「ほっ」と。キャンペーン

Have a life outside of work.


by seagull_blade

カテゴリ:bizarro life ( 20 )

弔意。若すぎる死へ。

Tears in Heaven

Would you know my name
If I saw you in heaven?
Would it be the same
If I saw you in heaven?

I must be strong
And carry on,
'Cause I know I don't belong
Here in heaven.

Would you hold my hand
If I saw you in heaven?
Would you help me stand
If I saw you in heaven?

I'll find my way
Through night and day,
'Cause I know I just can't stay
Here in heaven.

Time can bring you down,
Time can bend your knees.
Time can break your heart,
Have you begging please, begging please.

Beyond the door,
There's peace I'm sure,
And I know there'll be no more
Tears in heaven.

Would you know my name
If I saw you in heaven?
Would it be the same
If I saw you in heaven?

I must be strong
And carry on,
'Cause I know I don't belong
Here in heaven.

Good bye Henry, See you someday...
一杯飲んだのは一度きりだったね。
会ったのも一度。
だが友には違いない。
逝くにはあまりに早い。
この先また話すことがあると思っていたよ。
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by seagull_blade | 2007-09-24 04:09 | bizarro life

English, English

a0012892_17121219.jpgブログは休業状態が続き、更新するのをやめてしまったと思われた方々も多いと思う。お詫びの言葉も無い。転職してからも時間がなかったとは言えないし、記事のネタが無いわけでもなかったのだが、ブログを更新するだけの精神的な余裕が無かったというのが本当のところである。ご容赦願いたい。今後も遅筆ながらも続けて行く予定なので、お付き合い願えればと思う次第。

前回の記事で、転職先は「外資系コンサルティング企業」と書いた。社名はここで書くことは出来ないが、ご存知の方はご存知の企業かと思う。アメリカ発のグローバル企業で典型的な外資系である。経験不足や能力不足もあって業務でも四苦八苦しているのだが、さらに苦労しているのが、ご想像の通り英語である。筆者の業務クラスでは日常業務で会話を使うことは殆ど無いので、会話が不得手でも問題ないのだが、社内で使用するドキュメント類はほぼ英語、メールも5割は英語で届くというような状態である。

英語が得意な方にとってはどうということもないが、筆者のように「学校英語はほどほどで実用英語は日常最低限が精一杯」という人間にとってはかなり苦痛である。そうは言っても読み書きができないと仕事にならない。仕事用のメモに使っている手帳は殆ど単語帳と化し、もっとも頻繁にアクセスするサイトは「スペースアルク」という有様である。とは言え、一ヶ月そういう状態で仕事をしているといい加減に慣れてくる。入社時に受けさせられたTOEICのスコアは600点に少し及ばなかったが、今なら過去最高点を取ることができる気がする。

筆者の会社は非英語圏の社員のために語学学校の費用サポート制度がある。使わない手はないと考えて、イーオンのとあるスクールに通っている。簡単な面接があり、それによってクラス分けがなされる。レベルは中の上というところか。面接で指摘されたことだが、筆者は「聞く力」や「流暢さ」、「表現力」という部分は優れていると判断された。逆に問題点は恥ずかしい話だが「文法」と「語彙」であるらしい。実際TOEICのスコアではリスニングセクションがリーディング・ライティングセクションを100点以上上回っている。

筆者の傾向を一般化しすぎとは思うが、同世代(20代~30代)にはこうした傾向が実は強いのではないだろうか。つまり、実は「文法ができない」ということである。大雑把な世代論であることを承知で書くのだが、我々の世代は「受験英語は役に立たない」「文法ばかりはつまらない」というようなことをずっと聞いて育った。かといって、中学や高校の授業に「英会話」があったわけではない。しかし校外にはいくらでも英会話スクールがあり、そこで会話を覚えようとした人も多いだろう。また、映画や音楽をはじめいくらでも英語を聞くチャンスが(本人が考えるよりも多く)あったと思われる。その結果、受験を経験しつつも意外と文法が弱いという特徴がうまれているのではないか。また受験英語もマークシート形式が増えたため、さほど厳密に文法を理解していなくてもかなりの点数が取れてしまうということもあるように思える。

よく言われることだが、母国語ではない言語を使いこなすためには文法が必要である。特に印欧語族と全く異なる母国語を持っている我々日本人は、文法の理解なしでは英語を使いこなすことは難しい。正直、仕事で必要となった現在の感想である。会話については実際の会話をスポーツの試合のように積み重ねて行けば、少しずつ慣れてくる。そのような場所がなくとも本当に必要となれば、NHKラジオ講座でもiPodに取込んで通勤通学中に聴くぐらいの知恵は出るものだ。だが、文法はそうは行かない。どちらかというと地味な筋トレのようなもので、その効果がわかりにくい上にさほど面白いものでもない。しかし語学における基礎体力である文法をしっかり身につけないと、会話も幼稚なものとなる。カタコトであるのと幼稚であることは全く異なる。

と、ここまで偉そうに書いたが、筆者自身も四苦八苦の状態が続いている。自分の選択した世界では必須の「仕事の道具(ビジネスツール)」である英語なのだが。いつか英語で「I hate English!」と叫んでみたいものである。

昨今、英語教育を小学校から教えるということになりつつある。筆者自身は賛成も反対もないが、恐らくそういう教育を受けるこれからの世代もきっと英語はうまく使いこなせないだろうと確信している。理由は日本で生活する限りにおいて、英語は殆ど必要ないからである。英語が必要なケースは、留学するとか、海外との取引の多い会社で直接担当する部署に配属されるか、外資系企業のように社内公用語が英語などの特殊なケースに限られる。そういうケースはこれからもレアであろう。そしてそういうケースでない限り外国語を覚えて使いこなすことは難しい。というよりもむしろそういうケースでも相応の努力が必要である。これらのことから小学校から教えたところで、多少リスニング力と発音が良い生徒が出来上がるだけだと思われる。

English Divide(Digital Divideからの造語。英語力の格差から生じる経済力の格差)を主張し、英語を日本の第二公用語にするという議論もあるが、筆者は懐疑的である。どうもこの種の議論には「自分が英語が話せないのは、頭の柔らかい子供時代から英語を勉強しなかったからだ。子供なら母国語を吸収するがごとく英語も吸収できるに違いない」という思い込みから出発しているような気がする。筆者の周囲には英語に堪能な人々が多いが、帰国子女を除いて、みな中学からの勉強である。多少苦労は多くとも、母国語も英語も中途半端に身につけるくらいならどちらか一方を徹底したほうがよいと、英語の資料を読み漁りつつ思うのである。
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by seagull_blade | 2006-05-09 17:14 | bizarro life

転職顛末記.

年末より一ヶ月以上更新できなかった。新年のご挨拶もままならなかったことをお詫びしつつ、今回のPOSTは言い訳がてら、近況のご報告としたい。
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筆者は営業SEとして現在の流通系IT企業で7年間働いてきた。大学を卒業した1999年、山一證券が倒産した年から、筆者のキャリアは始まった。所謂「就職氷河期」といわれた時期の真っ只中ではあったが、どうにか現在の会社に潜り込むことが出来た。しかし、平成不況、金融ビッグバンによる護送船団の崩壊などを横目に見ながら就職活動していた筆者は、入社当初から常に自分のキャリアをどう積み上げていくかということを考えていた。早い話が終身雇用という言葉が幻想になった世代であるということである。

最初の配属からほぼ5年間はグループ企業の担当SE兼営業という立場で仕事をしていた。仕事内容としては、メイン担当者(プロジェクトリーダー)として、ある中規模システムの運用・再構築を中心に、グループ企業のコンピュータ回りの何でも相談係というところである。パソコンも販売すれば、オフィスのネットワーク構築、LANケーブルの引き回しから、モール張りまでの何でも屋であった。

またSEとしては、かなり早い時期から「顧客への提案」「外注先選定」「見積」「受注」「基本設計」「プロジェクト管理」「テスト計画作成・実施」「リリース計画・立会い」「リリース」「運用フォロー」と、ほぼ全ての工程をプロジェクトリーダー(マネージャー?)という立場で経験した。

こうした「何でもやらされる」という立場は、今にして思えばなかなか出来ない経験であり、同時に財産である。しかし、これらの仕事をこなして行く間に、このまま続けていてもこれ以上の仕事の広がりの可能性が薄いと感じ始めた。もっと端的に表現すれば、先がある程度見えてきたということでもある。

少しでも視野を広げるために、会社に掛け合ってビジネススクールなどにも通った。半年間ではあったが、さまざまな業界のさまざまな立場の人々と知り合い、見聞を広めながら、次はどのようにすべきかを考えていた。その中で「あ、これかな?」と考えた仕事が「(IT)コンサルティング」であった。昨年2月に営業部に異動になり、また30歳という節目を迎えて、「コンサルティング業界への転職」を目標にし、転職活動を開始することにした。

結果としてはこの3月1日より某外資系のコンサルティング企業へ転職が決定したのだが、それに至るまでの道順というか顛末を簡単に記してみたい。
筆者が最初に始めたことは転職斡旋企業への登録と相談であった。結果としては最初に登録した斡旋企業ではうまく行かず、2つ目に登録した大手の紹介で転職できたのだが、何をどうすべきかを教えて貰ったという点において最初の小さな転職斡旋企業にも感謝している。ここから得た経験としては、紹介・斡旋企業も小さいところは親身になってはくれるものの、やはり範囲が狭く、こちらの希望通りの企業の求人情報を持っていないことがある。紹介・斡旋企業は、紹介した転職希望者が転職先企業に入社する際に、大体想定年俸の20%から30%の紹介手数料を得ている。そういう事情であるから、紹介者をどうしても入りやすいところへ入れたがる。小さいところではその傾向がやや強いように感じた。

ついで、職務経歴書の作成を行った。自分のキャリアの棚卸を行い、何をどうしてきたのかということを、相手にアピールする書類である。何度も書き直し、また時間がたてばすぐにアップデートした。これと履歴書を転職紹介・斡旋企業へ提出し、合わせてこちらの希望を伝え、求人票を確認し応募先を決定する。

6月くらいからだらだらと活動していたのだが、9月くらいまであまりよい求人がなく、現在の仕事も出張等が多く忙しかったことを言い訳にあまり進展がなかった。11月になり、これでは成功しないと考え直して、「遅くとも来年(2006年)の1月中に決定する。」と決心し、先に記したように紹介企業を変え、気合を入れなおして活動を開始した。活動を通じて、完全に「コンサルティング業界」への転職希望が固まっていたので、業界を代表する企業を含め5社に絞りアプローチを行った。

最初のアプローチ先では失敗したものの、面接等もだんだん手馴れてきたためか、年末からほとんど落ちなくなり、(ホノルルマラソン後、)結局3社から内定を頂いた。そしてその中から、ある企業を選び、内定通知書・内諾書にサインしたのが1月20日のことであった。多くの場合、
書類選考⇒適正検査⇒一次面接⇒2時面接⇒最終面接
というプロセスでおよそ2週間から一ヶ月というところであった。

こうして転職活動は終わったものの、コンサルティング業界は勿論初めてであり、ITコンサルタントを志望したのだが、内定した企業は経営・戦略も含む総合コンサルティング企業であり、また外資系ということで未知の環境に不安がないわけでもない。しかし、自分が望んだことであり、大きなチャンスと捉えて先に進んでいこうと考えている。

読者諸賢には遅筆を謝し、一層のご指導・ご鞭撻をお願いしつつ、近況のご報告としたい。

SEAGULL:有給消化(充電)中
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by seagull_blade | 2006-02-15 16:53 | bizarro life

Running in Paradise

半年前にジムに通い始めたころ、有酸素運動の一環としてジョギングを始めた。すっかり忘れていたが、中学生の頃は陸上部に所属していたので、走ることそのものには何の抵抗も無かったのだが、ジョギングを始めてみると予想通りとてもつらい。ものの本などに、30分も走れば気分が良いとあったが、それどころではなかった。朝が弱い筆者は無理やり起きて近所の公園まで走ったりしたのだが、すぐに「あ、これは三日坊主になるな」と考え、具体的な目標を立ててみることにした。
先日、その目標を一応達成してきた。ホノルルマラソン完走である。と言っても半分はウォーキングだったが・・・。
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42.195kmとはどういう距離だったかというと、「25km以降は未知の世界」というのが正直な感想である。というよりも25km以降は全く走れなくなってしまった。前半20kmまでは2時間弱というまずまずのペースで走り続けることが出来たが、「脚に多少違和感が・・・」と思ったらもういけない。そこから走ろうにも、脚が言うことを利かない。走りこみ不足、準備不足を痛感しながらも仕方がない。ともかく止まらずに歩き続けることにして、4時間(嗚呼)後、どうにかこうにかゴール。合わせて6時間かかってしまった。

半年前にまずしたことは、シューズの購入であった。下北沢にある陸上競技用シューズ専門店で物色、とりあえずは「形から」ということで、NIKE「AIR ZOOM KATANA CAGE」を購入。やや中級者向けとも思ったが、そこは陸上競技の経験者の見栄で選んだ。結果としては、履きなれない時期に多少足をおかしくしたものの、ある程度トレーニングを積んでからは非常に快調だった。なので、6時間というタイムの責任はシューズには無い。

次に始めたことは、トレーニング計画である。と言っても大げさなものではない。綿密な計画を立てたところで、守れないのは目に見えていたので、5月・6月は週2回程度のウォーキング&週1回のジョギング30分、7月・8月は週3回のジョギング、9月・10月は週末にLSD(Long Slow Distance)、11月は調整期間というざっくりとしたものである。勿論、「出来る範囲で」というエクスキューズも手帳に記した。

計画に対して、実績は?と問われると非常に恥ずかしいところだが、60%程度というところだろうか。結構サボってしまっていた。走れなかった日は、自宅から会社までの10Kmを自転車で通勤してみたり二つ前の駅で降りたりしていたが、酒を飲んでしまうともういけない。

ハワイについて二日目、午前3:00に無理やり起床し朝食を詰め込んで、アラモアナビーチパークへ。スタートは5:00ということで、未だ真っ暗な中、既に人でごった返している。参加者は2万7千人。5割は日本人とのこと。メインスポンサーがJALなのでそれはそうだろうなどと考えながらスタートを待つ。自分の予想タイム順に適当に並ぶ。筆者は5・6時間程度だろうと考えていたので、そのあたりの位置に並ぶ。先に、車椅子のランナーがスタート。その30分後くらいにこちらもスタートした。スタートしたはいいのだが、何しろ、人・人・人。スタートラインを踏んだのは、更に30分後である。事前にICチップの埋め込まれたRFIDタグを配布され、シューズに装着しているので、タイムはちゃんとスタートラインを踏んでからゴールするまでの時間が計測されるのだが、それにしてもこの30分は長い。

沿道のあちこちから、地元の人や旅行者からの応援の声がかかる。素直にうれしい。声援を受けるなんて何年ぶりだろう。しかしこの声援の本当の有難みがわかるのは後半になってからだった。

コースはホノルル周辺の海沿いをアラモアナからワイキキを抜けてダイアモンドヘッドを超え、クアパで折り返し、カピオラニパークでゴールの42.195km(26.5mile)。ワイキキ周辺の海を右手に見ながら折り返しまで走り、ダイアモンドヘッドを下りきってゴールというものである。

スタート後、1時間弱走るとワイキキのメインストリートであるカラカウア・アベニューに出る。夜明けはまだで、クリスマスの電飾が美しい。宿泊しているホテルなどを横目にひたすら走る。このあたりはまだまだ余裕。日曜の明け方ということもあって、飲み明かした人々が冷やかし半分に声援してくれる。ちょっとうらやましいが、結構うれしい。ここまでは、ほとんど抜かれることもなく、どちらかといえばどんどん前のランナーを追い越して行く。少しオーバーペースかとも思ったが、予想よりはるかに体調がよく、問題なかろうと思い走り続ける。ダイアモンドヘッドの途中で夜明け。朝日を右側に受けながら、快調に走る。

ダイアモンドヘッドを下り、ハイウェイ沿いを走り始めたときに、「あ、脚がおかしいな」と思ったが、ややペースダウンして走る。と、給水所で水を飲むために止まった。とたんに走れなくなってしまった。心肺のほうが先にダウンすると思っていたのに、脚が先におかしくなってしまった。ここからの20キロ強は結局ひたすら歩き続ける。前半に抜き去った人々にもどんどん抜かれ、相当悔しい。苦しい。

ひたすら歩いているだけの筆者にも沿道の人は声援を送ってくれる。「Good Job!」という言葉を何度耳にしただろうか。本当にありがたい。太陽もいつの間にか昇って相当気温も高くなっている。「意地でも止まらない」と自分に言い聞かせ続け何とかゴールのカピオラニ公園へ。500メートル程度の最後の直線がやたらに遠い。
「ゴールは笑顔でね!」という声が聞こえたがそんな余裕は無い。とはいえ後で写真を見たら脱力した笑いを浮かべていた。

初のマラソンはこうして終わった。これだけ苦しい思いをしたのに、「二度とやるものか」とは思わない。最初のペースで走りきれば4時間。いつかそれを達成しようと今考えている。

--
そんなわけで、真っ黒に日焼けしたまま年の瀬を迎えることとなったseagullです。これが今年最後のポストとなります。ハワイ紀行はまた改めて書きますが、まずはホノルルマラソンの感想文を書きました。声援を送っていただいた皆様、ハワイでお世話になった皆様、同行した皆様、本当にありがとうございました。
そして、相変わらず更新頻度が遅いこの『仕事以外』を覗いてくださる読者の皆様、本当にありがとうございます。来年の皆様のご多幸をお祈りいたします。

2005年12月30日 Seagull拝
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by seagull_blade | 2005-12-30 17:11 | bizarro life

Baton desktop theme

Happy Christmas!
例によって例のごとく、更新に長い間時間がかかってしまいました。Soracotyan様より受け取っていたバトンも放置状態で大変失礼いたしました。先日、ホノルルマラソンを走ってまいりまして、無事に完走いたしました。この話もしっかりとPOSTしたいのですが、今しばらくかかりそうです。まずは、頂いたバトンから。デスクトップ画像についてのバトンです。

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■1) あなたの今使っているPCのデスクトップの画像を見せてください。
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WEBからGoogleで拾ってきた画像です。おそらく真剣だとは思いますが銘のあるものかどうかはわかりません。刃紋はいわゆる三本杉です。背景色を黒にすると画面上に浮かび上がって見えるあたりが気に入っております。周囲の反応は可も無く不可もなくというところでしょうか。

■2) このデスクトップはいつから使ってますか?
季節ごとに変えてしまうので、11月くらいからでしょうか。冬の季節感があるかというのも疑問ですが。
陰陽五行思想では、北は冬であり、玄武であり、「玄」という字が示すとおり、色は「黒」です。従って冬の色は黒・・・以上、コジツケです。何しろ日本刀の別名は秋水ですから・・・。

■3) 何故このデスクトップにしたのですか?
居合を少し嗜むからです。というのと、前は名画などにしていたのですが、象徴派と呼ばれる画家(クリムトなど)が好きなので、どうしても極彩色になりがちで、長時間眺めていると目と頭がおかしくなりそうだったからです。

■4) どのサイトで手に入れましたか?
覚えておりません。Googleのイメージ検索で、「日本刀」あたりをキーワードにして検索したかと思います。
■ 5) このバトンをまわす5人は?
例によって間が空きすぎですので、次へのバトンタッチは遠慮させていただきます。

クリスマスですね。前に少し書いたかも知れませんが、著者はケーキ屋の息子で、クリスマスというものにあまり良い記憶がありません。苺を山ほど切ったり、卵を60kg割ったりなど。せっかくのこの季節ですから、これからは楽しみたいですね。

Hark all ye shepherds, come join in our song.
Hark all ye shepherds, for Jesus is born.
Lo he is lying, born in a manger,
Jesus, annointed to be our Savior. Alleluia!

Hark all ye shepherds, arise from your sheep.
Hark all ye shepherds, the Christ child asleep.
Mary, the mother, quietly singing,
From God to man salvation is bringing. Alleluia!

Angels adore him, men bow before him, heaven and earth proclaim!
Prophets of old his coming foretold and men ever praise his name.
Come and adore him, Jesus our Savior,
He dwells among us, now and forever. Alleluia!
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by seagull_blade | 2005-12-24 15:08 | bizarro life
もう10月も半ば近く。毎度の事ながら更新が大幅に遅れてしまい読者諸賢には大変申し訳ありません。soracotyan様より頂いたバトンをまずは更新しました。
やや赤面しながら書いてみましたので、よろしければどうぞ。
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○好きなBrand/よく買物するお店

・Timothyeverest

・Joseph Homme

・新宿伊勢丹

スーツは圧倒的にTimothyeverest(ティモシーエヴェレスト)が多い。価格はそれなりで6万円~10万円台が中心。イタリアスタイルのソフトなスーツよりも、ブリティッシュスタイルのカチッとしたものが著者の趣味。またワードロープにはスリーピースが多い。シャツは特にこだわりなく着る。色も特にこれというものがないが、白・ピンストライプ・ブルー・ピンクが現在のローテーション。ネクタイはViviane Westwoodのような、少しイカレたものが好み。ネクタイくらいは遊びが多いものがよい。カジュアルは勉強中。

○今Heavy Rotationな洋服・Accessory

・Swank(etc…)

ヘヴィローテションの服はその季節のスーツになってしまうので、アクセサリーについて。
はさむタイプのネクタイピンはあまり好きではないのだが、タイタックは好きで幾つか持っている。ピンの留め金を代えてそのままピンバッチにも使う。気分によるのだが、タックとピンバッチは同時に使わない。それから、所詮は遊び心なので、高価なものは必要ないと思っている。高級感よりも「ちょっと面白いかな」というものを買うようにしている。今日フラワーホールについているのは、貰い物だが「ヨークシャーテリア」のピンバッチ。

○おしゃれだと思う人

メディアに露出している女性はおしゃれな人が多くて、なんともいえない。むしろ身近な女性に「おっ」と思う方が多いように思う。

・池波正太郎
・François Mitterrand(ミッテラン元仏大統領)

もう鬼籍に入られてしまったが、作家の池波正太郎氏は和装が格好良く、お洒落な方だと筆者は思う。個人的にはいつかは和装で暮らしたいので、池波正太郎氏は一つの目標だったりもする。
現シラク大統領もそれなりとは思うが、政治家ではミッテラン元大統領がスーツの着こなしが格好良かったかと記憶している。英国首相ブレアも悪くはないけれど、もう少し貴族的なほうが筆者の趣味であったりする。ミッテラン氏は左派政党にもかかわらず王様然としているあたりが結構フランスらしい。小泉純一郎はボタンダウンを上手に着こなしていると思うが、組閣の際のフォーマルな格好がいまひとつ。しかし、ファッションに関しては、筆者の知る歴代首相では一番かもしれない。

○秋冬に狙っているItem
秋冬に限らず、真紅というかイタリアンレッド一色のネクタイを探している。赤いネクタイは何本か持っているが、「織りが美しく」「無地で」「鮮やかな朱色」の「手ごろな価格」のものというは、ほとんど見つからない。見つけた方は是非ご教示いただけるとうれしい。

○次の5名様
ちょっと時期をはずしてしまいましたので、ご指名は遠慮させていただきます。
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by seagull_blade | 2005-10-12 16:07 | bizarro life
先日、ウォーターマンの万年筆を購入した。深いメタリックグリーンの手持ちの良いもので、インク充填方式はカートリッジとスポイト式のコンパチブルである。折角なのでインクを購入し、会社の机上に置いてみた。液晶ディスプレイの前にインク壷というのも、なかなか良い感じで、ちょっと気に入っている。
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18世紀半ばのイギリスで、金属ペンが発明されてから、凡そ百数十年後の1883年、アメリカの保険外交員ルイス・ウォータマンが初の実用万年筆を発明し、特許を取得、ウォーターマン社を設立した。その後、万年筆はモンブラン社やパーカー社などのメーカが公文書にも使えるペンとして隆盛の時を迎え、1958年にはセーラー万年筆がカートリッジ式の特許を取得している。50年代にはボールペンが実用化され、1970年代、公文書へのボールペンでの記入が各国で認められてから、万年筆は衰退し、今では一種の象徴的な意味を持つ、過去の実用品となっている。

作家海音寺潮五郎がその著作の中で「およそ武器というものは実用品でなくなってから神聖視(象徴化)される。弓が実用に耐えなくなってから、武士のことを弓取と呼んだり、刀が役に立たなくなってから武士の魂とよばれるようになった。鉄砲などは終始実用品であったから、ついぞ神聖視などされなかった」と記している。武器に限らず、およそ象徴化されたり、儀式化されたものは全て過去のものであり、前時代的であろう。万年筆も20世紀後半になって初めて象徴化してきた。価格的なこともあろうが、ありふれたボールペンやサインペンをプレゼントされるよりも、万年筆をプレゼントされた方が、ちょっと気が利いているように思うのは、きっと万年筆がもはや「過去の実用品」であるからなのではないか。道具は実用から離れて初めて、時代の香りや伝統を主張するものになる。

先日、筆者がよく立寄る飲み屋に、見かけない店員がいた。学生アルバイトにしては、少しとうが経っているので、何をしているのか聴いてみると「司法試験合格」を目指して勉強しているのだと言う。ご存知の通り司法試験は超難関のテストである。合格率は3%。他人の人生を直接左右する物事を扱うのだから当然と言えば当然難しいのだが、この数字は凄まじい。友人に慶応大学から司法試験に合格し、現在は弁護士の男がいる。彼は中学以来の友人で、昔からかなり成績が良かった。ルックスもなかなかで、かつ運動もそれなりに出来る。当然、女性にもモテる男だった。なので性格もこなれていて、あまり文句の付け様がない。だが、その彼にして、19歳から勉強を始め合格したのは20代半ばである。実際、遊ぶことは大好きな男が、殆ど外出せずにひたすら勉強して6・7年かかるようなものである。それでもかなり優秀なほうなのだが…。

その友人に付き合って、こちらはテスト勉強をしていたり、勉強にかこつけて酒を飲んだりしていたが、何度目かの不合格の後、彼はモンブランの万年筆を持ってきた。モテる友人のことだから、「プレゼントか?」と訊くと、「自分で買ってきた」という。万年筆の値段など知らなかったが、10万円だか20万円だかの代物である。学生が買うにはちょっと高すぎる。理由を訊ねてみるとこういうことだった。試験はボールペンや万年筆などの筆記具を使って行う。3%の合格率では、採点する側にはより読みやすいものを提示しなくてはそれも命取りになる。だから、より読みやすい文字を書く為に、来年の試験に向けて今からこの万年筆で書きつづけるのだと。

それにしたって、いくらなんでも高すぎると筆者は思ったが、これは彼なりの自分に対する決意表明だったのだなと今では思う。司法試験の勉強を始めてからアルバイトらしいアルバイトもしていなかった彼が、おそらく、なけなしの小遣いを全てはたいて購入したのだろう。グリップの太い漆黒の万年筆は、「合格するまでは、それ以外のことに心を砕かない」という意思であったのだ。そしてその万年筆を使い、数年後、晴れて合格した。合格した直後に一杯飲みに行った時、シャンパンを一瓶持っていったのを思い出す。結構、気障なところもある友人は喜んでくれた。

そんなことを思い出しながら、ジャケットの内ポケットにある自分の万年筆を取り出して、玩びつつ、その店員と話をしていた。この万年筆にまつわるエピソードを話してみようかとも思ったが、止めておいた。司法試験という狭き門は、そういう慰めや笑い話が通用する世界ではない。彼女(店員は女性だった)には彼女なりの決意があるだろう。それがどういう形で示されるのかはわからないが、自分だけの方法を大事にしたほうが良い。司法試験を目指すくらいだから相当に頭が良いに違いない店員だが、それでも「万年筆購入⇒合格」という馬鹿げた図式を思い描くに違いない。それが馬鹿げたものであることがわかっていても、藁にもすがりたい気持ちで勉強しているに違いない彼女には気に障る雑音でしかないだろう。

因みに筆者のウォーターマンは1万円程度で、別に何かの決意があって買ったわけでもない。ただ何となく万年筆が欲しいなと思っただけである。だが、もしかするとその友人に対して持っている憧憬のような嫉妬のようなものがあったのかも知れない。社会人となり忙しくてなかなか会うことも出来ないが、今度会ったらあの万年筆はどうなったのか訊いてみたい。今でも仕事机の上にあるのだろうか?それとも思い出とともに仕舞われたのだろうか?

当人へ
今でもあのモンブランは現役かい?
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by seagull_blade | 2005-07-18 14:01 | bizarro life
甲冑を着込み、戦場を駆け抜けた女性は歴史上、それほど多く知られてはいない。直ぐに思いつくのは、泥沼化した百年戦争(1339-1453)を終結に導き、魔女として処刑されたジャンヌダルク(1412-1431)や「イタリアの女傑」ことカテリーナ・スフォルツァ(1463-1508)あたりだが、何れもヨーロッパ人である。歴史的、政治的或は所謂「男の領域」に優れた業績を残した女性という事ならば古今東西を問わず存在したし、男の領域なるものが必ずしも男性が有利という事ではないことを証明している。だが、実際の戦闘となると話は別であろう。生物学的に男性が女性より優れている点は「筋力(主に瞬発力)」だけという話があるが、戦闘は当に「筋力」が問われる場所である。女性の戦士が少ないことも当然である。
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先日、薪能を鑑賞する機会があった。東京近郊では、新宿御苑で行われる『森の薪能』がよく知られている。筆者が鑑賞したのは住まいの近所にある井草八幡宮で行われた『西荻薪能』である。この井草八幡宮は源頼朝が奥州藤原氏征討の後に建立したと伝えられる古社であり、23区内の八幡宮としては相当大きいものである。頼朝ゆかりの古社だからという事もないのだろうが、今年の演目は『巴』であった。能の鑑賞は初めてのことであったので、少し粗筋を下調べして見に行くことに。

さて、主人公の巴は巴御前の亡霊である。彼女は平家物語に登場する女性の戦士である。巴御前については鈴木輝一郎の小説『巴御前』や松本利昭の『巴御前』などを読んでいただくのが一番かと思うが、敢えて簡単に紹介すると、平安時代末期の武将にして木曽義仲(源義仲)の愛妾である。木曽義仲は義経よりも先に平家を京都から追い落とした武将であり、頼朝や義経の従兄弟にあたる。朝日将軍を自称し、戦闘には強いものの政治力に弱い部分があり、結果的に頼朝・義経に滅ぼされてしまう。巴はその義仲の二人の愛妾のうちの一人で(もう一人は山吹)平家物語には「中にも巴は色白く髪長く、容顔まことに優れたり。」とあり、美女であったとされている。また、「鬼にも神にもあはうどいふ一人当千の兵(つわ)もの也」であり、敵方の武将に「女と言うよりも鬼神である」と評され、一方ならぬ武者であったようだ。弓矢も太刀も優れていたが、やはり有名な得物としては「薙刀(なぎなた)」であろう。武者絵にも馬上にあって薙刀を振り回す姿が好んで描かれているようである。

実在が疑われたりもしているが、そのような野暮はここでは無しにして、『巴』の粗筋を簡単に紹介してみたい。

木曽義仲は1184年の1月に頼朝軍と宇治川で激突し、敗走。近江国(滋賀県)の粟津で取り囲まれ、戦死した。最期まで付き従った四騎の内に巴御前もいた。(つまりそこまで生き残ったということ)義仲が重傷を負って、もはや逃げ延びることは出来ないと悟ると、巴御前は自害を薦め、己も敵陣に討ち入って共に死のうとする。ところが義仲は巴御前が死ぬ事を許さない。巴御前「形見をもって木曽まで逃げ延びる」ことを厳命されてしまう。共に死にたいが主君の命とあっては仕方がない。彼女は逃げ延び、義仲は今井兼平等とそこで果てる。

舞台は木曽の山奥から都見物に来た僧侶が、粟津が原のとある神社で一息ついているところから始まる。僧侶がふと見ると美しい女性が社殿の前で祈り泣いていることに気が付く、女性は僧侶に「何かの縁だから」と祭神を読経で慰めて欲しいと頼んで消える。僧侶が里の人に聞くと、それは巴御前の亡霊に違いないという事であった。それならば、と僧侶が読経しながら神社で夜明かしをしていると、甲冑姿の女武者が現れ、義仲の最期を再現し、主君であり愛人の遺骸を(いくら命令とはいえ)捨て、逃げ延びたことを嘆き、後ろめたさが故に成仏出来ないことを訴える。「私の執心が晴れるように祈って欲しい」と僧侶に頼み、朝が来て巴の亡霊は消える。(もう少し丁寧に物語を読みたい向きには白洲正子著「能の物語」(講談社文芸文庫)がお勧めである。)

能を鑑賞したのは初めてで、愛好の方には大変失礼なのだが、もっと退屈なものかと考えていた。動きの少ないなかで、よく聞き取れない曲、セリフ、そういったものが延々続くというイメージであった。だが、実際にこの薪能に触れてみると(なんとも優等生的で気が引けるのだが)一種異様ともいえる雰囲気の中で、舞台は別世界が出現したように筆者の目を離さない。シテ(主役)の巴が戦いを再現してみせる舞では薙刀をかなり激しく振る。そうした動作も優雅というべきか、独特の緊張感にあふれている。古の人々はこういう雰囲気を「幽玄」と表現したのだろうか。

能の曲目(謡曲)の多くが亡霊を主役にしたものであると聞いた。我々は無念の内に死んだ人々の思いを「怨み」として恐れ、それが故に死者の鎮魂を「能」という形で結晶させた。これだけの文化を「とっつきにくい」とか「古臭い」という理由だけで、忘れられているのはとても勿体無い。

薪能の会場には500名近くの観客が老若男女問わずいた。少しづつ過去が見直され始めてきたのかもしれない。
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by seagull_blade | 2005-05-20 14:18 | bizarro life

The Indian Moon

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今夜は十六夜なのだろうか。結局十三夜のTB企画への参加が出来なかった。お月様には殆どお会いできない、記事は書けない、ヤケ酒のお相手も出来ないでVariousmoon様、本当に申し訳ありません。

気を取り直して…。十三夜、実は、一瞬だけお月様を見ることができた。(東京都新宿区)会社帰り、ようやく雨の上がった夜空を見上げると叢雲を通してお月様が透けて見えた。とは言うものの、とてもお月見というわけには行かなかったのだが。

お月見レポートという訳には行かないので、どういう残念レポートにしようか、ふらふらと残業を終えて帰りながら、考えていた。仕事モードからなかなか頭が切り替わらず、悩んでいる。苦し紛れに月の各国語を思い返してみることに。「英語:moon」「イタリア語:luna」「フランス語:Luna…ラテン語系は同じだな…」「アラビア語:al-qamaru…学生時代に苦労したな。大体アラビア語フォントなんて入ってないし…」「ドイツ語:mond…だったけ?第2外国語だったのだが…」「あ、『チャンドラ』って『月』という意味だったような…。何語だ?インドの言葉なのは間違いないのだけれど…、サンスクリット?ヒンディ?」ここまで考えて、丁度、家にたどり着いた。帰宅してから、調べるとチャンドラは『月』を意味しているようだが、結局サンスクリットなのかヒンディなのかがはっきりしない。

ところで、話は変わるのだが、米国のNASAが打ち上げた人工衛星には、我々が想像している以上に多くの種類があるらしい。大きく分けて、実用目的とするものと科学技術研究に使用されるものに大別できる。前者の代表格は気象衛星、通信衛星であり、後者は科学衛星に代表される。筆者は天文ファンでは無いが、時折、普段全く縁のない世界に触れてみたくなることがある。そういう時は大抵、講談社のブルーバックスの棚へ行って、目に触れたものを購入してみる。人工衛星についてもブルーバックスで少し興味を持ったので、天文に関するニュースを気にしてみたりもする。それらニュースの中でNASAの科学衛星に「チャンドラ」と名付けられたものがあることを知った。

数年前にスペースシャトルから切り離された記憶があったのだが、調べてみるとそのとおりで、「1999年7月23日午後8時48分STS-93コロンビア号から打ち上げられたX線望遠鏡」であるらしい。宇宙空間にはガンマ線を始め、我々にとって有害な放射線は飛び交っているという。それらを可視的に変換することによって、宇宙空間でのイベントが観測可能になるというものらしい。と偉そうに書いているが殆どわからない。理科系の素養は殆ど無い筆者なので、ブルーバックスも「へぇ」と思いながら字面を追うだけである。ガンマ線?エックス線?という状態である。

気になったのはその人工衛星の名称が『チャンドラ』であると言うことである。こうしたことのほうが気になる辺り、馬鹿げた分類だが「ああ、俺は文系だなあ」と思う瞬間なのだが、気になるものは仕方がない。先ほど書いたとおり『チャンドラ』は『月』を意味する。NASAに限らず、人工衛星・ロケットなどにはやはり神々の名前や目的に応じた名称が冠されている事が多い。Saturn(サターン:ロケット)やVoyager(ボイジャー:観測衛星)等々…。てっきり、「チャンドラ」もそのような方法で名付けられたものだと思い込んでいた。

ところが、この記事を書く為に少し考えてみると、いくら『月』という意味があるとはいえ、米国NASAの人工衛星であるにもかかわらず、「チャンドラ」だけが英語でないのだろうかという疑問が沸いてきた。米国人にもその様な異国趣味というか、東洋へのあこがれのようなものがあるのかと。インターネットで調べてみるとあっけなくわかってしまった。何の事は無い、人名であった。これは天文物理学者でノーベル受賞経験もある、インド系米国人スブラマニアン・チャンドラセカール博士に因んだ名称であった。何となく調べて損した気がした。しかし、人工衛星にはふさわしい名称ではある。もしかすると博士も自分の名前に『月』が入っていたからこそ、天文学に興味を持たれたのかもしれない。

『チャンドラ』が捉えた映像はこのページで見ることが出来る。
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今回はネタに無理がありました。やはり、門外漢には辛いところです。乞う、ご容赦。
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TB企画“十三夜の宴”開催します♪
10月26日のお月さまは、陰暦9月13日の『十三夜』にあたります。
この日の月を愛で、秋の収穫を感謝するのは日本独自の風習です。
別名は「後の月(のちのつき)」「栗名月」「豆名月」などなど、
満月ではなく少し欠けた月を対象としているところがポイントです。
十五夜のお月見とまた風情の違うお月見はいかがですか?

月の出、10月26日15:49、
月の入り、10月27日3:40
のお月さまを見上げて、みなさまのお月見記録を送って下さい。
(☆夜は冷え込むようになって参りました。
お月見の際にはくれぐれもお風邪を召されませんようご注意下さい!)

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by seagull_blade | 2004-10-29 21:32 | bizarro life

赤身とダイエット。

エキサイト・ジャパン様で開催されていた「ブロガーコンテスト」にてiceday様の『近海マグロに焼きを入れる』がユーザーズチョイス賞に選ばれました。とにかくスゴイ文才で、会社で読んでいると思わず笑ってしまうので、仕事していない事がばれてしまいます。是非、ご存知ない方は読んでみてください。メモにも書きましたが、iceday様に敬意を表して『マグロ祭り(ja_guar様)』に参加です。
Seagull拝
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前回はスーツの雑文を衣更えと合わせて書かせていただいた。あの文章からだと、あたかも、衣更えの季節に合わせてスーツを作ったように読めてしまう。実際には、身体のサイズが変わりすぎて、去年の冬物が着られなくなってしまったのである。と言っても、入らなくなったわけではなくて、その逆である。前にMemo欄に書いたが、昨年から10KG程体重を落としてしまった結果、どのスーツも大きすぎて、子供が大人の服を着ているかのようになってしまった。

要するにダイエットしたのだが、格好良くなろう(少しは考えたが)とした訳ではなく、20代にして、毎年引っかかってしまう会社の健康診断に「これはまずいな」と考え、健康を取り戻そうとしただけである。実際、体調も悪く、毎日どこかだるい感じであった。とにかくダイエットとは本来体重や体型のコントロールである。要するに高カロリー食を取りつつ、仕事も座業である事を言い訳に運動不足であることが悪いのだから、やり方は明確である。カロリーを押さえて、運動すればよいのである。

言うは易く、行うは難し。それほど簡単にダイエットできるのなら苦労しない。そこで、まずは運動を始める事にした。社会人になって以来、何度かジムに通ったが、どうしても長続きしない。マシントレーニングもそれほど嫌いではないのだが、ダイエットという目標では今ひとつモチベーションが維持できない。それにスポーツジムに通う経費も馬鹿にならない。とりあえず、「怪我をしない」「一人で練習できる」「お金がさほどかからない」というポイントに絞って始めたのが居合であった。始めた当初はキツかったが、ある程度できるようになるとなかなか面白い。更に上達する為に雨天以外はほぼ毎日「素振り用木刀(2.0kg弱・5000円程度)を200回素振り」するというトレーニングをしている。プラスして覚えた「形」を一通り行う。ダイエットのためでなく、上達が目的と言うのが筆者にとってはモチベーションの維持に繋がっている。
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次に食生活の改善を行った。こちらのほうがよほど難しい。筆者は酒飲みなので、夜の食事を減らしたり、低カロリー化するのは殆ど無理である。酔ってまで、カロリー計算などしたく無い。(というよりできない)そこで、一日の総カロリーを減らす事にした。筆者の場合、昼食は殆ど社員食堂で食べている。いまどき社員食堂のある会社も珍しいが、社員食堂のメリットは定食形式だけでなく、単品で頼むことが出来るという点である。(勿論、値段も安いのだが)昼食の基本を「ライス(小)+味噌汁+小鉢のおかず+納豆若しくは豆腐」と決め、更に油ものを取らないことにした。外出して外食の場合はこのルールを適用しない。更に、夜食の制限はしない。これだと、それまで昼食でとっていたカロリーは1/3程度になるだろう。最初、一週間程度は辛いのだが、すぐに慣れてしまった。また、筆者は皮膚が弱いのか内臓が弱っているのか、ジンマシンがすぐに出てしまうのだが、社食の油ものを避けるだけで、これがだいぶ改善された。間食は同僚に進められたら断らないが自分から食べないということにしている。

そうこうしているうちに半年経ち、体重は12KG減った。男性の場合2-4KGぐらいは一日二日の運動で変動してしまうので、凡そ10KG程度減量したことになるだろうか。稽古も続けているので、ある程度は身体も締まって来た。そろそろ次のスポーツを始めてみたいと考えている。

ところで、こうした昼食を取るようになって、今更気が付いたのだが、低カロリーにしようとするとどんどん食事が和風になっていくことである。油ものを抑え、高蛋白にすると我々日本人は殆ど必然的に和食になってしまう。嘗てはこうした食事が当たり前だったはずなのだが、いつのまにか嗜好が大きく変わってしまった。

筆者の好きな寿司ネタはマグロの赤身とウニである。ウニはともかく、マグロの赤身は割と高蛋白/低カロリーであると聞く。美味しいマグロと言えば「トロ」であろうが、このトロは昭和30年代(1955~65)辺りから好まれ出したらしい。江戸時代以前ははっきり「まずい魚」であったらしく、「しびのうお」と言われ、身分の卑しい者だけが食べるものであったらしい。もっぱら造り魚としては「鯛」が珍重されていた。江戸時代中期から末期になって、ようやく寿司ネタとして定着し始めたらしいが、食べ方は「漬け」であって、醤油に漬けてから供するものであった。漬けで食べるなら、あっさりとした赤身の方が今でも美味しいと感じるだろう。トロなどは下の下であって捨てる部分であったようだ。

ダイエットを試みるなら、出来る範囲で「和食」を食べることを心がける。ただそれだけのことで、随分効果があるだろう。トロの扱いを見ればわかる通り、我々はどうやら、歴史的に高カロリーな食材をそれほど好まなかったようだ。恒常的に飢えている歴史の長い人類は「欠乏には強く、過剰に弱い」という特性があるらしい。現代の感覚からいくと一寸足りないなと感じるくらいが丁度良い。あるいは単に年を重ねた証拠かも知れないが。
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by seagull_blade | 2004-10-10 12:07 | bizarro life