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by seagull_blade

鹿島神宮探訪

居合を始めてから、性分なので色々とそれに関する歴史や周辺の知識を調べる事が多くなった。以前このブログでも記したが、筆者が学ばせていただいている水鴎流もルーツとしては、鹿島神宮の神官卜部氏の出身である「塚原卜伝」或は「卜伝流」に流祖が学んでいる。また、作家海音寺潮五郎氏によれば、「僕は日本の剣術はすべて鹿島・香取から出ていると思っている。」ということであり、少なくとも、日本の剣術の祖のひとつであることは間違いないであろう。
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また、ここのところ日本の歴史、特に古代史に興味があり、いくつかの書籍を読んでみたのだが、そこには藤原氏の氏寺としての奈良「春日大社」、その源流としての「鹿島神宮」「香取神宮」が登場し非常に興味深い。これは一度鹿島神宮に詣でなくてはならないと考え、常陸国一之宮「鹿島神宮」へ詣でてきた。試験を受けるためでなく勉強するというのはとても愉快なことであるという事を、三十路を迎えようとしている現在、享受している。

東京駅からJR高速バス「鹿島神宮駅」行きに乗車する。鹿島神宮へは終点ではなくその前の「鹿島バスターミナル」で下車する。読者諸賢の中にもサッカーファンなら、このバスを利用した方がいらっしゃるかも知れない。何しろ鹿島神宮とカシマサッカースタジアムは隣接しているのである。筆者はサッカーに関しては日本代表戦をテレビ観戦する程度なので、隣接していることは現地に行くまでまったく知らなかった。運賃は東京から1,780円で、意外と安い。自分で車を出すよりも、ずっと気楽であるし、何より現地で一杯呑むことができる。飲兵衛の筆者にとっては、出張であろうと旅行であろうとその土地の酒を飲めるということが非常に大切であるので、日帰りの小旅行はできる限り自家用車を使わない。

バスを降りて、窓口で道順を尋ねると地図をプリントアウトして丁寧に教えてくれた。その通りに5分ほど歩くと鹿島神宮の入り口「二の鳥居」が見えてくる。丘そのものが神社であるという広大な境内は、どこからでも入ることができるが、折角であるので正門たる「二の鳥居」から入ることにする。なお、「一の鳥居」1.5km程度のところにある北浦湖畔の大船津という場所にある。そこまで足を伸ばしてみたかったが、酷暑のためやめておいた。尤も一の鳥居は神の門であり、人が潜るためのものではなさそうである。

二の鳥居の前には食事処や土産物屋が並んでいる。土産物屋と言えば、木刀が必ずあるが、ここでは必ず「鹿島新当流」と書いてある。シールが貼付されているものもあれば、木刀に焼印や彫ってあるものもあるようだ。各所の名勝地に行くと必ずといっていいほど木刀を売っているが案外鹿島神宮あたりがそのルーツかもしれない。

鹿島神宮はその起源を神武天皇元年に置く。つまり2600年以上歴史をさかのぼることができるということになる。ここまでくると伝説の域を出ないと筆者は考えるが、そのように伝えられている。明白になっているのは、藤原四兄弟の一人、藤原宇合(ふじわらのうまかい)が常陸国国司であった養老年間(717-723)に編纂したとされる『常陸国風土記』にその名(鹿島神郡)が見えることから、少なくとも1300年以上の歴史があるらしい。また、一説には、大化の改新の立役者の一人であり、藤原宇合の祖父である藤原鎌足はこの鹿島の祭祀を司る中臣氏出身であるという。その説に従えば、ここは正に本邦最高の名家藤原氏のルーツということになる。

二の鳥居を潜って、どういうわけか鳥居に正対せずに右手にある本殿(拝殿)にまずは参拝する。祭神は武甕槌神(タケミカズチノミコト)。以前にも記したが、古事記・日本書紀によれば、この神は経津主神(フツヌシノミコト)とともに出雲の大国主命に対して国譲りを迫り、成功させたという武神である。常識的に考えれば、武力を持って征服したということであろう。現代では武道の神ということになっているので、筆者は勿論「居合の上達」を祈念した。この本殿および拝殿は二代将軍徳川秀忠によって立てられたものとのこと。古い時代はこの拝殿も式年遷宮(しきねんせんぐう)といって伊勢神宮のように20年に一度場所を移して立て直していたらしいのだが、このときから半永久的な建物となったのであろうか?筆者は失礼ながら、ちょっとおくまで進み本殿を横から覗いてみたが、これは極彩色の見事なものであった。

その後、250mほど歩いて奥宮へ。参道は樹齢数百年、大きいものでは千年近いものもあるであろう杉の巨木に囲まれ、神聖な雰囲気を醸し出している。実際、盛夏の昼であるにもかかわらず、静かであり、涼しい。奥宮は徳川家康が造営したもので、本来は本殿として使用されていたものだが、現在は奥宮であり、武甕槌神の荒魂(あらみたま)を祀っている。その後、鯰の頭を押さえているという要石を拝見し、禊をする場所である御手洗池で少し一休み。ここには休憩処があり、蕎麦と清酒「神の池」を頂いた。さすが名水のあるところ、お酒はおいしい。「お神酒を喜ばない神はいない」とはいうものの、酔って神域を回るのも気が引けるので、一杯だけだったが・・・。

また拝殿に戻り、その前にある小さな宝物殿(こちらは現代の建物)に入る。ここでは国宝『フツノミタマ』という直刀がある。270cmを超える長大なものである。だが、もうひとつここには見学し忘れてはいけないものがある。それは悪路王の首と呼ばれる木造の仮面(?)である。ここ鹿島は「蝦夷征伐」すなわち時の朝廷による、奥州侵略の前線基地ともなった場所であるらしい。悪路王とは即ち、坂上田村麻呂と戦った蝦夷の王、「アテルイ」のことであろうか。このあたりはまた別の機会に詳しく考えてみたい。

歴史の光と影を飲み込んで、神域は静かにそこにある。塚原卜伝の書の写しという色紙を購入して、包んでくれた巫女さんの涼しげな横顔を見ながらぼんやりと考えていた。

その後は東京駅に戻り、丸の内OAZOで食事をして帰宅。色々なことを考える小旅行であった。

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by seagull_blade | 2005-08-10 14:44 | philosophism