「ほっ」と。キャンペーン

Have a life outside of work.


by seagull_blade

カテゴリ:musique( 11 )

Musical Baton

6月は更新が一切できないという状況で、楽しみにして頂いている読者の方々には本当に申し訳なく、心からお詫び申上げます。仕事&プライベートで猛烈に忙しく…という事も無かったのですが、東海・関西・東北地方への出張や、今後のキャリアを考えることなどで色々な意味で余裕が無かったというのが言い訳です。しかし、気力体力ともに問題なく元気です。ご心配をおかけして申し訳ございません。また少しづつ更新していきますので、今後ともよろしくお願い致します。
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「そらコウ@ん家」のsoracotyan様より受取っていた「ミュージカル・バトン」をまずは次の方に回すべく、復帰第一戦、書きたいと思います。質問項目が英語であることから察するに、世界中で廻っているのかなと。

■■Total volume of music files on my computer:(今コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量)
3.18GB/692Files
20GBのiPodを愛用している。だいぶ年季が入ってしまった。このiPodはApple社のWebサイトから購入したのだが、「好きな文字を裏面に彫刻する」というキャンペーン中だったので、StingのEnglish man in New Yorkの一節を入れてもらった。

A gentleman will walk but never run.


■■Song playing right now:(今聞いている曲)
高校時代は音楽に飢えたように聴いていたのだが、最近はそれほどでもなくなってしまった。10代の頃は、大手販売店の広告ではないが、「NO MUSIC, NO LIFE」と心から思っていた。とは言うものの音楽好きは今でも変わらない。この2ヶ月で会社の同僚とバンド活動を始めてみたり、一昨日は旅行用のアコースティックギターを購入したりと、音楽に触れている。いまよく聴いているのは、
Best Of Bowie(David Bowie):Changes, Let’s Dance etc…
Queen Dance Traxx(OMNIBUS):Kind Of Magic, Bicycle Race etc…
Wired(Jeff Beck):Red Boots, Goodbye Pork Pie Hat etc…
ピアノ協奏曲(Rakhmaninov):第2番ハ短調 etc…


■■The last CD I bought(最後に買ったCD)
タイガー&ドラゴン:クレイジーケンバンド
なぜだろう…。ラジオやテレビで聴いているうちに欲しくなってしまった。

■■Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me:(よく聞く、または特別な思い入れのある5曲)
ヴァイオリン協奏曲第一番:Paganini
クラッシック音楽を聴くようになったきっかけの曲がこのパガニーニ。色々な思い出がこびり付いているが、それでもこの曲はとても魅力的だと思う。クラッシックを聴いて「スリリング」という表現が最もしっくりくる稀有な曲であると筆者は考える。

Mama Kin:Guns’ N Roses(Aerosmith)
高校時代はバンドばかりしていたが、その際に最もセッションしていた曲がこの「Mama Kin」。筆者の高校時代は丁度メタルブームで、Guns’ N RosesやMetalica、Extremeなどが流行っていた。ご多分に漏れず、筆者も長髪にして頭を振りながらベースを弾いていた。この曲を聴くとスタジオでの練習やデモテープ作り、学園祭でのライブなどを思い出す。
元々、Aerosmithの曲だったが、Guns’ N Rosesがカバーしている。

Bed Of Roses:Bon Jovi
これも同じく高校時代にライブで演奏した曲。ありがちなバラードだが、なかなか豪華なアレンジでお気に入りだった。所謂青春の一曲というところである。

St. Teresa:Joan Osborne
前にも記事にしたが、Joan Osborne の歌声を初めて聞いた時に、「こういう世界もあるのか」と軽い衝撃を受けた。歌詞が抒情詩的な物語になっているのも、筆者の好みに合っている。同時期にデビューしたSheryl CrowやAlanis Morissette ほど知られていないが、もっと売れても良い歌手だと思う。

ヤサ男の夢:山崎まさよし
時折、くどい/ケレン味が多すぎると感じることもある山崎まさよしだが、この曲が収録されている『HOME』というアルバムは、よく聴いた。この曲も個人的な思い出がこびりついているが、音楽とはそういうものだろうと思う。

■■次の5名様
すっかりご無沙汰していたのに大変恐縮ですが…。
i-wacher様・gon.fly.high様・ssnostalgia様・variousmoon様・あと一人募集中
このWeb上のバトンを受け取っていただけないでしょうか?
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by seagull_blade | 2005-07-14 16:31 | musique
昨年、i-Pod©を購入したのだが、20GBというディスク容量は大きすぎて、いつまでたってもディスクがスカスカである。20GBというと、一般的な圧縮形式データで、5000曲格納できる計算になる。最近、といっても数ヶ月経つが、発売されたi-Pod miniは容量が4GBとのこと。これでも1000曲格納できるので、この発売まで待てばよかったと少し後悔している。しかし、CDやカセットテープを持ち歩かずとも大量に格納できるという点、携帯ハードディスク型音楽プレイヤーはかなり便利なのでドライブ等には画期的であったりする。
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「本棚を人に見せるな」という言い方がある。本棚は確かに当人の「嗜好や思考や志向」がどうしても現れてしまう。筆者もやはり見せたいものではない。「i-Pod」も小さな液晶ディスプレイを見ることで、その人の音楽嗜好がはっきりわかってしまう。筆者の場合は本棚よりは見せてもよいものである気がするので、少し中身を紹介しようかと思う。

最近「スカスカのハードディスクを埋めるのに丁度よい音楽は」と考えると、割とサントラものを購入する傾向がある。TVドラマや映画音楽など、サントラは「良い所取り」であることが多いので、考えなしに聞くにはとてもよい。高校生の頃は好みのアーティストをとことん追求するタイプだったのだが、どんどん雑食の傾向を示してきている。というよりもむしろ、「好きなミュージシャンを探すのが面倒になってきた」だけなのかも知れないが…。

サントラのよいところは他にもあって、「既知の曲が多い」ということもその一つであろう。全く知らない曲を聴くのは新鮮な楽しみがあるが、馴染むのに時間がかかるし、聞いてみるまで好みの楽曲であるかどうかがわからない。その点サントラは多くの場合、映画やドラマを既に観た後だから、曲は意識的に覚えていなくとも、記憶のどこかにあることが多く、「あ、そうそう」的な感覚で聴くことが出来る。

筆者の場合、最近の映画やドラマのサントラを購入することもあるが、幼い頃に見ていたTVドラマのものや、古い映画のもの、或いはシリーズものの主題歌を集めたものを割と購入しがちである。最近では「007シリーズ」のテーマを集めたものを購入した。シリーズをすべて観ている訳ではないが、都心にも郊外にも合うのでドライブにはとてもよい。ただ、「シリーズのテーマソング」ものは知らない曲が混じっているので、新鮮さはあるものの、「あ、そうそう」的聴き方には今ひとつである。そこに来ると、幼少時に観ていたTVドラマは最適である。

拙文のタイトルでバレバレだが、最近好んで聴くのはご存知「必殺シリーズ」である。兄弟居らず、周囲が大人だった所為か、小学校へ上がる前から時代劇を祖父母や両親とよく観ていた。「大江戸捜査網」や「伝七捕物帖」、「暴れん坊将軍」などなど。しかしなんと言っても大好きだったのは、『必殺仕事人』である。池波正太郎の「仕掛人藤枝梅安」が原作(ほとんど原型をとどめていないが)で、1972年から91年まで「名を変え、手を変え、品を変え」続いた「必殺シリーズ」は読者諸兄姉もご存知の方が多いのではないだろうか。出演者の変遷も多い為、好きだった作品も多く別れることだと思うが、筆者にとって「必殺」と言ったら、藤田まこと扮する『中村主水』、山田五十鈴の『おりく』、中条きよしの『勇次』、三田村邦彦の『秀』、鮎川いずみの『加代』が登場する、「新 必殺仕事人」である。

今思えば、「どうして秀は、みな歩いて『仕事』に行くのに、一人だけ泳いだり、走ったりしているのか」「勇次の三味線の弦は錘もついていないのに真直ぐ飛ぶのか」などと突っ込み処満載なのだが、ドラマそのものは、完全懲悪とは言い切れず、また江戸町人生活が確りと描かれていて、後半はどんどんギャグと化していくにもかかわらずよいドラマだったように思う。

閑話休題。Amazonで「必殺シリーズ」のサントラを購入した。サントラは全集が発売されていたが、自分がよく観ていた頃の『新必殺仕事人 / 必殺仕事人 III』を購入。早速、聴いてみることに。

勿論、有名なトランペットのテーマは言うまでもないのだが、こうして聴いてみると「ウエスタン」と「演歌」と「フュージョン」が渾然一体となったなんとも言えない世界である。フュージョン調の音楽をバックに古今亭志ん朝のセリフが入るオープニングナレーション。懐かしさとおかしさで聴きながらニヤニヤしてしまう。楽曲のそれぞれが、「あ、中村主水が袖の下でも取りながら町をぶらぶらしているな」とか、「このあたりで雲行きが怪しくなるな」などと、場面場面をイメージできる。

例のトランペットが流れた後は「仕事」のシーンに使用されたBGMである。トランペットがメロディラインを奏で、ストリングスとベース・ドラムがバックを支える。夜勤の際など眠くなって来たら、ヘッドホンでこの曲を聴くと気合が入ったりする。仕事のBGMが終わると、急に演歌調というかメロドラマ風のストリングス『中村主水のテーマ』が流れる。これを聴きながら帰宅すると不思議な充実感が…。

読者諸兄姉にもこのように感情移入(むしろトリップかも)してしまう一枚はないだろうか。
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by seagull_blade | 2004-11-28 14:20 | musique
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ここ2年ほど、圧倒的に一人で酒場に出入りするようになった。いわゆる「酒場の油虫」という奴である。深刻な話でもなんでもないが、自宅よりも酒場のカウンターの方が落ち着く人になってしまった。誰かと飲むことは殆どない。飲みたくないわけではないが、いつも相手が見つかる訳ではないし、それならば一人の方が気楽というものである。ただ、みっともない話だが、最近は悪酔いするようになった。そろそろ、この生活もなんとかしたほうが良いかも知れない。悪酔いといっても気分が悪くなったり、頭痛がするのではなくて、何となくネガティブになるというだけなのだ。

そういう場合、どんどんネガティブになる思考と、それを冷ややかに嘲笑する、さほどネガティブでない思考が発生し、他人からみると、ちょっと不機嫌だが普段どおりという状態である。ネガティブな思考は筆者自身の「無能・無価値」を嘆くのだが、冷静な思考は前者の思考を「それほど無能であるわけはない。そうでなければ、査定もわりと良く、それなりに頼りにされる理由がない。」「無価値というのは孤独感の言い換えに過ぎない。別に天涯孤独なわけではない。その程度の辛さは誰でも抱え込んでいるものだ」というように分析する。一種の自問自答をしている訳で、それなりに疲れたりもする。アルコールを摂取してストレスを発散しているのに、その代償として自問自答で疲れてしまう。「この生活も何とかしたほうがいい」と考えるのはそういう理由である。逃避して気持ち良くなれないのなら、毎日いくらかの金を払って飲む理由もあるまい。

とは言え、結局、食事を自分への言い訳に飲みにいくのだろう。大した量を飲むわけではない(平均的にビールを2杯程度)。その後に、居合の一人稽古をするので、寝る前にはアルコールなど抜けてしまう。それでも、飲み屋から家までの間の自問自答が面倒なので、少し回数を減らしてみようと思う。なかなか出来ないのだが。軽度のアルコール依存症な気もしなくもない。(休日は大抵、アルコール抜きである。働きもしないのに酒を飲むのは何となく憚られる。)

その面倒な自問自答を打ち切りたい時に、無理やり頭の中で再生させる音楽がある。読者諸兄姉もそういう曲があるのではないだろうか。あるシチュエーションの時に決まって思い浮かべる音楽というものが。

音楽を聴く時や頭の中で再生する際、大体においてそのときの気分をトレースした曲を選ぶ。疲れて、ふさいでいるのに明るく前向きな曲を聴きたいことは少ない。また、ポジティブな気分にあまり後ろ向きの曲は聞きたくないものだと思う。インストゥルメンタルのクラッシックやJAZZもそういう傾向があるが、歌のある曲はその傾向がはっきりしている。筆者は高校生までに聴いていた音楽は、洋楽だろうと邦楽だろうと歌詞まで覚えてしまっていることが多い。そういう曲はかなり詳細な部分まで脳内で再生できる。その脳内ジュークボックスが、酔っ払いの自問自答の際に選択する曲は、クイーンとディヴィッド・ボウイーの合作、「UNDER PRESSURE」である。

ジョン・ディーコンの印象的でどこか滑稽なベースで始まるこの曲はクイーンのヴォーカル、フレディ・マーキュリーとディヴィッド・ボウイーのデュエット曲である。かなり有名な曲なので、ご存知の向きには蛇足だが、1982年、シングルカットされ大ヒットした曲で、クイーンのアルバム『Hot Space』に収録されている。また、クイーン/ボウイーどちらのベストアルバムにも大抵収録されている曲である。

嬉しくない自問自答のBGMとして、筆者の脳内ジュークボックスがこれを選ぶのは、フレディとボウイーの掛け合いが、きっと自問自答の状況をトレースするからだろう。興奮して嘆くフレディと冷静なボウイー。

フレディは嘆き、そして叫ぶ。
Can't we give ourselves one more chance?
Why can't we give love that one more chance?
Why can't we give love give love give love?
<どうして愛せなくなってしまったんだ。なぜ?なぜ?>

ボウイーが例の低い声で唄い出す。それに答えるように。
Cause love's such an old fashioned word
<愛なんて時代遅れな言葉だからさ>

これを聴いているうち(本当に聴くこともあるし、脳内で再生するだけのこともあるが)に、くだらない自問自答の時間は終わり、家にたどり着く。歌詞の意味がどうということではなく、歌詞の論理(おかしな言葉だ)が自問自答の形式をとっているので、自分の自問自答をかき消してしまう気がするのだ。そして、アルコールが抜け始め、いつもの自分に戻る。己のくだらなさは己に発していることに過ぎないと再認識して。

つまらない代償を払うのを止めて、今夜は一つ、酒を我慢しよう。楽しくない酒など意味がない。久しぶりに素面でこの曲を聴きたくなったような気がする。
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by seagull_blade | 2004-09-13 15:32 | musique
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筆者は涙腺が壊れているらしく、長じてからは殆ど泣いたことがない。もっとも、「男が泣いてよいのは両親が死んだ時だけだ」という祖父の言葉が心の奥に残りつづけているだけかも知れない。だが、例外的に涙腺が緩むパターンがある。最近では、適度なアルコールが入っている時に、好きな音楽を聞いた場合である。先々週だと思うのだが、マスターに仲良くして頂いている行き付けのバー「Grand Pa ‘S Dream」でそんなことがあった。

「もうすぐ閉店だし、お客さんも君しかいないから好きな曲をかけてあげるよ。」このバーのマスターは酒も詳しいが音楽も詳しい。年も近いこともあって音楽の趣味は結構合う。(しかも元剣道少年で居合や刀の話もできる)バーには常時数百枚のレコードとそれ以上のCDが置いてある。マスター個人の趣味だが、クラッシックからジャズ、ロック、少し前の邦楽…少なくとも筆者が知っているような曲が無かったことは無い。
「…マスターのお勧めがあれば、それが聴きたい。」
「それなら、これはどうだろう。」マスターが取出したのは見た事の無いジャケットのCDだった。深夜1:00を過ぎると賄い酒を飲み出すマスターは慣れてはいるものの多少危ない手つきでデッキへセットする。
「映画のサントラだよ。」
「ふーん。最近観てないな…映画なんて。一緒に行く相手も居ないしね。」
「お互い様だ。いいから聴けよ。」
「うん。」
「Queen好きだったよね?」
「うん。」

いつもよりボリュームを上げたスピーカーから流れてきたのは、30年代のフランス風の音楽だった。予想していたクイーンの聴きなれた音ではなくて、アコーディオンの悲しげなメロディ。そして、低く張りのある男の声が流れてきた。
「…え、The Show Must Go On?」
「ふふん。誰が歌っているか判る?」
全く判らない。時折、細い女性の声が混じる。そして短くアレンジされた曲はすぐに終わった。「もう一度、掛けてくれる?」「勿論。」

Empty spaces - what are we living for
Abandoned places - I guess we know the score
On and on, does anybody know what we are looking for
Another hero, another mindless crime
Behind the curtain, in the pantomime
Hold the line, does anybody want to take it anymore
The show must go on,
The show must go on
Inside my heart is breaking
My make-up may be flaking
But my smile still stays on.

ここまでで不覚にも涙が流れてきた。誰が歌っているのかは判らないが、力強く、切実で、悲しい決意を歌っていた。サビのあとの一節を歌う女性の声も優しく、切なかった。
「ちょっとトイレに行ってくる」
「雰囲気壊すなあ」本当のところ、不覚をとったのがみっともなかったのでとりあえずトイレに行っただけだったが、ばれずに済んだ。(マスターの事だから知っていて言ったのかも)
「ただいま。ハイボールが飲みたい。」
「ほいよ。で、判る?」
「いや、全く。でもこれはスゴイね。」
「ふふん。男の声はユアン・マクレガー、女の声はニコール・キッドマン。」
「え、ちょっといい男の俳優だよね。何かに出てた…なんだっけ?」
「『ベルベット・ゴールドマイン』とか『ブラックホークダウン』とか『スターウォーズ』とか」
「…。ニコール・キッドマンってトム・クルーズのかみさんの?」
「元ね。『ムーラン・ルージュ』って映画のサントラだよ。これは2枚目だけどね。」

この曲を聴いて涙ぐんだのは初めてだった。勿論、大好きな曲には違いないのだが。91年クイーンのヴォーカル、フレディ・マーキュリーはHIVによるカリニ肺炎を発症して鬼籍に入った。クイーンがクイーンとして存在していた時代のラストアルバム『Innuendo』に収録されたこの『The Show Must Go On』は、フレディの遺言というべき曲である。自らの余命を知った上で、「the show must go on」と書いた心中はどうだったのか。どうしようもなく辛いときは、そのことを想像して、「この程度は辛いとは言えない」といつも言い聞かせていた。これは使命を自覚していながら、最後まで果たすことの出来ない男の精一杯の強がりなのだと。それに比べれば、「お前の辛さなどなんと言うことはない」と。

最近はアルコールとこうした好きな音楽が少しだけ涙腺を緩めてしまう。ユアン・マクレガーの歌声でも。(とても素敵だけれど。)進歩なんだか、堕落なんだか。もちろん、CDは1・2ともすぐに購入した。
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by seagull_blade | 2004-09-06 23:56 | musique
20代前半、女性ボーカルしか聴かなかった時期がある。へヴィメタルが衰退し始め、高校時代から続けていたロックバンドも一段落し、大学受験も終わってなんとなく気が抜けていた頃である。学生生活にあまり適応できず、日がな一日、本を読み、酒を飲み、音楽を聴いていた。今から見ればなんとも優雅な時期ではあった。その頃(1995年)日本ではUAが独特の声で『悲しみジョニー』を歌っていた。アメリカではアラニス・モリセット、シェリル・クロウ、そしてジョーン・オズボーンというパワーのある女性ボーカルがデビューした。アラニス・モリセットやシェリル・クロウはその後順調に売れていったが、ジョーン・オズボーンはレーベル移籍の問題などで今ひとつパッとしない。だが、筆者が最も気に入って聴いていたのはそのジョーン・オズボーンのデビューアルバム『Relish』である。UAも含めて4人に共通するのは低音と中音に張りがあり、色気と気だるさが入り混じるところだと筆者は思う。その頃のなんとなく憂鬱な気分に一番合っていたのが、この4人、とりわけジョーン・オズボーンだったのだろうと思う。a0012892_19315146.jpg

歌声を飲み物に例えると、ソフトドリンク系の歌声とアルコール系の歌声があるように思う。女性ボーカルに話を限れば、前者は高音に倍音が多く含まれ(殆どギターでいうピッキングハーモニクスのようだ)、中音域と低音域があまり豊かでない声である。聴いているとコーラやレモネードを飲んでいるようで、腹は膨れるけれど全く酔う事ができない。筆者にとって音楽はある程度酔わせてくれるものでなくてはならないので、どうも今ひとつ好きになれない。では後者のアルコール系はというと、高音域は多少の倍音が含まれるが、最も伸びやかなのは中音域で、低音にもある程度の潤いがある声である。筆者の感覚からすると、高音域の倍音が多く含まれていれば、華やかになり、ロングカクテルに例えることができる。また、高音域の倍音が少なく、どちらかといえば中音域から低音域が強い声なら、甘味が少なくアルコールの強いショートカクテルのようである。さらに低音域に潤いがあり、力強ければウイスキーのようなハードリカーに例えられるのではないだろうか。シェリル・クロウやアラニス・モリセットはロングからショートカクテルだが、ジョーン・オズボーンはウイスキーの声を持っている。

『St. Teresa』(セント・テレサ)は前述したデビューアルバム『Relish』の冒頭に収録されている曲である。夜の歌である。決して昼間に聴くような曲ではない。緊迫感のあるリズムへセクシーなベースが絡み、その上をジョーン・オズボーンのアルコール度数の高い声が流れる。本人がインタビューで語っているが「夜のニューヨークの街角にある恋の物語」である。とは言え、甘いだけの物語ではない。むしろ悲痛な物語である。「子持ち売人の女性に恋をする男の告白」という形で歌われる。インタビューで語られていた通り、本当に日常的な事なのだろう。日々を生きるためにドラッグと売春にまみれている女性を、主人公の男は「聖テレサ」と呼ぶ。そして、その女が立つ辻を「Corner St. Teresa」と名付け、男にとっては特別の場所になっている。そんな恋心を破滅的ドラッグに絡めてジョーン・オズボーンは歌い上げる。女性自身も中毒なのだろう「聖テレサ」は聖女であるが、ローマのサンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会にあるベルニーニの「聖テレサの法悦」が知られているように、エクスタシーを連想させる聖女である。

きっと恋の行き先は苦しみが待っているだろう。決して幸福にはなれないだろう。それでもなお、愛しさを募らせるこの男の心情を歌うこの曲の方が、世の幸福な恋心を歌った曲よりも遥かに筆者は共感できる。どれほどの悪女であってもどんな悪所に身を沈めた女であっても、惚れてしまえば聖女に見える。

そういう物語を例のウイスキー・ボイスで歌い酔わせてくれるジョーン・オズボーンはもう少し評価されてもいいシンガーなのではと筆者は思っている。

Just what I been needin', feel it rise in me.
She said, "Every stone a story, like a rosary."
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by seagull_blade | 2004-07-23 10:37 | musique
a0012892_1745.jpg語り尽くされた感のあるSTINGの「Englishman In New York」。筆者のもつiPodではかなりヘビーローテーションで再生されている。これほど知られている楽曲で何度聴いたか解らないが筆者の中では陳腐化しない。JAZZの雰囲気満点だがビートは裏打ちでミドルテンポ。内容はご存知の通りイギリス人がアメリカを皮肉るという物だ。たくさんのパロディが作られた曲でもありShine headの「Jamaican in New York」あたりは結構ヒットした。当てこすりの当てこすりというパロディが作られてしまうあたりが何とも「イギリス人」なところの一つではあるまいか。

「A gentleman will walk but never run」という一節が出てくる。お気に入りの一節だ。「紳士(たるもの)は歩きこそすれ決して走らない」とでも訳せばよいのだろう。原意は「実力主義・市場経済」という名の「無秩序な弱肉強食社会」であるアメリカへの皮肉である。何処へ行ってもそう簡単に郷に従うことを良しとしない英国人の気概がこの一節を書かせたのではないか。

イギリスへはどうした訳か縁があって何度か足を運んだことがある。また何故か知り合いも少しいる。彼等の特徴は何処へ行ってもスタイルを変えないということだ。

いつも勝手に連想するのだが、何かの本で読んだ幕末から昭和初期にかけて生きた女性へのインタビューの中で「それは立派なものでしたよ。常に背筋を伸ばして、決して走ったりせず堂々としてました。」と侍がどんなものであったかを答えていたことを思い出す。

悔しいがヨーロッパに現在でもかなわないと考えてしまうのがこの点だ。ブリティッシュ・ジェントルマンがイギリスの一つの理想形であり、イギリスでなくとも、あの陽気なイタリアにさえ「ジェントルウォーミニ」という言葉があり、今でも決して悪いニュアンスの言葉ではない。言わば、自らを理性で規制することで誇りを維持している人々がおり、また彼・彼女等が一定の尊敬を集めていることだ。日本において「エリート」は侮蔑の意味を含んでいるが、ヨーロッパにおいては悪い意味はないように。

最近、この曲の皮肉の対象が日本も含んでいる気がしてならない。
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by seagull_blade | 2004-05-20 17:05 | musique
a0012892_13316.jpg少し前に『ファム・ファタール』(femme fatale)という映画があった。ブライアン・デ・パルマが監督し、豪華な宝石や衣装が話題となったFilmだった。「蛇のビスチェ」などとい「エロティシズムと悪趣味」「衣装と宝飾」の境にありそうな映像を覚えている方も多いかもしれない。

「femme fatale」という言葉がボウイーの楽曲にも登場する。またしてもボウイーか!と思われる向きもあるだろうが、お付き合い頂きたい。

1975年のアルバム『ZIGGY STARTDUST』に収録されたこの曲「LADY STARDUST」はボウイーの曲の中でも知られた曲であろう。第一興商だったかのTVCFでも使用されていた。

彼の持つデカダンスな雰囲気と相反する真剣さを無理なく調和させ、日本人好みのやさしいメロディラインが印象的な曲だ。

イントロはピアノで始まる。ヴォーカル・ピアノ・ベース・ドラムだけだろう。詞の内容は「LADY STARDUST」というバンドを歌ったものに取れる。相変わらず意味深で何とも解りにくいのだが・・・
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And lady stardust sang his songs
Of darkness and disgrace

そして レディ・スターダストは彼の暗闇と恥辱の歌を唄う。
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なんのことだろう。LADY STARTDUSTは男性なのか?バンドの名前なのか?それともその名の通り女性なのだろうか?このあたりがボウイーの上手なところだ。曖昧にして聴くほうの想像力を刺激する。
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And he was alright, the band was all together
Yes he was alright, the song went on forever
And he was awful nice
Really quite out of sight
And he sang all night long
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やはりはっきり男性なのだ。「彼はalrightだった」のだから。
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Femme fatales emerged from shadows
To watch this creature fair

Femme fatalesは神の前に等しい被造物を見に
影より現れた・・・
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サビのあと2回目のAメロでFemme fatalesは登場する。なかなか難解な歌詞だ。運命の女と訳されることも多いがどちらかと言えば「妖婦」「傾城の美女」のようなニュアンスの方が強いこのフランス語をどう捉えればいいのだろう。

筆者はこのように妄想してみた。LADY STARDUSTという男性ボーカルのバンドが演奏をはじめると「LADY STARDUST」という淑女であり妖婦が音楽の中に立ち現れるのだと。唄っている間だけ現れる全てを魅了せずにはおかない美女。彼女は等しくその音楽を聴いている物を魅惑し、酔わせる。曲が終われば何処にもいない。しかし、オーディエンスはその存在を確信しているのだ。

良い音楽とはそのようなものかもしれない。と思う。
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by seagull_blade | 2004-04-30 13:32 | musique

変更点。(David Bowie:CHANGES)

a0012892_121147.jpgカテゴリ「Musique」の最初に現在のDavid Bowieについて書いた。ボウイーの魅力は多くの人によって語られているが、ファンとしてその末席に連なりたい。

1971年に発表された「HUNKY DORY」の冒頭に収録された「Changes」は筆者お気に入りの1曲である。正直、当時のクレイジーな格好をしたボウイーのビジュアルはあまり好きになれないのだが、楽曲についてはここから80年代半ばまでがやはり魅力的であるとおもう。

ボウイーの詞はいつも少し難しい。難解とは言わないが、単語も難しい言葉を良く使うし、言い回しも独特で、ざっと歌詞カードを読んだだけでは解らないことが多い。では対訳を読めばいいじゃないかということなのだが、これがまた意味がわからないことが多く、はっきり間違っていたりしてあてにならない。せめてベスト盤での再録などでは対訳も見直せばよいと思うのだが・・。

ところで「Changes」もそうした曲の一つであった。どうも対訳を読んでも意味がわからないし、歌詞を斜め読みしてもやはり意味がとれない。仕方が無いので辞書を引き引き意味を取ってみた。そうするだけの魅力が音にあるのは勿論だ。

冗長なのと英語力に自身がないのでサビの部分だけseagull流に訳してみた。(おこがましいかも知れない。)

Ch-ch-ch-ch-changes
(turn and face the strain)
Ch-ch-changes
Don’t want to be a richer man
Ch-ch-ch-ch-changes
(turn and face the strain)
Ch-ch-changes
Just gonna have to be a different man
Time may change me
But I can’t trace time

変化。
(振り返って試練と向き合え)
変化。
よくいる成金になりさがるな
変化。
(振り返って試練と向き合え)
変化。
別人にならなくては
時間は私を変えるだろうが
時間は溯れない。

へ・へ・へ・へんかだ!と訳してみても良かったかもしれない。こういう洒落っ気もボウイーの得意とするところだから。付属した対訳には「変化だ!奇妙なものに目を向けろ」なんてなっていたのだが、これでは意味がわからない。。。

ボウイーの魅力は(振り返って試練と向き合え)などという歌詞を真剣に叫ぶことができて、厭らしくないことだと思う。へそ曲がりの筆者はこの手の歌詞に大抵「けっ!」という反応しかしないのだが、ボウイーが叫ぶとついつい聴いてしまう。そんなはずは絶対に無いのだが、何だか筆者のために叫んでくれている気がしてしまうのだ。創造的な天才とはこうした人のことを言うのかもしれない。などと考えてしまう。
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by seagull_blade | 2004-04-28 12:12 | musique
a0012892_1287.jpgQUEENがTVドラマの影響で少しブームとなっている。1ファンとしては喜ばしい限りだ。30年弱生きて来たなかで最も聴いたアルバムがQUEENの「Greatest HitsⅠ・Ⅱ」だと思う。とは言いながらマニアックなファンも多いQUEENであるから、「ベスト版を聴きこんだ位でファンとかいうな!」という方も多いと思うが、QUEENを聴き始めた高校生の頃、丁度フレディ・マーキュリーが他界した頃で、ファンとしては若輩もいいところという体たらくである。乞うご容赦である。

QUEENは様々なタイプの楽曲があり筆者からみると異常なまでに才能があるバンドであった。ロックが基本線なのだが、エスニックありオペラありダンスビートありというとんでもないごった煮の世界である。「JAZZ」というアルバムに収録されている「Mustapha」という曲に至っては英語・アラビヤ語入り混じりで、あっけに取られてしまう。(学生時代ちょっとアラビヤ語を齧った筆者にはなんだか楽しくなってしまうのだが・・・)

精神的・肉体的にぐったりしていたり、つまらないことが多い時にあまりロックを聴きたいと筆者は思わないのだが、QUEENは何せ様々なジャンルの楽曲を世に送り出しているので、そんな状況でも聴きたい曲がある。

筆者がまず思いつくのはアルバム「イニュエンドウ(Innuendo)」に収録された「輝ける日々(THESE ARE DAYS OF OUR LIVES)」である。優しいパーカッションで始まり、ヴォーカル:フレディ・マーキュリーが呟くように(勿論彼のことなので伸びやかなのだが)歌い始め、サビはQUEENの最大の特徴である美しいコーラスが展開される。

この曲を聴いていると「癒される」というよりは「許される」と感じる。どうにもならない状況になって、「昔は良かった」式の思考に陥ったとしても「まあ、それでいいんだよ」と言ってくれているように思える。筆者にとっては自己嫌悪から開放してくれる楽曲なのだ。
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by seagull_blade | 2004-04-23 12:09 | musique
a0012892_163737.jpgよく知った音楽を聴く。するとその曲を聴いていた頃の情景が浮かんでくることは誰でも経験があるだろう。それが楽しい事にせよ、悲しい事にせよ音楽は一種の脳内インデックスとして機能する。ところが楽曲によってはインデックスに色々な情報が張付きすぎて、特定の情景や記憶を引き出せなくものもあるかも知れない。筆者にとってベット・ミドラーの『The Rose』はそんな曲の一つである。

掃いて捨てるほど愛の歌はある。ちょっと食傷気味になるほどに。だが全くの主観と好みに過ぎないがこの曲は真正面に愛を語っていながら感動してしまう。

歌詞は勿論秀逸ではあるが、よくある内容だ。竹内まりやの「元気をだして」に近いかな。だが、聴いてみればこの曲に横たわるやさしさがわかるはずだ。

傷ついた大人に対して「敢えて何もしなければ何もできないのよ」と励まし、「種を蒔けばいずれ薔薇になる」と歌っている。勿論、曲の前半にでてくるBAD LOVEが決して少なくないことを歌い手はよく知っているだろう。しかし、それでも顔を上げなくてはならないし、何かが始まったりもしない。

このあたり勝手な連想だが「シジフォスの神話」をなんとなく想起させる。神の罰を受けたシジフォスは尖った山の山頂へ巨大な岩の球を運び続ける。山頂につくなり岩は必ず転がり落ちてしまう。だがそれこそが彼に与えられた罰なのだ。
シジフォスは何度でも山頂へ岩を押し上げる。それもうっすらと笑みすら浮かべながら。ここで絶望してみたところで仕方が無いことを彼は知っている。

筆者も山頂へ岩を置くことは出来なくても、せめてシジフォスのようになりたいと思う。それは決して諦観ではない。

BETTE MIDLER 『THE ROSE』の歌詞↓
http://www.lyrics007.com/Bette%20Midler%20Lyrics/The%20Rose%20Lyrics.html
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by seagull_blade | 2004-04-15 16:38 | musique