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by seagull_blade

『亡国のイージス』(福井晴敏:講談社刊)

『亡国のイージス』は7月末に映画が公開され、私の好きな俳優の一人、真田浩之主演ということもあり気になる映画ではある。とはいえ未だに観ていない。それではと、終戦記念日も近いこともあり、購入してみた。上下巻で700頁を超えるなかなかの大著である。
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舞台は護衛艦「いそかぜ」。この船の中で物語は進行してゆくのだが、それぞれの登場人物の持つ「過去」や「現在の生活」も丁寧に描写されている。小説の1/5はその描写に費やされている。この部分を読んでいる時は、正直、読了できるかと考えていたのだが、それは杞憂であった。

感想を一言で言えば、この1年で読了した小説の中では5本の指に入る面白さであった。読み終えることが惜しいという感覚を持てる小説を私は「面白い小説」としているのだが、本書はまさしくそれである。3日間の休日の内、ほとんど丸2日読みふけってしまった。

この手の小説はある程度、軍事的なテクニカルタームが出てくる。年少の折、パイロットになりたかった私は、航空機については、専門書の類でない限りは注釈を必要としない程度の知識はあるつもりであるのだが、艦船の知識はほとんどなく、また現在のミサイル技術、およびそれを防御する技術がどれほどのものなのかということの一端を本書で見ることができた。しかしこうした文章を書くと「ミリタリーマニアが喜びそうな小説」とレッテルを貼られそうである。

だが、本書の魅力はそんなところにはない。もちろん、そうした細部がよく書けているからこその魅力はあるが、私には「物事をどう受け取るのか」ということをエンターテイメントにしたということに最大の魅力があるように思う。

「人は見たいものしか見ない。」「物事を宿命的に受け入れると思考は停止する。」これらの言葉が、読了後頭に浮かんだ。それぞれ何処かで読んだ言葉である。塩野七生と山本七平の著作だったか。見たくない、換言すれば考えたくない事柄は、意図せずとも我々は避ける。私も含めて弱い葦である我々は目の前の事柄のうち、見たくもない・考えたくもない物事を避けるからこそ、どうにか生きることができる。とは言いながら、この受け入れがたい物事は、私とは無関係にそこにあり、見たくないから見えていない私とは無関係に事態は推進してゆく。これは克服しがたい我々の、否、余人は知らず私の弱点である。

歴史上の天才には、己の「意識的」「無意識的」なフィルターが非常に薄い者が存在したであろう。歴史は主に政治史であり、その中で活躍し、君臨する政治に携わる英雄たちは見たくない物事が見えてしまう人たちであったかも知れない。だが、そういう人々は例外中の例外である。それぞれの時代性という制約の中とはいえ、見たくないものも直視できるという天才はあらゆる天才というカテゴリーの中でも最も少ない部類に入るだろう。

だが、私や読者諸賢も含めて多くの人間はそうではない。見たくないものは見えないし、信じたくないものは信じない。それが当然であり、だからといって責められるようなことではない。

小説の手法として、超人的な人格を登場させ、活躍させるということがある。特にこの『亡国のイージス』のような、ヒーロー/ヒロインが活躍する物語はそうである。この超人的な人格は、先に記したような「フィルターの薄い」人々である。たとえば、シャーロック・ホームズやエルキュール・ポワロ、これほどまでではなくても、大沢在昌の「新宿鮫」シリーズの鮫島刑事など、枚挙に暇がない。彼らは通常人では気がつかない物事に気がつき、通常人が恐れてしまう事態に対して、とんでもない勇気を持って対処してしまう。彼らは作者の手によって、他の登場人物には見えない事柄が見える目を与えられ、見たくない現実を見据えつつ対処するだけの力が与えられている。

こうしたヒーロー/ヒロインの活躍は読者を安心させ、カタルシスを味合わせる事ができる。読み手は活躍する彼らに憧憬を感じつつ、理想化した己を重ねて活躍を楽しむ。もちろん読み手も、彼・彼女らが理想化された人々であることを承知の上で作品に酔う。

しかし、この『亡国のイージス』に出てくる登場人物たちは、こうして理想化された人格ではない。それぞれが、見たくない現実を見ないように見ないように生きている普通の人々である。それぞれに背負った現実と向き合わないようにしながらも、それでは解決にならないことをうすうす気がついている、私や読者諸賢であるところの人々である。うすうす気がついているからこそ、悩み、考え、もがきながら、どうにかこうにか次々に起こる現実に対応している姿が描かれている。

また、一見、超人的な力を持つ人々もこの物語には登場する。彼・彼女らはなんの迷いもなくその力を振るっているように読める。だが、そうした人々は「物事を宿命的に受け入れる」事で、一種の思考停止に陥っている。思考が停止しているからこそ、普通の人々が持つ恐れや迷いがなく、強大な力を振るうことができる。それゆえに、思考が再び動きだした時が、彼・彼女らが本当に現実に直面するときであり、その脆さ、危うさを露呈する。

普通の弱さを丁寧に描き、超人的な力をその思考停止に位置づけたこの物語は、多少のご都合主義を割り引いても、作者の人間への洞察力を感じさせる作品であった。
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by seagull_blade | 2005-08-23 12:53 | reading lamp