Have a life outside of work.


by seagull_blade

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甲冑を着込み、戦場を駆け抜けた女性は歴史上、それほど多く知られてはいない。直ぐに思いつくのは、泥沼化した百年戦争(1339-1453)を終結に導き、魔女として処刑されたジャンヌダルク(1412-1431)や「イタリアの女傑」ことカテリーナ・スフォルツァ(1463-1508)あたりだが、何れもヨーロッパ人である。歴史的、政治的或は所謂「男の領域」に優れた業績を残した女性という事ならば古今東西を問わず存在したし、男の領域なるものが必ずしも男性が有利という事ではないことを証明している。だが、実際の戦闘となると話は別であろう。生物学的に男性が女性より優れている点は「筋力(主に瞬発力)」だけという話があるが、戦闘は当に「筋力」が問われる場所である。女性の戦士が少ないことも当然である。
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先日、薪能を鑑賞する機会があった。東京近郊では、新宿御苑で行われる『森の薪能』がよく知られている。筆者が鑑賞したのは住まいの近所にある井草八幡宮で行われた『西荻薪能』である。この井草八幡宮は源頼朝が奥州藤原氏征討の後に建立したと伝えられる古社であり、23区内の八幡宮としては相当大きいものである。頼朝ゆかりの古社だからという事もないのだろうが、今年の演目は『巴』であった。能の鑑賞は初めてのことであったので、少し粗筋を下調べして見に行くことに。

さて、主人公の巴は巴御前の亡霊である。彼女は平家物語に登場する女性の戦士である。巴御前については鈴木輝一郎の小説『巴御前』や松本利昭の『巴御前』などを読んでいただくのが一番かと思うが、敢えて簡単に紹介すると、平安時代末期の武将にして木曽義仲(源義仲)の愛妾である。木曽義仲は義経よりも先に平家を京都から追い落とした武将であり、頼朝や義経の従兄弟にあたる。朝日将軍を自称し、戦闘には強いものの政治力に弱い部分があり、結果的に頼朝・義経に滅ぼされてしまう。巴はその義仲の二人の愛妾のうちの一人で(もう一人は山吹)平家物語には「中にも巴は色白く髪長く、容顔まことに優れたり。」とあり、美女であったとされている。また、「鬼にも神にもあはうどいふ一人当千の兵(つわ)もの也」であり、敵方の武将に「女と言うよりも鬼神である」と評され、一方ならぬ武者であったようだ。弓矢も太刀も優れていたが、やはり有名な得物としては「薙刀(なぎなた)」であろう。武者絵にも馬上にあって薙刀を振り回す姿が好んで描かれているようである。

実在が疑われたりもしているが、そのような野暮はここでは無しにして、『巴』の粗筋を簡単に紹介してみたい。

木曽義仲は1184年の1月に頼朝軍と宇治川で激突し、敗走。近江国(滋賀県)の粟津で取り囲まれ、戦死した。最期まで付き従った四騎の内に巴御前もいた。(つまりそこまで生き残ったということ)義仲が重傷を負って、もはや逃げ延びることは出来ないと悟ると、巴御前は自害を薦め、己も敵陣に討ち入って共に死のうとする。ところが義仲は巴御前が死ぬ事を許さない。巴御前「形見をもって木曽まで逃げ延びる」ことを厳命されてしまう。共に死にたいが主君の命とあっては仕方がない。彼女は逃げ延び、義仲は今井兼平等とそこで果てる。

舞台は木曽の山奥から都見物に来た僧侶が、粟津が原のとある神社で一息ついているところから始まる。僧侶がふと見ると美しい女性が社殿の前で祈り泣いていることに気が付く、女性は僧侶に「何かの縁だから」と祭神を読経で慰めて欲しいと頼んで消える。僧侶が里の人に聞くと、それは巴御前の亡霊に違いないという事であった。それならば、と僧侶が読経しながら神社で夜明かしをしていると、甲冑姿の女武者が現れ、義仲の最期を再現し、主君であり愛人の遺骸を(いくら命令とはいえ)捨て、逃げ延びたことを嘆き、後ろめたさが故に成仏出来ないことを訴える。「私の執心が晴れるように祈って欲しい」と僧侶に頼み、朝が来て巴の亡霊は消える。(もう少し丁寧に物語を読みたい向きには白洲正子著「能の物語」(講談社文芸文庫)がお勧めである。)

能を鑑賞したのは初めてで、愛好の方には大変失礼なのだが、もっと退屈なものかと考えていた。動きの少ないなかで、よく聞き取れない曲、セリフ、そういったものが延々続くというイメージであった。だが、実際にこの薪能に触れてみると(なんとも優等生的で気が引けるのだが)一種異様ともいえる雰囲気の中で、舞台は別世界が出現したように筆者の目を離さない。シテ(主役)の巴が戦いを再現してみせる舞では薙刀をかなり激しく振る。そうした動作も優雅というべきか、独特の緊張感にあふれている。古の人々はこういう雰囲気を「幽玄」と表現したのだろうか。

能の曲目(謡曲)の多くが亡霊を主役にしたものであると聞いた。我々は無念の内に死んだ人々の思いを「怨み」として恐れ、それが故に死者の鎮魂を「能」という形で結晶させた。これだけの文化を「とっつきにくい」とか「古臭い」という理由だけで、忘れられているのはとても勿体無い。

薪能の会場には500名近くの観客が老若男女問わずいた。少しづつ過去が見直され始めてきたのかもしれない。
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by seagull_blade | 2005-05-20 14:18 | bizarro life
京橋まで出かけた折に、帰りの電車の中で読む本を探しに八重洲ブックセンターへ入ってみた。電車の中で読むのだからと文庫の棚の前で一寸ばかり物色していると、学生時代に読み始めたが途中で止めてしまった本を岩波文庫あたりに多く見かけた。今なら読める本もあるだろう。そう考えて『日本の弓術』を棚から抜き出して購入した。ワンコインなのも嬉しい。
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著者のオイゲン・ヘリゲル(1884-1955)は、東北帝国大学(現、東北大学)へ講師として招かれ、大正13年から昭和4年に掛けて日本に滞在していた。哲学者としての著者は、新カント派に属するのだろうか。ここで取り上げている「日本の弓術」でも神秘思想のかなりの理解と傾倒があるように私には思える。少し調べてみると、エミール・ラスクの弟子であり、バーデン学派に連なるようである。このあたりのドイツ観念哲学は門外漢の筆者にはなんとも言えない。ドイツ観念哲学とはあまりに大雑把な括りではあるが…。

『日本の弓術』は著者がドイツへ帰国した後、日本文化の紹介としてベルリンで行った講演の原稿である。古代ギリシアで確立した論理的思考そのままの西洋人が東洋思想、とりわけ『禅』の思想を理解する為に、友人の紹介で阿波研造氏(弓道範士十段 東北帝国大学弓術師範)の元で弓術の稽古を始める。師の言葉に戸惑いながらも、執拗とよべる程の稽古を重ね、五段を得て帰国するまでの過程を平易な文章で表現したものである。

ベルリン講演の原稿であるから、著者が意識しているオーディエンスは当然ドイツ人であるのだが、現代日本に生きる我々日本人にも返って解り易い文章である。というのも思考の様式として「擬似西洋化」した我々にも、阿波師範の言葉はもはや解りにくいものとなっているからであろう。

「弓を弾いて的を射る」この行為について、著者ヘリゲル氏にも、或いは門外漢の私にも当然ながら以下のような過程が想像できる。
①「左手に弓を持ち、右手に矢を持つ」
②「弦を引き絞り、的にねらいを定める」
③「的に照準が合った瞬間に右手を離し、矢を射る」
だが、阿波師範はこのように説明しない。
①「左手に弓を持ち、右手に矢を持つ」
②「力を抜いて弦を引く」
③「矢が自然に離れてゆくのを待つ」
要約するとこのようなプロセスである。①はともかく②及び③は、論理的に思考していてはさっぱりわからない。論理的には矛盾があるからなのだが、少なくとも私は「何となく解らないでもない」位に捉えることができる。恐らく、平均的な日本人にも同じであろうか。しかし、ドイツ人の著者は違う。徹頭徹尾、ロゴスの世界の住人である。

「力をぬきなさい」と言われれば「力を抜いたら弓が絞れないではありませんか」と当然の反論をする。師範は「(弦を引き絞った状態で)私の腕を触ってみなさい」と実演してみせ、著者の反論を封ずる。一事が万事この調子なのだが、著者自身も言っているように「ドイツ人特有の執拗さ」で、稽古を続けてゆく。そして一つ一つ、我が物としてゆくプロセスが非常に面白い。というよりも上述したように、「擬似西洋化」した我々にも解り易い。著者は決して「解ったような気」にならない。納得いかなければ納得いくまで、師範に質問し、稽古を重ねる。

剣禅一致という言葉があり、これをどのように捉えるかはなかなか難しい問題だが、今の私はこのように考えている。即ち、言葉(論理)によって表現できることには一定の限界があり、それゆえに、言葉では伝えられない(不立文字:ふりゅうもんじ)ものを「実践」を通して伝えるという部分に、「剣術」と「禅」との共通項がある。それゆえ、剣術を稽古してゆくことは、そのまま禅の修業に置き換わるものであるというように。勿論、素人の浅はかさは百も承知で記しているので、そのあたりはご容赦願いたいのだが。

私は居合の稽古をさせていただいているのだが、ある動作ができて初めて解るという言葉が多い。例えば、上段に振りかぶり、正面を斬り下ろすという動作の際、ポイントは幾つもあるのだが、斬り下ろした刀を臍前あたりで止めるという事がある。これは見た目の美しさもそうだが、斬り下ろす動作を行った直後に、また次の対敵動作へ移る為には必須の動作である。これが私にはなかなか出来なかった。「刀を止めようとして止めるな」と注意されたが、この言葉も矛盾している。だが、稽古を重ねて出来るようになると、上記のような表現のほかに表現しようもないことが解る。

さて、ヘリゲル氏は必死に考え、実践し、弓術の稽古を通して、非常に大雑把な括りだが「西洋的認識」と「東洋的認識」の違いを解き明かそうという試みを行っている。この本の魅力は真摯にその試みをしているところにあると私は思う。また、その真摯さに阿波師範も精一杯答えているように読める。そのことが本書を感動的にしているのであろう。

「不射の射」とは中島敦の『名人伝』に出てくる言葉だが、そうしたものを少しでも理解しようとする人にとっては、最高の書の一つであると読了後に考えた一冊であった。

(謝辞:i-watcher様のコメントに触発されて書いたものです。ありがとうございました。)
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by seagull_blade | 2005-05-03 13:39 | reading lamp