Have a life outside of work.


by seagull_blade

『隠された十字架』(梅原猛著:新潮社刊)

前にも記したが、学生時代まで私はかなり西欧に傾倒していた。中学の頃、ちょっと大人びた友人に進められて、河出文庫の澁澤龍彦著作を一読した。澁澤栄一に連なる彼の著作は良い意味で生活感が一切排除され、優美なデカダンスに満ちた世界に魅了され、結局、高校、大学と「西欧世界への憧れ」が、私にとってのひとつのテーマとなっていた。
a0012892_20504234.jpg
その結果、日本史というものの知識がほとんどなく、社会人となってからの、なんとなくではあるものの読書テーマが「日本史」ということになってきた。居合を勉強させてもらい始めてから、ますます日本の伝統、思想というものに興味をもつようになり、その伝統の親たる日本史についての知識の空白を埋めようとしている。大袈裟に言えば、自分がここにいる根拠を何とは無しに探しているのかもしれない。勿論、単なる楽しみとしてであるが。

そんな訳でまだまだ大して読んではいないのだが、いくつか強烈な印象を受けた著作がある。その中で、ミステリを読んでいるかのような興奮と著者の強い思いがダイレクトに文章に叩き付けられ、私の目を離させないというものが、この『隠された十字架』であった。『隠された十字架』は昭和47年(1972年)に初版が刊行されている。その直後から賛否両論を巻き起こしたというこの本を一読すれば、なるほど論争を起さずにはいかないということがすぐに納得できる。

さて、この『隠された十字架』はサブタイトルが「法隆寺論」となっているとおり、法隆寺についての仮説である。著者の梅原猛氏は哲学者であり、歴史学については、やや門外漢なのだが、それゆえにこそ大胆な仮説が立てられるという態度である。すなわち、細分化、専門化する現代の学問はそれゆえに、より深化するが、それぞれの学問が有機的なつながりを得にくいという欠点をもつ。

著者の梅原氏は「細分化されたそれぞれの学問」を問題点として明確に掲げ、意識的に綜合する作業をこの著作の中で行っている。また、デカルトの「方法的懐疑」を法隆寺に持ち込み、それまでの常識から疑ってかかるという驚くべき作業を行っている。

この本は、三部に分かれている。そしてあたかもミステリ小説のような手法をとっている。目次を見ればある程度の流れが理解していただけるだろう。第一部は「謎の提起」、第二部は「解決への手がかり」、そして第三部は「真実の開示」である。勿論、全ては梅原氏の仮説であるに過ぎないが、思っても見ない法隆寺の別の側面が見えてくる。

法隆寺といえば、私の世代の定番として修学旅行でみた記憶ぐらいしかない。また、ぼんやりと「聖徳太子」が建立した寺で、世界最古の木造建築物である五重塔があるというような知識しかない。梅原氏はまず、法隆寺に関する謎を七不思議になぞらえて「法隆寺の七つの謎」というものを第一部で提起する。それはよく知られたなぞもあれば、そうでもない謎もある。以下に列挙してみよう。

1.『日本書紀』に関する疑問。法隆寺建立が国家規模の事業であり、法隆寺以外の寺院建立が全て記載されているにもかかわらず、法隆寺だけが正史である『日本書紀』に一言も書かれていない。それはなぜか。
2.『法隆寺資材帳』という各寺院に時の国家権力が提出させた財産目録に関する疑問。何よりも正確を期して書かねば、責任を問われる書物に法隆寺の設立についてきわめて曖昧にしか書かれていない。それはなぜか。
3.法隆寺の中門にかんする疑問。門の真ん中に柱が立っている。不便極まりない作りにしたのは何のためか。
4.金堂には普通は一寺院に一体の本尊が三体もいる。またそれぞれの本尊や内部の装飾の様式の時代形式がバラバラである。それはなぜか。
5.塔の礎石から火葬骨が出てきた。これは誰の骨か。また資材帳に書かれた塔の高さと実際の高さがあまりに違うがそれはなぜか。
6.フェノロサによって開陳された、有名な救世観音がある。1000年以上もの間、厳重に秘仏とされてきたが、それはなぜか。
7.法隆寺の祭りといえば聖霊会であるが、その際に「太子2歳像」や「7歳像」「16歳像」も合わせて祭られる。また舎利も舎利殿から取り出して祭られるが、それはなぜか。

梅原氏はこれらの謎を提唱し、これまでの学説や当時の政治状況を手がかりに説得力のある仮説を提示してゆく。知的興奮という言葉を実感できるという稀有な例である。梅原氏はその仮説の結論として法隆寺とは聖徳太子一族の霊を慰める鎮魂の寺であり、聖徳太子自身は怨霊であることを証明してゆく。

私は太子が怨霊である、またその可能性があるということは知らなかったし、またその説明の過程で明らかにされてゆく、藤原鎌足の権謀術数、藤原不比等の天才的な政治手腕はすさまじい。私が何よりも印象に残ったことは、昔の人々は我々と変わらない、否、それ以上に高いレベルにあるかもしれないということである。この知らず知らずに身についてしまった、「歴史は進歩する」という思い込みを打ち破ってくれる。

今は喜寿を越えられている梅原氏だが、四十代に書かれたこの著作は熱気を持って己の説を証明しようと書かれている。その情熱の一端に触れてみるのは如何だろうか?
[PR]
by seagull_blade | 2005-11-13 20:53 | reading lamp