Have a life outside of work.


by seagull_blade

<   2004年 09月 ( 9 )   > この月の画像一覧

月の夜の歌合せ

a0012892_14284539.jpg

<秋風にたなびく雲の絶間より もれ出る月の影のさやけさ>
左京大夫顕輔 …新古今和歌集
昨夜(2004年9月28日)、は「仲秋の名月」であった。東京都新宿区では台風の運んできた風と雲の切れ目から、名月はお顔を覗かせてくれた。楽しみの少ない仕事帰りの道、名月の光が漏れるタイミングを見計らって、夜空に顔を上げては「あ、見えた」「むむ、隠れてしまった」と思いながら歩くことは、なかなか楽しい経験である。帰宅してからも、外にでて、1時間くらい月を見上げていた。

冒頭の和歌は左京大夫顕輔(藤原顕輔)の一首で、小倉百人一首にも収録されているもので、筆者が覚えている数少ない百人一首の和歌の一つである。小学校高学年の頃、不純な理由で覚えようとしたのだが、アイウエオ順に覚えようとしたために「あ行」で始まるものばかり覚えている。むしろ、「あ行」しか覚えていない。<秋の田の かりほの庵の とまをあらみ わが衣手は露にぬれつつ> <浅茅生の 小野の篠原しのぶれど あまりてなどか 人の恋しき> <朝ぼらけ有明の月とみるまでに吉野の里にふれる白雪>etc…。やはり、不純な理由では続かないものである。とはいうものの仲秋の名月を見上げたら、冒頭の和歌を思い出し、平安貴族にでもなったつもりになりなかなかよい気分であった。

<秋風に…>の左京大夫顕輔は勅撰和歌集である「詞花和歌集(しかわかしゅう)」の選者である。勅撰和歌集であるからには天皇の命令(勅命)で編纂されたものであるのだが、調べてみると1144年、かの崇徳院が命じたものであるらしい。崇徳院といえば、結果として貴族支配の平安時代を終焉させるきっかけとなった、保元の乱を引き起こした上皇である。保元の乱に敗れ、讃岐へ流された崇徳院はそこで、鳥羽上皇の菩提を弔い、また、自らの赦免を賭け、大変な久力のあるとされていた、華厳経60巻,大集経50巻,大品般若経30巻,法華経10巻,大般若涅槃経40巻の計190巻からなる「大乗経」を5部(!)写経し、都へ奉納しようとした。だが、時の政権(後白河)がクーデターの偶像を許すはずも無く拒否されてしまう。崇徳院は怒りを爆発させ、「三悪道に抛籠、其力を以、日本国の大魔縁となり、皇を取って民となし、民を皇となさん。」と、舌を噛み切るとその滴る血で、大乗経全巻に天皇家に対する呪いの言葉を書き付け、本邦の大魔王となってしまった。

閑話休題。このブログを始めてから、度々コメントやトラックバックを頂く方には風流なブログを綴られている方も多く、最近では和歌などにも興味を持つようになってきた。まだまだ、詳しいというレベルではないが、ものの本などを読んでいるとなかなか面白い。平安時代などにはよく「歌合せ」というものが貴族の間で行われていた。歌合せはご存知の通り、お題を決めて歌を詠み合い、その優劣を決めると言うものである。筆者などは大喜利を連想してしまったが、この優劣が出世にまで響いたのだから往時は大変真剣な勝負であっただろう。この歌合せのお題は圧倒的に「恋」が多いように思う。季節と恋を合わせて「春恋」「夏恋」「秋恋」「冬恋」や「五月時鳥」などの自然の風物題を決めて、詠み合わせる。

わが心いかにかすべきさらぬだに秋の思ひはかなしき物を
権中納言(徳大寺公継)
今宵しも月やはあらぬ大かたの秋はならひを人ぞつれなき
定家朝臣(藤原定家)

秋の恋を題にしたこの歌合せは、名人藤原定家が勝ちを収めたようだが、やはり秋を歌えば付き物のように「月」が出てくる。この定家朝臣の和歌は、在原業平の<月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身ひとつはもとの身にして>という歌を本歌として、アレンジしたものと解説があった。所謂本歌取りの技法である。定家はその著作「毎月抄」でこのように書いている。
『花の歌をやがて花によみ、月の歌をやがて月にて読む事は、達者のわざなるべし。春の歌をば、秋、冬などに読みかへ、恋の歌をば雑や季 の歌などにて、しかもその歌をとれるよと、きこゆるようによみなすべきにて候。本歌の詞をおまりにおほくとる事はあるまじき事にて候』
「花の歌をそのまま花の歌として詠み、月の歌をそのまま月の歌として詠むのは、よほどの達人のやることでしょう。(だから凡人の我々がするのは無粋なことです)春の歌を秋・冬に詠み変え、恋の歌を雑歌や四季歌などにして、しかもその本歌が想像できるように詠むのがよろしいのです。」
要するに、独自のアレンジを加えながらも本ネタが明確になることが良いと書いているようである。

さて、こうしたブログを初めインターネット文化について、誰だか忘れてしまったが、評論家の一人が「編集文化である」と先日TVで評していた。なるほど、手書きするよりもたやすく、他者の文章を自分の物に出来るコンピュータを前提とするこうした文化を評してなかなか正鵠を得ている言葉であろう。トラックバックなどこの「編集文化」の精神から生まれた技術であると言えないことも無いように思う。リンク・コメント・トラックバックを頂いている方々のそれぞれに素敵な文章や画像をみるにつけ、本邦のそうした伝統が生きていて、何らかの作用をしていると思うのである。また、優劣こそつけないが、トラックバック企画も作品を持ち合わせるあたり、歌合せと思えなくもない。この文章はvariousmoon様の「つきのくさぐさ」TB企画“十五夜の宴”の参加のために書いたが、これもまた、仲秋の名月をめでながらの歌合せに準えることも出来るかもしれない。
****************************************
TB企画“十五夜の宴”開催します!!
陰暦8月15日の十五夜(中秋の名月)は、古来からお月見の対象とされてきました。
その伝統は中国から伝わり、歴史はなんと一千年以上!
現代にまでこのお月見の風習は親しまれています。
今年は、十五夜のお月さまが月齢上も満月となる少し珍しい年です。
(十五夜ではまだ満ち切っていないのがふつうです)
9月28日22:09(月齢13.945)と、満月の瞬間も
比較的見上げやすい時刻であります。
みなさまの思い思いの「お月見」を、是非トラックバックしてください。
月の出、9月28日17:32、月の入り9月29日4:49となります。

トラックバックのやり方は、この記事のトラックバックURL↓
http://kusagusa.exblog.jp/tb/1086362
をコピーの上、ご自分のトラックバックしたい投稿の”編集”をクリック
→トラックバックURLにさきほどのURLをペーストして”送信”です。
*********************************************
[PR]
by seagull_blade | 2004-09-29 14:28 | bizarro life
a0012892_2121519.jpg
現在行われている居合は大きく、「制定居合」と「古流」と呼ばれるものに分けられる。「制定居合」、正式には「全日本剣道連盟居合」であり、昭和44年に制定され、現在では12本の形をもつ居合形であるようである。古流とは読んで字の如く、古くから伝わる居合術であり、所謂、「何々流」のように表される古武道、兵法の一部である。筆者が稽古させて頂いている水鴎流も勿論「古流」である。古流は歴史の長い分、技法も多岐に渡っており、はっきり言えば煩瑣となっているため、古流の良いところを取り入れて、制定されたのが「制定居合」である。大学の居合道部などで行われている居合は基本的に制定居合であり、合理的かつ基本的な動きを覚えられるようである。筆者も是非制定居合を稽古してみたいのだが、水鴎流という「古流」から入ってしまったので、なかなか機会を得ることが出来ない。古流も制定居合で確りと基本的な動きを覚えてからの方が、より上達が早いと言われている。

古流の武術技法には様々な名称がつけられている。無論、そうではない古流もあるが、水鴎流の名称も一見しただけではどんな技であるのか解らない名称が多い。この点、制定居合はやはり現代のものらしく、合理的な名称がつけられている。全日本剣道連盟によると

〔正座の部〕一本目:前 二本目:後 三本目:受流
〔居合膝の部〕四本目:柄当
〔立居合の部〕五本目:袈裟切 六本目:諸手突 七本目:三方切
八本目:顔面当 九本目:添手突 十本目:四方切
十一本目:総切 十二本目:抜打

となっており、どのような技であるかは朧気ながら想像できる。ところが、古流、例えば水鴎流の組居合の場合、

水勢 明月 乱雲 風勢 千鳥 山陰 大陰剣 大雄剣 大極剣

であり、一読したところで、どのような技法なのか全くわからない。これらの名称は「見立て」であることが多いように筆者には思える。また、今でこそ実用性の殆ど無い居合であるが、成立した時代は正に生死の問題であった筈で、一読してわかられては困ると言うこともあったであろう。とは言うものの、なかなかに風流な名称が多い。これ以外にも多くの技があるが、二三の例外を除いてこのような名称がつけられている。

水鴎流の場合、WEB上で公開されている137の技法の内、最も多く使われている文字は「月」と「風」の8、ついで水の6であった。「明月」「月影」「蓮月」「風勢」「浦風」etc…。「鳥」という文字も4つ、流石に武術であるから「花」は少ないがやはり一つあった。組み合わせれば「花鳥風月」。辞書を引けば「自然の美しいさま」とある。この辺りに、日本人はやはり自然の風物や季節の移ろいに規定されているのと同時に、武術のような野蛮なものにまで、このような文字を与えてしまうその感性が、日本人としてとても好もしい。

西洋剣術/武術は全く解らないが、技法に風流なものを見立てるという感性は恐らくないのではないか。(大いに偏見です。フェンシングなど稽古されている方がいらっしゃればご指摘ください。)西洋や中東アジア、インド、中国などの武器にはその形状が似ていることから、堰月刀(えんげっとう)やシャムシール(ライオンの尾)などの呼び名はあるが、「見立て」という発想は見られないように思う。

筆者が最も行い易い技法として、組居合の「明月」がある。この技は打太刀(うちたち:やられ役)が仕太刀(したち:仕留め役)の首に横一文字に抜き付ける。仕太刀は右足を一歩引くと同時に刃先を上に右側へ抜刀してこれを受け、受けられた打太刀が上段に振りかぶった左手に斬りつけるという動きをする。「明月」という名は仕太刀が相手の刀を受けた際の形を恐らく半月に準えているとの事である。身体を半身にし、緩やかな曲線を持つ刀を右側に受ける姿は、成る程、月に例えるのも解らないではない。こじつけの感もあるが、こうしたこじつけを含めた見立てが何となくしっくり来るのは、日本という風土の中で生まれ、日本語というウエットな言語を操るせいであろうか。

先ほど紹介した組居合の名称である、「水勢」「明月」「乱雲」「風勢」を英訳するとその辺り良く解るのではあるまいか。水勢ならば「the flow of water」、明月は「bright moon」、乱雲は「nimbus」(調べて初めて気が付いたが、ハリー・ポッターの箒はここからとっているようだ)、風勢は「gale」とでも訳せばよいだろうか。ただ「gale」では強風や疾風のことで、ニュアンスが異なってしまう。ただ、英訳されたこれらの言葉を並べてみても武術の技法だとは誰も思わないだろう。不思議なことに日本語でかかれていると、武術の技法といわれても、筆者には全く違和感がない。

日本の文化が極めて優れているとか、他の文化よりもレベルが高いとか、そういう言説には汲みしたくない。或いは、極めて劣るとか、野蛮だとか言う事も無い。文化は優劣で論じるものではないからである。しかし、こうしたことに気が付くと、なかなか日本の文化も悪くないし、素敵な感性をもつ文化だと筆者は思えるのである。
[PR]
by seagull_blade | 2004-09-21 21:21 | swordplay

専守防衛。

a0012892_2048333.jpg
…敵の気を未然に察し、抜かずして敵を制するを言う。当流居合の窮極は、徒に剣を揮うにあらず。敵を剣鞘に斬るの神気を養ふにあり。…
「水鴎流居合剣法の本義-伝書の序-」より抜粋。

最悪の事態を想定することとは、最悪の事態が発生した場合にどのように振舞うのか事前に決めておき、シミュレーションしておくという事であるだろう。個人にとっての最悪の事態とは、色々あるだろうが、とりあえず「生命・生活の危機」とする。自分が病気や怪我で動けない、或いは様々な要因で死ぬということを想定する。すると、動けなくなろうが、死んでしまおうが、まず必要なのはある程度まとまった金ということになるだろう。生活費や医療費、家族がいる場合には家族の生活保障、葬式費用、墓の購入…etc。こういう事柄への対応策として保険事業というものは成立している。生命保険は今でこそ盛んにTV等で宣伝しているが、30年くらい前には「縁起でもない」と言って加入しない方も多かったという。

国にとって考えられる最悪の事態は、やはり色々考えられるが、まず戦争状態になることとする。国はそこに生活する人々の生活するフィールドであり、戦争状態は、そこで暮らす人々に連続して「生命・生活の危機」を与えてしまう、最も恐るべき脅威であろう。殊に第1次世界大戦以降の近代戦においては、「総力戦」と言われる、前線は勿論、銃後でさえ脅かされる物となってしまい、それまでの「どこかで行われている戦争」という感覚を大きく変えてしまった。そして余りにも恐ろしいものとなってしまった為に、そのことについて冷静に考えることが出来なくなってしまった。我々日本人は、歴史的に殲滅戦や長期間の戦争を知らない。これは大変に幸運なことだが、それ故に、太平洋戦争で破滅するまでの経験が、大きなトラウマになっているようである。

それはともかく、国家における政治家の最大の使命とは、そこで暮らす人々の「生命と生活」を守ることであるから、「可能な限り戦争状態を避ける」事となるだろう。国民へ最大の利益をもたらすことはこの場合、二義的なことである。戦争状態は最悪のマイナスをもたらす事だから、多少の利益の犠牲があったとしても、戦争するよりはマシだからである。イデオロギーとは無関係に、現代における戦争とはそういうものである。

しかし、戦争という外交手段は決して無くならない。残念ながら、人類が死滅するまで無くなりはしないだろう。結局、暴力という手段が、個人の間でも有効でありつづけるように、それが国家間であっても、民族間であっても同様である。今、振り下ろされる棍棒の前に金や言葉は無力である。誰もがその事を理解している故に暴力は有効でありつづける。

それならば、割に合わぬ戦争状態を忌避しつつ、最悪の事態を想定しておくと言うことが現実的な選択となるだろう。『抜かば切れ 抜かずば切るな此刀』これは居合術の心得であるが、奇妙なことに、現代の日本における防衛についても、筆者には当てはまるように思える。この句は「一度刀を抜いたなら必ず斬れ、しかし斬らないならば絶対に抜くな 」という考え方である。

居合術はある特殊な条件下でしか役に立たない。特殊な条件下とは「飛び道具が無く、一対一もしくは数人対一人の戦いで、かつ帯刀を許されている」という物である。本邦では江戸時代中期から幕末にかけてのみ本当に有効なものであったろう。居合は戦国時代に発祥しているが、本来、決闘もしくは仇討ちのために発明された物であって、戦場においては何の役にも立たない。かつての戦場での主力兵器は、鉄砲伝来以前は弓や槍、薙刀であり、以後は当然鉄砲である。更に太刀を使う場合でも、敵軍と対峙する前に抜刀し、戦闘に備える。『居合術』は先に抜かせてのカウンター攻撃を最も得意とする武術である。これでは飛び道具やポールウエポン(長柄武器)が飛び交う戦場では話にならない。あくまで、平和時の個人的な護身術である。(とはいえ本当に行えば過剰防衛だが)

近代戦は勿論飛び道具が殆どであるから、日本刀など何の役にも立たないが、筆者が当てはまると考えるのはそのことではない。現代では、一部の国家は知らないが、軍事的膨張主義は一応、否定されている。つまり、突然の侵略などについてはイデオロギーの如何に関らず、そう簡単にできないと言うことである。また、核兵器に代表される大量破壊兵器が発達した為に、それを双方撃ち合ってみるということも今のところ発生していない。繰返しになるが、近代戦は人命と経済力の恐るべき消耗であるから、その見地からも簡単に戦争をするわけには行かないし、してはならない。殊に、貿易や加工に依存した経済を持つ国が近代戦に突入するのは自殺行為とするしかない。すると本邦における防衛とは、殆ど自動的に『専守防衛』と言うことになる。ここに特殊な条件の相似を筆者は見る。

専守防衛とは恐らく、『抜かば切れ 抜かずば切るな此刀』の世界であって、刀を研ぐことは忘れなくとも、『抜かない(行使しない)』ということではないだろうか。居合においてまず大事なことは「腕はある」ことを前提に「徒に敵を作らない」、「敵の攻撃を誘うような隙をつくらない」と言うことである。筆者が思うにこの状態を実現することが、最も現実的なことなのではないだろうか。筆者は難しいことは知らないが、「敵の攻撃を誘うような隙をつくらない」という点は、相当に難しい。徒な協力や迎合もその内に入ってしまうからだ。だが、そのような防衛力(軍事のみならず経済、外交も含めた)が最もあるべき姿だと筆者には思われる。その為には手練手管もいるであろう。耐え難い屈辱にも耐えねばならないだろう。しかし、恐るべき状況を避ける為にはそれしかないように思われる。
[PR]
by seagull_blade | 2004-09-16 20:48 | philosophism

装束。

a0012892_1121492.jpg
居合の話をよく書いているが、装束について書いていないことに気が付いた。日本の武術や華道を習うことの大きな魅力の一つに和装で行うことがあると思う。和服を一度も着た事が無いという方も、特に男性には多いだろう。筆者の周りには「七五三」以来着た事がないというタイプが多い。近年、浴衣ブームであり、ユニクロでも4000円程度で浴衣を売っていたので、浴衣ならという方は割といらっしゃるかもしれない。とは言え、そもそも何処へ和装で行くのか、その必要も機会も普通に生活していると殆ど無いから、和服を着ないという方が多いのではあるまいか。

柔道なら柔道着、空手なら空手着、剣道なら剣道着と防具をそれぞれ着る。では居合にも居合着という物があるのかということだが、これがちゃんとある。防具を付けずに行う居合は、薄手の剣道着のような上着と、長い柔道帯のような居合帯、頻繁に立ったり座ったりするために、通常よりも少し厚手の居合袴がそれぞれ用意されている。これらは一そろい大体20000円程度で武道具屋に置いてあるのだが、実はこれは練習着であって、勿論、普通の和服でも良いし、正式には紋付袴である。実際、古武道大会等などに出場され、演武を行う方の多くは紋付袴姿であることが多い。ただ、着物は高価であることが多いし、練習は割と汗をかいてしまうことを考えると、居合着を着る方が合理的であると思う。居合着は大抵、化繊なので洗濯機でざぶざぶ洗える。

女性もこの格好で行う。居合はやはり男装でなくては帯の位置、着物の形状などから抜刀することが出来ない。しかし、女性の男装袴姿というのもなかなか格好いい。居合着の色は黒・白・紺ぐらいしかないし、袴に至っては黒・紺だけだが、このシンプルさが着る者を「凛」と見せてくれる。

女性の着物で行う武術を探しているならば、薙刀(なぎなた)がある。薙刀は江戸時代、どう言う訳か武門の女性の武器とされてきた。女性の着物特有の振袖を利用した技や、大きくステップを踏めないことを逆用した技など、これも相当に高度な武術である。薙刀は長柄(1.5~2m程度)の先に刀をくくりつけた武器であり、武器として考えた場合、強力なものである。とくに切断の力は刀の比ではない。てこの原理が働いて、柄の先の刀身は刀よりも遥かに高速で振られる。女性の力であろうと、刃がぶれることなく真直ぐ入れば、腕ぐらい骨ごと切断してしまうだろう。勿論、薙刀は男性も行う。江戸時代以前には槍とは用途の違う長柄の武器として実戦に使用された。鎌倉、室町前期の鉄砲伝来以前には主力武器の一つであったようだ。筆者の習っている水鴎流にも薙刀はある。(筆者は握ったことも無いが)男性女性の区別はない。

閑話休題。居合の装束の話である。筆者の場合、男性用の肌襦袢の上に黒の居合着、一般的な角帯に黒袴である。足元は素足。冬場などは冷たいので足袋を履いた方が良いかも知れない。この辺りは古流であれば流派によると思われる。また、筆者は夏場、汗対策に手ぬぐいを頭に被っている。少し大ぶりの手ぬぐいを呉服屋で数枚購入して使いまわしである。最後に、真剣もしくは居合刀を差す。差す位置は左腰、角帯が三重に巻かれている所を外側2枚と内側1枚の間に刃を上にして差す。鎧を前提とした「太刀(たち)」は刃を下にするが、通常は刃を上に、栗形(くりがた)という下げ緒止めを常に左にする。まずはこれで準備完了。

和装の敬遠される点として、帯の巻き方があるかもしれない。男性の帯は女性のそれに比べれば遥かに簡単だが、慣れるまでは一寸面倒なのは確かである。結び方はそう多くは無い。筆者の場合は一番基本的な「貝ノ口」という結び方である。袴下であれば本来「一文字」なのだが、どうも上手くいかない(練習中)。また、浪人結び(片ばさみ)というものもあるが、これは着流し(袴なし)なら良いが、袴を穿くと背中の結び目が真平らになるので、しっくりしない。(このあたりは「男のきもの大全」がとても詳しい)筆者はスーツから居合着に着替えるのに5分程度。やってみれば難しいことは特にない感じである。

もう一つ面倒なのが、袴の始末である。要するにどうやって畳むのかだが、手順としては、まず、丁寧に広げ、襞を揃え、裏返し、中心線を揃えて三つ折にし、二組の紐をクロスさせて形を整えるのだが、この辺りとても面倒である。とは言うものの、紐はともかく襞は丁寧にそろえないと、どんどん崩れていってしまうので、これだけはやらなくてはならない。着流しは今でも割と見るのに、結婚式くらいしか袴姿をみないのはこの辺りに原因があるような気がしてならない。

さて、下着はどうすべきかという疑問もあるのだが、筆者の場合は洋装のままである。褌というのが本当なのだろうが、トイレも面倒なので袴の下は普通にスポーツ用のトランクスやブリーフである。よほど和装に慣れていない限り、越中褌(えっちゅうふん)ということはなかなか無いように思う。女性にも聞いてみたが、やはり下着は洋装のままであるようだ。居合着では前がはだけることもまず無いので、「さらし」を巻く必要もない。

居合着なり、和装をして刀を差すと、なかなか引き締まった気分になる。居合の練習そのものは動きやすい格好に帯さえあれば出来るのだが、やはり袴を穿くと、雰囲気からして違ってくる。居合という武術は最早実用の物ではない(当然)ので雰囲気というのも大事な魅力の要素であろう。こういうところで和装にだんだんと慣れ親しむのも筆者の楽しみの一つである。和装をしてみたい方、居合も含めて古武術などやられてみては、如何だろうか。
[PR]
by seagull_blade | 2004-09-14 11:01 | swordplay
a0012892_15325845.gif
ここ2年ほど、圧倒的に一人で酒場に出入りするようになった。いわゆる「酒場の油虫」という奴である。深刻な話でもなんでもないが、自宅よりも酒場のカウンターの方が落ち着く人になってしまった。誰かと飲むことは殆どない。飲みたくないわけではないが、いつも相手が見つかる訳ではないし、それならば一人の方が気楽というものである。ただ、みっともない話だが、最近は悪酔いするようになった。そろそろ、この生活もなんとかしたほうが良いかも知れない。悪酔いといっても気分が悪くなったり、頭痛がするのではなくて、何となくネガティブになるというだけなのだ。

そういう場合、どんどんネガティブになる思考と、それを冷ややかに嘲笑する、さほどネガティブでない思考が発生し、他人からみると、ちょっと不機嫌だが普段どおりという状態である。ネガティブな思考は筆者自身の「無能・無価値」を嘆くのだが、冷静な思考は前者の思考を「それほど無能であるわけはない。そうでなければ、査定もわりと良く、それなりに頼りにされる理由がない。」「無価値というのは孤独感の言い換えに過ぎない。別に天涯孤独なわけではない。その程度の辛さは誰でも抱え込んでいるものだ」というように分析する。一種の自問自答をしている訳で、それなりに疲れたりもする。アルコールを摂取してストレスを発散しているのに、その代償として自問自答で疲れてしまう。「この生活も何とかしたほうがいい」と考えるのはそういう理由である。逃避して気持ち良くなれないのなら、毎日いくらかの金を払って飲む理由もあるまい。

とは言え、結局、食事を自分への言い訳に飲みにいくのだろう。大した量を飲むわけではない(平均的にビールを2杯程度)。その後に、居合の一人稽古をするので、寝る前にはアルコールなど抜けてしまう。それでも、飲み屋から家までの間の自問自答が面倒なので、少し回数を減らしてみようと思う。なかなか出来ないのだが。軽度のアルコール依存症な気もしなくもない。(休日は大抵、アルコール抜きである。働きもしないのに酒を飲むのは何となく憚られる。)

その面倒な自問自答を打ち切りたい時に、無理やり頭の中で再生させる音楽がある。読者諸兄姉もそういう曲があるのではないだろうか。あるシチュエーションの時に決まって思い浮かべる音楽というものが。

音楽を聴く時や頭の中で再生する際、大体においてそのときの気分をトレースした曲を選ぶ。疲れて、ふさいでいるのに明るく前向きな曲を聴きたいことは少ない。また、ポジティブな気分にあまり後ろ向きの曲は聞きたくないものだと思う。インストゥルメンタルのクラッシックやJAZZもそういう傾向があるが、歌のある曲はその傾向がはっきりしている。筆者は高校生までに聴いていた音楽は、洋楽だろうと邦楽だろうと歌詞まで覚えてしまっていることが多い。そういう曲はかなり詳細な部分まで脳内で再生できる。その脳内ジュークボックスが、酔っ払いの自問自答の際に選択する曲は、クイーンとディヴィッド・ボウイーの合作、「UNDER PRESSURE」である。

ジョン・ディーコンの印象的でどこか滑稽なベースで始まるこの曲はクイーンのヴォーカル、フレディ・マーキュリーとディヴィッド・ボウイーのデュエット曲である。かなり有名な曲なので、ご存知の向きには蛇足だが、1982年、シングルカットされ大ヒットした曲で、クイーンのアルバム『Hot Space』に収録されている。また、クイーン/ボウイーどちらのベストアルバムにも大抵収録されている曲である。

嬉しくない自問自答のBGMとして、筆者の脳内ジュークボックスがこれを選ぶのは、フレディとボウイーの掛け合いが、きっと自問自答の状況をトレースするからだろう。興奮して嘆くフレディと冷静なボウイー。

フレディは嘆き、そして叫ぶ。
Can't we give ourselves one more chance?
Why can't we give love that one more chance?
Why can't we give love give love give love?
<どうして愛せなくなってしまったんだ。なぜ?なぜ?>

ボウイーが例の低い声で唄い出す。それに答えるように。
Cause love's such an old fashioned word
<愛なんて時代遅れな言葉だからさ>

これを聴いているうち(本当に聴くこともあるし、脳内で再生するだけのこともあるが)に、くだらない自問自答の時間は終わり、家にたどり着く。歌詞の意味がどうということではなく、歌詞の論理(おかしな言葉だ)が自問自答の形式をとっているので、自分の自問自答をかき消してしまう気がするのだ。そして、アルコールが抜け始め、いつもの自分に戻る。己のくだらなさは己に発していることに過ぎないと再認識して。

つまらない代償を払うのを止めて、今夜は一つ、酒を我慢しよう。楽しくない酒など意味がない。久しぶりに素面でこの曲を聴きたくなったような気がする。
[PR]
by seagull_blade | 2004-09-13 15:32 | musique
a0012892_19482845.jpg
8月26日に防衛庁主催の『陸上自衛隊富士総合火力演習』を見学してきた。(会社の先輩にチケットを頂いた)筆者は偶々休みだったが、平日のことでもあるし、だれも誘うことができずに、一人で富士畑岡の演習場へ早朝から向かう。軽ではないが小型車に乗っているので高速道路がやや辛い。どうにか御殿場ICまでたどり着いた。指定された矢鱈と広い駐車場に車を止め、自衛官の指示に従って、演習場までのシャトルバスへ乗り込む。夏休みと言うこともあり親子連れがとても多い。急な斜面を登り(富士山麓内だから当たり前だが)演習場へ。ひどい曇り空で、今にも雨が落ちてきそうだったが、直射日光のなか見学するよりはマシと諦める。

演習場はものすごい人出である。到着が遅れたため既に火砲の音が場外にも漏れ出している。数千人は座れそうな雛壇の客席の横を抜け、巨大な防水なシートで覆われた演習場前の地面に座った。この席も大量の観客(見学者?)が座っていた。スピーカーから、長距離火力、中距離火力、近距離火力など、兵器を丁寧に一つずつ説明する声が聞こえる。その兵器の用途、威力、使用方法が説明された後、発射指示の無線に切り替わり、場内に「目標を補足、ロックオン完了、安全装置解除」「撃て!」の声が響く。直後、轟音とともに榴弾砲や迫撃砲が発射される。すさまじい轟音である。また、静止目標とはいえ、命中精度には驚いた。特に、ミサイルの精度は十数キロ先の目標を正確に破壊するほどである。

自走砲や迫撃砲の轟音に慣れ始め、考え事を始めた筆者の目の前を2種類目の戦車が通り過ぎる。直前の74式戦車に対して、こちらは90式戦車というらしい。相当に大きい砲を積んでいる。ボンヤリして眺めていたが、「90式戦車の120ミリ滑腔砲は、大変大きな音がします。大変大きな音がします!ご注意ください。」という場内放送が流れた。大きな音と連呼するので、どれほどのものかと思っていると、例によって、「目標を補足、安全装置解除!」「撃て!」の声が。そして…。

90式戦車は筆者から大体30から50メーターの位置に静止している。かなり大きな車体だから、もしかするともっと離れているかもしれない。だが、一瞬目の前が閃光に包まれ、鼓膜が破れるかというほどの音とともに地面がゆれた。上述のように筆者は地面に直接座っているのである。「ズドン」などというかわいい音ではない「バン!」とも「ダン!」とも付かぬ猛烈な音だ。大地が揺れる音など初めて聞いた。そして目標の斜面に命中。ロケットなどと違って、弾丸など見えない。発射音とともに目標の斜面に着弾し、土煙が上がる。

会場は静まり返った。お喋りしているカップルも、大騒ぎしていた子供たちもその音に息を飲んでいる。先にデモを行った74式戦車の105ミリ砲など120ミリ滑腔砲に比べれば豆鉄砲のようだ。105ミリといえば、太平洋戦争で使われた高射砲よりも大口径である。それですら豆鉄砲に感じる。120ミリ砲の威力は凄まじいものだろう。

会場がざわつき始めた。子供の泣き声がそこかしこで聞こえる。無理もない。大人であり、男性である筆者とて恐怖を感じる音なのだ。当然、活動を紹介する演習なのだから、こちらに弾が飛んでくることは100%ない。にもかかわらず、その咆哮は大人ですら恐怖させる。30分の休憩が始まった。ここで帰る見学者もそこそこにいる。泣いている我が子をあやしながら帰る親子連れを見ながら考えた。

湾岸戦争、イラク戦争で使用されたアメリカ軍の主力戦車は、M1A1エイブラムズという。エイブラムズも同じ120ミリ滑腔砲を装備している。そしてイラク軍の主力戦車T72戦車は125ミリ滑腔砲を備えている。そうなのだ。あの戦争は先ほど見た90式戦車同士が戦ったような物なのである。(性能差については言及しない。戦車は砲塔の威力が全てではないし、結局アメリカの一方的勝利に終わったのだから。)湾岸戦争もイラク戦争もあの戦車を街中で運用し、砲火を交えたのだ。住民は堪ったものではない。砂漠での運用もされただろう。あれで撃ち合うのだ。兵士とて慣れるとは言え、絶対におかしくなってしまうだろう。戦車同士ならいざ知らず、軽装甲車など跡形も無く消し飛んでしまう。そして戦場で運用されるのは戦車だけではない。対戦車ヘリ、ミサイル、爆撃機による空爆、銃弾、ロケット、迫撃砲、対人榴弾、対人地雷、拳銃、小銃、機関銃…あらゆる兵器がお互いを狙い合う。

休憩が終わり、今度は戦術面からの紹介演習となった。ヘリコプターと連動した、「ヘリボン攻撃」や砲科と歩兵が連動した攻撃などの紹介があり、74式戦車と90式戦車がそれぞれ8両(違うかも知れない。記憶だけなので。)登場した。そして、移動しながらの一斉射撃。天地が引っ繰り返るという言葉が決して大げさではない轟音の連続である。大地は揺れつづけ、砲撃の度に戦車は閃光に包まれる。もはや筆者の鼓膜もだいぶおかしくなっており、何度も耳を塞ぎたい衝動に駆られる。だが、戦場は弾が飛んでくるのである。ここは演習場なのだ、こちらに飛んで来るはずは無いと言い聞かせ、懸命に耐える。もはや機関銃の音など物の数ではない。

「早く終わって~」隣に座った家族連れの女性が叫ぶ。ミリタリーマニアはともかく、これは多くの人がそう思っていただろう。そして、戦場では誰もがこことは比較にならない思いをこめ言うだろう。「早く終わってくれ」と。

この富士火力総合演習で使用された弾薬は十億単位の費用が掛かるそうだ。2日間、合計しても5時間程度の演習でこの価格である。戦争は恐るべき消耗である。命も金もなにもかもを猛烈な勢いで消耗する。近代戦とはそういうものだ。そして、戦争行為そのものは何も生み出しはしない。

あらゆる哲学・思想があるであろう。だが、一人の命よりも重い哲学・思想や宗教など、存在しないのだ。少なくとも筆者はそう思っている。「一人の命は地球より重い」とは思わないが、思想や宗教などにそんな重さがあるはずが無い。

自衛官の方々や、自衛隊の戦車がこれまで実戦投入されていなくて本当に良かったと思っている。陸上自衛隊富士総合火力演習はサマワの指導者が地域の長老(とそれに連なるテロリスト達)へ向けた「何故、日本を狙うのだ!日本の自衛隊が我々に一度でも銃を向けたことがあると言うのか!?」という言葉の意味をほんの少し教えてくれた気がした。そして、そんな場所へ、任務として議論も尽くさずに送り出した某政治家と、反対はしていたが任務として送られることに決まった自衛隊の装備を、拳銃一丁、機関銃は部隊に一丁などとほざいた、某政党がますます嫌いになった。(日本だろうと、イラクだろうとアメリカだろうと自衛官や兵士にとって戦場は殺されに行くところではあっても、殺しにいくところではあるまい)そして、帰りのバス待ち行列の横にいた「近頃の根性のない若い奴や罪を犯したような若い奴は全部自衛隊に入れればいい」と言っていた、酔っ払いオヤジには怒りすら湧かず、あきれて物も言えなかった。派遣された自衛官の無事を祈るばかりである。
[PR]
by seagull_blade | 2004-09-10 20:14 | philosophism
a0012892_11461951.jpg
第4回では『カスタマーイン』や『プロダクトアウト』をキーワードに業界の潮流についての紹介とSCM(サプライチェーンマネジメント:供給鎖管理)に少し触れた。マーチャンダイジング(MD)そのものには殆ど触れられなかったが、マーチャンダイジングはテーマがやや大きいのと筆者も勉強中なので、また先延ばしにさせていただき(申し訳ない)、今回は、EDIを中心に小売と取引先とのあり方を紹介していきたい。

EDI(Electric Data Interchange)は電子商取引と訳されることの多い、IT業界としては割と歴史のある言葉である。IT化が最も早く進んだ業界の一つに金融業界が挙げられるが、銀行のホストコンピュータと大口取引先との電子データによる取引が最も早く確立されたEDIの一つだろう。70年代後半から90年代前半にかけては、VAN(付加価値通信網)や高額な専用回線を使用し、更に業界毎の手順(プロトコル)を使用しており、ある意味でとても閉鎖的であった。だが、この4-5年の間にEDIも大きく様変わりしている。

EDIとは「電子商取引」であるが、では実際の「商取引」に使用される媒体は何かと考えると「伝票」である。見積書⇒発注伝票⇒受注伝票⇒納品伝票⇒検品伝票⇒売上伝票⇒請求伝票⇒振替伝票という一連のサイクルをコンピュータ上で実施するものである。従ってごく大雑把にいうとEDIは「電子化された伝票とそのやり取り」ということになる。メリットは比較的分かりやすい。「転記ミスの削減」「時間と人件費の削減」である。従って、どこの業界でも推し進めて行きたいものだったが、先ほど挙げた閉鎖的な環境が障壁となり、なかなか拡大しなかった。だが、Microsoft Windows95登場以後、急速に普及したインターネットによって、このEDIも一つのビジネスとして確立され始めた。

インターネットはオープンな手順・様式(プロトコル「TCP/IP」)を使い、爆発的に各地のネットワークをつなげた、ネット間ネット(Inter-net)である。これにより、業界どころか国境もなんら問題なく超えていける通信網である。同じようなサービスに電話もあるが、これは音声のみである。対してインターネットは「文字情報」「音声情報」「画像」をも含む表現力を持った。こうした基盤の確立が、EDIと結びついて誕生したのが、現在主流になりつつある、インターネットを利用した『Web-EDI』と呼ばれるサービスである。

Web-EDIを利用する側は「インターネットエクスプローラー」等のWebブラウザさえあれば、使用可能なものであり、また専用回線に加入する必要もない。これらのメリットを売りに現在、Web-EDIの拡大を進めている。そして、流通業界では小売主導(マーケットイン/カスタマーイン)の潮流により小売側がこれらのサービスを提供し、取引先を囲い込むという戦略に利用し始めている。即ち、このサービスを利用しなければ取引できないという形を取り、取引先のブロック化を図るという訳である。

また、こうしたEDIを取り入れることで、それぞれの企業の業務フローが変化する。或いは変化させざるを得ないが、大規模小売店側はさらに物流も含めたBPRサービスもあわせて提供している。BPRとは「Business Process Reengineering」の略称で、業務改革を支援するシステム或いは取り組みのことである。製造側・卸側はEDIに参加することで、こうした業務プロセスの見直しも図ることができる。また小売側にとっては卸側のレスポンスを高速化する(QR:Quick Response)ことで、店頭の新鮮さや、顧客の要望への敏速な対応を図ることができる。洋服を例にとれば売れ筋の色を分析し、すぐさまメーカや卸に対応させることが可能となる。

このように、本来は小売側とメーカ/卸側双方にメリットがあり、急速に普及すると思われていた。しかし、低価格(月額1万円~3万円)で参加でき、業務プロセスも見直すことができ、受発注も効率化できるWeb-EDIが、パイとしては大きい中小アパレルにおいては今一歩期待通りの広がりを見せていないのが現状である。なぜだろうか。

小売業界におけるWeb-EDIの仕組みとしてはNTTコミュニケーションズのd2s-eMP、富士通のコラボエージェント、伊勢丹データーセンターのIQRS.netなどがある。最も早く立ち上がったのはIRQS.netであるが、2004年現在でおよそ400社程度の参加となっており、伊勢丹のような大型百貨店の取引先としては少ないといわざるを得ない。

ここでやはり、アパレル業界・流通業界のIT化立ち遅れという問題がまた明確化してくる。実際、中小アパレルや小規模な卸の場合、専任のシステム担当者を置いている場合が少なく、総務担当者や経理、営業といった別の仕事を抱えていながら、「パソコンが詳しい」という理由で、システム担当者を兼任しているケースが多い。また、取引先の全てがWeb-EDIを実施する訳でも無い為、彼等にしてみれば、またしても入力する手間が増えるだけという負担感は否めない。逆にWeb-EDIを企画している大手小売業者にしてみれば、「メーカ/卸側の、それまでのVPNや手作業による受発注のコストが馬鹿にならないというニーズを拾上げて、コストも安く、操作も簡単なWeb-EDIを立ち上げたのに乗って来ないのは怠慢だ」という感想を抱きやすく、相互のメリットどころか、コンフリクトを生じやすい。

TVCFで盛んにE-MARKET PLACEを喧伝しているが、流通業界はまだこの程度である。それは逆に、こうしたサービスを提供する側からすると、一定以上のシェアをとることが出来れば、その仕組みを業界標準とするチャンスでもあるのだが。

次回は、仕入れについて小売側の理屈を紹介してみたい。
[PR]
by seagull_blade | 2004-09-08 11:45 | career
a0012892_23562728.jpg
筆者は涙腺が壊れているらしく、長じてからは殆ど泣いたことがない。もっとも、「男が泣いてよいのは両親が死んだ時だけだ」という祖父の言葉が心の奥に残りつづけているだけかも知れない。だが、例外的に涙腺が緩むパターンがある。最近では、適度なアルコールが入っている時に、好きな音楽を聞いた場合である。先々週だと思うのだが、マスターに仲良くして頂いている行き付けのバー「Grand Pa ‘S Dream」でそんなことがあった。

「もうすぐ閉店だし、お客さんも君しかいないから好きな曲をかけてあげるよ。」このバーのマスターは酒も詳しいが音楽も詳しい。年も近いこともあって音楽の趣味は結構合う。(しかも元剣道少年で居合や刀の話もできる)バーには常時数百枚のレコードとそれ以上のCDが置いてある。マスター個人の趣味だが、クラッシックからジャズ、ロック、少し前の邦楽…少なくとも筆者が知っているような曲が無かったことは無い。
「…マスターのお勧めがあれば、それが聴きたい。」
「それなら、これはどうだろう。」マスターが取出したのは見た事の無いジャケットのCDだった。深夜1:00を過ぎると賄い酒を飲み出すマスターは慣れてはいるものの多少危ない手つきでデッキへセットする。
「映画のサントラだよ。」
「ふーん。最近観てないな…映画なんて。一緒に行く相手も居ないしね。」
「お互い様だ。いいから聴けよ。」
「うん。」
「Queen好きだったよね?」
「うん。」

いつもよりボリュームを上げたスピーカーから流れてきたのは、30年代のフランス風の音楽だった。予想していたクイーンの聴きなれた音ではなくて、アコーディオンの悲しげなメロディ。そして、低く張りのある男の声が流れてきた。
「…え、The Show Must Go On?」
「ふふん。誰が歌っているか判る?」
全く判らない。時折、細い女性の声が混じる。そして短くアレンジされた曲はすぐに終わった。「もう一度、掛けてくれる?」「勿論。」

Empty spaces - what are we living for
Abandoned places - I guess we know the score
On and on, does anybody know what we are looking for
Another hero, another mindless crime
Behind the curtain, in the pantomime
Hold the line, does anybody want to take it anymore
The show must go on,
The show must go on
Inside my heart is breaking
My make-up may be flaking
But my smile still stays on.

ここまでで不覚にも涙が流れてきた。誰が歌っているのかは判らないが、力強く、切実で、悲しい決意を歌っていた。サビのあとの一節を歌う女性の声も優しく、切なかった。
「ちょっとトイレに行ってくる」
「雰囲気壊すなあ」本当のところ、不覚をとったのがみっともなかったのでとりあえずトイレに行っただけだったが、ばれずに済んだ。(マスターの事だから知っていて言ったのかも)
「ただいま。ハイボールが飲みたい。」
「ほいよ。で、判る?」
「いや、全く。でもこれはスゴイね。」
「ふふん。男の声はユアン・マクレガー、女の声はニコール・キッドマン。」
「え、ちょっといい男の俳優だよね。何かに出てた…なんだっけ?」
「『ベルベット・ゴールドマイン』とか『ブラックホークダウン』とか『スターウォーズ』とか」
「…。ニコール・キッドマンってトム・クルーズのかみさんの?」
「元ね。『ムーラン・ルージュ』って映画のサントラだよ。これは2枚目だけどね。」

この曲を聴いて涙ぐんだのは初めてだった。勿論、大好きな曲には違いないのだが。91年クイーンのヴォーカル、フレディ・マーキュリーはHIVによるカリニ肺炎を発症して鬼籍に入った。クイーンがクイーンとして存在していた時代のラストアルバム『Innuendo』に収録されたこの『The Show Must Go On』は、フレディの遺言というべき曲である。自らの余命を知った上で、「the show must go on」と書いた心中はどうだったのか。どうしようもなく辛いときは、そのことを想像して、「この程度は辛いとは言えない」といつも言い聞かせていた。これは使命を自覚していながら、最後まで果たすことの出来ない男の精一杯の強がりなのだと。それに比べれば、「お前の辛さなどなんと言うことはない」と。

最近はアルコールとこうした好きな音楽が少しだけ涙腺を緩めてしまう。ユアン・マクレガーの歌声でも。(とても素敵だけれど。)進歩なんだか、堕落なんだか。もちろん、CDは1・2ともすぐに購入した。
[PR]
by seagull_blade | 2004-09-06 23:56 | musique

弁財天。(江ノ島紀行)

『七里ヶ浜の磯伝い 稲村ヶ崎 名将の 剣 投ぜし 古戦場』唱歌「鎌倉」の一節である。夏の終わりに機会を得て江ノ島・鎌倉へ日帰り。とは言え、東京在住の筆者からするとそう遠くはないのだが、マリンスポーツには縁が無い為に混み合っている夏に行ったことは無かった。今回は新江ノ島水族館&江ノ島・鎌倉観光という組み合わせだったので、悪くない休日を過ごすことが出来た。冒頭の唱歌「鎌倉」はどういうわけか筆者の子守唄だったので、鎌倉から江ノ島へ移動した江ノ電の中でずっと頭の中で廻っていた。(因みに筆者も筆者の両親も鎌倉とは殆ど縁がない)

水族館でイルカのショー(初めて生で見たがイルカの芸達者振りと運動神経はすごい。)を見物してから、「サザエが食べたい」ということで昼食のために江ノ島へ。快晴の上、島へは初めてで、更に三大弁財天の一つ「江ノ島弁財天」を見ることが出来るため、気分よく江ノ島の橋を渡った。渡ってすぐにある食事処で「サザエ丼と焼きハマグリ」を「江ノ島ビール」を飲みながら美味しく頂いたあと腹ごなしに海岸へ出て、一寸だけ磯遊び。筆者は全く予定していなかったのでビーチサンダルすら持っていなく、同行した方に急遽買ってきて貰うという体たらく。少し気を取り直して江ノ島弁財天へ。
a0012892_2091038.jpg
弁財天には、縁切りと縁結びという矛盾した性格がある。井の頭公園や上野不忍池、そしてこの江ノ島でデートをすると必ず分かれるという噂話をよく耳にする。(TDLもそうだが…)この3箇所の共通点は、水辺であり、弁財天が祀られているということだろう。今回、筆者に同行してくれた方は女性だが、残念ながら恋人では無いので何の気兼ねも無く弁財天へ向かった。しかし現在でも都市伝説や噂話として久力を保っているこうした弁財天に惹かれ、少し調べてみることにした。

弁財天といえば何を連想するだろうか?七福神の一柱としてよく描かれる美しい女性が琵琶を抱えた姿だろうか。あるいは商売繁盛のシンボルだろうか。弁財天が祀られている場所は上述したように「水辺」である。弁財天はもともとインドの「サラスバティ」という女神であった。サラスバティはインダス河の神であり、母なる河の神格化であったようだ。河川の神格化は東洋においては「龍神」の形をとることが多い。弁財天も勿論女神であると同時に龍神である。弁財天が祀られた神社や祠に出かけることがあれば、注意して頂くと、必ずと言って良いほど龍神の彫像や絵がある。母なる河も一度怒れば、洪水などのどうにもならない天災を招く。そうした荒々しい面をこの龍神が表していると考えられる。

鎌倉時代から戦国にかけての日本の中世は戦乱の時代だったが、弁財天は戦いの神としても人気がある神であったようだ。江ノ島へ弁財天を勧請したのは源頼朝であるし、織田信長や上杉謙信もそれぞれに信仰していたらしい。真言密教を奉じていたと言う上杉謙信は分かるが近代的合理主義者と考えられている織田信長までも信仰しているのはちょっと驚きである。七福神の一柱としての弁財天は、たおやかに琵琶を抱えて微笑んでいる。だが、古式の弁財天像は八臂(4対の腕)に輪宝(りんぽう)を除いて、弓・矢・剣・宝珠・矛(ほこ)・長杵(しょ)・鍵棒という武器を持ち、如何にも戦女神あるいは鬼神の雰囲気を漂わせている。なお、江ノ島弁財天も木造の彩色八臂弁財天坐像が納められている。(今回は観なかったが)この弁財天は日本に入ると吉祥天や市寸島比売命(イチキシマヒメノミコト)と同一視(習合)される。江ノ島弁財天においても中津宮に祀られている。

イチキシマヒメはスサノオの娘であるが、スサノオと言えば牛頭天王(ごずてんのう)と同一視される神であり、牛頭天王は京都八坂神社の祭神であった。牛頭天王は疫病を防ぐ神(薬師如来の化身とされる)だが、元々は牛頭鬼(ごずき)という地獄の獄卒である。馬頭鬼(めずき)と合わせて牛頭・馬頭と呼ばれ、それぞれ読んで字の如く牛の頭を持つ鬼、馬の頭を持つ鬼の姿で表される。神仏習合の文化である日本においては『スサノオ=薬師如来=牛頭天王=牛頭鬼』という構図が成立するようだ。かつての人々は、本来、鬼であり、疫病を運ぶ羅刹であった牛頭鬼を疫病から守る牛頭天王として祭り上げることによって、無害化・有益化を図ったのかも知れない。

さて、江ノ島には天女と五頭龍(ごずりゅう:読み方に注意)の伝説が残されている。腰越という地名が鎌倉に残っているが、かつては「子死越」であり、五頭の暴れ龍が鎌倉は腰越の底なし沼に住み、子供を人身御供として要求する悪神であった。人々が困り果てていたある日、天地の震動とともに海上に島が現れ(これが「江ノ島」)、島には天女が舞い下りた。五頭龍は天女の美しさにすぐに結婚を申し込んだ。天女はそれに対して交換条件を出す。「この地を守る龍となるならば結婚しよう」と。この天女こそ、妙音弁財天(水のせせらぎから音楽の女神でもある)であって、五頭龍は腰越に五頭龍大明神として祀られる存在となった。音で分かるように五頭龍は「牛頭鬼(天王)」であり、同時に弁財天の夫でもある。あたかも牛頭鬼が牛頭天王になったように、五頭龍は五頭龍大明神となった。前述したが龍は弁財天の化身でもある。

この夫婦はそれぞれ「江ノ島弁財天」と「五頭龍大明神」を夫婦社として祀られているが、どういう訳か、60年に一度、1ヶ月しか合うことを許されていない。それぞれの神社のご開帳が60年に一度であり、直近では1989年に行われた。すると次回は2049年と言う事になる。神であるから当然、不死とはいえ、60年に一度しか遭う事のできない夫を弁財天はどのように思っているのだろう。カップルで参拝する恋人たちを弁財天はどうみているのだろう。これが彼女が「縁結び」であり「縁切り」である理由であると思う。
江ノ島神社で引いた御神籤は『大吉』であった。独り身の筆者に、弁財天は少しだけ微笑んでくれたのかもしれない。
[PR]
by seagull_blade | 2004-09-03 20:10 | bizarro life