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by seagull_blade

踊るアホウ。


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『^ハァ エラヤッチャ エラヤッチャ ヨーイヨイヨイ 踊るアホウに観るアホウ 同じアホなら踊らにゃソンソン』
先日、某商店街主催の阿波踊りパレードに参加してきた。以前にも書いたが筆者は商店街にある個人商店の息子であるので、子供時分から学生までずっと参加していたのだが、社会人となってからは時間が取れず、一度も参加していなかった。先月の人事異動後、忙しくなりつつも、深夜までの作業が大幅に減った為、今年は参加することに。

筆者は東京在住なのだが、どう言う訳か東京では徳島の阿波踊りがかなり盛んである。阿波踊りのグループは「連(れん)」という単位で呼称される。筆者の参加している「連」も既に30年以上の歴史があり、東京では最大の阿波踊り「高円寺」では昭和32年から毎年開催しており、今年で47年続いている。(高円寺商店街のHPによれば、阿佐ヶ谷の「七夕祭り」に対抗して「阿波踊り」を始めたとのこと。どちらにせよ節操はないが…) 現在では東京都内ではおよそ40箇所で阿波踊りが行われている。

地元商店街の活性化とお客様とのコミュニケーションを目的としているお祭りであるので、あくまでも主役は子供である。3歳から中学生くらいまでの子供たちが総勢70名くらいわらわらと踊っている。5歳くらいの子供が一所懸命に踊る姿は可愛いものだ。我が子の晴姿(と言うほどのことも無いが)を観に来ている親御さん達もご満悦のようであった。この親御さん達が商店街のお客様であるのは勿論である。

今回、筆者はお囃子として参加した。パートは大太鼓である。阿波踊りで使用される楽器は、一般的にリードの「鉦(かね:グリップのついた皿状のもの)」、メロディの「篠笛(しのぶえ)」、スネアにあたる「締太鼓(しめだいこ:つづみを横にしたような太鼓)」、バスドラムあるいはベースにあたる「大太鼓(おおど/おおだいこ:直径が1メーター程度の大太鼓)」の4つである。(これらに三味線を加えて5つという連も多い)基本リズムは符点の入った2拍子で極めて単純なので、どの楽器もさほど難しくはない。筆者は篠笛を除いてどのパートでもある程度できるので、参加する場合は、足りないパートを補うケースが多い。

6年ぶりに参加すると、商店街の世代交代がかなり進んでいることが目に付いた。大体、筆者の父の世代(昭和15年生~25年生あたり)が中心となって、祭りを進行していたが、今はすっかり我々のようなその息子世代が中心である。20代後半から30代前半のメンバーが中心となって、連を取り纏めている。また、技術もだいぶ向上しており、お囃子についても「正調」と呼ばれる基本のリズムだけでなく、かなり複雑なビートを刻んでいて、久しぶりに参加した筆者は着いて行く事がなかなか難しいほどだった。例えば、符点なしの6連符があったり、また「輪踊り」と呼ばれる一ヶ所に留まって見せる踊りもダンスの要素を取り入れた難しいものとなっていた。

「かなり練習したのだろうな。」と思いながら、なんとなく、筆者は違和感を持っていた。勿論6年もサボっていたので何等発言権はないのだが、この複雑なリズムや踊りがなんとも「しゃらくさい」ものに感じられた。3時間の熱狂の後、派手な着流し姿のまま入ったバーでハイボールを飲みながら考えてみた。(マスターが友人だとこういう時に助かる。普通は汗だくの着流し野郎が入ってきたら良い顔をされないだろうが、歓迎してくれた。ビールの無い店なので、冷たいものが欲しいときはいつもハイボールである。)

結果、違和感の正体は次の2つだと結論づけた。一つは「商店街の祭り」としてのものだ。前述したが、地元商店街の活性化とお客様とのコミュニケーションをこの祭りは目的としている。その為には「子供たちが楽しく踊ることができる」ことと「飛び入りも自由にできる」ことがポイントとなるように思う。その為には、あまりに難しいリズムでは踊りにくいだろう。実際、筆者が子供の頃は割と「飛び入り参加」が必ず5人や10人はいたが、今回は一人もいなかった。また、かつては、輪踊りもあくまで子供がメインで簡単な「決め」だけで、ある程度練習すれば誰でも楽しめるものだったと思う。勿論、大人による、一寸凝った演出もあったが、それはおまけであった。だが、今は逆転している。大人の輪踊りをメインとして子供たちの踊りが「前座扱い」に筆者には見えた。

もう一つは神事としての「祭り」である。確かにそもそも東京で阿波踊りというのがおかしな話だが、しかし徳島県では江戸時代(室町時代という説もある)より長く続いた祭りである。阿波踊りは盆踊りの系列にある祭り或いは行事であって、「踊り念仏」や「風流踊り」に連なる。盆踊りの意味は色々な説があるが、何れ宗教的な物とは切り離せないものであり、現代では徳島の伝統芸能である。祭りは何れの国であろうと、娯楽であると同時に「神事」という側面を持っている。娯楽であるからにはどんどん時代と共に変化していく部分もあるが、変化してはいけない部分もあるように思う。例えば、ある商店街の例だが、神輿を担ぐ祭りで、面倒だからと神社への宮入・宮出を省略したものがあるそうだ。しかし、それでは一体参加者は何を担いでいると言うのだろう?ただの化粧箱ではないか。
変拍子の阿波踊りも同じような違和感がある。
宗教的な熱狂や憂さ晴らしを表現するのに、6連符や変拍子は似つかわしくない。少なくとも地元の商店街では。そんなことを書いているほうがしゃらくさいかもしれないが…。

とは言え、久しぶりに「観るアホウ」から「踊るアホウ」へ。「同じアホなら踊らにゃソンソン」
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by seagull_blade | 2004-08-04 11:59 | bizarro life