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by seagull_blade

日本の弓術(オイゲン・ヘリゲル著:岩波文庫)

京橋まで出かけた折に、帰りの電車の中で読む本を探しに八重洲ブックセンターへ入ってみた。電車の中で読むのだからと文庫の棚の前で一寸ばかり物色していると、学生時代に読み始めたが途中で止めてしまった本を岩波文庫あたりに多く見かけた。今なら読める本もあるだろう。そう考えて『日本の弓術』を棚から抜き出して購入した。ワンコインなのも嬉しい。
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著者のオイゲン・ヘリゲル(1884-1955)は、東北帝国大学(現、東北大学)へ講師として招かれ、大正13年から昭和4年に掛けて日本に滞在していた。哲学者としての著者は、新カント派に属するのだろうか。ここで取り上げている「日本の弓術」でも神秘思想のかなりの理解と傾倒があるように私には思える。少し調べてみると、エミール・ラスクの弟子であり、バーデン学派に連なるようである。このあたりのドイツ観念哲学は門外漢の筆者にはなんとも言えない。ドイツ観念哲学とはあまりに大雑把な括りではあるが…。

『日本の弓術』は著者がドイツへ帰国した後、日本文化の紹介としてベルリンで行った講演の原稿である。古代ギリシアで確立した論理的思考そのままの西洋人が東洋思想、とりわけ『禅』の思想を理解する為に、友人の紹介で阿波研造氏(弓道範士十段 東北帝国大学弓術師範)の元で弓術の稽古を始める。師の言葉に戸惑いながらも、執拗とよべる程の稽古を重ね、五段を得て帰国するまでの過程を平易な文章で表現したものである。

ベルリン講演の原稿であるから、著者が意識しているオーディエンスは当然ドイツ人であるのだが、現代日本に生きる我々日本人にも返って解り易い文章である。というのも思考の様式として「擬似西洋化」した我々にも、阿波師範の言葉はもはや解りにくいものとなっているからであろう。

「弓を弾いて的を射る」この行為について、著者ヘリゲル氏にも、或いは門外漢の私にも当然ながら以下のような過程が想像できる。
①「左手に弓を持ち、右手に矢を持つ」
②「弦を引き絞り、的にねらいを定める」
③「的に照準が合った瞬間に右手を離し、矢を射る」
だが、阿波師範はこのように説明しない。
①「左手に弓を持ち、右手に矢を持つ」
②「力を抜いて弦を引く」
③「矢が自然に離れてゆくのを待つ」
要約するとこのようなプロセスである。①はともかく②及び③は、論理的に思考していてはさっぱりわからない。論理的には矛盾があるからなのだが、少なくとも私は「何となく解らないでもない」位に捉えることができる。恐らく、平均的な日本人にも同じであろうか。しかし、ドイツ人の著者は違う。徹頭徹尾、ロゴスの世界の住人である。

「力をぬきなさい」と言われれば「力を抜いたら弓が絞れないではありませんか」と当然の反論をする。師範は「(弦を引き絞った状態で)私の腕を触ってみなさい」と実演してみせ、著者の反論を封ずる。一事が万事この調子なのだが、著者自身も言っているように「ドイツ人特有の執拗さ」で、稽古を続けてゆく。そして一つ一つ、我が物としてゆくプロセスが非常に面白い。というよりも上述したように、「擬似西洋化」した我々にも解り易い。著者は決して「解ったような気」にならない。納得いかなければ納得いくまで、師範に質問し、稽古を重ねる。

剣禅一致という言葉があり、これをどのように捉えるかはなかなか難しい問題だが、今の私はこのように考えている。即ち、言葉(論理)によって表現できることには一定の限界があり、それゆえに、言葉では伝えられない(不立文字:ふりゅうもんじ)ものを「実践」を通して伝えるという部分に、「剣術」と「禅」との共通項がある。それゆえ、剣術を稽古してゆくことは、そのまま禅の修業に置き換わるものであるというように。勿論、素人の浅はかさは百も承知で記しているので、そのあたりはご容赦願いたいのだが。

私は居合の稽古をさせていただいているのだが、ある動作ができて初めて解るという言葉が多い。例えば、上段に振りかぶり、正面を斬り下ろすという動作の際、ポイントは幾つもあるのだが、斬り下ろした刀を臍前あたりで止めるという事がある。これは見た目の美しさもそうだが、斬り下ろす動作を行った直後に、また次の対敵動作へ移る為には必須の動作である。これが私にはなかなか出来なかった。「刀を止めようとして止めるな」と注意されたが、この言葉も矛盾している。だが、稽古を重ねて出来るようになると、上記のような表現のほかに表現しようもないことが解る。

さて、ヘリゲル氏は必死に考え、実践し、弓術の稽古を通して、非常に大雑把な括りだが「西洋的認識」と「東洋的認識」の違いを解き明かそうという試みを行っている。この本の魅力は真摯にその試みをしているところにあると私は思う。また、その真摯さに阿波師範も精一杯答えているように読める。そのことが本書を感動的にしているのであろう。

「不射の射」とは中島敦の『名人伝』に出てくる言葉だが、そうしたものを少しでも理解しようとする人にとっては、最高の書の一つであると読了後に考えた一冊であった。

(謝辞:i-watcher様のコメントに触発されて書いたものです。ありがとうございました。)
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by seagull_blade | 2005-05-03 13:39 | reading lamp