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by seagull_blade

『義経』(司馬遼太郎:文藝春秋社刊)

過日、今年(2004年)4月から開始した本ブログが10,000ヒットした。始めた当初は、まあ年間で3,000も記録すればまずまずと考えていただけに、正に「望外」の喜びである。心よりご愛読を感謝する次第。拙文も楽しみにして頂いている方がいると思うと、更新頻度の低さが非常に心苦しい。平にご容赦願うのみである。

年の瀬となり、毎年の事ながら「光陰矢の如し」というのは本当だと実感する。この時期になると例年話題のNHKだが、今年は様々な意味で話題となっているようだ。この面の感想、批評はTVで盛んに為されているので、私は沈黙することにして、来年の大河ドラマに繋がる話でも書いてみたい。
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とは言いながら、大河ドラマを見なくなって久しい。最後にストーリーが解るほど観たのは『翔ぶが如く』である。調べてみると90年の放映であった。それ以降は殆ど観ていない。『秀吉』は少し観たような記憶があるのだが。2004年の『新撰組!』は縁あって、出演した役者の一人が私の通う稽古場に出入りしているので、彼が出演している放送だけを観た。(本人に断っていないので誰とは言えないのだが)感想は書かない。

さて、2005年は『義経』である。私は日本史の知識が抜け落ちており、(単なる知的怠慢なのだが)これを少しでも埋める為、社会人になってから大河ドラマに採り上げられたテーマ周辺について書かれた書物を数冊程度だが読むことにしている。タッキーとマツケンサンバか…とは思いつつ、折角なので、『義経』についての本も読んでみることに。天邪鬼とは言わないまでもへそ曲りではある私は、大河ドラマの原作本である『宮尾本 平家物語』(宮尾登美子著:朝日新聞社刊)ではなく、司馬遼太郎の『義経』を通勤時間の友とした。

「司馬遷には遼に及ばない」という謙遜、或いは司馬遷に己を比する自信をペンネームとした司馬遼太郎作品で、私が最初に読んだのは『国盗り物語』であった。中学生だったと思う。司馬史観と言われ、読み手の考え方に影響を与えずにはいない氏の本をご多分に漏れずよく読んでいた。『跳ぶが如く』『竜馬が行く』『燃えよ剣』『この国のかたち』など…。今となっては司馬史観を全面的に肯定する訳ではないが、何となく歴史小説を探す際には「司馬遼太郎」と書かれた背表紙を探してしまう。

『義経』はその出生から死までを描いているが、義経の最盛期を中心に採り上げている。敢えて感想を一言で述べれば、「随分と主人公である『義経』に点が辛い」という印象であった。筆者は文中で義経を「政治的痴呆」と言い切っている。司馬氏は別の著作の中で「平和とは手脂がべた付く手練手管を必要とする」という趣旨を述べている。この観点からすれば、源義経という人物は、そういう手練手管を一切理解できないというところに特徴があるのだから、点も辛くなるというものであろう。また、太平洋戦争へと向かう昭和初期に義経公は、大いに戦意向上に利用されてしまった為に、戦車兵(だったと記憶しているのだが)として従軍され、シベリアでも抑留された司馬氏にとって、義経公はあまり美化したくない対象なのかも知れない。とは言えそこは司馬遼太郎氏、読み応えも充分にあり、私にはなかなか面白かった。

司馬遼太郎氏の『義経』と他数冊の書物を読んだだけで、評論を書くほどの知識が無いのを承知で、少し「源義経」という人物について考えてみたい。「判官贔屓」という言葉がある。ご存知の通り、これは「源九郎判官義経」を兄であり鎌倉幕府の元首である「源頼朝」よりも好むということを語源としている。辞書には「〔源義経が兄頼朝に滅ぼされたのに人々が同情したことから〕弱者や薄幸の者に同情し味方すること。また、その気持ち。」(三省堂提供「大辞林 第二版」)とある。

確かに、司馬氏が相当に点を辛くして義経を表現しているのだが、もし私が同時代人として身近に感じていたとしたら、抗い難い魅力があるのではないだろうかと思えてしまうほど、義経公は「純粋」である。兄である頼朝公はそれに引き換え、なんと「不純」な事だろうか。現代に生きる後世の私は、その後の歴史を知っている。それ故にこそ結果から判断し、頼朝公の方をより評価し、好むものだが、同時代人だったとしたらどうであろう。鎌倉幕府の元首として、政治的判断で弟である「義経」「範頼」を殺し、その首を前に「悪は滅んだ」と呟く頼朝公を理解し、好きになれるであろうか。恐らく答えは否であろう。

義経という若者は、軍事的には100年に一度という天才だが、世知が殆どない。血を分けた兄である頼朝公のために働き、大戦果を収めたと言うのに、なぜその兄に疎まれ、挙句に殺されるのかを恐らく最期まで理解しなかった。実際には「奇蹟的勝利を呼ぶ天才」「頼朝公に並び立つ資格のある者」という義経を政敵(「日本一の大天狗」と頼朝が言ったと伝えられる後白河法皇)に利用させまいという純粋な政治的理由である。それが理解できないからこそ、義経は魅力的なのだが。だが、もし、頼朝公が兄弟の情けから義経公を助けたとしたらどうだったであろう。均衡政策をとるフィクサー後白河法皇に操られるまま、頼朝公と対立し鎌倉時代は成立せずに内乱が続いたかも知れない。

義経公のようなパーソナリティは往々にして多くの人に愛される。特に我々日本人は頼朝公や後白河法皇のような「不純な」政治家を嫌い、子供のような「純粋さ」をもつ人格を好もしく思うらしい。勿論、私も例外ではない。だが、「純粋」という言葉は何ともいえない危険な香りを持っている。昭和初期の青年将校は「純粋」ではなかったのか?日本赤軍の学生は「純粋」ではなかったのか?凶悪事件を起した少年たちを弁護する言葉に「純粋さ」が多用されてはいないだろうか?それを考えると(大げさだが)大河ドラマ『義経』がどのように世間に評価されるのか、また「源義経」という人物が思い出された時にどのように評されるのかに大いに興味がある。私はそんなふうに、多少「不純」に来年の大河ドラマ人気を考えている。
by seagull_blade | 2004-12-25 14:17 | reading lamp