Have a life outside of work.


by seagull_blade

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a0012892_13316.jpg少し前に『ファム・ファタール』(femme fatale)という映画があった。ブライアン・デ・パルマが監督し、豪華な宝石や衣装が話題となったFilmだった。「蛇のビスチェ」などとい「エロティシズムと悪趣味」「衣装と宝飾」の境にありそうな映像を覚えている方も多いかもしれない。

「femme fatale」という言葉がボウイーの楽曲にも登場する。またしてもボウイーか!と思われる向きもあるだろうが、お付き合い頂きたい。

1975年のアルバム『ZIGGY STARTDUST』に収録されたこの曲「LADY STARDUST」はボウイーの曲の中でも知られた曲であろう。第一興商だったかのTVCFでも使用されていた。

彼の持つデカダンスな雰囲気と相反する真剣さを無理なく調和させ、日本人好みのやさしいメロディラインが印象的な曲だ。

イントロはピアノで始まる。ヴォーカル・ピアノ・ベース・ドラムだけだろう。詞の内容は「LADY STARDUST」というバンドを歌ったものに取れる。相変わらず意味深で何とも解りにくいのだが・・・
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And lady stardust sang his songs
Of darkness and disgrace

そして レディ・スターダストは彼の暗闇と恥辱の歌を唄う。
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なんのことだろう。LADY STARTDUSTは男性なのか?バンドの名前なのか?それともその名の通り女性なのだろうか?このあたりがボウイーの上手なところだ。曖昧にして聴くほうの想像力を刺激する。
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And he was alright, the band was all together
Yes he was alright, the song went on forever
And he was awful nice
Really quite out of sight
And he sang all night long
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やはりはっきり男性なのだ。「彼はalrightだった」のだから。
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Femme fatales emerged from shadows
To watch this creature fair

Femme fatalesは神の前に等しい被造物を見に
影より現れた・・・
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サビのあと2回目のAメロでFemme fatalesは登場する。なかなか難解な歌詞だ。運命の女と訳されることも多いがどちらかと言えば「妖婦」「傾城の美女」のようなニュアンスの方が強いこのフランス語をどう捉えればいいのだろう。

筆者はこのように妄想してみた。LADY STARDUSTという男性ボーカルのバンドが演奏をはじめると「LADY STARDUST」という淑女であり妖婦が音楽の中に立ち現れるのだと。唄っている間だけ現れる全てを魅了せずにはおかない美女。彼女は等しくその音楽を聴いている物を魅惑し、酔わせる。曲が終われば何処にもいない。しかし、オーディエンスはその存在を確信しているのだ。

良い音楽とはそのようなものかもしれない。と思う。
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by seagull_blade | 2004-04-30 13:32 | musique

松風。

a0012892_20138.jpg何のことだか解らないタイトルだが「水鴎流居合術」の形名の一つである。最も基本的な形の一つであり、恐らく「居合」といわれて想像される動きの代表格であろう。静かに一歩踏み出し、鯉口を切り(鍔を左手親指で持上げ、鞘から抜けやすくし)、突然素早い動きで抜刀しそのまま横一文字に切付け、更に上段から真向に振り下ろす。血振り(時代劇の主人公が鞘に収める前に行う動作)、納刀。

ただこれだけの動作なのだが、難しい。まずは抜刀をスムーズに行わなくてはいけない。筆者が使用しているのは「居合刀」と呼ばれる模造刀である。これは刀身以外は真剣と同様の作りになっており、重さも真剣同様である。勿論、刃付けはできないが刀身はそれなりの合金で作成されており、ぱっと見て真剣との区別はつかない。これを帯刀してある状態から一気に引き抜くのだが、鞘引きと呼ばれる、鞘を左手で後ろに回す動作を同時に行わないとまず抜くことができない。更に抜くだけでなくそのまま横一文字に相手の(勿論仮想敵。ほぼ自分と同じ体格の敵を想定する)首筋へ切りつけるのだが、斜め左下から抜いて肩の高さで横一文字に振るというのが想像以上に難しい。

また時代劇などを注意して見ていると鞘から刀が引き抜かれた(「鞘走り」という)際に刀身が鞘に擦れる音がする。結構格好いいのだが、これはNG。鞘からは音も無く引き抜かなくてはならない。師範によると「夜や暗闇で敵と戦う場合、音はこちらの位置を知らせてしまう。それに鞘も痛めてしまって良いことは何も無い。」ところが、日本刀には緩やかな反りがついており、これを鞘走りの音を立てずに抜刀する為には、瞬時に鞘の反りに合せながら抜刀しなくてはならない。

横一文字に切りつけたあと、上段に双手で一瞬構えて切り下ろす。ところが、右手のみで切りつけた後、すぐに左手を添えると正しい位置で刀の柄を握ることができない。野球のバットのように両手をくっつけて握ってしまったり、その逆だったり。
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だが、この動作を行っている時、筆者はこの上も無く集中している。「居合刀」とは言え刃がついていないというだけで、大根くらいわけも無く真っ二つにできるし、人に刺されば刺さり所によっては当然死んでしまう。自分自身も同様で、指を落したりはしないが、誤って足の上に落せば、大怪我するだろう。それ故に緊張感を持ってこの時間を心から楽しんでいる。
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「人切り包丁」という呼び方がある。このご時世に何の役に立つのかという言葉もある。「人殺しの技術なんて野蛮だ」といわれることもある。だが、武術全般に言えることだが(筆者は高校時代に柔道をしていたことがある)「自分よりも強い相手は必ず居て、そしてそれは見た目では殆どわからない」ことを実感として理解できる唯一の方法だと筆者は考えている。統計を取ったわけではないから解らないが、武術や武道をたしなんでいる人間はそうでない人に比べて傷害事件を起こす確率は格段に少ないと思っている。例えば、よくガキどものターゲットにされてしまう、小柄なホームレスが空手の有段者だったらどうするのか。武術を習ったことの無い者では絶対に勝てない。勝てないどころか、返り討ちにあってしまう。それを想定したらそう簡単に襲ったりできない。武道を齧ったことのある者なら一度や二度は「なぜこんな奴に勝てないのか」と思ったことがあるだろう。
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ルネサンスのフィレンツェに生きた官僚で思想家のニコロ・マキアヴェッリの「政略論」か「君主論」か忘れてしまったが、こんな言葉がある。「天国へ行くための最善の方法は地獄に行く道を熟知することだ。」
高度に昇華され芸術に近いものではあるが「武術」は確かに「殺人術」である。だが、それ故にどうすれば相手を殺してしまうのか、殺さずにすむのか、或いは殺されないようにどうすればいいのかを学ぶことができる。これは武術を学ぶ以外に方法が無いと筆者は考えている。
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運動不足解消にも勿論最適です。怪我をしたら仕事に差し障りのある読者諸兄姉よ。居合術は良いですよ。姿勢もよくなるし、テニスよりも怪我しない武術です。但しスポーツではないので礼節は重んじられますが。。
最後は勧誘でした。(勧誘だけ「ですます調」。。苦笑)
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by seagull_blade | 2004-04-28 20:02 | swordplay

変更点。(David Bowie:CHANGES)

a0012892_121147.jpgカテゴリ「Musique」の最初に現在のDavid Bowieについて書いた。ボウイーの魅力は多くの人によって語られているが、ファンとしてその末席に連なりたい。

1971年に発表された「HUNKY DORY」の冒頭に収録された「Changes」は筆者お気に入りの1曲である。正直、当時のクレイジーな格好をしたボウイーのビジュアルはあまり好きになれないのだが、楽曲についてはここから80年代半ばまでがやはり魅力的であるとおもう。

ボウイーの詞はいつも少し難しい。難解とは言わないが、単語も難しい言葉を良く使うし、言い回しも独特で、ざっと歌詞カードを読んだだけでは解らないことが多い。では対訳を読めばいいじゃないかということなのだが、これがまた意味がわからないことが多く、はっきり間違っていたりしてあてにならない。せめてベスト盤での再録などでは対訳も見直せばよいと思うのだが・・。

ところで「Changes」もそうした曲の一つであった。どうも対訳を読んでも意味がわからないし、歌詞を斜め読みしてもやはり意味がとれない。仕方が無いので辞書を引き引き意味を取ってみた。そうするだけの魅力が音にあるのは勿論だ。

冗長なのと英語力に自身がないのでサビの部分だけseagull流に訳してみた。(おこがましいかも知れない。)

Ch-ch-ch-ch-changes
(turn and face the strain)
Ch-ch-changes
Don’t want to be a richer man
Ch-ch-ch-ch-changes
(turn and face the strain)
Ch-ch-changes
Just gonna have to be a different man
Time may change me
But I can’t trace time

変化。
(振り返って試練と向き合え)
変化。
よくいる成金になりさがるな
変化。
(振り返って試練と向き合え)
変化。
別人にならなくては
時間は私を変えるだろうが
時間は溯れない。

へ・へ・へ・へんかだ!と訳してみても良かったかもしれない。こういう洒落っ気もボウイーの得意とするところだから。付属した対訳には「変化だ!奇妙なものに目を向けろ」なんてなっていたのだが、これでは意味がわからない。。。

ボウイーの魅力は(振り返って試練と向き合え)などという歌詞を真剣に叫ぶことができて、厭らしくないことだと思う。へそ曲がりの筆者はこの手の歌詞に大抵「けっ!」という反応しかしないのだが、ボウイーが叫ぶとついつい聴いてしまう。そんなはずは絶対に無いのだが、何だか筆者のために叫んでくれている気がしてしまうのだ。創造的な天才とはこうした人のことを言うのかもしれない。などと考えてしまう。
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by seagull_blade | 2004-04-28 12:12 | musique

黒いロシア人。

a0012892_133010.jpg『仕事以外』というタイトルであるのに、仕事の話が多いので、お酒の話などを。筆者はワインを除いて大抵の酒は好きである。ワインが嫌い、ということはないのだが何故か好んで飲まない。とはいえイタリア旅行ではヴェネツィアでラッパのみしながら迷子になったりしたので、本当はなんでも良いのかもしれない。

カクテルは学生時代や社会人一年生の頃は馬鹿にして飲まなかったが、近頃は一つの酒を様々に味わうことができ、酔いたいときも、雰囲気を楽しみたい時も、筆者のように「飲みながら読書」が趣味の人間にも対応できるなかなか素敵な酒だと思っている。

先日、割と足を運ぶ「SUR」というバーで「Black Russian」というカクテルを飲ませてもらった。筆者は興味を持ったら飲んでみるという飲み方なので、なかなかレパートリが広がらない。普段は「Gin Tonic」や「Moscow Mule」など良くあるものばかり注文している。その日はなんとなく違うカクテルを飲んでみたくなり、女優の卵だというバーテンダーに「おまかせ」してみた。もちろん「財布に悪くならないように」という科白は忘れる訳にいかない。

「さっぱりしたのがお好きですよね?」「どうだろうね。知らないだけでそんなこともないかも。」「単純に私が好きなカクテルでよろしいですか?」「もちろん。お願いします。」
そして出されたのが「Black Russian」だった。「一時、ハマって家でこればかり飲んでいたんですよ。」「中身はなに?ルシアンってことはウォッカ?」

ウォッカは欧州産の蒸留酒では最古といわれている。ロシアは果たして欧州か?という向きもあるが、ポーランドが原産のようだ。どちらも元祖を主張しているが、普及しているのは勿論ロシア。モスクワ大公国のころから飲まれており、1917年の革命の際に世界的に広まった。アメリカは第2位のウォッカ消費国だが、名高い悪法「禁酒法」時代にウォッカが入ってきた為、シカゴマフィアの重要な資金源となってしまった為らしい。皮肉なことではある。またウォッカの原意は「生命の水」であり、このあたりウイスキーの語源と似ていて、洋の東西を問わず考えることは同じなのだなと思わせてくれる。

「ウォッカとカルーアです。生クリームを浮かべるとホワイトルシアンになりますよ。」「うーん。それは甘すぎそうだからこのままで。」「わかりました。どうぞ。」

カルーアはご存知コーヒーリキュールの代表格である。メキシコ産。そのレシピは半世紀前にメキシコで作られたが、詳細は余りわかっていないとのこと。カルーアのページによると「カルーア(Kahlua)」はアラビア語のコーヒーを語源としている。因みにアラビア語ではコーヒーを「カフア」と発音する。正確にはフランス語のような口蓋音が混ざるのでカナで表現しにくい。

「いかがです?」「きついね。ウイスキー並じゃない?」「そんなことはないですよ。30℃くらいです。」「大差ないじゃない。でも呑口が良いから・・・」「だから私は家でしかのまないんですよ。」「なるほど。」

「いかがしましょう?」「同じものをもうひとつ。」「かしこまりました。でも大丈夫ですか?」

残りの記憶はBlackRussianの甘さと強烈なアルコールに溶けてしまった・・・・。
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by seagull_blade | 2004-04-27 13:31 | bizarro life
a0012892_1287.jpgQUEENがTVドラマの影響で少しブームとなっている。1ファンとしては喜ばしい限りだ。30年弱生きて来たなかで最も聴いたアルバムがQUEENの「Greatest HitsⅠ・Ⅱ」だと思う。とは言いながらマニアックなファンも多いQUEENであるから、「ベスト版を聴きこんだ位でファンとかいうな!」という方も多いと思うが、QUEENを聴き始めた高校生の頃、丁度フレディ・マーキュリーが他界した頃で、ファンとしては若輩もいいところという体たらくである。乞うご容赦である。

QUEENは様々なタイプの楽曲があり筆者からみると異常なまでに才能があるバンドであった。ロックが基本線なのだが、エスニックありオペラありダンスビートありというとんでもないごった煮の世界である。「JAZZ」というアルバムに収録されている「Mustapha」という曲に至っては英語・アラビヤ語入り混じりで、あっけに取られてしまう。(学生時代ちょっとアラビヤ語を齧った筆者にはなんだか楽しくなってしまうのだが・・・)

精神的・肉体的にぐったりしていたり、つまらないことが多い時にあまりロックを聴きたいと筆者は思わないのだが、QUEENは何せ様々なジャンルの楽曲を世に送り出しているので、そんな状況でも聴きたい曲がある。

筆者がまず思いつくのはアルバム「イニュエンドウ(Innuendo)」に収録された「輝ける日々(THESE ARE DAYS OF OUR LIVES)」である。優しいパーカッションで始まり、ヴォーカル:フレディ・マーキュリーが呟くように(勿論彼のことなので伸びやかなのだが)歌い始め、サビはQUEENの最大の特徴である美しいコーラスが展開される。

この曲を聴いていると「癒される」というよりは「許される」と感じる。どうにもならない状況になって、「昔は良かった」式の思考に陥ったとしても「まあ、それでいいんだよ」と言ってくれているように思える。筆者にとっては自己嫌悪から開放してくれる楽曲なのだ。
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by seagull_blade | 2004-04-23 12:09 | musique
a0012892_22110.jpg「3.百貨店における最低限要求されるクオリティをメーカ自身が心得ている。」これはあらゆる業界で存在することであろうが、長年の付き合いの中でクライアントが要求する最低限のクオリティ、これ以下だったらクライアント側の業務に支障をきたすというレベルを完全に理解し、且つ「1」や「2」で上げた理由によって競争が殆ど無い状況である為にそのレベルでしか仕事をしなくなるというものである。勿論これらはITに限ったことではないのだが、大型都市百貨店へ品物を納品している業者が聞いたら耳を疑うほど大甘な基準である。店頭に並ぶ商品は百貨店の命であり、これらに要求されるクオリティが高いことは当然だが、殊システムに対しての要求はアイテムに対して為される厳しさの1/100もない。

これらの結果として某POSメーカなどは通常考えられる人件費の凡そ1.5倍~2倍の単価で見積を出し、百貨店側でも高いとは思いつつ他業界のIT担当者が見たならば「常軌を逸する」金額でOKをだしてしまう。これが都市百貨店をとりまくアンシャンレジームであり、ベンダーに対して高利益率を維持できる基本的な構造である。

平成の大不況からこのかた、様々な業界で改革や変革が良きにつけ悪しきにつけ起こった。そして最後に残ったのが流通業界とりわけ大店舗法改正以来の小売業界ではないのだろうか。そして大店法で息をつないだ大型小売店はあまりに古く、アンシャンレジームを破壊できなかった。そして、他業界におけるIT革命という名のバブルが弾けた反動を高い利益率を提供することでもろに受けつづけているのではないか。

だとするとどうやってこの状況を打破していくことが出来るのだろうか?

・・・第4回へ続く。
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by seagull_blade | 2004-04-19 22:02 | career

自己規定。

a0012892_133744.jpg「gnothi seauton」「nosce te ipsum」「know thyself」「汝自身を知れ」何語で語られてもいいのだが、デルフォイに刻まれ、ソクラテスが殉じたこの言葉は2000年経ち、人口に膾炙しているにもかかわらず、今でもそれなりの重みを持っている。それは「己を知る」ということが如何に難しいかを証明しているのだろう。ソクラテスが論争したソフィスト(詭弁師)達は「己を知る」ことが無い為にソクラテスに勝つことは出来なかった。勿論これらはソクラテスの弟子プラトンが書き残しているにすぎないのだが、そのように2000年来信じられてきたという事は何かしら人々の心に引っかかってきたのだ。

ソフィストを「詭弁師」と書いたが、彼等は自らの詭弁を詭弁だとは考えていなかったのではないか。実際、詭弁を自覚的に弄しているならば、ソクラテスに「おまえはこんなことを言っているし、知っているというが本当に知っているのか?」と議論を挑まれたなら、こう切り返すことができたはずだ。「いいえ。知っている訳ではありませんが、民衆を酔わせることで生計を立てているのです。」と。そういわれればソクラテスは議論を打ち切ることしか出来ない。「彼は真実を求めている訳ではないし、論争するに値しない」などと呟きながら。

だが、プラトンによればソフィスト達はソクラテスとの論争に敗れていったのだ。それはつまりソフィスト達は彼等自身の詭弁を詭弁とは考えず「己の考えたこと」=「真実」だと考えていたのではないか。それ故に自分が何を知り、何を知らず、何に既定されているのかを知らなかった為にソクラテスからその『無自覚な前提』という弱点を突かれ、返す言葉を失ったのだろう。

「全能感」という言葉がある。個人的には「全知感」と言い換えたほうが良い場合が多いと思うが、15歳~22・3歳までに経験された方は多いだろう。全てを解ってしまったかのような感覚である。ご多分に漏れず筆者も経験している。ある程度本を読んだり、周囲の大人が自分の意見を聞いてくれるようになってくるとあたかも急に全てを理解してしまったかのような錯覚に囚われる。勿論錯覚なのだが、本人はそれと気がつかずに何だか偉くなってしまった気がするのだ。しかし長ずるにつれ、周囲の現実と格闘していく内に自分の全能感は多くの暗黙の前提を必要としていることに気が付いて、それが一種の虚構であることを自覚していく。「全てを解っていると自己規定しているに過ぎない」からだ。

ソフィストたちはこのような自己規定に囚われたまま、ある程度の年を取ってしまい、周囲からの「立派な大人があのように言うのだから一考に値するのではないか」という美しい誤解の上に生きてしまった人々なのではないだろうか。それ故にソクラテスによって「無自覚の自己欺瞞」という前提を崩されて論破されたのではないのか。

自己規定。難しいことである。何が自分自身を縛り、何が自分自身を動かしているのか、「自らの原則」を明らかにする事はそんなに簡単なことではない。我々は恐らく様々に矛盾した「思考」「欲望」を持ち何かに縛られて生きているのだ。これらを明確に把握している人はそうはいないだろう。否、余人は知らないが少なくとも筆者はわからない。日本人には幸か不幸か「YHWH」も「アラー」も存在しないし、「武士道」も幕末から明治にかけてそれまでの「武士の為の規範」を「日本人の為の規範」に拡張した物にすぎず、伝統的な我々の規範とは言い難い。

だが少しでも「自分自身の原則」を明らかにしていかない限り、己を知ることは出来ないだろうし、暗黙の前提がそもそも存在していない諸外国人との関係を良好にしていくことは出来ないだろう。

筆者が気味悪く感じるのは自分でも信じていないことを無自覚に信じてそれを基準におしゃべりを繰り返している現代のソフィスト達である。彼等は男女問わずさっぱり魅力的でない。無自覚の自己欺瞞を正直と勘違いしている者は見苦しい。自分自身が矛盾だらけの「ぬえ」なら「ぬえ」でよいではないか。まずは自分自身がどんな「もの」なのかを常に考えることが必要なのではなかろうか。筆者もまだまださっぱりであるのだけど。

※流通とITについては次回にさせていただきます。
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by seagull_blade | 2004-04-19 13:37 | philosophism
a0012892_17320.jpgつまり、小売業界とりわけ地方百貨店や中小零細企業などではITについての利用方法がまだまだ確立しておらず、そこを狙ってベンダーはベンダーに有利な『ITの常識』を作り出し、利益率の高い構造を維持している。これをとりあえず「IT革命」の後に出来上がった『第2のアンシャンレジーム(旧構造)』とでも命名しよう。

では大規模な都市百貨店ではどうなのか?実は『第2のアンシャンレジーム』どころか完全な『アンシャンレジーム』が存在しているように筆者には思える。具体例をあげると日本最古の外資系企業の一つである某POSメーカは、以下のような構造のなかで未だに高い利益率で仕事をしている。

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1.古くから付き合いがある為百貨店自体がメーカに依存している。
2.百貨店はそのPOSメーカが大企業であるが故にそのネームバリュー
によってリスクヘッジをしている。
3.百貨店における最低限要求されるクオリティをメーカ自身が心得ている。
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まず、1だがこれはIT企業としては珍しい構造だと思われる。なぜならITそのものが一般的になったのはここ10年前後のことでしかない。勿論メイン・フレームを利用したホストコンピュータ運用は30年前からある(もちろんこれが膨大な運用費を食潰しているのではあるのだが)が、情報化の遅れた流通・小売業界においてなぜこうしたメーカが存在するのだろうか?答えは意外と簡単である。「レジ」である。POSとはPoint Of Sales の略称であり、販売時点の情報を取得するためのツールである。故にレジ厳密にはレジ(金銭登録機)である必要はないのだが、誰が考えてみてもレジと一体化したほうが合理的であるため一般的には「POS≒レジ」が成立している。
つまり古くから付き合いのあるPOSメーカとはかつてのレジメーカのことなのだ。百貨店はレジの時代からそのようなメーカを店内に常駐させ、保守サポートをさせている。そこで働くベテランのメーカCE(カスタマーエンジニア-修理作業員-)は、百貨店のさまざまな事柄について誰よりも詳しくなってしまう。そして百貨店はその作業員ひいてはPOSメーカに依存してしまい、別の新興メーカに乗り換えることなど考えなくなってしまう。勿論必ずしも乗換が正しいわけではないのだが、その古参メーカが左前にならない保証など何処にあるのだろうか?最悪のケースを想定しないのは日本人の一つの典型ではある。。

2はこういうことだ。例えば新興メーカは確かに企業体力はすくなく、大手企業に比して倒産等の危険も多いだろう。またノウハウ面でも大手や古参にはなかなか追いつかない。しかし、ある程度の実績と優れたテクノロジや妥当な価格を新興企業が持っているならば、例えば店舗機能の一部に対してその新興メーカを使って、大きな意味でテストをしてみても良いはずだし、筆者はすべきだと考えている。だが実際には、古参メーカは「蟻の一穴」になるのを恐れるが故に妨害するし、百貨店自身もそのような取り組みはなかなかしない。某百貨店システム部長のセリフだが「新興企業を使って何か失敗をやらかせば、世間は百貨店を笑うだろう。だが大手が失敗すれば世間は大手を笑うだろう」と。それがネームバリューによるリスクヘッジである。

・・・第3回へ続く。
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by seagull_blade | 2004-04-17 17:01 | career
a0012892_205531.jpg今のところ、筆者は某百貨店傘下流通系システム会社でSEを生業としている。日本の流通業界の現状はやはり中小・零細の連鎖で成り立っており、最近までITの最も遅れた業界であるといわれていた。その中にどっぷり漬かっているとわかりにくいが、他の金融などの業界に比すると、まだまだ標準的な「仕事の仕方」確立されていないと考えている。

IT業界はITバブルが弾けて以来、割と冷え込んでいるのは間違いないが、それでも転職が可能な業界である為、筆者のいる企業にも中途採用の転職者が多く入社されてくる。なので様々な業界の話を耳にするが、やはり流通業界は立ち遅れているらしい。小売に限ればやはり「セブンイレブン」などのコンビニは『ITインフラ』と位置付けられそうな程発達しているが、百貨店などの業種ではPOS(Point-Of-Sales)は流石に普及してきたが、地方百貨店などは導入し切れていない所もあり、取引先とのやり取りもEDI(Electric Data Interchange)が殆どという場所は大手の都市百貨店に限られてくるのではないかと思う。売上管理・商品管理に手一杯で顧客管理システムによる分析などはまだまだというところも多い。不況の中費用対効果がすぐに見えないシステムに投資する決断は難しいと考えている経営者も多い。

しかし、ハード・ソフトのベンダーからすると流通業界は「利益率が高い」業界だという。つまり他業界に比べて、ITに対する見方がまだまだ甘く、ベンダーに対して強く出ることが出来ていないらしいのだ。

・・・・次回へ続く
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by seagull_blade | 2004-04-16 20:56 | career
a0012892_163737.jpgよく知った音楽を聴く。するとその曲を聴いていた頃の情景が浮かんでくることは誰でも経験があるだろう。それが楽しい事にせよ、悲しい事にせよ音楽は一種の脳内インデックスとして機能する。ところが楽曲によってはインデックスに色々な情報が張付きすぎて、特定の情景や記憶を引き出せなくものもあるかも知れない。筆者にとってベット・ミドラーの『The Rose』はそんな曲の一つである。

掃いて捨てるほど愛の歌はある。ちょっと食傷気味になるほどに。だが全くの主観と好みに過ぎないがこの曲は真正面に愛を語っていながら感動してしまう。

歌詞は勿論秀逸ではあるが、よくある内容だ。竹内まりやの「元気をだして」に近いかな。だが、聴いてみればこの曲に横たわるやさしさがわかるはずだ。

傷ついた大人に対して「敢えて何もしなければ何もできないのよ」と励まし、「種を蒔けばいずれ薔薇になる」と歌っている。勿論、曲の前半にでてくるBAD LOVEが決して少なくないことを歌い手はよく知っているだろう。しかし、それでも顔を上げなくてはならないし、何かが始まったりもしない。

このあたり勝手な連想だが「シジフォスの神話」をなんとなく想起させる。神の罰を受けたシジフォスは尖った山の山頂へ巨大な岩の球を運び続ける。山頂につくなり岩は必ず転がり落ちてしまう。だがそれこそが彼に与えられた罰なのだ。
シジフォスは何度でも山頂へ岩を押し上げる。それもうっすらと笑みすら浮かべながら。ここで絶望してみたところで仕方が無いことを彼は知っている。

筆者も山頂へ岩を置くことは出来なくても、せめてシジフォスのようになりたいと思う。それは決して諦観ではない。

BETTE MIDLER 『THE ROSE』の歌詞↓
http://www.lyrics007.com/Bette%20Midler%20Lyrics/The%20Rose%20Lyrics.html
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by seagull_blade | 2004-04-15 16:38 | musique