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by seagull_blade

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The Indian Moon

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今夜は十六夜なのだろうか。結局十三夜のTB企画への参加が出来なかった。お月様には殆どお会いできない、記事は書けない、ヤケ酒のお相手も出来ないでVariousmoon様、本当に申し訳ありません。

気を取り直して…。十三夜、実は、一瞬だけお月様を見ることができた。(東京都新宿区)会社帰り、ようやく雨の上がった夜空を見上げると叢雲を通してお月様が透けて見えた。とは言うものの、とてもお月見というわけには行かなかったのだが。

お月見レポートという訳には行かないので、どういう残念レポートにしようか、ふらふらと残業を終えて帰りながら、考えていた。仕事モードからなかなか頭が切り替わらず、悩んでいる。苦し紛れに月の各国語を思い返してみることに。「英語:moon」「イタリア語:luna」「フランス語:Luna…ラテン語系は同じだな…」「アラビア語:al-qamaru…学生時代に苦労したな。大体アラビア語フォントなんて入ってないし…」「ドイツ語:mond…だったけ?第2外国語だったのだが…」「あ、『チャンドラ』って『月』という意味だったような…。何語だ?インドの言葉なのは間違いないのだけれど…、サンスクリット?ヒンディ?」ここまで考えて、丁度、家にたどり着いた。帰宅してから、調べるとチャンドラは『月』を意味しているようだが、結局サンスクリットなのかヒンディなのかがはっきりしない。

ところで、話は変わるのだが、米国のNASAが打ち上げた人工衛星には、我々が想像している以上に多くの種類があるらしい。大きく分けて、実用目的とするものと科学技術研究に使用されるものに大別できる。前者の代表格は気象衛星、通信衛星であり、後者は科学衛星に代表される。筆者は天文ファンでは無いが、時折、普段全く縁のない世界に触れてみたくなることがある。そういう時は大抵、講談社のブルーバックスの棚へ行って、目に触れたものを購入してみる。人工衛星についてもブルーバックスで少し興味を持ったので、天文に関するニュースを気にしてみたりもする。それらニュースの中でNASAの科学衛星に「チャンドラ」と名付けられたものがあることを知った。

数年前にスペースシャトルから切り離された記憶があったのだが、調べてみるとそのとおりで、「1999年7月23日午後8時48分STS-93コロンビア号から打ち上げられたX線望遠鏡」であるらしい。宇宙空間にはガンマ線を始め、我々にとって有害な放射線は飛び交っているという。それらを可視的に変換することによって、宇宙空間でのイベントが観測可能になるというものらしい。と偉そうに書いているが殆どわからない。理科系の素養は殆ど無い筆者なので、ブルーバックスも「へぇ」と思いながら字面を追うだけである。ガンマ線?エックス線?という状態である。

気になったのはその人工衛星の名称が『チャンドラ』であると言うことである。こうしたことのほうが気になる辺り、馬鹿げた分類だが「ああ、俺は文系だなあ」と思う瞬間なのだが、気になるものは仕方がない。先ほど書いたとおり『チャンドラ』は『月』を意味する。NASAに限らず、人工衛星・ロケットなどにはやはり神々の名前や目的に応じた名称が冠されている事が多い。Saturn(サターン:ロケット)やVoyager(ボイジャー:観測衛星)等々…。てっきり、「チャンドラ」もそのような方法で名付けられたものだと思い込んでいた。

ところが、この記事を書く為に少し考えてみると、いくら『月』という意味があるとはいえ、米国NASAの人工衛星であるにもかかわらず、「チャンドラ」だけが英語でないのだろうかという疑問が沸いてきた。米国人にもその様な異国趣味というか、東洋へのあこがれのようなものがあるのかと。インターネットで調べてみるとあっけなくわかってしまった。何の事は無い、人名であった。これは天文物理学者でノーベル受賞経験もある、インド系米国人スブラマニアン・チャンドラセカール博士に因んだ名称であった。何となく調べて損した気がした。しかし、人工衛星にはふさわしい名称ではある。もしかすると博士も自分の名前に『月』が入っていたからこそ、天文学に興味を持たれたのかもしれない。

『チャンドラ』が捉えた映像はこのページで見ることが出来る。
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今回はネタに無理がありました。やはり、門外漢には辛いところです。乞う、ご容赦。
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TB企画“十三夜の宴”開催します♪
10月26日のお月さまは、陰暦9月13日の『十三夜』にあたります。
この日の月を愛で、秋の収穫を感謝するのは日本独自の風習です。
別名は「後の月(のちのつき)」「栗名月」「豆名月」などなど、
満月ではなく少し欠けた月を対象としているところがポイントです。
十五夜のお月見とまた風情の違うお月見はいかがですか?

月の出、10月26日15:49、
月の入り、10月27日3:40
のお月さまを見上げて、みなさまのお月見記録を送って下さい。
(☆夜は冷え込むようになって参りました。
お月見の際にはくれぐれもお風邪を召されませんようご注意下さい!)

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by seagull_blade | 2004-10-29 21:32 | bizarro life
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教職員や執筆者・編集者を愚弄するつもりは毛頭無いが、教科書、特に国語の教科書と言うものは、卒業するとそのまま忘れてしまうようなものではないだろうか。試しに小中学校の国語の教科書に取り上げられていた物語や文章を思い出していただきたい。殆ど覚えていらっしゃらないのではないだろうか。私もご多分に漏れず、さっぱり覚えていない。強いて覚えているといえば、「平家物語」や「奥の細道」の冒頭、杜甫や李白の絶句や律詩など、定期試験の為に暗記したものだけである。当時はどちらかといえば得意ではなかったのに、現代文よりは古文・漢文の方が覚えていると言うのもおかしいのだが。古文や漢文の方が、朗読の為に創られたものなので、リズムが良くて、覚えているのかもしれない。

とは言うものの、現代文で殆ど唯一覚えている、教科書に掲載されていた小説がある。タイトルに書いたとおり、中島敦の『山月記』である。年次は忘れてしまったが、高校生の現代文の教科書に掲載されていた。国語担当の教師が非常に朗読が上手な男性教師で、一寸古いが『若山源蔵氏』のようなバリトンで朗々と読み上げていた。
「隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところすこぶる厚く…」
よくあるパターンだが、授業はなかなか先に進まず、毎回イントロから朗読していたので、この冒頭だけはすっかり暗記してしまった。

先日、ふと立寄った本屋で「李陵・山月記」を新潮文庫で見つけて購入、久しぶりに再読してみた。国語教師の見事な朗読の所為も勿論あるが、高校生当時の私がどうしてこの小説に何某かの印象を受け、今まで覚えていたのだろうか。

中島敦は漢籍古典の翻案物を得意とした。西遊記の沙悟浄を主人公にした『悟浄出世』や、列子の寓話を下敷きにした『名人伝』などある。この『山月記』も李景の『人虎伝』のストーリーを使用した翻案ものとなっている。どちらの物語も、傲慢で才気走った「李徴(りちょう)」という役人が、職を辞した後、発狂して行方不明となる。かつての友人であり、同僚であった「袁傪(えんさん)」が、勅命で商於という場所を通りすぎる際に、虎に襲われかけたが、虎は直ぐに草むらに消え、人語を話す。「袁傪」はその声から虎がかつての友人「李徴」であることを知り、戸惑いながらも再会を喜び、虎に変身した事情を聞いて驚き、家族の後生を頼まれ、そして別れるというものである。

『山月記』は原作の『人虎伝』をほぼそっくりそのまま踏襲しているが、勿論、現代の小説家である中島敦は単純な物語にいくらかの手を加え、現代の読み手にも耐えうる深みを持った小説としている。原作では、李徴が虎に変身してしまった原因として、不義密通の天罰としているが、中島敦はこれを「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為」に求めている。狷介孤高な主人公李徴は若い頃、才能があるが故に尊大であり、多くの人には不愉快な人間だと思われていた。彼は「己は特別」だと思い込み、それ故に周囲を見下していた。その思い込みゆえに、「賎吏に甘んずるを潔しとしなかった」李徴は己の才能を偉大な詩人になることに向けた。

10代後半から20代前半あたりの学生時代に、「サラリーマン」という響きが、あまりにも「平凡」で先が見えているように思い込み、もっと特別で、華やかな職に就きたかったり、「普通でない」ものになりたくなる時期というものがあるのではないだろうか。李徴が偉大な詩人になりたがったように、ミュージシャンなりたかったり、或いはビル・ゲイツのようになりたかったりと。

だが、ここで多くの人は気が付く。己自身の才能がそれほどのものではないことを。そして、仮に才能があったとしても、大成功する為には運や度胸も大いに必要だと言うことも。そして、大部分の若者が「平凡」な何かへ成って行く。勿論、その平凡な何者かになることでさえ、それほど簡単ではないことも悟ってゆく。だが、李徴はプライドの高さ故、それさえもできない。彼は言う。「己の珠に非ざることを惧れるがゆえに、あえて刻苦して磨こうともせず、また、己の球なるべきを半ば信ずるがゆえに、碌々として瓦に伍することもできなかった。」と。その狂おしさが彼の姿を虎にしてしまう。

前にも記したが、私は割と勉強ができる方であった。スポーツも、さして運動神経が良い訳ではなかったが、中学時代は陸上部に所属して、校内で私より足の速い生徒は何人も居なかっただろう。喧嘩もまあ強いほうであったと思う。また、読書は子供の頃から好きだったので、同じ年頃の子供の間では、それなりに知識は多いほうであった。こうした子供が、増長慢にならない訳はない。こうした傲慢さは周囲には直ぐ伝わるから、周囲からは孤立していく。私の場合、喧嘩も出来たので、所謂「いじめ」には合わなかったが、やはり「浮いて」いた。周囲から距離を置かれれば、その分、周囲を見下すことでプライドを維持し、そうすれば更に傲慢になって孤立していく。だが、一方で、実は「俺がアホなだけなのではないのか。計測可能な才能では劣らないが、それ以外の部分でははなはだ劣るのではないのか。」という疑念もある。大学の前半まで、こんな調子であった。ここから脱することができたのは、当時の彼女や友人達のお陰である。

中島敦の『山月記』が私の記憶に唯一残る教科書の題材であるのは、「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」に悩む李徴へ私自身を重ね合わせていたかららしい。周囲のお陰でどうにかこうにか平凡さを得た私は「狂える虎」にならずに済んだ。友人達や付き合ってくれた女性が差し伸べてくれた「手」を死ぬまで私は感謝しつづけるつもりである。
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by seagull_blade | 2004-10-23 16:51 | reading lamp

源流。

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武御雷大神(タケミカヅチノオオカミ)・経津主大神(フツヌシノオオカミ)。日本神話に出てくるこの二柱を聞いた事がおありだろうか。筆者は『武御雷』はどこかで聞いた事があるが、『経津主』は知らなかった。千葉県や茨城県在住の方ならご存知かも知れない。この二柱はあちこちで分詞されているが、それぞれ「鹿島神宮」「香取神宮」の主祭神で、日本神話では武神として崇敬されている。「鹿島神宮」のタケミカズチ(武御雷大神・武甕槌大神とも)は出雲の国譲りの際に、大国主命の息子の一人である事代主を退け、もう一人の息子、武御名方神と戦いこれを従えた武神と言われている。武御名方との戦いは力比べであったとされ、この戦いが相撲の源流という説もあるらしい。「香取神宮」のフツヌシはやはり出雲国譲りの際にタケミカヅチに同行し、大国主以下を平らげた武神である。古事記ではタケミカズチとフツヌシは同一の神であるとされており、何れにせよ、出雲を平らげ葦原の中つ国を平定した武神である。

この二柱は現在では春日大社へ勧請され、全国の分社で祭られているが、源流はやはり茨城の鹿島神宮と千葉の香取神宮だそうである。そして、この二柱から日本の武術は生まれたという伝説がある。鹿島にせよ、香取にせよ、本邦古武術のルーツであるらしい。実際はともかくとして、そのように信じられてきた。

古武術はこの二柱の神術から生まれ、日本武尊、時代は下って、源義家(八幡太郎)・為朝(鎮西八郎)・義経(九郎判官)を経て鹿島の神人(じにん:神社の下級職)へと伝えられたという。源義家は「鷲のすむ山には,なべての鳥はすむものか。同じき源氏と申せども,八幡太郎はおそろしや」といわれ、石清水八幡宮で元服、前九年の役・後三年の役の動乱で勇名を馳せた伝説的武人である。為朝はその義家の八男であり、保元の乱では崇徳上皇に従って戦った弓の名手。彼の弓は滝沢馬琴の「椿説弓張月」という伝奇物に、殆どミサイルのような描写をされるものである。弓を射れば、敵艦が真っ二つというのだから、山田風太郎も真っ青である。義経は勿論、本邦の代表的悲劇人であり、歴史的にも戦争には非常に強い武将である。能にも描写されているが、幼少時、牛若丸として鞍馬山の大天狗に武術を仕込まれたという。(ちなみに現在でも鞍馬流という剣術は残っている。警察逮捕術は鞍馬楊心流から生まれたものであるらしい)この鎌倉源氏たちから、鹿島の神人へ伝わり、シントウ系(神道・新刀・新当)の流派が生まれたと伝えられている。天真正伝香取神道流や鹿島神道流がそれであり、一刀流や筆者の習う水鴎流もこの系譜の中にある。

日本の古武術は、ごくごく大雑把に、かつ誤解を恐れずに言うと、「神道系」と「禅宗系」に分けられるという。ここまで記してきたのは勿論「神道系」の流れである。

上泉信綱(新陰流)を境に、本邦剣術の三源流と呼ばれる「新当流」「陰流」「念流」が生まれている。陰流は念流の流れを汲むらしい。この念流が禅宗系の祖と呼ばれるものである。流祖は念阿弥慈音(ねんあみじおん)という。新田義貞の臣、相馬四郎左衛門忠重が敵に謀殺された時、難を避けて藤沢の遊行上人に預けられて念阿弥(浄土系)として育った相馬四郎忠重の子が、長ずるに及んで鞍馬山などで兵法修業に励み、還俗して相馬四郎義元と名乗り父の仇を討った。のち再び仏門に入り(ただし今度は禅宗)、念大和尚と名乗った。この寺が、鎌倉寿福寺であり、中条流の祖、中条兵庫助に刀槍術を教えたとされている。寿福寺は臨済宗の寺であるので、禅宗系の剣術の祖と見られている。実際には殆ど伝説であるだろう。

なお、神道系の剣術がタケミカズチまで溯るに対して、この禅宗系の剣術は摩利支天に溯るらしい。摩利支天はインドの風または炎の女神で、マリシあるいはマリーシュと呼ばれる三面六臂の神である。念阿弥慈音はこの神に祈り修行することによって「念流」の開祖となったという。摩利支天は、日本に置いてはインド武術の祖と信じられていたようである。

これらは勿論、ある種の神話である。歴史的事実も勿論あるだろう。しかし、タケミカヅチや摩利支天、鹿島の神人達、鞍馬山の天狗や鬼一法眼等は、何がしかの事実はあるだろうが、それら事実を反映した伝説だろう。ただ筆者は居合や武術一つとっても、これほど豊潤な伝説や歴史があることを少しだけ紹介したかっただけである。自分が刀を振るう時、神々を思い、先人を思うことはそう悪くはあるまいと思う。

また、彼等に思いを馳せて旅をしたり、近所の神社仏閣を散歩する時にも、少し異なった思いで行くことができるかもしれない。筆者の場合、子供の頃から八幡宮が側に在った。引っ越した現在でもやはり別の八幡宮がある。八幡宮もまた、調べてみると応神天皇を祭神とする武神を祭る神社である。筆者の遊び場だった八幡宮は、土俵があり、奉納相撲が行われていた。幼い頃には何とも思わなかったが、この八幡宮も先ほどの八幡太郎義家が後三年の役の戦勝記念に立てたものだそうである。すると奉納相撲もタケミカヅチとタケミナカタの神事を彷彿とさせる。現在の住まいの側にある八幡宮は鎌倉初代征夷大将軍源頼朝が奥州征伐の戦勝を祈念して立てたものだそうである。

読者諸兄姉の近くにきっとある神社仏閣にも、この雑文に登場した神々や剣豪や偉人が居られるかも知れない。もしもご存知なければ、一寸だけ足を止めて由緒書を一読される事をお勧めしたい。筆者もつい最近、始めたことなので偉そうなことは言えないが、こうしたことはもっと、多くの人に楽しまれても良い事ではないだろうか。
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by seagull_blade | 2004-10-11 17:13 | swordplay

赤身とダイエット。

エキサイト・ジャパン様で開催されていた「ブロガーコンテスト」にてiceday様の『近海マグロに焼きを入れる』がユーザーズチョイス賞に選ばれました。とにかくスゴイ文才で、会社で読んでいると思わず笑ってしまうので、仕事していない事がばれてしまいます。是非、ご存知ない方は読んでみてください。メモにも書きましたが、iceday様に敬意を表して『マグロ祭り(ja_guar様)』に参加です。
Seagull拝
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前回はスーツの雑文を衣更えと合わせて書かせていただいた。あの文章からだと、あたかも、衣更えの季節に合わせてスーツを作ったように読めてしまう。実際には、身体のサイズが変わりすぎて、去年の冬物が着られなくなってしまったのである。と言っても、入らなくなったわけではなくて、その逆である。前にMemo欄に書いたが、昨年から10KG程体重を落としてしまった結果、どのスーツも大きすぎて、子供が大人の服を着ているかのようになってしまった。

要するにダイエットしたのだが、格好良くなろう(少しは考えたが)とした訳ではなく、20代にして、毎年引っかかってしまう会社の健康診断に「これはまずいな」と考え、健康を取り戻そうとしただけである。実際、体調も悪く、毎日どこかだるい感じであった。とにかくダイエットとは本来体重や体型のコントロールである。要するに高カロリー食を取りつつ、仕事も座業である事を言い訳に運動不足であることが悪いのだから、やり方は明確である。カロリーを押さえて、運動すればよいのである。

言うは易く、行うは難し。それほど簡単にダイエットできるのなら苦労しない。そこで、まずは運動を始める事にした。社会人になって以来、何度かジムに通ったが、どうしても長続きしない。マシントレーニングもそれほど嫌いではないのだが、ダイエットという目標では今ひとつモチベーションが維持できない。それにスポーツジムに通う経費も馬鹿にならない。とりあえず、「怪我をしない」「一人で練習できる」「お金がさほどかからない」というポイントに絞って始めたのが居合であった。始めた当初はキツかったが、ある程度できるようになるとなかなか面白い。更に上達する為に雨天以外はほぼ毎日「素振り用木刀(2.0kg弱・5000円程度)を200回素振り」するというトレーニングをしている。プラスして覚えた「形」を一通り行う。ダイエットのためでなく、上達が目的と言うのが筆者にとってはモチベーションの維持に繋がっている。
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次に食生活の改善を行った。こちらのほうがよほど難しい。筆者は酒飲みなので、夜の食事を減らしたり、低カロリー化するのは殆ど無理である。酔ってまで、カロリー計算などしたく無い。(というよりできない)そこで、一日の総カロリーを減らす事にした。筆者の場合、昼食は殆ど社員食堂で食べている。いまどき社員食堂のある会社も珍しいが、社員食堂のメリットは定食形式だけでなく、単品で頼むことが出来るという点である。(勿論、値段も安いのだが)昼食の基本を「ライス(小)+味噌汁+小鉢のおかず+納豆若しくは豆腐」と決め、更に油ものを取らないことにした。外出して外食の場合はこのルールを適用しない。更に、夜食の制限はしない。これだと、それまで昼食でとっていたカロリーは1/3程度になるだろう。最初、一週間程度は辛いのだが、すぐに慣れてしまった。また、筆者は皮膚が弱いのか内臓が弱っているのか、ジンマシンがすぐに出てしまうのだが、社食の油ものを避けるだけで、これがだいぶ改善された。間食は同僚に進められたら断らないが自分から食べないということにしている。

そうこうしているうちに半年経ち、体重は12KG減った。男性の場合2-4KGぐらいは一日二日の運動で変動してしまうので、凡そ10KG程度減量したことになるだろうか。稽古も続けているので、ある程度は身体も締まって来た。そろそろ次のスポーツを始めてみたいと考えている。

ところで、こうした昼食を取るようになって、今更気が付いたのだが、低カロリーにしようとするとどんどん食事が和風になっていくことである。油ものを抑え、高蛋白にすると我々日本人は殆ど必然的に和食になってしまう。嘗てはこうした食事が当たり前だったはずなのだが、いつのまにか嗜好が大きく変わってしまった。

筆者の好きな寿司ネタはマグロの赤身とウニである。ウニはともかく、マグロの赤身は割と高蛋白/低カロリーであると聞く。美味しいマグロと言えば「トロ」であろうが、このトロは昭和30年代(1955~65)辺りから好まれ出したらしい。江戸時代以前ははっきり「まずい魚」であったらしく、「しびのうお」と言われ、身分の卑しい者だけが食べるものであったらしい。もっぱら造り魚としては「鯛」が珍重されていた。江戸時代中期から末期になって、ようやく寿司ネタとして定着し始めたらしいが、食べ方は「漬け」であって、醤油に漬けてから供するものであった。漬けで食べるなら、あっさりとした赤身の方が今でも美味しいと感じるだろう。トロなどは下の下であって捨てる部分であったようだ。

ダイエットを試みるなら、出来る範囲で「和食」を食べることを心がける。ただそれだけのことで、随分効果があるだろう。トロの扱いを見ればわかる通り、我々はどうやら、歴史的に高カロリーな食材をそれほど好まなかったようだ。恒常的に飢えている歴史の長い人類は「欠乏には強く、過剰に弱い」という特性があるらしい。現代の感覚からいくと一寸足りないなと感じるくらいが丁度良い。あるいは単に年を重ねた証拠かも知れないが。
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by seagull_blade | 2004-10-10 12:07 | bizarro life
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神無月となり、暑い東京もさすがに秋の気候となってきた。相変わらず台風は発生しているようだが、それでも金木犀の香りが湿度の低い風に混じり明確に秋を感じる。10月初旬と言えば衣更えの季節。テレビやラジオの天気予報でもよく耳にする。衣更えは四季の明確な本邦では、必然的かつ合理的な習慣であるようで、平安期には唐・宋の制度を輸入して、官服を4月1日と10月1日に夏服と冬服に替える「衣更(こうい)」という制度として確立している。(また、天皇の被服担当の女官名にも「衣更」が採用された)

江戸時代までには武家にも制度が習慣として定着し、本邦の気候に合わせ4月1日を6月1日に改めた。一般的に広まったのは有力諸藩がそのまま幅を利かせた明治期の官庁で、武家の習慣をそのまま制服等にも取り入れたので、そこで勤務する平民階級にも広まったということらしい。衣更えの習慣そのものは『公家』⇒『武家』⇒『平民』と言う風に広がったわけではなく、実際には、社会の大多数を占める被支配階級にも同じ習慣はあり、呼び名の広がりということでしかないと思う。

現代の我々が衣更えという習慣をインプリンティングされるのは、主として学校生活ではないだろうか。自宅近くに女子高が、会社近くには共学の高校があり、学生と毎朝すれ違うのだが、彼・彼女等の制服姿を見て「ああ、衣更えの季節だな」と毎年気が付く。筆者は中学生までしか学生服に縁がなかったが、それでも6月と10月になると服を入替始めるのは、家庭での教育と学校生活での教育の所為であろう。家庭での教育では、実際の気候に合わせる事が多いが、学校での衣更えの強制では、少々、暑くとも寒くともこの日から冬服、夏服とメリハリをつける。子供の頃は理不尽さを感じたが、今は「生活のけじめ」をつけるという点で、衣更えは悪くないと思っている。

9月末にスーツを新調した。今回のスーツはブルーブラックの生地を使った、ダブルブレストである。新調と言っても、所謂イージーオーダーという方式で、生地を選び、簡単にサイズを計ってもらい、スーツのスタイルを選択するというものである。現在、百貨店系のSEをしている為、こういうときに社員割引を使えるのは嬉しい。このイージーオーダーは意外と安価である。「つり下げ」の既製品の価格に1割から2割増しで店頭でも購入できるし、仕上がりまでの時間さえ気にしなければ(通常2週間程度)、いくらイージーといってもその人に合わせて裁断され縫い上げられるので、着心地はとてもよい。9月末日の仕上がりだったので、仕立ては冬物にしてもらった。具体的には背中の裏地を抜いていないだけである。因みに、筆者の購入したスーツを店頭価格でオーダーすると50,000円位。これなら下手な既製服よりもずっと安価ではないだろうか。

子供の頃はサラリーマンになるとは思いもよらず、高校生くらいまでスーツを着るような人種にはなりたくないと考えていた。「二十歳超えたらただの人」ではないが、今はすっかりサラリーマンである。サラリーマンに限らず、ある程度の年齢の男性にとって、スーツはどうしても重要になる。特にサラリーマンは、ほぼ毎日スーツなので、重要というよりも普段着と化してしまう。こうしたサラリーマンにとって服装に多少の気を使うことは、ほとんどスーツと周辺のアクセサリに気を使うことと同義である。おかしなもので、自由にカジュアルを着回していた学生時代よりも、服装に強烈な制約のある社会人となってからの方が、ずっと服装に気を使うようになった。制約が多い方が、イマジネーションを広げるのだろうか。

今年(2004年)はアメリカ大統領選挙の年である。現職G・ブッシュ VS J・ケリー候補の戦いである。TVでも散々映像が放送されているが、彼等の服装に注目すると成る程と思わせるものがある。落合正勝氏の『男の装い(基本編)』で読んだのだが、スーツ文化を生み出した欧米世界では、スーツに自分の主張やメッセージを込めるそうである。確かに、本邦でも銀行員とアパレルメーカ社員のスーツは違うだろうが、弁護士と前者2つの区別はつかない。だが、海外の小説などを読むと「彼は見るからにニューヨークの弁護士であった」などと言う表現にぶつかることがある。これは取りも直さず、彼等の服装から出身地、職業などが読取れるということである。本邦でも和装であればこうした区別はついていたのであろう。友人同士であったという町火消新門辰五郎と幕臣勝海舟のそれぞれの服装は、当時の人が一目見れば、江戸の町火消し頭と貧乏旗本と解ったに違いない。だが、スーツは輸入文化なのでそうはいかない。

G・ブッシュ米大統領に限らず、アメリカの政治家が『強いアメリカ』を主張したいとき、彼等はブルーのジャケット(或いはスーツ)に白いワイシャツ、そして赤いネクタイをしている。これは星条旗の色使いである。最近ではイラク戦争の際にTVに写る大統領はいつもこの色合いであった。逆に、討論会などで知的に見せたい時は紺のネクタイにグレーのスーツなどの色合いを選んでいるようだ。紺は人を知的に見せる効果があるという。

輸入文化とはいえ、どうやら背広文化は国際会議などを見ていても、当分の間、揺るがないように思える。それならば、スーツの持つ伝統や背景を知っていても損はしないだろう。企業もカジュアルデーなどを導入して、『自由な服装で自由な発想』などと誰も信じないことを言わずに、きちっとしたスーツ選びやスーツの歴史を、カジュアルデー導入に伴う、社内規定改定などの予算を充てて社員教育をしたら良いのではないだろうか。たった一日でよいから、スタイリストを招いて基本的な事柄を解説してもらうのである。折角、100年かけて根付きつつある本邦の背広文化。そうすれば退屈なスーツ選びが楽しくなるだろうし、服装も一つの商売上の武器であることを自覚できるだろう。(筆者が知りたいだけかもしれないが・・・。)

衣更えの季節はそんなことを考えるに丁度良い気がする。
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by seagull_blade | 2004-10-07 12:23 | bizarro life

謝罪と責任。

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昨日、(2004年10月3日)サッカーをTV観戦していた。勿論、19歳以下の選手によるアジア・ユース選手権準々決勝である。筆者はさほどサッカーファンでは無いのだが、(野球の方が詳しいし、サッカーやフットサルよりは草野球の機会が多い)2002年FIFAワールドカップ以降、関心を持って観るようになった。大リーグ史上シーズン最多安打を記録したイチロー一色の2日間だったので、サッカーが少し新鮮に感じ、結構しっかり観ていた。

サッカーの国際試合を観ているといつも思うのだが、日本選手に比べて海外の選手は演技やアピールがとても上手い。ファールを誘発する為に、大げさに転んだり痛がって見せたり、また、相手のプレーに怪しい点があれば、自分のことは棚に上げて審判にアピールする。昨日のカタールのユース代表も、一寸いやらしいくらいであった。それに比べるとA代表にせよ、ユースにせよ、日本代表はそういう点において淡白すぎる。相手のファールで転ばされても、痛みに顔をしかめながらすぐに立ち上がる。相手のファールのアピールにせよ、私のような素人がみてもはっきりと解るファール(ハンド等)しかアピールしない。

日本人である筆者から見ると、こうした日本代表の態度は立派であると思うし、観ていて気分が良いものである。だが、国際大会においては「自責」はするが「他者を責めない」態度で随分と損をしているのは間違いないと思える。フィオレンティーナの中田を始め、海外で活躍している選手が、日本に居るときよりも明確に成長していると思わせる部分が、上記のような「タフさ」或いは「厭らしさ」であるのではないだろうか。

南米や欧州のサッカーをTVで観ていると、タックルやマーク、ヘディングの競り合い等、相手との接触をともなうプレーの際、殆ど遠慮と言うものがないことに気が付く。また、ファールにしても、誘発や審判に対するアピールなど本当に遠慮がない。相手を弾き飛ばし、飛ばされたほうも大げさに痛がってみせ、審判に最大限にアピールする。勿論、やりすぎればシミュレーションというファールを採られてしまうが、それに臆している素振りは殆どない。(イエローカードが累積していれば別であるが…)

「フランス人(アメリカ人ということもある)は謝らない」という言葉を聞いたことはないだろうか。欧州人(とは限らないが)はなかなか自分の非を認めようとしない。それどころか、例え自らの非が明確になったとしても、あらゆる言葉で食い下がる。我々日本人から見ると「素直でない」とか「いやらしい」というように感じる態度を彼等が取るのは何故なのだろう。日本人の感覚では強情な態度では却って損をするように思える。「自らに非があるのなら、さっさと謝ってしまったほうがお互いよいではないか」と我々は考える。謝ってしまったほうが楽になるではないかと。

裏を返せば、日本人は「謝れば責任解除」という、よく考えると不思議な思考をしている。例えば、何か失敗をした場合、すぐに謝ってしまうと我々の世界では大抵片付いてしまう。程度問題だが、一度謝った人間を更に追求したり、責めたりすると「謝っているのだから勘弁してやれ」と周囲に言われてしまう。不謹慎な例を持ち出して恐縮だが、相当なレベルの刑事事件の裁判などでも「改悛の情」や「反省」などが判決の前文に必ずと言ってよいほど出てくることから考えても、「謝れば責任解除」という思考は我々の中に根強くあると思う。

ところが、欧州を始め、多くの国ではそのように考えない。殊、欧米においては「謝る=責任を認める」という構図になっており、下手に謝ろうものなら、犯した罪、ミスに見合うだけの刑罰が科せられてしまう。謝ったら負けなのだ。日本の法体系もそうであるが、近代法は筆者の知る限り古代ローマにおける「ローマ法」を元としている。そのローマ法を溯ると、これは筆者の想像になってしまうのだが、古代バビロニアの「ハムラビ法典」に行き着くように思える。ハムラビ法典は「眼には眼を、歯に歯を」を原則とした量刑を基本としており、犯した罪と同等と考えられる量刑を科せられる法体系である。

アメリカの「司法取引」という制度に我々は違和感を覚えるが、ハムラビ法典を念頭におくことで何となくではあるが、理解できる。「謝った=(罪を認めた)のだから、それに等しい量刑を受けることは吝かではない。だが、私にはあなた方にとって有益な情報があるのだから、その分を割り引いて欲しい」という考え方は、罪に対する罰を完全に「量」の問題として捉えることが出来るからこそ発生する考え方である。そして、「謝った=罪を認め」てからも、勝負は続く。「罪を犯してしまった」ことが明確な場合は、ここからが勝負と言っても良い。彼等の発想のどこを探しても「謝れば責任解除」という思考は無い。

ところが、我々はそうではない。いたずらをして怒られたら、基本的には謝れば済むのである。謝ったあとに怒られることはない。だが、彼等は非を認めたら怒られるのである。自らの非を非として認めることは美質であろう。だが、それを自明のこととして考えるのはどうやら日本人だけ(少なくとも少数派)であるようだ。そのことはもっと認識されてもよいであろう。サッカーの国際試合だけならともかく、我々は個人としても国家としても外国と関っていかなくてはならない。事の良し悪しではなく、常識が異なるのだと言うことを認めてから、同じ土俵に立たないと、徒に感情的になってしまって「あいつ等は汚い。」「話が通じない」というように、コミュニケーションが取れなくなってしまうように思えるのである。
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by seagull_blade | 2004-10-04 14:22 | philosophism