「ほっ」と。キャンペーン

Have a life outside of work.


by seagull_blade

カテゴリ:philosophism( 20 )

無題

「国民が正しく歴史を理解することが大事だ」今回の首相靖国神社訪問の経済同友会会長のコメントである。また、中国・韓国のような反日を国是とした国もそういうことを述べている。中韓については他国であるし、外交戦略などもあるだろうから別段感想を持たない。それぞれの戦略・戦術・思惑に沿った発言をすればいい。外交とはカードゲームにも似て、双方の知恵を絞り、如何にして自国の国益に合致する状況を作り出すかということだからだ。自国の国益とは勿論、相手を出し抜き、陥れることだけではなく、Win-Winの関係がベストであることは論を待たない。なかなか理想どおりになる訳はないから、次善の策、次善の策になるというだけである。私がどうしても不思議なのは、日本国内の人間が「正しく歴史を理解」などと発言することである。

発言の主は「正しい歴史理解」などというものが本当に存在していることを本気で信じているのだろうか。もし信じているのであれば、それは相当重症の大馬鹿者、関西経済同友会の会長などよく勤まるものである。ごく普通の人でも「誰にも恨まれていない」と考えている人間は少ないだろう。それはつまり、物事とは多面的であって、如何に自分が公明正大・清廉潔白に生きてきたと考えていたとしても、そう見ない見方があることくらいは多くの大人は自覚している。当然そのような物事の積み重ねである歴史の場合、立場や見方が違えば、認識も理解も十人十色になるくらいは解るだろう。言えることはせいぜい「国民一人一人が、歴史を自分自身で考えるべきだ」くらいの事しかないはずである。「国民が正しく歴史を理解することが大事だ」という発言は、あたかも「自分は正しく歴史を理解している」という傲慢でしかない。

社民党を始め、特定のイデオロギーに沿った考え方をする人々についてはあまり論及する必要を認めない。どこかに理想の世界があるという慕夏思想に捉われて突き進んだが、結局そんなものは存在しないという現実を突きつけられてヒステリーに陥っているだけだと思うからだ。ヒステリーが言い過ぎならば、ルサンチマンを抱えた結果として世の中にうらみつらみを吐露しているだけである。マスメディアというのは未だにWar Guilt Information Program にでも捉われているのか、こうしたルサンチマンを抱えた人間が牛耳っているように私には思えるがこのテーマは今は置く。

レトリックとして「正しい歴史理解を」というのであればまだ解らないでもない。立場上、そのように発言しておいたほうが有利になるという計算ならば。しかし、サヨクだろうとウヨクだろうとノンポリだろうと、本気で「正しく歴史を理解する」などということがありえると考えている人は、子供でなければ大馬鹿者である。理解とは「正しく理解した」と思った瞬間に思考停止して、それ以上何も理解しなくなる性質のものであろう。「信念の人!そりゃ何も考えない馬鹿者のことだな」という会田雄二氏の言葉を思い出した。
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by seagull_blade | 2006-08-15 18:15 | philosophism

Biz Trip to Dalian

大連という名前は旧帝国陸軍が付けたということだ。日本語では「だいれん」と発音するが、英語表記ではDalian、中国語では「ターリェン」と発音する。この街は、2006年の今、空前の好景気である。高層ビルは雨後の筍の如く次々と立ち並び、自動車も日本車やドイツ車をはじめ、かなりの高級車が周囲を睥睨しつつ走っている。百貨店には高級ブランドが媚態を見せつつ並び、人々は周囲を気にすることも無く、ひたすらそれぞれの人生を行き急いでいるようだ。60年前に、この街から多くの日本人が引き上げた際、日本人は多くのインフラをそのまま残していった。中国共産党の政策はそれをうまく活かしきれていなかったが、鄧小平の時代に起きた資本主義への実質的な転換は、この街が持つ潜在力を引き出したらしい。
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成田から2時間半のフライトで到着する好立地条件と、好景気とは言え、先進国との間にある10倍以上の経済格差が、大連を外資系企業の下請け工場として発展させ始めた。筆者はその一つである企業の一員として、此処に出張に来ている。今は街の中心にある五つ星ホテル、「スイスホテル大連(大連瑞士酒店:Swisssotel Dalian)」の26階でこれを書いているという次第。

現在のプロジェクトは大連にある自社の開発部隊を、日本側が利用する際に発生する、あらゆる問題を、ガイドラインの形でまとめ、お互いの仕事をよりスムーズにするというものである。システム構築におけるフェーズ「企画⇒見積⇒設計⇒開発⇒テスト⇒リリース⇒保守」の内、実際にプログラムを組む「開発」作業を大連で行うというビジネスモデルを既に運用しているのだが、このような方法を「off shore delivery」「オフショア開発」という。

システム開発業界は、パッケージシステムでない、いわゆるカスタム開発を行う場合、「人月(にんげつ)」という単位で単価を計算する。つまり「一人が一ヶ月働くと幾らかかる」というものをベースコストとするわけである。通常日本のSI企業(システムインテグレータ)では、「1人月=100万円」程度が相場であろうか。勿論、参画メンバーのランクなどによって異なるが、大体この程度だと思って良い。規模やピンからキリまであるが、例えば100人月の仕事であれば「100万円×100=1億円」という見積となる。SI企業としては価格競争力をつけるために、同じ人月がかかるのであれば、より単価の安い場所で作れば、人月は同じでも価格が下がるところから、単価の安い途上国を使うことを考える。同じ100人月でも単価が「1人月=10万円」であれば価格は一挙に十分の一になるというわけだ。

しかし、物事はそれほど単純ではない。実際に海外での作業を行うためには国内では発生しない、もろもろのコストが発生する。その大きなものはコミュニケーションそのもののコストである。例えば、日本語⇒中国語⇒中国語⇒日本語という伝言ゲームをするためには、通訳のコストと時間的なコストが発生する。これが実際馬鹿に出来ない。単なる翻訳の問題だけではなく、相互の常識も異なる世界と仕事をするためには、それぞれが暗黙の前提にしている事柄を逐一お互いに伝え、更に妥協点を見出さなくてはならない。これらの妥協点を見出すというのが現在のプロジェクトの趣旨である。

大連に来て実際に人とコミュニケーションを取ってみると、彼我の間のさまざまな相違点に気が付く。その中で筆者が一番感じるのは人との距離のとり方の違いである。というよりも、大連の人々は「人と距離をとって接する」ということをしない。親愛の情を示すやり方は色々あるだろうが、彼らは直接、こちらの懐に入ろうとする。裏返せば、相手を非難する場合でも直接的だ。おかしいと思えば、はっきりと「Your opinion is wrong.」と言い切る。初対面の相手に我々はなかなかこのように言えないだろう。婉曲表現という言葉とは無縁の世界である。

よく言われることだが、日本人は暗黙の前提が非常に多い国民である。それは成熟した常識があるということなのだが、海外ではそれがマイナスにでることが多い。日本人と同じような顔をだからといって、同じように接すると、彼らにとっては失礼でわかりにくい人との印象を持たれかねない。もっとも面倒なのは、我々が良かれと思って言った言葉が、彼らにとっては「馬鹿にしている」と取られてしまうケースである。こうしたことを避けるためには、日本人は国内で生活している時とは別の人格を装って他国の人々と付き合うことが肝心であると今回の経験から筆者は考えた。

60年前に日本人が取り組んだ「帝国主義」が結果として大失敗し、現在まで引きずる結果になっているのは、上記のような「善意から出た言葉・行動」を相手がどう捉えるかを深く考えなかったことに大きな原因があるのではないか。「こちらの善意が通じない=下等な相手」と少なくとも当時の政府高官が考えてしまったことがあったように思える。結局のところ、一視同仁や八紘一宇などという言葉は、国内から一歩も出ず、他国人とコミュニケーションをとらないままに広がった一種の妄想であるような気がする。事の善し悪しは別にして、大英帝国のイギリス人がとったような態度の方が、禍根を残さないという意味では賢明だったのかも知れない。彼らは植民地の人間を心底馬鹿にしていただろうが、少なくともそれを隠すような態度や行動をとらなかった。結果として、植民地が独立する際も「わかりやすい敵」として追い出されたという気がする。しかし、我々は心の底の差別意識を隠すことが一種のやさしさだと勘違いしてしまった。それは彼らに日本人はthe Devil in disguise だと思わせてしまっただろう。それは現在までお互いに引きずる問題となってしまった。だからといって、2006年の今、経済格差があるからと言って他国人を馬鹿にしながら差別することも許される訳はない。兎角、コミュニケーションは難しい。
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by seagull_blade | 2006-07-31 12:04 | philosophism

怪物の末裔

ギリシア神話には神々とともに様々な怪物が登場する。日本の八岐大蛇に比すべきレルネーのヒドラ。三つ首の大犬にして地獄の番犬ケルベロス。獅子、山羊、蛇などの合成物キマイラなど。これらの怪物たちは人間の持つ畏怖の心や恐怖の心が生み出したものであるが、それらの怪物には自然現象の神格化もある。
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エキドナ(echidna)という上半身が女性、下半身が蛇の魔神がこれらの怪物たちの母であるのだが、男女の原理を重んじるギリシア神話には、当然のごとく、この怪物たちの父も登場する。その魔神の名をテュポンと呼ぶ。

テュポンは風の神々(アイオロスなど)の父でもあり、海上貿易に生活の基盤を置く海の民たる古代ギリシア人たちが最も恐れた海の嵐の神格化であろう。その姿は星にも届こうかという大男で、肩より百匹の蛇を生やし、双眸からは炎を放ち、腕を伸ばせば世界の東西の果てに届いてしまう。そして、蛇の下半身を持ち、巨大なトグロを巻いているという。

テュポンはギリシア語で「Τυφών」と書く。英語表記では「Typhon」である。このスペルを見て、何かを連想しないであろうか。この「Typhon」を現代英語では「Typhoon」と表記し、発音は勿論「タイフーン」である。意味は台風・暴風を意味する。

台風という言葉は、元々中国語であり、このテュポンという怪物が、シルクロードやインド洋経由で中国にもたらされ、台風と当て字され、現在の台風となったのであろう。なお中古の日本において、台風は野分(のわき)と呼ばれていた。現在は雨を伴わない秋の強風を指す。因みに記せば、筆者の稽古している水鴎流居合剣法にも「野分(のわけ)」という技法があったりする。

ここで先ほど記した、テュポンの特徴を考えると、百匹の蛇と火を放つ目は筆者には何の謂か判らないが、腕を伸ばせば東西の果てに届き、巨大なトグロを巻く蛇というのは明らかに台風の特徴である、その強大かつ巨大な暴風域、目を中心に渦を巻く形を神話的に表現したものである。人間の感性というのは古今さほど変わらないようで、どうしようもない自然の驚異を神の怒りや魔神の咆哮という形で表現するようである。雨を伴った暴風雨のない地域、たとえば現在のイラク、古代はメソポタミアと呼ばれた地域では、その代わりに砂漠より吹き荒れる熱風がある。筆者は体験したことがないが、これは大変なものであるらしい。この熱風を神格化したものが、映画エクソシストに登場したパズズという魔神と聞いたことがある。

幸いにもパズズの魔の手は本邦まで届かないが、神話の如くテュポンの腕はまさに東の果てである日本列島を襲い、西の果てではハリケーンと名前を変えて荒れ狂っている。科学的常識が広まった現代日本では台風を魔神の咆哮と考える人はいない。だが、人智ではどうしようもない怪物的な力を持つ自然の力は健在である。

よく知られたことであるが、一つの台風の持つエネルギーは広島に投下された原爆リトルボーイのなんと数十倍である。10の18乗ジュールという天文学的というか、ほとんど想像もつかない力である。そして台風の発生メカニズムは詳しく解明されていない。

筆者は考え方として、「自然と共存」とか「自然の力は恐ろしい」などの科白で思考停止することを好まない。人間が地球の中でどのように振舞おうと、人間という存在が生物学的にも自然の一部である以上、それは自然と呼ばれるものの一部であるはずであるし、自然破壊・環境破壊といったとしても、それは人間やその「破壊された環境」に弱い生物にとって打撃となるだけであって、地球という存在にはなんら問題がない。それを「共存」だの「自然破壊」だのという言葉で表すということ自体、不遜であると筆者は思う。

だが、そうは言いながらも、自然災害は恐ろしい。環境破壊云々の前に筆者や周囲の人々や縁あってこのブログを読んでいただいている読者諸賢に対して直接の、しかも限りなく受身な対応しか取れないものであるからである。筆者の住む東京都杉並区や筆者が育った世田谷区は先日の台風14号によって、床上・床下浸水などの水害に会い、自宅側の善福寺川や会社の側の妙正寺川は氾濫し、直接の脅威を目の当たりにすると、やはり思考停止したくなる。ニューオーリンズを直撃したカトリーナのTV映像を見て、恐怖を抱かなくても、実際に轟音をたてる近所の小川を見た方が恐ろしいものである。

話が横道にそれてしまったが、台風被害の不安といおうと、テュポンの恐怖と呼ぼうと、その意味するところは同じであるような気がする。「科学的」思考でその正体を知り、不安を紛らわしたところで、その脅威はいささかも減じることはない。

技術的進歩によって我々は被害を最小限に食い止めるよう努力をすることはできる。嵐の被害をどう食い止めるかというのは少なくとも日本の土木建築技術の最大のテーマの一つであろう。だが、

怪物たちは今も健在で、人間に脅威を与え続けている。筆者ができることは魔神テュポンの末裔たちに、これ以上荒れ狂わないよう祈るだけである。それは古代ギリシア人が行った対策とおそらく変わらないであろう。大雨の窓の外を見ながらそんなことを考えていた。
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by seagull_blade | 2005-09-06 16:57 | philosophism

鹿島神宮探訪

居合を始めてから、性分なので色々とそれに関する歴史や周辺の知識を調べる事が多くなった。以前このブログでも記したが、筆者が学ばせていただいている水鴎流もルーツとしては、鹿島神宮の神官卜部氏の出身である「塚原卜伝」或は「卜伝流」に流祖が学んでいる。また、作家海音寺潮五郎氏によれば、「僕は日本の剣術はすべて鹿島・香取から出ていると思っている。」ということであり、少なくとも、日本の剣術の祖のひとつであることは間違いないであろう。
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また、ここのところ日本の歴史、特に古代史に興味があり、いくつかの書籍を読んでみたのだが、そこには藤原氏の氏寺としての奈良「春日大社」、その源流としての「鹿島神宮」「香取神宮」が登場し非常に興味深い。これは一度鹿島神宮に詣でなくてはならないと考え、常陸国一之宮「鹿島神宮」へ詣でてきた。試験を受けるためでなく勉強するというのはとても愉快なことであるという事を、三十路を迎えようとしている現在、享受している。

東京駅からJR高速バス「鹿島神宮駅」行きに乗車する。鹿島神宮へは終点ではなくその前の「鹿島バスターミナル」で下車する。読者諸賢の中にもサッカーファンなら、このバスを利用した方がいらっしゃるかも知れない。何しろ鹿島神宮とカシマサッカースタジアムは隣接しているのである。筆者はサッカーに関しては日本代表戦をテレビ観戦する程度なので、隣接していることは現地に行くまでまったく知らなかった。運賃は東京から1,780円で、意外と安い。自分で車を出すよりも、ずっと気楽であるし、何より現地で一杯呑むことができる。飲兵衛の筆者にとっては、出張であろうと旅行であろうとその土地の酒を飲めるということが非常に大切であるので、日帰りの小旅行はできる限り自家用車を使わない。

バスを降りて、窓口で道順を尋ねると地図をプリントアウトして丁寧に教えてくれた。その通りに5分ほど歩くと鹿島神宮の入り口「二の鳥居」が見えてくる。丘そのものが神社であるという広大な境内は、どこからでも入ることができるが、折角であるので正門たる「二の鳥居」から入ることにする。なお、「一の鳥居」1.5km程度のところにある北浦湖畔の大船津という場所にある。そこまで足を伸ばしてみたかったが、酷暑のためやめておいた。尤も一の鳥居は神の門であり、人が潜るためのものではなさそうである。

二の鳥居の前には食事処や土産物屋が並んでいる。土産物屋と言えば、木刀が必ずあるが、ここでは必ず「鹿島新当流」と書いてある。シールが貼付されているものもあれば、木刀に焼印や彫ってあるものもあるようだ。各所の名勝地に行くと必ずといっていいほど木刀を売っているが案外鹿島神宮あたりがそのルーツかもしれない。

鹿島神宮はその起源を神武天皇元年に置く。つまり2600年以上歴史をさかのぼることができるということになる。ここまでくると伝説の域を出ないと筆者は考えるが、そのように伝えられている。明白になっているのは、藤原四兄弟の一人、藤原宇合(ふじわらのうまかい)が常陸国国司であった養老年間(717-723)に編纂したとされる『常陸国風土記』にその名(鹿島神郡)が見えることから、少なくとも1300年以上の歴史があるらしい。また、一説には、大化の改新の立役者の一人であり、藤原宇合の祖父である藤原鎌足はこの鹿島の祭祀を司る中臣氏出身であるという。その説に従えば、ここは正に本邦最高の名家藤原氏のルーツということになる。

二の鳥居を潜って、どういうわけか鳥居に正対せずに右手にある本殿(拝殿)にまずは参拝する。祭神は武甕槌神(タケミカズチノミコト)。以前にも記したが、古事記・日本書紀によれば、この神は経津主神(フツヌシノミコト)とともに出雲の大国主命に対して国譲りを迫り、成功させたという武神である。常識的に考えれば、武力を持って征服したということであろう。現代では武道の神ということになっているので、筆者は勿論「居合の上達」を祈念した。この本殿および拝殿は二代将軍徳川秀忠によって立てられたものとのこと。古い時代はこの拝殿も式年遷宮(しきねんせんぐう)といって伊勢神宮のように20年に一度場所を移して立て直していたらしいのだが、このときから半永久的な建物となったのであろうか?筆者は失礼ながら、ちょっとおくまで進み本殿を横から覗いてみたが、これは極彩色の見事なものであった。

その後、250mほど歩いて奥宮へ。参道は樹齢数百年、大きいものでは千年近いものもあるであろう杉の巨木に囲まれ、神聖な雰囲気を醸し出している。実際、盛夏の昼であるにもかかわらず、静かであり、涼しい。奥宮は徳川家康が造営したもので、本来は本殿として使用されていたものだが、現在は奥宮であり、武甕槌神の荒魂(あらみたま)を祀っている。その後、鯰の頭を押さえているという要石を拝見し、禊をする場所である御手洗池で少し一休み。ここには休憩処があり、蕎麦と清酒「神の池」を頂いた。さすが名水のあるところ、お酒はおいしい。「お神酒を喜ばない神はいない」とはいうものの、酔って神域を回るのも気が引けるので、一杯だけだったが・・・。

また拝殿に戻り、その前にある小さな宝物殿(こちらは現代の建物)に入る。ここでは国宝『フツノミタマ』という直刀がある。270cmを超える長大なものである。だが、もうひとつここには見学し忘れてはいけないものがある。それは悪路王の首と呼ばれる木造の仮面(?)である。ここ鹿島は「蝦夷征伐」すなわち時の朝廷による、奥州侵略の前線基地ともなった場所であるらしい。悪路王とは即ち、坂上田村麻呂と戦った蝦夷の王、「アテルイ」のことであろうか。このあたりはまた別の機会に詳しく考えてみたい。

歴史の光と影を飲み込んで、神域は静かにそこにある。塚原卜伝の書の写しという色紙を購入して、包んでくれた巫女さんの涼しげな横顔を見ながらぼんやりと考えていた。

その後は東京駅に戻り、丸の内OAZOで食事をして帰宅。色々なことを考える小旅行であった。

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by seagull_blade | 2005-08-10 14:44 | philosophism

精霊会

精霊会 -夏色月パラダイス-
variousmoon様のブログ「つきのくさぐさ」にて開催されているTB企画「夏色月パラダイス」に参加宣言をしたもののギリギリとなってしまった。なんとか間に合うと良いのだが。
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さて、夏の月という事で、なかなか相応しいポストが思い付かない。色々考えた挙げ句、会社でもそろそろ御盆休みが目立つようになって来た事から、御盆を俎上に乗せてみようかと考えた。こじつけめくが、御盆は本来、旧暦七月十五日であり、勿論陰暦は月を基準に作られており、十五日なら必ず満月である。当然のことなのだが、三日月は三日、十六夜は十六日。太陽暦で生活しているとなかなか意識できない。

こじつかないこじつけはこのくらいにして、お盆だが、辞書を引くと「盂蘭盆会(うらぼんえ)の略」とある。語源はサンスクリット語のウラバンナであるという。ウラバンナとは「逆さ吊り」という意味であるらしい。釈尊の弟子である目連が、その神通力で母親が餓鬼道で逆さ吊り苦しんでいる姿を見、釈尊に母を救う方法を訪ねた。釈尊曰く「七月十五日に供養会をせよ」とのことであったのでその通りにしたところ、その母は極楽へ往生したということから、七月十五日に先祖の霊を迎え、供養するということを盂蘭盆会と呼ぶようになったという。

餓鬼道で苦しむ者を救うという意味においては殆ど「施餓鬼会(せがきえ)」とかわらないが、この場合は母親すなわち、近親者というところにポイントがあるのではないだろうか?ここから先祖の霊を迎えるという日本的な信仰と結びついたのであろう。仏教についてそれ程知っているわけではないが、本来、六道を巡る魂魄は死霊になどなりようが無い。なぜなら、死を迎えた次の瞬間にはまた生まれ変わってしまうからである。恨みがあろうと、心残りがあろうと関係はない。現在でもなおインドを苦しめるヒンズー教におけるカーストを巡るという意味での輪廻はには祖霊信仰的要素は無い。

ではなぜ、陰暦七月十五日なのであろうか?

先程、日本的と書いたが、御盆もまた中国/朝鮮半島経由で伝わった物である。一月十五日の上元、七月十五日の中元、十月十五日の下元の三元という考え方が道教にあり、特に日本において中元という習慣と盂蘭盆会が習合して御盆というものになったのであろう。特に七月十五日は道教においては贖罪の日として薪を炊き、神に祈る。この習合した御盆、あるいは盂蘭盆会が本邦に入ると、祖先の霊を迎え、歓待し、送りだすという行事となる。

日本においては推古天皇の時代に盂蘭盆会が始まったという。推古帝の時代と言えば、聖徳太子が活躍した時代である。梅原猛氏によれば怨霊が跳梁し、政治的陰謀が渦巻く時代であったという。子孫が殺され、祖先が祟り、それを祀り、鎮め、御霊とした時代である。盂蘭盆会ももしかするとそうした怨念を残した祖霊達を鎮魂するという為に始めたのかもしれない。

そう言えばかぐや姫も月より参り、歓待され、月に帰って行く。祖先の霊ももしかすると月からやって来て、月に帰るのであろうか?それとも、祖霊が迷わぬように月明かりが最大となる日に祖霊を迎えるのであろうか?

今年ももうすぐ御盆である。もっとも東京うまれの著者にとっては一ヶ月前となってしまった。


最後まで非常に苦し紛れの文章となってしまいました。読者諸賢には申し訳ありませんでした。そしてありがとうございました。良い夏休みを・・・。

夏の夜は未だ宵ながら明けぬるを雲の何処に月やどるらむ
(清原深養父)
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TB企画“夏色月(なついろづき)パラダイス”へのTB募集中!!

秋のお月見はとても有名ですが、
暑い夏にも、お月さまはひっそりといらっしゃいます。
夕焼け空のお月さま、うんと早起きした日のお月さま、
寝苦しい夜のお月さま、夏の蒼空のお月さま・・・。
どんな表現形態、どんな創作でもOKです。
夏の風物と取り合わせた「夏らしいお月さま」をお届け下さい!
期間は、小暑から立秋の前日まで(7月7日から8月6日まで)

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by seagull_blade | 2005-08-06 23:47 | philosophism

エチカ。(倫理の問題)

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スピノザの著した『エチカ』は、哲学科の適当な学生時代に「哲学演習」なる授業で、ちらっと読み、そして退屈して、単位が取れる程度の勉強をしていた。『エチカ』とは英語のEthicsから解るようにラテン語で『倫理・倫理学』を意味する。ボンクラ学生の頭ではその内容も読取ることが出来なかったし、絶対知やら神やらと「倫理(エチカ)」という言葉の間の関連性もうまく読取れなかった。結局それから『エチカ』を開いたことはない。

このところ、倫理というか、道徳と言ったらよいのか、ともかくそうした事をつらつらと考えていることがある。マスコミに登場する事件や諸問題(マスコミが問題化しているもの)の多くが、このETHEICSに関るものであるような気がするのである。

倫理・道徳と言われて、すぐに連想するのは、小学生時分に見せられた「道徳」の時間のビデオ教材だったり、陳腐な説教臭い物語だったりするかもしれない。少なくとも筆者はそうである。小学生向けの教材というのは一寸早熟な児童にとっては、「馬鹿馬鹿しい」と感じられることが多いと思う。また、教師は教師で、道徳の時間と言うものをどう扱っていいかわからず、国語の授業で代替するなど、結構軽視していることもある。児童や生徒は教師の力の入れ具合など簡単に見抜くから、ますます、『道徳』という授業と言葉が陳腐化する。

しかし、現在(2005年3月)、メディアで話題となっている、「某鉄道会社を中心としたグループ元会長」やら「新興IT関連企業と古参テレビ局の対立」やら「中東からの自衛隊撤退」やら「北朝鮮問題」など、ETHICSに関らない問題はないと思うようになった。なるほど、それぞれは、構造的な問題であったり、法律の不備であったり、国際情勢・外交の問題であろう。直接の当事者達は、色々な形で関るであろう。損得であったり、逮捕拘留であったり、国際政治であったりするのだろう。しかし、ニュースとして受け止める我々や直接の当事者でない人々(IT企業VS テレビ局における元首相など)としてはこれらのニュースを感情的側面で受取らざるを得ない。「どちらに理がある」「どうすべきだ」「ひどすぎる」etc…。

個人が持たざるを得ないこうした感情の動きに関る問題、また当事者にとっても根本的な問題である感情、そうした問題を扱う学問を倫理学(ethics // moral philosophy // moral science)と呼ぶ。誤解を恐れずに言えば、心理学の前身的な部分もある。

例えば、新興IT関連企業の某社長が別段違法な方法で会社乗っ取りを図った訳でもないのに、マスコミ上で非常に感情的な問題となっているのは、恐らく倫理学の範疇の話である。今朝(3/3)のワイドショーでコメンテーターが「彼の言っているのは資本主義のホンネですよね。でも、(世間は)それだけじゃないんだという事です。」と言っていた。この「それだけじゃない」部分、これは倫理に関る問題だということの別の表現であるだろう。世間を構成する我々であれば誰もが解っている事だが、「新興成金が本音を剥き出しに喋ると目障り、耳障りだ。やるのなら、礼儀をわきまえた服装・言葉遣いでやりたまえ。」と。

その批評・批判は全く本質的ではない。彼らの業務とも、法的な問題とも、金銭的な問題とも何のかかわりも無い。そんなことは誰でも解る。言っている当の本人だって充分解っているのだろう。しかし、何かが引っかかる。当事者が彼の感覚からしてみれば「若い」ということ、それでいて全くマスメディアの大好きな「庶民」でも無ければ「若者」でもない。それに対する嫉妬。そして、世代間の対立を煽るような発言が、彼とその背景にいる世代が心の中で感じている「グローバルスタンダード」なる物への引け目を刺激すること。これらの事を某社長は明確に言う。そこで彼は「金(=力)があるのはよい。その力を行使するのもよい。だが、もう少し、私の感情を逆なでせずにやってくれ」と思うのだろう。

この感情の問題は小さな問題ではない。少なくとも筆者はそう思う。古来、あらゆる意味でのPOWER(=力・暴力・権力・財力)を持った人々が直面した問題である。アテネのペリクレスもローマのカエサルも、世間とどのように折り合うのかと言う問題と真正面から取り組んだ。どこまで世間や大衆が許してくれるのか。どうすれば喜ぶのか。世間にとって何が善で、何が悪なのか。それは自分たちの持つ善悪の判断と異なるのか。そうした諸々の感情や感覚を体系化しようとする試みが倫理学であり、体系化し得たと信じたのが宗教であったと筆者は考えている。

意識的な宗教基盤が薄れ、殆ど意味を失ってしまった現在の本邦に於いて、倫理と道徳の指針となるものはなかなか無い。一応マスメディアは『庶民感情』などと言うものを造りだし、代用しているが、受け手である我々とて、それは我々に阿っているだけであることくらい見抜いている。それでは、どこにその指針を見出せばよいのだろうか。

またしてもマキアヴェッリに触れるようで恐縮だが、『君主論』は倫理から政治やリーダー論を独立させて考えたことによって、返って倫理を浮かび上がらせていると筆者は考える。倫理とは単なる善悪の問題ではない。

某IT企業の社長の振る舞いは、告白すれば筆者は決して嫌いではない。だが、同時に『君主論』の一節を思い出さずには居られなかった。

「君主は様々な善なる性質を持っている必要はない。だが、それを持っていると人々に思わせることは必要である。」(君主論)
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by seagull_blade | 2005-03-03 13:39 | philosophism
このところ、更新頻度が非常に落ちているにも関らず、アクセス数はずっと変わっていない。楽しみにして頂いている方がこれほどいらっしゃるのかと思うと本当に心苦しい次第である。是非とも時間を作って更新しなくてはと思いながら2週間以上経ってしまった。お待ちいただいた読者諸賢にはお詫び申し上げると共に、今後も気が向いたら、是非覗きに来て頂くことをお願い申し上たいと考えている。

居合などの古武道を嗜むと、「侍」や「武士道」という言葉をよく耳にする。特に武士道という言葉は、武道関係者からではなく、友人や周囲の特に武道や武術と縁のない方々から聞くように思う。2003年に公開された映画『ラスト サムライ(The Last Samurai)』や『たそがれ清兵衛』、或いは大河ドラマ『新撰組!』等で、一種ブームとも言うべきものとなっている。こうした流れを「右傾化」とか「ニッポン万歳」という向きもあるが、そうしたことはさて置き、「武士道」という言葉について思うところを述べてみたい。
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『ラスト サムライ』の主演トム・クルーズもインタビューにて「新渡戸稲造の『武士道』は何度も読んだ」と述べているが、「武士道」という言葉で最初に思いつく参考書の一つに、旧5000円札の肖像画で知られる、新渡戸稲造の『武士道』が挙げられるだろう。よく知られているように、新渡戸『武士道』は本来、イギリスやアメリカを中心とした欧米に対して、日本の道徳を紹介するという趣旨で書かれ、原題は「Bushido ,The Soul of Japan」という英文である。筆者も一読したが、現代の我々が考える武士道の徳目が網羅されているように思う。裏を返せば、新渡戸の『武士道』という著作が我々の武士道についてのイメージをある程度決定しているとも言えるだろう。

もう一つ、著名な書を挙げるとすれば、山本常朝の『葉隠』であろうか。九州佐賀の鍋島藩士、山本常朝が鍋島藩士の為に侍としてのあり方、心構えを口述したものをまとめたもので、「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」というフレーズがよく知られている。三島由紀夫によって「葉隠入門」が書かれ、よく右翼的思想と結び付けられる書籍であろう。尤も三島由紀夫が単純に「右翼」という言葉で片付くような男ではないと筆者は考えているのだが。

さて、筆者はこの「武士道」という言葉には愛憎両端な感覚を持っている。狂的な右翼のイメージ或いは、それらの言動の後ろに、頻繁に引用される言葉であることから、「押し付けがましい道徳」「時代錯誤的道徳」という感覚がある。その一方、現代日本という恵まれた環境に生きる我々にとって、どこか名状し難い魅力があると筆者には感じられる。この「名状し難い魅力」というのはどこから来ているのだろうか。

新渡戸稲造の著作『Bushido ,The Soul of Japan』は、「キリスト教やイスラム教というような宗教的な規範、倫理基準の無い日本で、どうやってモラルを育てているのか?」という西洋人の問いに対する答えという側面があると筆者は考えている。現在においても、religionの項目に「無宗教」と答える日本人に対して、「神(GOD)が存在せずにどうやって善悪の判断をするのか?」という素朴な問いが問題になることがある。新渡戸はその問いに、「日本には武士道という倫理規範がある」と極めて単純化して言えば答えた。

しかし、普通に考えれば、「武士道」というのは武士という階級の規範・倫理であるはずで、日本全体に一般化して語ることは無理のあるものである。士農工商とはいうが、「農工商」にあたる8割以上の人間が守るべき規範であったかというと、決してそのようなことは無い。「喧嘩両成敗」にせよ「切腹」にせよ文字通り「死」がその規範のバックボーンとしてあるものが、日本において一般的な規範になり得るとは思えない。やはり、新渡戸は南部藩の武士として生を受け、当時を代表する知識人であった新渡戸にとって、武力においても文化においても圧倒的(と思われた)欧米列強に伍する為に、日本国民の規範がどうしても欲しかったのであろうと思う。その中で、儒教でもなく、神道でもなく、武士道をその規範に置いたのは、騎士道精神というものを持つ西洋人に対して最も説明しやすい概念だったのではないかと思ったりもする。本当の意味での「武士道」は武士階級が滅びたと同時に滅びたのである。

『葉隠』の言葉ではないが、戦場を駆け回り、人を殺す事が商売であり、泰平の江戸時代にあっても建前上はそうであった武士という存在は、当に生死を賭けることが、己の存在を証明する手段という特異な精神状態を常に保持する為の倫理を持っていたと筆者は考える。居合の稽古などで真剣を構え、それを腰に帯びると、なんとも表現の仕様の無い緊張感がある。脇差であろうと長刀であろうと、一度、肌に刃が触れれば、肉を切り裂き、血が吹き出る。そういうものを常に腰に帯びている武士が生きていくための規範は、異常なまでの緊張感と、ある種の居直りの中にあったのではないだろうか。

文字通り「クビ」が「斬首」を意味し、「切腹」が「刃を腹につきたてて死ぬ」という世界に置いて、己の精神を正常に保つ為には「死ぬ事と見付けたり」と居直り、姿勢を正すより他に無かったに違いない。「生死を賭けて己の存在を問う」このような異常なまでの緊張感の中で練られた精神の残り香が、現代に生きる我々をも魅了する魅力を未だ保っているように思う。繰返しになるが、武士と共に「規範」としての武士道は滅んだ。残り香としての武士道は「美学・ダンディズム」として存在するしかない。しかし美学であるが故に細々としかし綿々と魅力だけは生き続けている。
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by seagull_blade | 2005-02-14 21:21 | philosophism
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先週あたりからコンビニの前を通ると「恵方寿司」や「節分豆」など、もうすぐ節分であることを意識させるポスターや幟があったりする。節分といえば「豆と鬼」。少し、鬼について考えてみたい。

今時の修学旅行は、北海道や沖縄、はたまた海外とあるようだが、筆者が中高生の頃の修学旅行先と言えばどちらも京都・奈良で、有名な神社仏閣をあちこち廻った記憶がある。神社に神像があることは少ないし、神体はそうそう公開しているものではない。しかし、お寺のご本尊は、秘仏で無い限り割と公開しており、有名なお寺などでは拝観料を納めて見学させていただく事が多い。その頃から薄っすら疑問だったのだが、如来像や菩薩像はともかく、明王や天部の諸尊や神々は恐ろしい姿をしていることがあるのだろうか。

調べてみると、明王(不動明王など)はいくら優しく説明しても、諭しても、話を聞こうともしない人々(「難化の衆生」)に対して、強制的に煩悩を破壊する為に、如来がとる姿(化身)とのことである。これを特に「教令輪身(きょうりょうりんじん)」と呼ぶ。これはよく解る。親が子供に対して怒って見せる姿(憤怒形)に例えてもよいであろう。へそ曲りや居直ってしまった人間に優しい言葉は余り意味をなさない。場合によっては、怒ることも大いに必要なことだろう。

天部の諸尊はバラモン教やヒンズー教の神々が仏教に取り込まれた姿であるとのことである。本来、サンスクリット語で「deva」と呼ばれた神々である。少し脇道に逸れるが、サンスクリット語はインド・ヨーロッパ語族に属す言語で、フランス語の「dieu」、イタリア語の「dio」、ラテン語の「deus」と同義(類義)の言葉であるらしい。インドにおける神々はシヴァを始めとして破壊神や戦闘神も多い為、恐ろしげな姿も理解できる。

だが、例えば庚申塔に刻まれる「青面金剛(しょうめんこんごう)」はどうであろう。筆者の住む東京でも割とあちこちに見られる。道祖神のように街中に見られ、観音像のような姿だが、三面六臂で憤怒形であったり、武器を手にしていたり、と不思議な姿をしている。調べてみれば、青面金剛は疫病を蔓延させる神であるらしい。また、各地ある、天神社は表向き学問の神であるが、怨霊である「菅原道真公」を祀っている。よく知られる天神像は衣冠束帯の姿をしているので、さほど恐ろしげではないが、よく観察すると、両目を見開き、眉を怒らせた憤怒形をしていることが多い。怨霊神としての道真公は、破壊をつかさどる雷神であり、疫病を蔓延させる神でもある。疫病を蔓延させる神でありながらスサノオと習合され、京都八坂神社の祭神である牛頭天王(ごずてんのう)など、神でありながら本来疫病や災禍をもたらす存在として崇められている神は多い。そうした神々はやはり恐ろしげな姿をしている。彼らは神でありながら、鬼であり、日本的な意味、即ち我々が思い描く意味での「鬼神」と呼ばれる存在であると筆者は考える。

本邦には、キリスト教的な意味での悪魔(devil)は存在しない。キリスト教的な意味での悪魔とは諸悪の根源であり、善なる神と対立し、世界を混乱、破滅させる汚らわしい存在と理解してもよいだろう。善悪二元論に還元される神や悪魔は、我々日本人は想像しなかった。(「天魔」があるではないかという反論が聞えてきそうだが、天魔は仏教の四魔の一つ、「他化自在天魔=第六天魔王」のことであり、所謂「悪魔」とは格が違う。人間の住む世界よりも上位に住む「魔」である。)我々にとって、神とは「善悪どちらの方向でも、飛びぬけた力を持った存在」であるらしい。それ故に、一見形容矛盾であるような「鬼神」という語彙が自然に存在するのだろう。勿論「鬼」や「神」は本来中国語であって、よく知られているが「鬼」は日本人の考えるところの死者或いは死霊である。また、「神」はキリスト教におけるような神ではなく、「神秘的」「(動物的・物理的に対しての)精神的存在」という意味であるようだ。なお、英語における「THE GOD」は中国語では「天帝/上帝」と表現されることが多いようだ。

中国語の「鬼」ではなく、日本語の「鬼」には、当然ではあるものの「飛び抜けた/度外れの」という意味が未だに生きているようである。前時代的で恐縮だが、「死して護国の鬼とならん」というような表現や「仕事の鬼」、「語学の鬼」、「野球の鬼」等の表現に表されるようにけた違いの力を持った存在を「鬼」と呼ぶ。鬼を「神」に置き換えてみても良い。ニュアンスは異なるが、更に「桁外れの」存在となるだけで、ほぼ同義であろう。また、若い世代が使う「鬼のように~」という表現も「物凄く」という言葉の言い換えであり、世代が変わろうとこの言葉のもつ意味はそれほどぶれてはいないようである。(英語においては「Demon」が同じようなニュアンスを持つらしい。)

これらの事柄は、現代日本に生きる我々には無関係なようだが、三島由紀夫氏が1970年に割腹自殺をした際、神社に祭神として祀るという話があった。これには紆余曲折があり、沙汰止みとなった。しかし、飛び抜けた精神性を持ち、割腹自殺というセンセーショナルな最期を遂げた氏を神に祭り上げるという考え方は、良くも悪くも、古代から続く「日本的」感覚が今も生きている証拠であるように筆者には思える。三島由紀夫氏の評価は色々あるだろうが、単純な「善神」ではあるまい。とは言え単なる「悪神/悪魔」でもないであろう。

とは言え、「鬼」=「悪」というニュアンスは明確にある。次回はこのあたりから考えてみたい。
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by seagull_blade | 2005-01-23 20:36 | philosophism

1599年ローマにて

その日、かつてハドリアヌス帝廟として建てられ、政治犯の牢獄であったカステル・サンタンジェロに通じる橋、ポンテ・サンタンジェロには、執行される処刑に多くの人々が集まっていた。処刑されるのは3人だったが、群集が見たかったのは、美女の誉れ高いベアトリーチェであった。罪状は「殺人」それも「親殺し」である。
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彼女の父親はフランチェスコ・チェンチという名であった。小鳥と語らったという優しい聖フランチェスコの名を持ったにも関らず、このイタリア貴族はサディストであったらしい。チェンチ一族はローマの名門に属する貴族で、相当な資産家であった。フランチェスコは往時のイタリア貴族にありがちな放蕩者で、家庭においては典型的な暴君タイプであったという。彼には5人の息子と2人の娘があった。

イタリアにおいては、現在でも姿かたちで貴族であるか否かが大まかに判るほど、貴族と非貴族の容姿が違う。美女を集め、北方のドイツや北フランスといったサクソン系の人種と混合が進んだ貴族たちは、一般的にそうでないものに比べて背が高く、容姿も優れている。とりわけチェンチ一族は美形の家系だったのかも知れない。

2人の娘のうち、妹のベアトリーチェは幼少時から美しかった。14歳、当時では結婚してもおかしくない年頃になると、輝くばかりの美少女に成長した。彼女は幼い頃から父親の暴力の下で育ち、早くどこかに嫁いで、一刻も早く地獄のような家庭を去りたいと考えていた。そのための条件を彼女は完璧に備えていたに違いない。(少々、情緒不安定で暴力傾向があるとは言え)有力貴族を父に持ち、花のように美しい彼女には、求婚者も多く居ただろう。しかし、彼女の願いは実現しなかった。

彼女の姉が嫁ぐとフランチェスコの精神状態は更に不安定になり、ますます暴力性向を強めていった。フランチェスコにはルクレッツィアという後妻がいたが、彼女でさえも堪えられないほどになっていた。ベアトリーチェは既に家を出ている兄たちに助けを求める手紙を出したが、それをしったフランチェスコは激怒し、狂気の中の孤独に耐えかねたのかもしれないが、己の宮殿の一室にベアトリーチェを監禁してしまった。そして腕ずくで純潔を奪った。

ベアトリーチェは堪えるのをやめた。それまでは、「それでも父親だ」という思いがあっただろうが、辱められたことでそれさえも吹き飛んだ。そして継母ルクレッツィアと兄たちと共にこの暴君を取り除くことを決意した。2年間陵辱に耐え、機会を伺っていた。

手筈はこうである。家来の二人に金を握らせ、父親に阿片を飲ませる。阿片はダウナー系の麻薬である。仮に目を覚ましたところで、意識は朦朧とし、抵抗することは出来ない。更に継母と共に棒(火箸)で刺し殺す。更に偽装工作として寝室の窓から死体を落す。例によって錯乱した父親が勝手に窓から転落死したことにする為に。そしてその通り実行した。

しかし、この偽装工作は上手くいかなかった。他殺であるのは明らかであるからだ。鋭い大針はフランチェスコの眼から脳を貫き通し、いくら引き抜いたところで、その大穴は隠しようがなかった。また、資産家であったこともマイナス材料であった。この種のスキャンダルは一家を取り潰し、財産を没収する為の格好の口実であったからだ。

ルクレッツィアとベアトリーチェ、そして実行犯うちの一人は捕らえられ、厳しい尋問と拷問に掛けられた。当時の警察機構は、魔女狩りに代表される異端審問に見られるようにどうしようもなくサディスティックなものであった。それでもベアトリーチェは最後まで無罪であることを主張し続けた。市井の民は彼女たちが行った事が正当防衛であることは判っていたが、裁判所の出した結論は「斬首刑」であった。

その時の彼女は、命乞いをすることも無く、辛すぎた人生を早く終わらせたいかのように毅然とした態度で断頭台に消えた。このときベアトリーチェは16歳であったという。



近頃、性犯罪のニュースをよく耳にする。使いたくないが「外道」としか言い様の無い犯罪が多いと筆者は思う。カマトトぶるつもりは無いが、抑制の効かない外道が多すぎる。

やりきれない思いはいつの世も変わらない。400年間、我々男たちは大きな進歩を遂げていないらしい。少なくとも、生物学的には。

ゴルドシュミットの「歌劇:ベアトリーチェ・チェンチ」を聴きながら、そんなことを考えた。

筆者に出来ることは、被害者の救済とまた亡くなられた方のご冥福を祈る事だけである。この無力感はどうしようもない。
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by seagull_blade | 2004-12-10 15:21 | philosophism

謝罪と責任。

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昨日、(2004年10月3日)サッカーをTV観戦していた。勿論、19歳以下の選手によるアジア・ユース選手権準々決勝である。筆者はさほどサッカーファンでは無いのだが、(野球の方が詳しいし、サッカーやフットサルよりは草野球の機会が多い)2002年FIFAワールドカップ以降、関心を持って観るようになった。大リーグ史上シーズン最多安打を記録したイチロー一色の2日間だったので、サッカーが少し新鮮に感じ、結構しっかり観ていた。

サッカーの国際試合を観ているといつも思うのだが、日本選手に比べて海外の選手は演技やアピールがとても上手い。ファールを誘発する為に、大げさに転んだり痛がって見せたり、また、相手のプレーに怪しい点があれば、自分のことは棚に上げて審判にアピールする。昨日のカタールのユース代表も、一寸いやらしいくらいであった。それに比べるとA代表にせよ、ユースにせよ、日本代表はそういう点において淡白すぎる。相手のファールで転ばされても、痛みに顔をしかめながらすぐに立ち上がる。相手のファールのアピールにせよ、私のような素人がみてもはっきりと解るファール(ハンド等)しかアピールしない。

日本人である筆者から見ると、こうした日本代表の態度は立派であると思うし、観ていて気分が良いものである。だが、国際大会においては「自責」はするが「他者を責めない」態度で随分と損をしているのは間違いないと思える。フィオレンティーナの中田を始め、海外で活躍している選手が、日本に居るときよりも明確に成長していると思わせる部分が、上記のような「タフさ」或いは「厭らしさ」であるのではないだろうか。

南米や欧州のサッカーをTVで観ていると、タックルやマーク、ヘディングの競り合い等、相手との接触をともなうプレーの際、殆ど遠慮と言うものがないことに気が付く。また、ファールにしても、誘発や審判に対するアピールなど本当に遠慮がない。相手を弾き飛ばし、飛ばされたほうも大げさに痛がってみせ、審判に最大限にアピールする。勿論、やりすぎればシミュレーションというファールを採られてしまうが、それに臆している素振りは殆どない。(イエローカードが累積していれば別であるが…)

「フランス人(アメリカ人ということもある)は謝らない」という言葉を聞いたことはないだろうか。欧州人(とは限らないが)はなかなか自分の非を認めようとしない。それどころか、例え自らの非が明確になったとしても、あらゆる言葉で食い下がる。我々日本人から見ると「素直でない」とか「いやらしい」というように感じる態度を彼等が取るのは何故なのだろう。日本人の感覚では強情な態度では却って損をするように思える。「自らに非があるのなら、さっさと謝ってしまったほうがお互いよいではないか」と我々は考える。謝ってしまったほうが楽になるではないかと。

裏を返せば、日本人は「謝れば責任解除」という、よく考えると不思議な思考をしている。例えば、何か失敗をした場合、すぐに謝ってしまうと我々の世界では大抵片付いてしまう。程度問題だが、一度謝った人間を更に追求したり、責めたりすると「謝っているのだから勘弁してやれ」と周囲に言われてしまう。不謹慎な例を持ち出して恐縮だが、相当なレベルの刑事事件の裁判などでも「改悛の情」や「反省」などが判決の前文に必ずと言ってよいほど出てくることから考えても、「謝れば責任解除」という思考は我々の中に根強くあると思う。

ところが、欧州を始め、多くの国ではそのように考えない。殊、欧米においては「謝る=責任を認める」という構図になっており、下手に謝ろうものなら、犯した罪、ミスに見合うだけの刑罰が科せられてしまう。謝ったら負けなのだ。日本の法体系もそうであるが、近代法は筆者の知る限り古代ローマにおける「ローマ法」を元としている。そのローマ法を溯ると、これは筆者の想像になってしまうのだが、古代バビロニアの「ハムラビ法典」に行き着くように思える。ハムラビ法典は「眼には眼を、歯に歯を」を原則とした量刑を基本としており、犯した罪と同等と考えられる量刑を科せられる法体系である。

アメリカの「司法取引」という制度に我々は違和感を覚えるが、ハムラビ法典を念頭におくことで何となくではあるが、理解できる。「謝った=(罪を認めた)のだから、それに等しい量刑を受けることは吝かではない。だが、私にはあなた方にとって有益な情報があるのだから、その分を割り引いて欲しい」という考え方は、罪に対する罰を完全に「量」の問題として捉えることが出来るからこそ発生する考え方である。そして、「謝った=罪を認め」てからも、勝負は続く。「罪を犯してしまった」ことが明確な場合は、ここからが勝負と言っても良い。彼等の発想のどこを探しても「謝れば責任解除」という思考は無い。

ところが、我々はそうではない。いたずらをして怒られたら、基本的には謝れば済むのである。謝ったあとに怒られることはない。だが、彼等は非を認めたら怒られるのである。自らの非を非として認めることは美質であろう。だが、それを自明のこととして考えるのはどうやら日本人だけ(少なくとも少数派)であるようだ。そのことはもっと認識されてもよいであろう。サッカーの国際試合だけならともかく、我々は個人としても国家としても外国と関っていかなくてはならない。事の良し悪しではなく、常識が異なるのだと言うことを認めてから、同じ土俵に立たないと、徒に感情的になってしまって「あいつ等は汚い。」「話が通じない」というように、コミュニケーションが取れなくなってしまうように思えるのである。
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by seagull_blade | 2004-10-04 14:22 | philosophism