツ観念哲学は門外漢の筆者にはなんとも言えない。ドイツ観念哲学とはあまりに大雑把な括りではあるが…。

『日本の弓術』は著者がドイツへ帰国した後、日本文化の紹介としてベルリンで行った講演の原稿である。古代ギリシアで確立した論理的思考そのままの西洋人が東洋思想、とりわけ『禅』の思想を理解する為に、友人の紹介で阿波研造氏(弓道範士十段 東北帝国大学弓術師範)の元で弓術の稽古を始める。師の言葉に戸惑いながらも、執拗とよべる程の稽古を重ね、五段を得て帰国するまでの過程を平易な文章で表現したものである。

ベルリン講演の原稿であるから、著者が意識しているオーディエンスは当然ドイツ人であるのだが、現代日本に生きる我々日本人にも返って解り易い文章である。というのも思考の様式として「擬似西洋化」した我々にも、阿波師範の言葉はもはや解りにくいものとなっているからであろう。

「弓を弾いて的を射る」この行為について、著者ヘリゲル氏にも、或いは門外漢の私にも当然ながら以下のような過程が想像できる。
①「左手に弓を持ち、右手に矢を持つ」
②「弦を引き絞り、的にねらいを定める」
③「的に照準が合った瞬間に右手を離し、矢を射る」
だが、阿波師範はこのように説明しない。
①「左手に弓を持ち、右手に矢を持つ」
②「力を抜いて弦を引く」
③「矢が自然に離れてゆくのを待つ」
要約するとこのようなプロセスである。①はともかく②及び③は、論理的に思考していてはさっぱりわからない。論理的には矛盾があるからなのだが、少なくとも私は「何となく解らないでもない」位に捉えることができる。恐らく、平均的な日本人にも同じであろうか。しかし、ドイツ人の著者は違う。徹頭徹尾、ロゴスの世界の住人である。

「力をぬきなさい」と言われれば「力を抜いたら弓が絞れないではありませんか」と当然の反論をする。師範は「(弦を引き絞った状態で)私の腕を触ってみなさい」と実演してみせ、著者の反論を封ずる。一事が万事この調子なのだが、著者自身も言っているように「ドイツ人特有の執拗さ」で、稽古を続けてゆく。そして一つ一つ、我が物としてゆくプロセスが非常に面白い。というよりも上述したように、「擬似西洋化」した我々にも解り易い。著者は決して「解ったような気」にならない。納得いかなければ納得いくまで、師範に質問し、稽古を重ねる。

剣禅一致という言葉があり、これをどのように捉えるかはなかなか難しい問題だが、今の私はこのように考えている。即ち、言葉(論理)によって表現できることには一定の限界があり、それゆえに、言葉では伝えられない(不立文字:ふりゅうもんじ)ものを「実践」を通して伝えるという部分に、「剣術」と「禅」との共通項がある。それゆえ、剣術を稽古してゆくことは、そのまま禅の修業に置き換わるものであるというように。勿論、素人の浅はかさは百も承知で記しているので、そのあたりはご容赦願いたいのだが。

私は居合の稽古をさせていただいているのだが、ある動作ができて初めて解るという言葉が多い。例えば、上段に振りかぶり、正面を斬り下ろすという動作の際、ポイントは幾つもあるのだが、斬り下ろした刀を臍前あたりで止めるという事がある。これは見た目の美しさもそうだが、斬り下ろす動作を行った直後に、また次の対敵動作へ移る為には必須の動作である。これが私にはなかなか出来なかった。「刀を止めようとして止めるな」と注意されたが、この言葉も矛盾している。だが、稽古を重ねて出来るようになると、上記のような表現のほかに表現しようもないことが解る。

さて、ヘリゲル氏は必死に考え、実践し、弓術の稽古を通して、非常に大雑把な括りだが「西洋的認識」と「東洋的認識」の違いを解き明かそうという試みを行っている。この本の魅力は真摯にその試みをしているところにあると私は思う。また、その真摯さに阿波師範も精一杯答えているように読める。そのことが本書を感動的にしているのであろう。

「不射の射」とは中島敦の『名人伝』に出てくる言葉だが、そうしたものを少しでも理解しようとする人にとっては、最高の書の一つであると読了後に考えた一冊であった。

(謝辞:i-watcher様のコメントに触発されて書いたものです。ありがとうございました。)
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# by seagull_blade | 2005-05-03 13:39 | reading lamp

山桜と上弦の月

敷島の大和心を人とはば朝日に匂ふ山桜花(本居宣長)
江戸後期の代表的知識人である本居宣長が、還暦の際に詠んだとされる句である。我々日本人にとって「花」といえば「桜」のことである。いつの頃からそうなったかは、筆者は寡聞にしてしらないが、江戸時代末期の品種改良によって生まれたソメイヨシノに限らず、平安の昔からの常識であったようである。
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さて、先日、私が稽古させて頂いている居合流派(水鴎流)の「合宿講習会」があった。異動となって無暗に忙しくなってきたが、そこはそれ、お客様との調整を済ませれば、割と自由にお休みの頂ける営業担当者である。喜び勇んで伊豆高原へお邪魔した。

稽古でご一緒させて頂いている方の車にて東名高速を名古屋方面へ移動する。すでに東京では桜は散ってしまっていたが、伊豆高原へ向かっているため、海抜が上がれば上がるほど、桜の花が残っていた。車中より花見をしながら、合宿所へ向かう。合宿所は山の中にあり、昼食を済ませた後、直ぐに講習会の開始と相成った。

集まった人数は凡そ70名。遠くはアメリカからも熱心に稽古されている方がいらっしゃり、筆者のいる東京組は「遠いなあ」という言葉を飲み込んだ。稽古場に出てみると、金髪碧眼の女性や、アラブ系と思われる、見上げるような大きな男性もいらっしゃる。年齢層もばらばらで、参加された最長老クラスの方は79歳、最年少は高校生位だろうか。居合を稽古させて頂いてから、本当に様々な出会いに恵まれている。性別、年齢は勿論、出身地も母国語も違う方々や、居合を通して以外に知合うべくも無い方々と共に汗を流すことができる。

宗家を始め、本部道場の方々の主催であったので、初めて間近で高段者や指導員の居合を拝見しつつ、ご指導いただいた。何しろ思い知ったのは「自分が如何に下手であるか」という事であった。忙しいとは言え、それなりに稽古しているつもりだったのだが、本部の方々は勿論、外国から講習会にいらしている方々の上手なこと。「あ、これはレベルが違う」そう考えて、偶々同室だった、ある最長老クラスの先生にひたすらついて稽古と指導をして頂いた。

「もっと胸を張れ!」「そうそう!」「どこを見ている!」「斬るべきところを斬れ!」「君のは野戦型だなあ。実戦ならそうなるかも知れないけれど、まず形を美しく出来なければ」
このような感じで、5時間ぶっ通しで稽古をつけていただく。我々は交代交代だが、指導して頂いている先生は70歳を超えていらっしゃる。しかし、厳しい表情のまま、疲れた表情一つせず、稽古をつけている。

既に周囲は夜となり、稽古場の側に咲く桜もひらひらと夜風に舞う。ふと我に立ち返って考える。空に月は無くとも70振りの刀が、あたかも細い上弦の三日月のように、綺羅綺羅と光っている。「あ、これはTB企画のネタだな」そう思って、暫時ぼおっとしていたのだが、急に背筋が寒くなった。

ここに参加している誰も気にしていないが、いくら広い稽古場とはいえ、70人以上の人間が刀を振り回しているのだ。そして筆者の刀は違うが、多くの人が真剣を使っているはずである。当然のことだが、刃に触れれば皮膚は裂け、血が迸る。刀勢があれば、腕ぐらい両断してしまう。そのことをみな当然として、受け止めている。

かつて、刀槍が実用品であったころ、その使い手たちは己の命が如何に儚く、脆弱なものであるかを良く知っていたであろう。武士であろうとなかろうと、死が身近にあるという状況で、己を例えるとすると、やはり桜に例えたかっただろうと思える。使い古された言葉だが「桜は美しく咲いて、直ぐに美しく散る。」そのギャップこそが、死を常に意識するものの共感を誘ったのではないだろうか。

ほんの少し、一人で或いは練習場で稽古することに慣れてきてしまっていた筆者だったが、この講習会合宿で、今一度緊張感を取り戻すことができた。
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vairousmoon様の「つきのくさぐさ」トラックバック企画参加の記事です。もう東京に桜は無いのですが、許していただけると幸いです。
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お月さまはいつでも空にいらっしゃいますが、
花は盛りのときがわずか。
雪・月・花と並び称される日本の美。
そのうちの2つを、春らしく味わおうではありませんか!

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# by seagull_blade | 2005-04-26 18:58 | swordplay
2月の人事異動により、システム開発・サポート部署から、Web-EDI導入にかかわる仕事をさせていただくようになった。これまでも営業支援的な仕事は多く、また一営業マンとして活動することもあるが、本職はあくまでもSEで、大抵、プロジェクトリーダとして開発プロジェクトを抱えたまま営業活動をしていたが、今回はWeb-EDI導入をメインとする純然たる営業担当である。個人的には「営業適性」はあると考えているし、実際、1ヶ月、仕事をしてみて、前よりもストレスが増加したとか、体力的に厳しいということは無い。従って、目下のところ嬉々としてあちらこちら飛び回っている。
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Web-EDIというが、この言葉はあまりに意味が広い。特に日本においては、IT系企業やコンサル系企業が専門用語で自らを粉飾し、実際に惑わされる対象も多い。端的にまずEDIを定義しておこう。EDIとは「Electronic Data Interchange」の略称で、「企業間電子データ交換」と訳される。早い話が、コンピュータネットワークによる企業間のやり取りである。広義にはE-mailによる企業間メールのやり取りもこれに含まれる。ただビジネス用語としてのEDIは、郵便媒体・伝票・FAXなどの紙媒体削減や転記作業、入力作業の軽減によるリードタイムの短縮、また書き間違い、入力ミスなどを防ぐデータ確実性の保持などを目的とした電子データ交換を指すことが多い。(ここでは狭義のビジネス用語として使用する。)では、接頭辞Webが付くと何を指すのかといえば、お分かりのように、インターネットを媒介とした企業間の電子データ交換である。

さまざまな業界でこうした取り組みがなされている。たとえば銀行業界では、インターネット経由で社員の口座へ給与振込を行うサービスがよく知られている。各社員の給与明細を入力したデータをインターネット上の銀行サイトへアップロードし、銀行側はそのデータを元に自動的に口座振替を実施する。また振替の明細も銀行から企業へインターネット経由で渡される。この場合の企業側のメリットは、企業担当者がかつてのように振替依頼明細を書く必要が無く、日々管理している給与・勤怠系自社システムのデータをそのまま転用することでの、業務効率化、および、銀行からの明細チェックや口座振替のスピードアップであろう。銀行側のメリットは、窓口業務が不要になることでの業務効率化、伝票転記などの入力ミスを無くすことでの、業務精度向上、自動化による運用効率の向上があげられる。

これらの取り組みは、20年以上前から既に行われてきたが、この仕組みを広げる上での最大のネックはコストであった。大型のホストコンピュータ同士を専用回線で結び、その上でデータ交換するという選択肢しかなかった時代、豊富な資金力を持つ大企業だけがこれらの仕組みを構築することができ、また、これだけのコストをかけてもメリットを出すことができたのである。また、大企業が中心の業界が最も取り組み易い環境であった。中小零細企業ではROI(投資収益率)を云々する必要が無いほど、高価な仕組みであったことは言うまでも無い。

ところが、2000年代に入ってパソコンとインターネットが爆発的な広がりを見せたことで、話は変わってくる。低コストで普及率も高く、専用回線に比べて大きな遜色も無いほどの接続速度をもつ回線サービスが一般家庭にまで普及し、社会的なインフラとしてインターネットが完全に定着してしまった。一介のサラリーマンが書いているこの記事もそのインフラ上で公開されるという時代である。ここで漸く、中小零細企業でもWeb-EDIの取り組みを行い、メリットを享受し得る時代が到来したと筆者は考えている。

さて、大企業が中心の大手銀行業界はともかくとして、総合スーパーや百貨店などの流通業界は、大量の取引先を抱えており、伝票や取引形態も多岐に渡る。名の通った百貨店でも、零細企業が生産する商材を扱うことは当たり前であり、大量に仕入れる大企業との取引であろうと、零細企業と行う、10個20個の取引であろうと「企画→発注→ピッキング→納品→検品→支払」というビジネスサイクルは変わらない。またそれに付随する手間も同じである。むしろ、スーパーや百貨店においては中小零細企業との取引の方が総体としては大きい傾向にある。

大規模小売店側としては、取引に付随する膨大な作業(確認や発生する書類、伝票類の発行・整理・管理、商材の振り分け等)を何とか軽減したいというニーズは潜在的に大昔からあったはずで、ただ、あまりに多い商材を扱わざるを得ず、それゆえにあらゆる業種・業界をまたがざるを得ない大規模小売店は、EDIという発想をそう簡単には持ち得なかった。それが2000年代に入ってからのPCとインターネットの爆発的な広がりの中で可能となって来たのである。

とはいうものの問題は山積している。まず、業種・業界ごとの標準的なフォーマットの違いである。銀行の入金伝票と郵便局のそれが違うように、アパレルに必要な商品情報と化粧品に必要な商品情報は異なる。ましてや食品ともなればさらに必要な情報は異なってしまう。それらを統一的に標準化しないことには、それぞれの業界向け、下手をすると特定の企業向けのEDIになってしまう。これでは膨大な取引先を抱える大手小売などは、とんでもないシステム投資をしなくてはならず、コスト削減というEDIのメリットを完全に食い潰してしまう。さらに、この統一化をどこか旗振り役を担うのかという問題がある。「Win-Winの関係」などとコンサルタントは簡単に言うが、お互いにメリットを得るのだから双方が費用負担をするとして、果たして何パーセントの比率になるのか・・・etc etc。
次回は、日本国内と海外における流通業界web-EDIの差異についてまとめてみたい。
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# by seagull_blade | 2005-03-21 14:25 | career

エチカ。(倫理の問題)

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スピノザの著した『エチカ』は、哲学科の適当な学生時代に「哲学演習」なる授業で、ちらっと読み、そして退屈して、単位が取れる程度の勉強をしていた。『エチカ』とは英語のEthicsから解るようにラテン語で『倫理・倫理学』を意味する。ボンクラ学生の頭ではその内容も読取ることが出来なかったし、絶対知やら神やらと「倫理(エチカ)」という言葉の間の関連性もうまく読取れなかった。結局それから『エチカ』を開いたことはない。

このところ、倫理というか、道徳と言ったらよいのか、ともかくそうした事をつらつらと考えていることがある。マスコミに登場する事件や諸問題(マスコミが問題化しているもの)の多くが、このETHEICSに関るものであるような気がするのである。

倫理・道徳と言われて、すぐに連想するのは、小学生時分に見せられた「道徳」の時間のビデオ教材だったり、陳腐な説教臭い物語だったりするかもしれない。少なくとも筆者はそうである。小学生向けの教材というのは一寸早熟な児童にとっては、「馬鹿馬鹿しい」と感じられることが多いと思う。また、教師は教師で、道徳の時間と言うものをどう扱っていいかわからず、国語の授業で代替するなど、結構軽視していることもある。児童や生徒は教師の力の入れ具合など簡単に見抜くから、ますます、『道徳』という授業と言葉が陳腐化する。

しかし、現在(2005年3月)、メディアで話題となっている、「某鉄道会社を中心としたグループ元会長」やら「新興IT関連企業と古参テレビ局の対立」やら「中東からの自衛隊撤退」やら「北朝鮮問題」など、ETHICSに関らない問題はないと思うようになった。なるほど、それぞれは、構造的な問題であったり、法律の不備であったり、国際情勢・外交の問題であろう。直接の当事者達は、色々な形で関るであろう。損得であったり、逮捕拘留であったり、国際政治であったりするのだろう。しかし、ニュースとして受け止める我々や直接の当事者でない人々(IT企業VS テレビ局における元首相など)としてはこれらのニュースを感情的側面で受取らざるを得ない。「どちらに理がある」「どうすべきだ」「ひどすぎる」etc…。

個人が持たざるを得ないこうした感情の動きに関る問題、また当事者にとっても根本的な問題である感情、そうした問題を扱う学問を倫理学(ethics // moral philosophy // moral science)と呼ぶ。誤解を恐れずに言えば、心理学の前身的な部分もある。

例えば、新興IT関連企業の某社長が別段違法な方法で会社乗っ取りを図った訳でもないのに、マスコミ上で非常に感情的な問題となっているのは、恐らく倫理学の範疇の話である。今朝(3/3)のワイドショーでコメンテーターが「彼の言っているのは資本主義のホンネですよね。でも、(世間は)それだけじゃないんだという事です。」と言っていた。この「それだけじゃない」部分、これは倫理に関る問題だということの別の表現であるだろう。世間を構成する我々であれば誰もが解っている事だが、「新興成金が本音を剥き出しに喋ると目障り、耳障りだ。やるのなら、礼儀をわきまえた服装・言葉遣いでやりたまえ。」と。

その批評・批判は全く本質的ではない。彼らの業務とも、法的な問題とも、金銭的な問題とも何のかかわりも無い。そんなことは誰でも解る。言っている当の本人だって充分解っているのだろう。しかし、何かが引っかかる。当事者が彼の感覚からしてみれば「若い」ということ、それでいて全くマスメディアの大好きな「庶民」でも無ければ「若者」でもない。それに対する嫉妬。そして、世代間の対立を煽るような発言が、彼とその背景にいる世代が心の中で感じている「グローバルスタンダード」なる物への引け目を刺激すること。これらの事を某社長は明確に言う。そこで彼は「金(=力)があるのはよい。その力を行使するのもよい。だが、もう少し、私の感情を逆なでせずにやってくれ」と思うのだろう。

この感情の問題は小さな問題ではない。少なくとも筆者はそう思う。古来、あらゆる意味でのPOWER(=力・暴力・権力・財力)を持った人々が直面した問題である。アテネのペリクレスもローマのカエサルも、世間とどのように折り合うのかと言う問題と真正面から取り組んだ。どこまで世間や大衆が許してくれるのか。どうすれば喜ぶのか。世間にとって何が善で、何が悪なのか。それは自分たちの持つ善悪の判断と異なるのか。そうした諸々の感情や感覚を体系化しようとする試みが倫理学であり、体系化し得たと信じたのが宗教であったと筆者は考えている。

意識的な宗教基盤が薄れ、殆ど意味を失ってしまった現在の本邦に於いて、倫理と道徳の指針となるものはなかなか無い。一応マスメディアは『庶民感情』などと言うものを造りだし、代用しているが、受け手である我々とて、それは我々に阿っているだけであることくらい見抜いている。それでは、どこにその指針を見出せばよいのだろうか。

またしてもマキアヴェッリに触れるようで恐縮だが、『君主論』は倫理から政治やリーダー論を独立させて考えたことによって、返って倫理を浮かび上がらせていると筆者は考える。倫理とは単なる善悪の問題ではない。

某IT企業の社長の振る舞いは、告白すれば筆者は決して嫌いではない。だが、同時に『君主論』の一節を思い出さずには居られなかった。

「君主は様々な善なる性質を持っている必要はない。だが、それを持っていると人々に思わせることは必要である。」(君主論)
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# by seagull_blade | 2005-03-03 13:39 | philosophism
このところ、更新頻度が非常に落ちているにも関らず、アクセス数はずっと変わっていない。楽しみにして頂いている方がこれほどいらっしゃるのかと思うと本当に心苦しい次第である。是非とも時間を作って更新しなくてはと思いながら2週間以上経ってしまった。お待ちいただいた読者諸賢にはお詫び申し上げると共に、今後も気が向いたら、是非覗きに来て頂くことをお願い申し上たいと考えている。

居合などの古武道を嗜むと、「侍」や「武士道」という言葉をよく耳にする。特に武士道という言葉は、武道関係者からではなく、友人や周囲の特に武道や武術と縁のない方々から聞くように思う。2003年に公開された映画『ラスト サムライ(The Last Samurai)』や『たそがれ清兵衛』、或いは大河ドラマ『新撰組!』等で、一種ブームとも言うべきものとなっている。こうした流れを「右傾化」とか「ニッポン万歳」という向きもあるが、そうしたことはさて置き、「武士道」という言葉について思うところを述べてみたい。
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『ラスト サムライ』の主演トム・クルーズもインタビューにて「新渡戸稲造の『武士道』は何度も読んだ」と述べているが、「武士道」という言葉で最初に思いつく参考書の一つに、旧5000円札の肖像画で知られる、新渡戸稲造の『武士道』が挙げられるだろう。よく知られているように、新渡戸『武士道』は本来、イギリスやアメリカを中心とした欧米に対して、日本の道徳を紹介するという趣旨で書かれ、原題は「Bushido ,The Soul of Japan」という英文である。筆者も一読したが、現代の我々が考える武士道の徳目が網羅されているように思う。裏を返せば、新渡戸の『武士道』という著作が我々の武士道についてのイメージをある程度決定しているとも言えるだろう。

もう一つ、著名な書を挙げるとすれば、山本常朝の『葉隠』であろうか。九州佐賀の鍋島藩士、山本常朝が鍋島藩士の為に侍としてのあり方、心構えを口述したものをまとめたもので、「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」というフレーズがよく知られている。三島由紀夫によって「葉隠入門」が書かれ、よく右翼的思想と結び付けられる書籍であろう。尤も三島由紀夫が単純に「右翼」という言葉で片付くような男ではないと筆者は考えているのだが。

さて、筆者はこの「武士道」という言葉には愛憎両端な感覚を持っている。狂的な右翼のイメージ或いは、それらの言動の後ろに、頻繁に引用される言葉であることから、「押し付けがましい道徳」「時代錯誤的道徳」という感覚がある。その一方、現代日本という恵まれた環境に生きる我々にとって、どこか名状し難い魅力があると筆者には感じられる。この「名状し難い魅力」というのはどこから来ているのだろうか。

新渡戸稲造の著作『Bushido ,The Soul of Japan』は、「キリスト教やイスラム教というような宗教的な規範、倫理基準の無い日本で、どうやってモラルを育てているのか?」という西洋人の問いに対する答えという側面があると筆者は考えている。現在においても、religionの項目に「無宗教」と答える日本人に対して、「神(GOD)が存在せずにどうやって善悪の判断をするのか?」という素朴な問いが問題になることがある。新渡戸はその問いに、「日本には武士道という倫理規範がある」と極めて単純化して言えば答えた。

しかし、普通に考えれば、「武士道」というのは武士という階級の規範・倫理であるはずで、日本全体に一般化して語ることは無理のあるものである。士農工商とはいうが、「農工商」にあたる8割以上の人間が守るべき規範であったかというと、決してそのようなことは無い。「喧嘩両成敗」にせよ「切腹」にせよ文字通り「死」がその規範のバックボーンとしてあるものが、日本において一般的な規範になり得るとは思えない。やはり、新渡戸は南部藩の武士として生を受け、当時を代表する知識人であった新渡戸にとって、武力においても文化においても圧倒的(と思われた)欧米列強に伍する為に、日本国民の規範がどうしても欲しかったのであろうと思う。その中で、儒教でもなく、神道でもなく、武士道をその規範に置いたのは、騎士道精神というものを持つ西洋人に対して最も説明しやすい概念だったのではないかと思ったりもする。本当の意味での「武士道」は武士階級が滅びたと同時に滅びたのである。

『葉隠』の言葉ではないが、戦場を駆け回り、人を殺す事が商売であり、泰平の江戸時代にあっても建前上はそうであった武士という存在は、当に生死を賭けることが、己の存在を証明する手段という特異な精神状態を常に保持する為の倫理を持っていたと筆者は考える。居合の稽古などで真剣を構え、それを腰に帯びると、なんとも表現の仕様の無い緊張感がある。脇差であろうと長刀であろうと、一度、肌に刃が触れれば、肉を切り裂き、血が吹き出る。そういうものを常に腰に帯びている武士が生きていくための規範は、異常なまでの緊張感と、ある種の居直りの中にあったのではないだろうか。

文字通り「クビ」が「斬首」を意味し、「切腹」が「刃を腹につきたてて死ぬ」という世界に置いて、己の精神を正常に保つ為には「死ぬ事と見付けたり」と居直り、姿勢を正すより他に無かったに違いない。「生死を賭けて己の存在を問う」このような異常なまでの緊張感の中で練られた精神の残り香が、現代に生きる我々をも魅了する魅力を未だ保っているように思う。繰返しになるが、武士と共に「規範」としての武士道は滅んだ。残り香としての武士道は「美学・ダンディズム」として存在するしかない。しかし美学であるが故に細々としかし綿々と魅力だけは生き続けている。
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# by seagull_blade | 2005-02-14 21:21 | philosophism
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先週あたりからコンビニの前を通ると「恵方寿司」や「節分豆」など、もうすぐ節分であることを意識させるポスターや幟があったりする。節分といえば「豆と鬼」。少し、鬼について考えてみたい。

今時の修学旅行は、北海道や沖縄、はたまた海外とあるようだが、筆者が中高生の頃の修学旅行先と言えばどちらも京都・奈良で、有名な神社仏閣をあちこち廻った記憶がある。神社に神像があることは少ないし、神体はそうそう公開しているものではない。しかし、お寺のご本尊は、秘仏で無い限り割と公開しており、有名なお寺などでは拝観料を納めて見学させていただく事が多い。その頃から薄っすら疑問だったのだが、如来像や菩薩像はともかく、明王や天部の諸尊や神々は恐ろしい姿をしていることがあるのだろうか。

調べてみると、明王(不動明王など)はいくら優しく説明しても、諭しても、話を聞こうともしない人々(「難化の衆生」)に対して、強制的に煩悩を破壊する為に、如来がとる姿(化身)とのことである。これを特に「教令輪身(きょうりょうりんじん)」と呼ぶ。これはよく解る。親が子供に対して怒って見せる姿(憤怒形)に例えてもよいであろう。へそ曲りや居直ってしまった人間に優しい言葉は余り意味をなさない。場合によっては、怒ることも大いに必要なことだろう。

天部の諸尊はバラモン教やヒンズー教の神々が仏教に取り込まれた姿であるとのことである。本来、サンスクリット語で「deva」と呼ばれた神々である。少し脇道に逸れるが、サンスクリット語はインド・ヨーロッパ語族に属す言語で、フランス語の「dieu」、イタリア語の「dio」、ラテン語の「deus」と同義(類義)の言葉であるらしい。インドにおける神々はシヴァを始めとして破壊神や戦闘神も多い為、恐ろしげな姿も理解できる。

だが、例えば庚申塔に刻まれる「青面金剛(しょうめんこんごう)」はどうであろう。筆者の住む東京でも割とあちこちに見られる。道祖神のように街中に見られ、観音像のような姿だが、三面六臂で憤怒形であったり、武器を手にしていたり、と不思議な姿をしている。調べてみれば、青面金剛は疫病を蔓延させる神であるらしい。また、各地ある、天神社は表向き学問の神であるが、怨霊である「菅原道真公」を祀っている。よく知られる天神像は衣冠束帯の姿をしているので、さほど恐ろしげではないが、よく観察すると、両目を見開き、眉を怒らせた憤怒形をしていることが多い。怨霊神としての道真公は、破壊をつかさどる雷神であり、疫病を蔓延させる神でもある。疫病を蔓延させる神でありながらスサノオと習合され、京都八坂神社の祭神である牛頭天王(ごずてんのう)など、神でありながら本来疫病や災禍をもたらす存在として崇められている神は多い。そうした神々はやはり恐ろしげな姿をしている。彼らは神でありながら、鬼であり、日本的な意味、即ち我々が思い描く意味での「鬼神」と呼ばれる存在であると筆者は考える。

本邦には、キリスト教的な意味での悪魔(devil)は存在しない。キリスト教的な意味での悪魔とは諸悪の根源であり、善なる神と対立し、世界を混乱、破滅させる汚らわしい存在と理解してもよいだろう。善悪二元論に還元される神や悪魔は、我々日本人は想像しなかった。(「天魔」があるではないかという反論が聞えてきそうだが、天魔は仏教の四魔の一つ、「他化自在天魔=第六天魔王」のことであり、所謂「悪魔」とは格が違う。人間の住む世界よりも上位に住む「魔」である。)我々にとって、神とは「善悪どちらの方向でも、飛びぬけた力を持った存在」であるらしい。それ故に、一見形容矛盾であるような「鬼神」という語彙が自然に存在するのだろう。勿論「鬼」や「神」は本来中国語であって、よく知られているが「鬼」は日本人の考えるところの死者或いは死霊である。また、「神」はキリスト教におけるような神ではなく、「神秘的」「(動物的・物理的に対しての)精神的存在」という意味であるようだ。なお、英語における「THE GOD」は中国語では「天帝/上帝」と表現されることが多いようだ。

中国語の「鬼」ではなく、日本語の「鬼」には、当然ではあるものの「飛び抜けた/度外れの」という意味が未だに生きているようである。前時代的で恐縮だが、「死して護国の鬼とならん」というような表現や「仕事の鬼」、「語学の鬼」、「野球の鬼」等の表現に表されるようにけた違いの力を持った存在を「鬼」と呼ぶ。鬼を「神」に置き換えてみても良い。ニュアンスは異なるが、更に「桁外れの」存在となるだけで、ほぼ同義であろう。また、若い世代が使う「鬼のように~」という表現も「物凄く」という言葉の言い換えであり、世代が変わろうとこの言葉のもつ意味はそれほどぶれてはいないようである。(英語においては「Demon」が同じようなニュアンスを持つらしい。)

これらの事柄は、現代日本に生きる我々には無関係なようだが、三島由紀夫氏が1970年に割腹自殺をした際、神社に祭神として祀るという話があった。これには紆余曲折があり、沙汰止みとなった。しかし、飛び抜けた精神性を持ち、割腹自殺というセンセーショナルな最期を遂げた氏を神に祭り上げるという考え方は、良くも悪くも、古代から続く「日本的」感覚が今も生きている証拠であるように筆者には思える。三島由紀夫氏の評価は色々あるだろうが、単純な「善神」ではあるまい。とは言え単なる「悪神/悪魔」でもないであろう。

とは言え、「鬼」=「悪」というニュアンスは明確にある。次回はこのあたりから考えてみたい。
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# by seagull_blade | 2005-01-23 20:36 | philosophism

伝えられてきたもの。

松の内も過ぎてしまったが、2005年最初のポストである。本年も変わらぬご愛読の程、お願いしたいと思う。年末年始は、筆者のいる流通関係業界では、年間で最もバタバタしている時期だったりする。筆者にとっては喜ばしいことに毎年恒例の百貨店「福袋」は素晴らしい売れ行きを示した。バタバタしているのも嬉しい悲鳴ということで自分を納得させて、今年も頑張ろうと思う次第。

昨日8日、初稽古に参加した。年始で仕事はしていたものの、稽古をすっかりサボっていたので、今日は階段の上り下りが苦痛なほど筋肉痛である。情けないことではあるが、また身体を作り直さなくてはならない。昨日の稽古はいつもの稽古場ではなく、筆者の先生の先生にあたる方のところまで出かけた。(仮にN先生とさせていただく)場所は横浜市鶴見区である。正月でもあり、練習の後に初詣に行く約束事もあったので、ウールで濃紺の長着に白い角帯、茶色い正絹の羽織という格好で稽古場へ。体育館の入り口がわからず、うろうろしていたら、「こっちこっち」と声が掛かった。見るとN先生が満面の笑みで入り口を指差している。N先生とは一昨年、日本武道館にて行われた古武道演武大会でちらっとお会いしただけだったのだが、筆者の顔を見るなり、「おお、お会いしたことがありますね」とにこやかに話し掛けて下さった。
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覚えていただけているとは思っていなかったので、とても嬉しい。こういう一寸した感動は、社会人となってから余り得ないものであるのでとても貴重である。実際、居合を始めてから、「利害関係の無い」方々を知古として得られる事が、身体を鍛えることや技術が上達することよりも、筆者にとってはなにより楽しいことである。私の直接師事している先生(40代)を始めN先生(60代?)や同門の方々(10代~70代)、若手俳優や女優の方々、勿論、流派を超えてお付き合いいただいている方々など、会社生活だけでは得られない性別、年代、業界を超えた交流はとても大事な財産である。

「いらっしゃい、着物で来るとは思わなかったよ」「刀が無ければ落語家に見える(笑)」「せめて若旦那と呼んでください(苦笑)」ご挨拶かたがた、N先生や門下の先輩方にご挨拶申し上げて、早速基本練習へ。こちらの練習場も小学校の体育館をお借りしている。冬の体育館は、思い出していただければよく解ると思うのだがやたらと寒い。ストレッチを確り行ってから少々キツイが400本程度の素振りを行う。流石にこれだけ行えば寒さなど殆ど感じなくなる。

練習参加者はN先生を含めて7名であった。こちらに初めて伺う筆者とベテランだが忙しくて久しぶりに参加されるという門下生の方をN先生に見ていただくグループと、それ以外のこちらの門下生のグループに分かれ、形稽古を始める。

いつもの稽古場には様々な流派の方がいらっしゃるので、細かいが基本的な作法(刀礼・血振り・納刀など)をあまりうるさく言われない。筆者の稽古不足や認識不足もあり、この辺りが雑だったらしく、「刀礼」から注意されつつも丁寧に教わった。特に「納刀」ではこんなやり取りがあった。「あれ?もう一度やってみてください」「はい」「君の納刀は誰におそわりましたか?」「おそらくKさん(筆者の師匠)だと思いますが」「いやそれはないね。もしかして無外流の人に教わらなかった?」「あ、そういえばそうかもしれません」「そうでしょう。」N先生はまたニッコリ笑って丁寧に実演しながら教えてくださる。筆者の作法はいくつかの流派が混ざった雑流であったらしい。「その納刀でもかまいませんが、折角こちらにいらしたのだから、覚えてください。」こう言われ、やってみるのだがこれが不慣れで不恰好である。「そうそう。今に慣れますよ。」「精進します。」

一人の先生にじっくり教わることは重要なことだが、別の方にご指導いただく事も重要である。いつも行っていることを別の角度から捉えることができる。これは芸事や武術・武道に限らず、仕事の上でも大切なことであろう。

さて、水鴎流は立技や組居合の充実している流派であるようだ(他の流派について余り知らないのでこう書かせていただく)。筆者が普段通う稽古場では立技と組居合を中心に練習している。その為、正座した状態からの技を筆者はあまり稽古していない。この「正座した状態からの居合」というのは、帯刀した状態で正座すると言うことが歴史的には無いとされ、(正座する場合は刀を自分の右側に置くことが礼儀である。)事実、旧帝国陸軍の流派である「戸山流」や明治期に創始された「警視庁流」は立技のみであり、実用一辺倒ならば、不要であるという議論もある。しかし、各流派に現代まで伝えられてきているものであるからには、意味や意義があるはずである。勿論、水鴎流にも基本的な動きのものから複雑な動きのものまで、多くの座り技がある。N先生に正座の仕方からご指導いただき、最も基本的とされる五本の技を学ぶ。

立居合とはかなり勝手が異なり、あまり稽古していない筆者には相当難しい。抜刀、抜き付け、納刀もさることながら、膝を曲げた状態での足捌きがこれほど難しいとは思わなかった。足の指を立てるタイミング、体重移動など、立技よりも失敗すると無様である。これほど難しい(筆者だけかもしれないが)ものが、理由無く400年以上伝えられる筈も無いと筆者は思う。古くから伝わるものは、なんであれ一見無意味と思えても重要な意味や意義があることが多いのではないだろうか。ともあれ、意義や意味など考えるのは、「100年早い」と怒られそうである。まずは日々精進である。昨日の稽古はとても短く感じる2時間であった。
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# by seagull_blade | 2005-01-09 14:32 | swordplay

Isn’t It Communism?

Total Optimization…『全体最適』。SCMの背景にある考え方で、調達から販売、アフターケアまでの流れを全体として管理し、スループットの最大化をはかり、過剰在庫や販売機会の損失を極小化する考え方。複数の企業にまたがった業界全体でも、単一の企業内でも使用される言葉。(⇔部分最適)
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先日、ex_import様のブログ「addition subtraction」で『SCM』という言葉が取り上げられていた。 ビジネス書や日経新聞などにもここ数年盛んにSCMという言葉が載っている。SCMとはSupply Chain Managementの略語であり、供給鎖管理とでも訳せば良いのだろうか。要するに、消費者へ商品を届けるまでの流れシステムとして捕らえ、管理し、最適な供給を図るというもので、「全体最適」のより具体化した概念と言える。あるいは全体最適の達成された一つの理想形である。ポストされたex_import様の記事を拝読して、『SCM』から『全体最適』というビジネス用語を連想した。

さてこの『全体最適』というビジネス用語が現在あちこちで濫用されている。筆者の働く職場も例外ではない。反意語は『部分最適』である。読んで字の如く、部分最適とは、特定の企業・部門・部署(部分)にとって最適な環境をその特定の企業・部門・部署が作り上げるという意味である。『全体最適』という言葉が盛んに言われるのは、それぞれが勝手にそれぞれの最適な環境を作り上げることによって全体(業界・企業)の流れが妨げられるということが問題視されているからだ。従って論調としては「『部分最適』ではいけない。目的・目標を見据えて『全体最適』を考慮すべきだ」というものばかりが目立つ。(全体最適を『全社最適』と言い換えることも多い)

だが、本当だろうか?本当に部分の効率追求が全体にとっての不適になるのだろうか?「部分最適を追求すること」が即ち「全体最適を追求すること」という図式が成り立つことが、正しい意味での全体最適なのではないだろうか。数限りないビジネス用語の中でもとりわけこの『全体最適』という言葉は、嘘とは言わないまでも、無意識或いは恣意的に間違って使用されていると筆者には思える。例えばSCMにおいて『全体最適』の名のもとに特定の企業に大きな負担を強いる。(モノが売れないご時世、この高負荷を受ける企業は製造、卸など「商品の流れ」の川上に位置付けられる企業である)または、業務として止むを得ずに残業が多くなる部署に対しての、残業費カットの言い訳など。

筆者には『全体最適』という考え方が、20世紀最大の実験と言われた、社会主義的計画経済によく似ているように思える。つまり、5年・10年を予測し、計画的に経済をコントロールし、成長しようとする試みである。そして、ご存知の通り、全体最適どころか部分最適さえ達成できず、それぞれの部分が考えられないほどの非効率に陥り、これは見事に破綻した。そもそも一国の経済のような大規模なものを正確に予測し得るという事が甚だしい思い上がりであったし、我々は常に『全体最適』を意識して働く事が出来るような高尚さは持ち合わせて居なかったと筆者は考えている。

『全体最適』を強調しすぎることは、この「社会主義的計画経済」と規模こそ違うが相似形を描いているのではないだろうか。少なくとも『全体最適は善』、『部分最適は悪』とするような論調は、眉に唾して読んだほうがよさそうである。問題の本質は「部分最適の積み上げが全体最適とならないことがある」という点である。例えば極端なセクトイズムや最も影響力のある企業に何もかも合わせてしまうようなSCMにこそ、「全体最適」というビジネス用語を使って論評すべきであろう。

筆者は「全体最適を考えろ」と言われて、反論せざるを得ない場合(大抵は反りの合わない上司だったりするのだが)、「オートポイエーシスという言葉をご存知ですか?」などと言って問題を摩り替えてしまう。まるっきり門外漢の筆者には『オートポイエーシス』がどのような理論であるのかは正確には解らないが、凡そ次のように理解している。生命をシステム的に捉えた理論の一つで、自己創造という概念。生物の神経系が設計図無しに自己創造されていくのを参考に、最近では社会科学や組織論でも利用される。例えば、サッカーを例にとると、それぞれの選手は(作戦という大枠はあるものの)それぞれのポジションで最適な動作を己の判断で自主的に行っているだけである。ゲームの流れ自体は台本という設計書があるわけではなく、選手たちがそれぞれのポジションで最適な動作(自己創造)をすることで、チーム全体としては、最も効率的に「得点を得る」「失点しない」という目標を達成する。そしてゲームという設計書のない流れが出来上がる(自己創造される)わけである。大雑把かつ強引な説明ではあるのだが…。そして、議論を煙に巻くようにしている。(勿論、従って「部分最適の積み上げが全体最適になるようにあんたが努力しろ」と暗に言っているのだが。)

企業経営や業界の発展は全体最適を追求すべきというのは正しい。ただこの言葉の使い方を間違えると、計画経済の轍を踏むような気がしてならない。SCMなども正確な需要予測を暗黙の前提としていたりする。このあたりにも例の相似が見え隠れする。全体最適やSCMと言った言葉を濫用したがる経営者は、言葉の使い方が間違っていないか考えたほうが良いと思う。勿論、恣意的に言い訳として使用する分には何とも言い様がないのであるが。

さて2005年はどのようなビジネス用語が流行するのだろうか。

Fashion comes and goes, but style is forever.
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# by seagull_blade | 2004-12-29 21:17 | career
過日、今年(2004年)4月から開始した本ブログが10,000ヒットした。始めた当初は、まあ年間で3,000も記録すればまずまずと考えていただけに、正に「望外」の喜びである。心よりご愛読を感謝する次第。拙文も楽しみにして頂いている方がいると思うと、更新頻度の低さが非常に心苦しい。平にご容赦願うのみである。

年の瀬となり、毎年の事ながら「光陰矢の如し」というのは本当だと実感する。この時期になると例年話題のNHKだが、今年は様々な意味で話題となっているようだ。この面の感想、批評はTVで盛んに為されているので、私は沈黙することにして、来年の大河ドラマに繋がる話でも書いてみたい。
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とは言いながら、大河ドラマを見なくなって久しい。最後にストーリーが解るほど観たのは『翔ぶが如く』である。調べてみると90年の放映であった。それ以降は殆ど観ていない。『秀吉』は少し観たような記憶があるのだが。2004年の『新撰組!』は縁あって、出演した役者の一人が私の通う稽古場に出入りしているので、彼が出演している放送だけを観た。(本人に断っていないので誰とは言えないのだが)感想は書かない。

さて、2005年は『義経』である。私は日本史の知識が抜け落ちており、(単なる知的怠慢なのだが)これを少しでも埋める為、社会人になってから大河ドラマに採り上げられたテーマ周辺について書かれた書物を数冊程度だが読むことにしている。タッキーとマツケンサンバか…とは思いつつ、折角なので、『義経』についての本も読んでみることに。天邪鬼とは言わないまでもへそ曲りではある私は、大河ドラマの原作本である『宮尾本 平家物語』(宮尾登美子著:朝日新聞社刊)ではなく、司馬遼太郎の『義経』を通勤時間の友とした。

「司馬遷には遼に及ばない」という謙遜、或いは司馬遷に己を比する自信をペンネームとした司馬遼太郎作品で、私が最初に読んだのは『国盗り物語』であった。中学生だったと思う。司馬史観と言われ、読み手の考え方に影響を与えずにはいない氏の本をご多分に漏れずよく読んでいた。『跳ぶが如く』『竜馬が行く』『燃えよ剣』『この国のかたち』など…。今となっては司馬史観を全面的に肯定する訳ではないが、何となく歴史小説を探す際には「司馬遼太郎」と書かれた背表紙を探してしまう。

『義経』はその出生から死までを描いているが、義経の最盛期を中心に採り上げている。敢えて感想を一言で述べれば、「随分と主人公である『義経』に点が辛い」という印象であった。筆者は文中で義経を「政治的痴呆」と言い切っている。司馬氏は別の著作の中で「平和とは手脂がべた付く手練手管を必要とする」という趣旨を述べている。この観点からすれば、源義経という人物は、そういう手練手管を一切理解できないというところに特徴があるのだから、点も辛くなるというものであろう。また、太平洋戦争へと向かう昭和初期に義経公は、大いに戦意向上に利用されてしまった為に、戦車兵(だったと記憶しているのだが)として従軍され、シベリアでも抑留された司馬氏にとって、義経公はあまり美化したくない対象なのかも知れない。とは言えそこは司馬遼太郎氏、読み応えも充分にあり、私にはなかなか面白かった。

司馬遼太郎氏の『義経』と他数冊の書物を読んだだけで、評論を書くほどの知識が無いのを承知で、少し「源義経」という人物について考えてみたい。「判官贔屓」という言葉がある。ご存知の通り、これは「源九郎判官義経」を兄であり鎌倉幕府の元首である「源頼朝」よりも好むということを語源としている。辞書には「〔源義経が兄頼朝に滅ぼされたのに人々が同情したことから〕弱者や薄幸の者に同情し味方すること。また、その気持ち。」(三省堂提供「大辞林 第二版」)とある。

確かに、司馬氏が相当に点を辛くして義経を表現しているのだが、もし私が同時代人として身近に感じていたとしたら、抗い難い魅力があるのではないだろうかと思えてしまうほど、義経公は「純粋」である。兄である頼朝公はそれに引き換え、なんと「不純」な事だろうか。現代に生きる後世の私は、その後の歴史を知っている。それ故にこそ結果から判断し、頼朝公の方をより評価し、好むものだが、同時代人だったとしたらどうであろう。鎌倉幕府の元首として、政治的判断で弟である「義経」「範頼」を殺し、その首を前に「悪は滅んだ」と呟く頼朝公を理解し、好きになれるであろうか。恐らく答えは否であろう。

義経という若者は、軍事的には100年に一度という天才だが、世知が殆どない。血を分けた兄である頼朝公のために働き、大戦果を収めたと言うのに、なぜその兄に疎まれ、挙句に殺されるのかを恐らく最期まで理解しなかった。実際には「奇蹟的勝利を呼ぶ天才」「頼朝公に並び立つ資格のある者」という義経を政敵(「日本一の大天狗」と頼朝が言ったと伝えられる後白河法皇)に利用させまいという純粋な政治的理由である。それが理解できないからこそ、義経は魅力的なのだが。だが、もし、頼朝公が兄弟の情けから義経公を助けたとしたらどうだったであろう。均衡政策をとるフィクサー後白河法皇に操られるまま、頼朝公と対立し鎌倉時代は成立せずに内乱が続いたかも知れない。

義経公のようなパーソナリティは往々にして多くの人に愛される。特に我々日本人は頼朝公や後白河法皇のような「不純な」政治家を嫌い、子供のような「純粋さ」をもつ人格を好もしく思うらしい。勿論、私も例外ではない。だが、「純粋」という言葉は何ともいえない危険な香りを持っている。昭和初期の青年将校は「純粋」ではなかったのか?日本赤軍の学生は「純粋」ではなかったのか?凶悪事件を起した少年たちを弁護する言葉に「純粋さ」が多用されてはいないだろうか?それを考えると(大げさだが)大河ドラマ『義経』がどのように世間に評価されるのか、また「源義経」という人物が思い出された時にどのように評されるのかに大いに興味がある。私はそんなふうに、多少「不純」に来年の大河ドラマ人気を考えている。
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# by seagull_blade | 2004-12-25 14:17 | reading lamp

1599年ローマにて

その日、かつてハドリアヌス帝廟として建てられ、政治犯の牢獄であったカステル・サンタンジェロに通じる橋、ポンテ・サンタンジェロには、執行される処刑に多くの人々が集まっていた。処刑されるのは3人だったが、群集が見たかったのは、美女の誉れ高いベアトリーチェであった。罪状は「殺人」それも「親殺し」である。
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彼女の父親はフランチェスコ・チェンチという名であった。小鳥と語らったという優しい聖フランチェスコの名を持ったにも関らず、このイタリア貴族はサディストであったらしい。チェンチ一族はローマの名門に属する貴族で、相当な資産家であった。フランチェスコは往時のイタリア貴族にありがちな放蕩者で、家庭においては典型的な暴君タイプであったという。彼には5人の息子と2人の娘があった。

イタリアにおいては、現在でも姿かたちで貴族であるか否かが大まかに判るほど、貴族と非貴族の容姿が違う。美女を集め、北方のドイツや北フランスといったサクソン系の人種と混合が進んだ貴族たちは、一般的にそうでないものに比べて背が高く、容姿も優れている。とりわけチェンチ一族は美形の家系だったのかも知れない。

2人の娘のうち、妹のベアトリーチェは幼少時から美しかった。14歳、当時では結婚してもおかしくない年頃になると、輝くばかりの美少女に成長した。彼女は幼い頃から父親の暴力の下で育ち、早くどこかに嫁いで、一刻も早く地獄のような家庭を去りたいと考えていた。そのための条件を彼女は完璧に備えていたに違いない。(少々、情緒不安定で暴力傾向があるとは言え)有力貴族を父に持ち、花のように美しい彼女には、求婚者も多く居ただろう。しかし、彼女の願いは実現しなかった。

彼女の姉が嫁ぐとフランチェスコの精神状態は更に不安定になり、ますます暴力性向を強めていった。フランチェスコにはルクレッツィアという後妻がいたが、彼女でさえも堪えられないほどになっていた。ベアトリーチェは既に家を出ている兄たちに助けを求める手紙を出したが、それをしったフランチェスコは激怒し、狂気の中の孤独に耐えかねたのかもしれないが、己の宮殿の一室にベアトリーチェを監禁してしまった。そして腕ずくで純潔を奪った。

ベアトリーチェは堪えるのをやめた。それまでは、「それでも父親だ」という思いがあっただろうが、辱められたことでそれさえも吹き飛んだ。そして継母ルクレッツィアと兄たちと共にこの暴君を取り除くことを決意した。2年間陵辱に耐え、機会を伺っていた。

手筈はこうである。家来の二人に金を握らせ、父親に阿片を飲ませる。阿片はダウナー系の麻薬である。仮に目を覚ましたところで、意識は朦朧とし、抵抗することは出来ない。更に継母と共に棒(火箸)で刺し殺す。更に偽装工作として寝室の窓から死体を落す。例によって錯乱した父親が勝手に窓から転落死したことにする為に。そしてその通り実行した。

しかし、この偽装工作は上手くいかなかった。他殺であるのは明らかであるからだ。鋭い大針はフランチェスコの眼から脳を貫き通し、いくら引き抜いたところで、その大穴は隠しようがなかった。また、資産家であったこともマイナス材料であった。この種のスキャンダルは一家を取り潰し、財産を没収する為の格好の口実であったからだ。

ルクレッツィアとベアトリーチェ、そして実行犯うちの一人は捕らえられ、厳しい尋問と拷問に掛けられた。当時の警察機構は、魔女狩りに代表される異端審問に見られるようにどうしようもなくサディスティックなものであった。それでもベアトリーチェは最後まで無罪であることを主張し続けた。市井の民は彼女たちが行った事が正当防衛であることは判っていたが、裁判所の出した結論は「斬首刑」であった。

その時の彼女は、命乞いをすることも無く、辛すぎた人生を早く終わらせたいかのように毅然とした態度で断頭台に消えた。このときベアトリーチェは16歳であったという。



近頃、性犯罪のニュースをよく耳にする。使いたくないが「外道」としか言い様の無い犯罪が多いと筆者は思う。カマトトぶるつもりは無いが、抑制の効かない外道が多すぎる。

やりきれない思いはいつの世も変わらない。400年間、我々男たちは大きな進歩を遂げていないらしい。少なくとも、生物学的には。

ゴルドシュミットの「歌劇:ベアトリーチェ・チェンチ」を聴きながら、そんなことを考えた。

筆者に出来ることは、被害者の救済とまた亡くなられた方のご冥福を祈る事だけである。この無力感はどうしようもない。
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# by seagull_blade | 2004-12-10 15:21 | philosophism

British Swordsman

先日の稽古に、ある門下生の英語の先生だという英国人の方が見学にいらっしゃった。見学だろうと、希望しない限り、稽古に参加させてしまうわが稽古場の師範は当然のようにその英国人にも参加していただいた。尤も彼も興味があるから見学にいらした訳で、喜んで参加していただいたように思う。190cmはあるかという長身、ブラウンとブロンドの入り混じる髪と髭はいかにも(我々のイメージする)英国的風貌である。年のころは20代後半から30代前半というところ。
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お互いに片言の日本語と英語にて自己紹介が終わり、まずは刀礼から。稽古の前に行う「刀礼(とうれい)」は居合や剣道に限らず、日本の武術・武道には付物の礼である。付物とは言え「礼」は非常に重要であるのだが。水鴎流の場合は、三つ指をついての刀礼と神前・上座への礼がある。稽古の前には三つ指をついた刀礼を行うのだが、まず、正座が非常に苦しいらしい。足がしびれるのは我々とて同じなのだが、彼は膝が辛いようである。前にこのブログへningyo-hime様から「日本人の膝と外国の人の膝は構造自体が違っている」という趣旨の新聞記事をお読みになった旨、コメントをお寄せいただいた。子供の頃からの習慣が違うからそんなこともあろうと考えていたのだが、目の当たりにすると「おお、本当なのだ」と妙に納得した。

仕方が無いので、神前への刀礼を覚えていただき、通常の刀礼の代わりとして稽古を開始した。当日は『組居合』の稽古を重点的に行った。従って、英国の方にも「組居合」を体験していただく事に。前にも記したが組居合とは「仕太刀(したち=勝方)」と「打刀(うちたち=負方)」に分かれ、定められた形を演武するものである。(組居合はブラスチック(塩ビ)製の鞘付き木刀を使用する。)筆者と稽古場の先生は早々に9本の形を終え、英国人とその英語の生徒である門下生の方に付きっきりで、四苦八苦しつつ教えた。

長身の彼が持つと常寸(2尺4寸/刃渡り74cm前後)の木刀がとても短く見える。ともかく一本目『水勢』からである。『水勢』という技は、打太刀が正面を斬り付けて来るのを半身になりつつ抜刀し、鎬(しのぎ)で受け流す。そして打太刀が体制を立て直す前に仕太刀は首に斬りつけるという動きである。こうして日本語の文章で表現するのも相当に難しいのに、これを英語交じりで説明するのだから大変である。
「One Two Three, Draw!」「No, Don’t move your right leg」「Slash his neck」…「そうそう」「そうではなくて受け流す!」「Please, Watch his legs and moving」

「So difficult…」と言いながら、運動神経は発達されているらしく、1時間ほどの稽古である程度見られる形になった。本職は翻訳家である稽古場の先生が「Good enough for the first time out(初めてにしては十分です)」と誉めると彼はニッコリとした。

稽古が一段落してから雑談。筆者との片言の英会話を拙い英文で記述すると、さっぱりわからない文章になってしまう恐れが大いにあるので、以下、苦笑いしながら大意(筆者の想定している会話かも)を記してみる。
「むずかしいですね フェンシングとは全然違う。」
「日本刀はSlash しますが、フェンシングソードは突き(tap)ですからね。」
「フェンシングソードは右腕だけを使うし、構えも一つです。なんと言ってももっと刀身がフレキシブルで軽いですよ。」
「なるほど。経験があるのですか?」
「少し。」
フェンシングは全く経験が無いのだが、その歴史について少し調べてみた。西洋の刀剣は古代から中世に掛けて、直刀の片手剣が大半を占め、斬撃にも刺突にも使用できるものであった。映画『グラディエーター』や『キング・アーサー』には、それぞれ古代ローマの刀剣である「グラディウス」や中世ヨーロッパの伝説的剣「エクスカリバー」などが登場していたので、ご覧になった方も多いだろう。銃器の使用が16世紀後半になり、その後平和な徳川時代が続いた本邦とは異なり、始終戦争をしていたヨーロッパでは、刀剣が戦争の主役で無くなる時代が早く、17世紀には、剣術は教養的、儀礼的意味が強まったらしい。この時点で、相手を叩き切るような重い刀剣は既に意味を為さなくなっていた。更に貴族(騎士)達の決闘の作法として細身の剣(レイピア)を使用した剣術が確立し、洗練・工夫されていく内に一つのスポーツとして確立していったようである。

稽古の後は久しぶりに、二人連れで自宅近くのバーへ。お喋りをしているとマスターから「何にします?」との声が。「飲んだことの無いやつがいいな。」「シングルモルトなら殆どこの棚のモノなら飲んだこと無いんじゃない?」
それならと、カウンター越しに目の前の棚を覗くと「Claymore」というラベルが見えた。Claymore(クレイモア)とはスコットランド地方で使用されていた180cmを超える大剣である。ラベルにはその剣がデザインされている。
「クレイモアってどんな感じの酒?」
「重厚だけど、ドライな味でスコッチらしいスコッチだよ。」
居合見学に来ていただいた英国人に敬意を(勝手に)表して飲んでみると、マスターの言う通りの味である。

不思議に英国に縁のある一日だった。居合の稽古を始めてから、意外な出会いが多くある。古えの武術も一つの立派な文化であることを再認識しながら、気分よく酔払った。
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# by seagull_blade | 2004-12-04 14:58 | swordplay