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by seagull_blade

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Isn’t It Communism?

Total Optimization…『全体最適』。SCMの背景にある考え方で、調達から販売、アフターケアまでの流れを全体として管理し、スループットの最大化をはかり、過剰在庫や販売機会の損失を極小化する考え方。複数の企業にまたがった業界全体でも、単一の企業内でも使用される言葉。(⇔部分最適)
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先日、ex_import様のブログ「addition subtraction」で『SCM』という言葉が取り上げられていた。 ビジネス書や日経新聞などにもここ数年盛んにSCMという言葉が載っている。SCMとはSupply Chain Managementの略語であり、供給鎖管理とでも訳せば良いのだろうか。要するに、消費者へ商品を届けるまでの流れシステムとして捕らえ、管理し、最適な供給を図るというもので、「全体最適」のより具体化した概念と言える。あるいは全体最適の達成された一つの理想形である。ポストされたex_import様の記事を拝読して、『SCM』から『全体最適』というビジネス用語を連想した。

さてこの『全体最適』というビジネス用語が現在あちこちで濫用されている。筆者の働く職場も例外ではない。反意語は『部分最適』である。読んで字の如く、部分最適とは、特定の企業・部門・部署(部分)にとって最適な環境をその特定の企業・部門・部署が作り上げるという意味である。『全体最適』という言葉が盛んに言われるのは、それぞれが勝手にそれぞれの最適な環境を作り上げることによって全体(業界・企業)の流れが妨げられるということが問題視されているからだ。従って論調としては「『部分最適』ではいけない。目的・目標を見据えて『全体最適』を考慮すべきだ」というものばかりが目立つ。(全体最適を『全社最適』と言い換えることも多い)

だが、本当だろうか?本当に部分の効率追求が全体にとっての不適になるのだろうか?「部分最適を追求すること」が即ち「全体最適を追求すること」という図式が成り立つことが、正しい意味での全体最適なのではないだろうか。数限りないビジネス用語の中でもとりわけこの『全体最適』という言葉は、嘘とは言わないまでも、無意識或いは恣意的に間違って使用されていると筆者には思える。例えばSCMにおいて『全体最適』の名のもとに特定の企業に大きな負担を強いる。(モノが売れないご時世、この高負荷を受ける企業は製造、卸など「商品の流れ」の川上に位置付けられる企業である)または、業務として止むを得ずに残業が多くなる部署に対しての、残業費カットの言い訳など。

筆者には『全体最適』という考え方が、20世紀最大の実験と言われた、社会主義的計画経済によく似ているように思える。つまり、5年・10年を予測し、計画的に経済をコントロールし、成長しようとする試みである。そして、ご存知の通り、全体最適どころか部分最適さえ達成できず、それぞれの部分が考えられないほどの非効率に陥り、これは見事に破綻した。そもそも一国の経済のような大規模なものを正確に予測し得るという事が甚だしい思い上がりであったし、我々は常に『全体最適』を意識して働く事が出来るような高尚さは持ち合わせて居なかったと筆者は考えている。

『全体最適』を強調しすぎることは、この「社会主義的計画経済」と規模こそ違うが相似形を描いているのではないだろうか。少なくとも『全体最適は善』、『部分最適は悪』とするような論調は、眉に唾して読んだほうがよさそうである。問題の本質は「部分最適の積み上げが全体最適とならないことがある」という点である。例えば極端なセクトイズムや最も影響力のある企業に何もかも合わせてしまうようなSCMにこそ、「全体最適」というビジネス用語を使って論評すべきであろう。

筆者は「全体最適を考えろ」と言われて、反論せざるを得ない場合(大抵は反りの合わない上司だったりするのだが)、「オートポイエーシスという言葉をご存知ですか?」などと言って問題を摩り替えてしまう。まるっきり門外漢の筆者には『オートポイエーシス』がどのような理論であるのかは正確には解らないが、凡そ次のように理解している。生命をシステム的に捉えた理論の一つで、自己創造という概念。生物の神経系が設計図無しに自己創造されていくのを参考に、最近では社会科学や組織論でも利用される。例えば、サッカーを例にとると、それぞれの選手は(作戦という大枠はあるものの)それぞれのポジションで最適な動作を己の判断で自主的に行っているだけである。ゲームの流れ自体は台本という設計書があるわけではなく、選手たちがそれぞれのポジションで最適な動作(自己創造)をすることで、チーム全体としては、最も効率的に「得点を得る」「失点しない」という目標を達成する。そしてゲームという設計書のない流れが出来上がる(自己創造される)わけである。大雑把かつ強引な説明ではあるのだが…。そして、議論を煙に巻くようにしている。(勿論、従って「部分最適の積み上げが全体最適になるようにあんたが努力しろ」と暗に言っているのだが。)

企業経営や業界の発展は全体最適を追求すべきというのは正しい。ただこの言葉の使い方を間違えると、計画経済の轍を踏むような気がしてならない。SCMなども正確な需要予測を暗黙の前提としていたりする。このあたりにも例の相似が見え隠れする。全体最適やSCMと言った言葉を濫用したがる経営者は、言葉の使い方が間違っていないか考えたほうが良いと思う。勿論、恣意的に言い訳として使用する分には何とも言い様がないのであるが。

さて2005年はどのようなビジネス用語が流行するのだろうか。

Fashion comes and goes, but style is forever.
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by seagull_blade | 2004-12-29 21:17 | career
過日、今年(2004年)4月から開始した本ブログが10,000ヒットした。始めた当初は、まあ年間で3,000も記録すればまずまずと考えていただけに、正に「望外」の喜びである。心よりご愛読を感謝する次第。拙文も楽しみにして頂いている方がいると思うと、更新頻度の低さが非常に心苦しい。平にご容赦願うのみである。

年の瀬となり、毎年の事ながら「光陰矢の如し」というのは本当だと実感する。この時期になると例年話題のNHKだが、今年は様々な意味で話題となっているようだ。この面の感想、批評はTVで盛んに為されているので、私は沈黙することにして、来年の大河ドラマに繋がる話でも書いてみたい。
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とは言いながら、大河ドラマを見なくなって久しい。最後にストーリーが解るほど観たのは『翔ぶが如く』である。調べてみると90年の放映であった。それ以降は殆ど観ていない。『秀吉』は少し観たような記憶があるのだが。2004年の『新撰組!』は縁あって、出演した役者の一人が私の通う稽古場に出入りしているので、彼が出演している放送だけを観た。(本人に断っていないので誰とは言えないのだが)感想は書かない。

さて、2005年は『義経』である。私は日本史の知識が抜け落ちており、(単なる知的怠慢なのだが)これを少しでも埋める為、社会人になってから大河ドラマに採り上げられたテーマ周辺について書かれた書物を数冊程度だが読むことにしている。タッキーとマツケンサンバか…とは思いつつ、折角なので、『義経』についての本も読んでみることに。天邪鬼とは言わないまでもへそ曲りではある私は、大河ドラマの原作本である『宮尾本 平家物語』(宮尾登美子著:朝日新聞社刊)ではなく、司馬遼太郎の『義経』を通勤時間の友とした。

「司馬遷には遼に及ばない」という謙遜、或いは司馬遷に己を比する自信をペンネームとした司馬遼太郎作品で、私が最初に読んだのは『国盗り物語』であった。中学生だったと思う。司馬史観と言われ、読み手の考え方に影響を与えずにはいない氏の本をご多分に漏れずよく読んでいた。『跳ぶが如く』『竜馬が行く』『燃えよ剣』『この国のかたち』など…。今となっては司馬史観を全面的に肯定する訳ではないが、何となく歴史小説を探す際には「司馬遼太郎」と書かれた背表紙を探してしまう。

『義経』はその出生から死までを描いているが、義経の最盛期を中心に採り上げている。敢えて感想を一言で述べれば、「随分と主人公である『義経』に点が辛い」という印象であった。筆者は文中で義経を「政治的痴呆」と言い切っている。司馬氏は別の著作の中で「平和とは手脂がべた付く手練手管を必要とする」という趣旨を述べている。この観点からすれば、源義経という人物は、そういう手練手管を一切理解できないというところに特徴があるのだから、点も辛くなるというものであろう。また、太平洋戦争へと向かう昭和初期に義経公は、大いに戦意向上に利用されてしまった為に、戦車兵(だったと記憶しているのだが)として従軍され、シベリアでも抑留された司馬氏にとって、義経公はあまり美化したくない対象なのかも知れない。とは言えそこは司馬遼太郎氏、読み応えも充分にあり、私にはなかなか面白かった。

司馬遼太郎氏の『義経』と他数冊の書物を読んだだけで、評論を書くほどの知識が無いのを承知で、少し「源義経」という人物について考えてみたい。「判官贔屓」という言葉がある。ご存知の通り、これは「源九郎判官義経」を兄であり鎌倉幕府の元首である「源頼朝」よりも好むということを語源としている。辞書には「〔源義経が兄頼朝に滅ぼされたのに人々が同情したことから〕弱者や薄幸の者に同情し味方すること。また、その気持ち。」(三省堂提供「大辞林 第二版」)とある。

確かに、司馬氏が相当に点を辛くして義経を表現しているのだが、もし私が同時代人として身近に感じていたとしたら、抗い難い魅力があるのではないだろうかと思えてしまうほど、義経公は「純粋」である。兄である頼朝公はそれに引き換え、なんと「不純」な事だろうか。現代に生きる後世の私は、その後の歴史を知っている。それ故にこそ結果から判断し、頼朝公の方をより評価し、好むものだが、同時代人だったとしたらどうであろう。鎌倉幕府の元首として、政治的判断で弟である「義経」「範頼」を殺し、その首を前に「悪は滅んだ」と呟く頼朝公を理解し、好きになれるであろうか。恐らく答えは否であろう。

義経という若者は、軍事的には100年に一度という天才だが、世知が殆どない。血を分けた兄である頼朝公のために働き、大戦果を収めたと言うのに、なぜその兄に疎まれ、挙句に殺されるのかを恐らく最期まで理解しなかった。実際には「奇蹟的勝利を呼ぶ天才」「頼朝公に並び立つ資格のある者」という義経を政敵(「日本一の大天狗」と頼朝が言ったと伝えられる後白河法皇)に利用させまいという純粋な政治的理由である。それが理解できないからこそ、義経は魅力的なのだが。だが、もし、頼朝公が兄弟の情けから義経公を助けたとしたらどうだったであろう。均衡政策をとるフィクサー後白河法皇に操られるまま、頼朝公と対立し鎌倉時代は成立せずに内乱が続いたかも知れない。

義経公のようなパーソナリティは往々にして多くの人に愛される。特に我々日本人は頼朝公や後白河法皇のような「不純な」政治家を嫌い、子供のような「純粋さ」をもつ人格を好もしく思うらしい。勿論、私も例外ではない。だが、「純粋」という言葉は何ともいえない危険な香りを持っている。昭和初期の青年将校は「純粋」ではなかったのか?日本赤軍の学生は「純粋」ではなかったのか?凶悪事件を起した少年たちを弁護する言葉に「純粋さ」が多用されてはいないだろうか?それを考えると(大げさだが)大河ドラマ『義経』がどのように世間に評価されるのか、また「源義経」という人物が思い出された時にどのように評されるのかに大いに興味がある。私はそんなふうに、多少「不純」に来年の大河ドラマ人気を考えている。
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by seagull_blade | 2004-12-25 14:17 | reading lamp

1599年ローマにて

その日、かつてハドリアヌス帝廟として建てられ、政治犯の牢獄であったカステル・サンタンジェロに通じる橋、ポンテ・サンタンジェロには、執行される処刑に多くの人々が集まっていた。処刑されるのは3人だったが、群集が見たかったのは、美女の誉れ高いベアトリーチェであった。罪状は「殺人」それも「親殺し」である。
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彼女の父親はフランチェスコ・チェンチという名であった。小鳥と語らったという優しい聖フランチェスコの名を持ったにも関らず、このイタリア貴族はサディストであったらしい。チェンチ一族はローマの名門に属する貴族で、相当な資産家であった。フランチェスコは往時のイタリア貴族にありがちな放蕩者で、家庭においては典型的な暴君タイプであったという。彼には5人の息子と2人の娘があった。

イタリアにおいては、現在でも姿かたちで貴族であるか否かが大まかに判るほど、貴族と非貴族の容姿が違う。美女を集め、北方のドイツや北フランスといったサクソン系の人種と混合が進んだ貴族たちは、一般的にそうでないものに比べて背が高く、容姿も優れている。とりわけチェンチ一族は美形の家系だったのかも知れない。

2人の娘のうち、妹のベアトリーチェは幼少時から美しかった。14歳、当時では結婚してもおかしくない年頃になると、輝くばかりの美少女に成長した。彼女は幼い頃から父親の暴力の下で育ち、早くどこかに嫁いで、一刻も早く地獄のような家庭を去りたいと考えていた。そのための条件を彼女は完璧に備えていたに違いない。(少々、情緒不安定で暴力傾向があるとは言え)有力貴族を父に持ち、花のように美しい彼女には、求婚者も多く居ただろう。しかし、彼女の願いは実現しなかった。

彼女の姉が嫁ぐとフランチェスコの精神状態は更に不安定になり、ますます暴力性向を強めていった。フランチェスコにはルクレッツィアという後妻がいたが、彼女でさえも堪えられないほどになっていた。ベアトリーチェは既に家を出ている兄たちに助けを求める手紙を出したが、それをしったフランチェスコは激怒し、狂気の中の孤独に耐えかねたのかもしれないが、己の宮殿の一室にベアトリーチェを監禁してしまった。そして腕ずくで純潔を奪った。

ベアトリーチェは堪えるのをやめた。それまでは、「それでも父親だ」という思いがあっただろうが、辱められたことでそれさえも吹き飛んだ。そして継母ルクレッツィアと兄たちと共にこの暴君を取り除くことを決意した。2年間陵辱に耐え、機会を伺っていた。

手筈はこうである。家来の二人に金を握らせ、父親に阿片を飲ませる。阿片はダウナー系の麻薬である。仮に目を覚ましたところで、意識は朦朧とし、抵抗することは出来ない。更に継母と共に棒(火箸)で刺し殺す。更に偽装工作として寝室の窓から死体を落す。例によって錯乱した父親が勝手に窓から転落死したことにする為に。そしてその通り実行した。

しかし、この偽装工作は上手くいかなかった。他殺であるのは明らかであるからだ。鋭い大針はフランチェスコの眼から脳を貫き通し、いくら引き抜いたところで、その大穴は隠しようがなかった。また、資産家であったこともマイナス材料であった。この種のスキャンダルは一家を取り潰し、財産を没収する為の格好の口実であったからだ。

ルクレッツィアとベアトリーチェ、そして実行犯うちの一人は捕らえられ、厳しい尋問と拷問に掛けられた。当時の警察機構は、魔女狩りに代表される異端審問に見られるようにどうしようもなくサディスティックなものであった。それでもベアトリーチェは最後まで無罪であることを主張し続けた。市井の民は彼女たちが行った事が正当防衛であることは判っていたが、裁判所の出した結論は「斬首刑」であった。

その時の彼女は、命乞いをすることも無く、辛すぎた人生を早く終わらせたいかのように毅然とした態度で断頭台に消えた。このときベアトリーチェは16歳であったという。



近頃、性犯罪のニュースをよく耳にする。使いたくないが「外道」としか言い様の無い犯罪が多いと筆者は思う。カマトトぶるつもりは無いが、抑制の効かない外道が多すぎる。

やりきれない思いはいつの世も変わらない。400年間、我々男たちは大きな進歩を遂げていないらしい。少なくとも、生物学的には。

ゴルドシュミットの「歌劇:ベアトリーチェ・チェンチ」を聴きながら、そんなことを考えた。

筆者に出来ることは、被害者の救済とまた亡くなられた方のご冥福を祈る事だけである。この無力感はどうしようもない。
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by seagull_blade | 2004-12-10 15:21 | philosophism

British Swordsman

先日の稽古に、ある門下生の英語の先生だという英国人の方が見学にいらっしゃった。見学だろうと、希望しない限り、稽古に参加させてしまうわが稽古場の師範は当然のようにその英国人にも参加していただいた。尤も彼も興味があるから見学にいらした訳で、喜んで参加していただいたように思う。190cmはあるかという長身、ブラウンとブロンドの入り混じる髪と髭はいかにも(我々のイメージする)英国的風貌である。年のころは20代後半から30代前半というところ。
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お互いに片言の日本語と英語にて自己紹介が終わり、まずは刀礼から。稽古の前に行う「刀礼(とうれい)」は居合や剣道に限らず、日本の武術・武道には付物の礼である。付物とは言え「礼」は非常に重要であるのだが。水鴎流の場合は、三つ指をついての刀礼と神前・上座への礼がある。稽古の前には三つ指をついた刀礼を行うのだが、まず、正座が非常に苦しいらしい。足がしびれるのは我々とて同じなのだが、彼は膝が辛いようである。前にこのブログへningyo-hime様から「日本人の膝と外国の人の膝は構造自体が違っている」という趣旨の新聞記事をお読みになった旨、コメントをお寄せいただいた。子供の頃からの習慣が違うからそんなこともあろうと考えていたのだが、目の当たりにすると「おお、本当なのだ」と妙に納得した。

仕方が無いので、神前への刀礼を覚えていただき、通常の刀礼の代わりとして稽古を開始した。当日は『組居合』の稽古を重点的に行った。従って、英国の方にも「組居合」を体験していただく事に。前にも記したが組居合とは「仕太刀(したち=勝方)」と「打刀(うちたち=負方)」に分かれ、定められた形を演武するものである。(組居合はブラスチック(塩ビ)製の鞘付き木刀を使用する。)筆者と稽古場の先生は早々に9本の形を終え、英国人とその英語の生徒である門下生の方に付きっきりで、四苦八苦しつつ教えた。

長身の彼が持つと常寸(2尺4寸/刃渡り74cm前後)の木刀がとても短く見える。ともかく一本目『水勢』からである。『水勢』という技は、打太刀が正面を斬り付けて来るのを半身になりつつ抜刀し、鎬(しのぎ)で受け流す。そして打太刀が体制を立て直す前に仕太刀は首に斬りつけるという動きである。こうして日本語の文章で表現するのも相当に難しいのに、これを英語交じりで説明するのだから大変である。
「One Two Three, Draw!」「No, Don’t move your right leg」「Slash his neck」…「そうそう」「そうではなくて受け流す!」「Please, Watch his legs and moving」

「So difficult…」と言いながら、運動神経は発達されているらしく、1時間ほどの稽古である程度見られる形になった。本職は翻訳家である稽古場の先生が「Good enough for the first time out(初めてにしては十分です)」と誉めると彼はニッコリとした。

稽古が一段落してから雑談。筆者との片言の英会話を拙い英文で記述すると、さっぱりわからない文章になってしまう恐れが大いにあるので、以下、苦笑いしながら大意(筆者の想定している会話かも)を記してみる。
「むずかしいですね フェンシングとは全然違う。」
「日本刀はSlash しますが、フェンシングソードは突き(tap)ですからね。」
「フェンシングソードは右腕だけを使うし、構えも一つです。なんと言ってももっと刀身がフレキシブルで軽いですよ。」
「なるほど。経験があるのですか?」
「少し。」
フェンシングは全く経験が無いのだが、その歴史について少し調べてみた。西洋の刀剣は古代から中世に掛けて、直刀の片手剣が大半を占め、斬撃にも刺突にも使用できるものであった。映画『グラディエーター』や『キング・アーサー』には、それぞれ古代ローマの刀剣である「グラディウス」や中世ヨーロッパの伝説的剣「エクスカリバー」などが登場していたので、ご覧になった方も多いだろう。銃器の使用が16世紀後半になり、その後平和な徳川時代が続いた本邦とは異なり、始終戦争をしていたヨーロッパでは、刀剣が戦争の主役で無くなる時代が早く、17世紀には、剣術は教養的、儀礼的意味が強まったらしい。この時点で、相手を叩き切るような重い刀剣は既に意味を為さなくなっていた。更に貴族(騎士)達の決闘の作法として細身の剣(レイピア)を使用した剣術が確立し、洗練・工夫されていく内に一つのスポーツとして確立していったようである。

稽古の後は久しぶりに、二人連れで自宅近くのバーへ。お喋りをしているとマスターから「何にします?」との声が。「飲んだことの無いやつがいいな。」「シングルモルトなら殆どこの棚のモノなら飲んだこと無いんじゃない?」
それならと、カウンター越しに目の前の棚を覗くと「Claymore」というラベルが見えた。Claymore(クレイモア)とはスコットランド地方で使用されていた180cmを超える大剣である。ラベルにはその剣がデザインされている。
「クレイモアってどんな感じの酒?」
「重厚だけど、ドライな味でスコッチらしいスコッチだよ。」
居合見学に来ていただいた英国人に敬意を(勝手に)表して飲んでみると、マスターの言う通りの味である。

不思議に英国に縁のある一日だった。居合の稽古を始めてから、意外な出会いが多くある。古えの武術も一つの立派な文化であることを再認識しながら、気分よく酔払った。
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by seagull_blade | 2004-12-04 14:58 | swordplay